火曜日, 7月 29, 2008
帰宅してダウンロードが完了しているだろうと、パソコンを見たら停止ボタンがアクティブになって、83%ほどで停止している。ためしにマックでインターネット接続をしてみたら、アクセスできません、と出たので理由が判明。
ADSLの受信機をリセットして、開始ボタンを押したらまた継続して受信はじめた。ダウンロードサイズとアップロードサイズとに大差があり不安になるが、とりあえず経過見。
再開した速度をみるとけっこう最初よりも早いが、じっと見ているわけにもいかず、いったん寝て待つ。気がつくとダウンロード率が100%となっている。雷による停電やら、気がつくと止まっていたりということが昨日もあり、本日またADSL機の不調もあり、100%となっていてもにわかに完了が信じられない。
それで、本にも書いてあるハッシュ値を「チェックすることに。
このファイル共有の欄にもハッシュ値が出ているがこれではなく、インターネットで調べなくてはならないそうで、md5というタームもいれてネットでさがす。
2ちゃんねるの掲示板にあったので、メモッった。ネロで焼いたがうまく動かない、などという悩みなども出ていたりする。やはり、うまく動かない、という事例がたくさん出ている。
この本発以前にも、多くのチャレンジがなされていたようだ。当初、ハックした人は、アップル社から提訴され活動を停止していたが、和解が成立したので、再度活動を始めているとも。
また、ハッシュ値の計算は当然専用ソフトが必要で、付属のCDROMから、インストールしておいた。後は、OSのイメージファイルをこの計算ソフトのアイコンにドラッグ&ドロップすれば計算をしてくれる。
待つこと数分で計算が終わる。メモった数字は真ん中あたりのFFCが、ffeとなっていたが、他は一致いていたので、単なる見間違いだったのだろうと判断した。だとしたら、BitCometはすごいソフトだと感心した。これで、残る5つのOSバージョンもダウンロードする際の心理的抵抗感がかなりけいげんされたような気がする。
このバージョンは、一年ほどで、7000というオーダーのダウンロードがされていたようだった。他にも、いろいろなサイトがあるので、世界中で、何万というオーダーで出回っているのかもしれない。
そこで、イメージバーンという専用ソフトで、解説の手順どおりにイメージファイルのアイコンを選択して、DVDアイコンに落とし、焼き付けて、起動用DVDができたことなった。
後は、インストールなのだが、ハードディスクは本体に余裕があっても、別に外付けHDを用意しなければ、トラブルの元らしく、ハードディスクはUSB接続のものであれば、いちおうOKらしく、ほっとした。しかし、DVDに焼く際にVerify欄にチェックをいれなかったことを思い出し、しまったと思う。だめなら、再度焼きなおしを覚悟する。
HDは、OS以外は残すな、とも書いてある。それで、中味をきれいにするには、データやプログラムの引越しをせねばならず、ここえ作業はいったん中断となる。
翌日再度Verifyにチェックマークを入れて焼き直してみようと起動したら、デフォルトでチェックマークが入っていました。
日曜日, 7月 27, 2008
Windowsパソコンで、iPhoneなどにも入っているOSの本家、Leopardなどを動かしてみる企画の書籍が目に付いた。結構高く、一冊しか大型書店にもおいてなく、迷ったがだめもと覚悟で購入した。
だめもと覚悟とは、その本に付属しているCDソフトを起動して、使用中のウィンドウズのCPUの機能のうち、ある種の機能がyesかどうかチェックしてみないと、導入できるかどうか不明な
点があることと、それをクリアーしていても、起動できる保証がなく、ある限られたパソコンでないと上手くいかない点だ。編集部でいろいろためし、まず保証できるパソコンは、一機種しか明確ではなく、そのため、ダウンロードするOSXの亜流が何種類もあって、どれかで上手くいくかもしれない、などと確率的にはかなり成功率が低そうなことだった。
まずCPUの中味をチェックしてみる。インテルのセレロンプロセッサーであるが、必要とされる機能はどちらもイエスだった。編集部おすすめのパソコンは、もちろん外国製で、HPのある機種ということだった。私のはeMachine製なので、国産でない分、どちらかといえば気楽。
まず、ファイル共有ソフトをインストールして、ウィンドウズ用にハックされたLeopardの公開版をダウンロードする必要がある。
ファイル共有ソフトは、あまり芳しくないなと思いつつも、必要がなくなったら、即削除するつもりでインストール。ハック版OSの容量はけっこう大きく、単体のDVD一枚にようやく収まる程度だ。
また、ダウンロードしたOSをDVDに焼くソフトも、CDからインストールしてみた。NEROというソフトが標準ではいっているのだが、編集部がいうには、CDの付属ソフトで焼かないと、完全動作するOSは焼けなかった、などと書いてあるので、いちおう試してみることにする。
インテル版MacOSXがデビューする噂があった頃だとおもうが、流出したOSXのウィンドウズでの動作版が、一時的に公開された、らしいという噂があって、そのCDの入った雑誌を、どういうわけか、コンビニの雑誌コーナーで買ったことがある。アップルもすぐ公開をとめたとかなんとかそんなことが書いてあったように思うが、NeXTSTEPがOPENSTEPとして、インテル上で動作していたのだから、動いて不思議は本来無い筈だ。
ただ、アップルの戦略として、ウィンドウズ上でも、すくなくとも見た目だけでも美しいOSXを動かせるようにもっていくのか、と思ったが、互換機を一掃したアップルであるし、マイクロソフトの分野に食い込んでもあんまりメリットはないだろうにと思っていた。その本はそのうちどこかへ行ってしまった。それで、その後、マニアが懸賞金つきで、インテルマック上でウィンドウズを起動できることを発見してしまって、アップルもそれをうまくとりいれて、ブートキャンプとして売っている。
方針が決まらないとき、市場の動向を見極めるために、戦略の一部を偶然を装ったりして小出しすることは、アップルに限らずよくやる手だから、どちらの機種でも、あるいはどちらのOSも動くという方向性をどういう形で市場にだすか、試行錯誤があったのだろう。
探すファイル名などは、雑誌の指示にしたがって入力。インテル、AMDどちらのCPUでもいいのだが、中にはインテルオンリーなどというのもある。全部で5種類ぐらいはあったようだが、まずは最初の一歩。
編集部の弁では、一本落とすのに、丸二日かかることもある、という。すると、最低十日以上、半月ほどもかかることになる。機種の相性から、どれがいちばんよく動作するOSのバージョンか、試してみないとわからない、という。それで、すべて落として、DVDに焼いてもっている必要がある。しかもあくまで自己責任で、という。
また、マック版OSは、外付けHDにインストールしたほうがよい、とも。まだそこまでいっていないので、とにかくこれから、何日も、OSのバリエーションをひたすらダウンロードするしかない。
途中、この時期だから、雷雨で一瞬停電したが、最初からか途中からかとにかく再開した。これは当初の写真だが、午前3時ごろには、アップロードファイルも2GB近くになっていた。丸1日強で落としきれるかも知れない。
月曜日, 7月 21, 2008
こんや、またNTTの系列代理店から、光の電話案内が届いた。近く、アナログ回線から、デジタル回線に順次切り替わり、ADSLのままでもいいが、時代は光だし、今なら、切り替え料無料で光回線がゲットできるという。サービス期間が過ぎると新規契約料が三万円とかさむので、是非このチャンスを、ということらしい。三万円というあたりで、声が若干上ずったので、怪しいと感じる。
安くなる話しばかりである。今のアナログ契約料が2000円ほど、それがデジタル回線に変更となれば560円ほどですみ、差額がまるまるお得とか!。しかし、光の基本料金がまだ7000円代らしい。今ADSLの12Mで2000円台だし、というと、そ、それは確かにお安いですね、とトーンダウン。
そこで、態勢を仕切り直しとばかり、でも12Mじゃ、遅くはありませんか!?と切り込んでくる。いやあ、パソコンがどんどん速くなって来ているから、痛痒を感じませんね、と応じると、どんなパソコンかと聞くので、Macだというと、Macですかぁ!?と明らかに声がまた上ずる。Macだって、いろいろあるでしょ!?というので、インテルMacもパワーPCMacもあるけど、遅いとは思わない、会社の12Mより速いくらい。100Mの光も確かに速いだろうけど、混雑すると数分の一ぐらいまで速度は落ちるでしょ、などと話しているうちに、iPhoneのことを思いついた。
それに、まだ検討中だけど、iPhoneに切り替える手もあるし、などというと、明らかにiPhoneですか!!??と声が高揚する。ケータイやめて、インターネットやめると、iPhone一本で両方できて、値段も大差ないから、検討中ですよ、というと、声が震えている。また、少し、光がお安くなったら、御案内くださいね、というと、その節はよろしくお願いします、と断った割には、気持ちよく電話が切れた。
とっさに出た半分嘘っぽい話しだが、自分でも驚いた。通常の携帯が半額料金でも約4000円、安いインターネットでも2500円とすると、両方辞めれば6500円も浮く。iPhone一本に切り替えても8000円代なら当初考えていたほど高額な話しではない。もともと、半額プランに切り替えるまで何年かは毎月1万以上携帯代を払っていたのだ。
インターネットし放題で、パソコンに繋いで印刷なども出来るし、フリーソフトのダウンロードもiPhoneからパソコンに転送したりと考えれば、Macを使う限り、スタイルが変わるだけで、実質中味の変化はそれほどないのかもしれない。
安くなる話しばかりである。今のアナログ契約料が2000円ほど、それがデジタル回線に変更となれば560円ほどですみ、差額がまるまるお得とか!。しかし、光の基本料金がまだ7000円代らしい。今ADSLの12Mで2000円台だし、というと、そ、それは確かにお安いですね、とトーンダウン。
そこで、態勢を仕切り直しとばかり、でも12Mじゃ、遅くはありませんか!?と切り込んでくる。いやあ、パソコンがどんどん速くなって来ているから、痛痒を感じませんね、と応じると、どんなパソコンかと聞くので、Macだというと、Macですかぁ!?と明らかに声がまた上ずる。Macだって、いろいろあるでしょ!?というので、インテルMacもパワーPCMacもあるけど、遅いとは思わない、会社の12Mより速いくらい。100Mの光も確かに速いだろうけど、混雑すると数分の一ぐらいまで速度は落ちるでしょ、などと話しているうちに、iPhoneのことを思いついた。
それに、まだ検討中だけど、iPhoneに切り替える手もあるし、などというと、明らかにiPhoneですか!!??と声が高揚する。ケータイやめて、インターネットやめると、iPhone一本で両方できて、値段も大差ないから、検討中ですよ、というと、声が震えている。また、少し、光がお安くなったら、御案内くださいね、というと、その節はよろしくお願いします、と断った割には、気持ちよく電話が切れた。
とっさに出た半分嘘っぽい話しだが、自分でも驚いた。通常の携帯が半額料金でも約4000円、安いインターネットでも2500円とすると、両方辞めれば6500円も浮く。iPhone一本に切り替えても8000円代なら当初考えていたほど高額な話しではない。もともと、半額プランに切り替えるまで何年かは毎月1万以上携帯代を払っていたのだ。
インターネットし放題で、パソコンに繋いで印刷なども出来るし、フリーソフトのダウンロードもiPhoneからパソコンに転送したりと考えれば、Macを使う限り、スタイルが変わるだけで、実質中味の変化はそれほどないのかもしれない。
久しぶりの3連休となり、連日暑く、明け方に燃費テストする位しか乗らないでいたが、最後の今日、朝起きたら空は曇っていて涼しい!!。しかも茨城県などでは霧に注意などとラジオが伝えている。それで、当分あきらめていた、茨城県の沿海地方のある分譲地を確認に行くことにした。GoogleMapで、駅からどの位か上空写真で確認し、カラー印刷してかばんに忍ばせる。8時10分に家を出て、6号線を目指す。柏までは16号で。最後の3連休でもあり、ガソリン高騰もあり、比較的車は少ない感じがする。それで、渋滞もなく、涼しい風を受けて快調に車について行く。
腹ごしらえは、途中で済ます。しっかりと定食をライス大盛りで注文。朝7時から営業の、おかずを選べる定食屋さんだ。しかも、今朝は、セットメニューも用意してあり、105円の単品をさらにつけて、500円だ、というから驚いてしまった。通常640円くらいになりそうな勢いのメニュー。山田うどんも吉野家も最近朝定食メニューが充実してきてうれしいかぎりだとおもっていたが、そうした影響を受けていると思った。
涼しくて気持ち良いので、千葉県橋の橋の温度掲示は見忘れた。変に挑むような運転をするマーチが後続についていたので、そちらに気をとられていた、というのが本当かもしれない。
時計が見たいときに見れるようにあると、一時間で何キロ走行したか比較できて、やはり便利だ。今日も一時間で、約50キロほど走行した。といっても今日は柏から常磐道へ乗り入れている最中だ。シャクナゲがけっこうきれい。夜間とおなじく、飛ばす二輪は120+位で右側追い越し車線を疾走して行く。後にから400cc位の二輪がついているなと思って抜かせたら、同じく黒色のハーレー900(いわゆるパパさん=883cc)か1200のXLのようだった。前方から見た投影面積がスリムなので、小さめに感じる特徴がある。
土浦北でおりて(料金1000円、軽料金)、しばらくして霞ヶ浦大橋と出てくるので、右折してあとは真っすぐ。前は土浦ナンバー、後には水戸ナンバーの軽にはさまれて、70前後位で快調に距離を稼ぐ。途中、354号線の表示が出るので左折したが、前後の4輪も一緒。前の土浦ナンバーはまもなく右折したが、後の水戸ナンバーさんとは、結局目的地は最後の数キロを除いて同じで、ずっと私が前を走っていたが、目的地前で、郵便バイクについてゆっくり走っていたら、あっというまに抜かれて、私とは反対側へ曲がって行った。前回は夜になってしまって、難儀したが、今回は昼間だし、前回の経験があるから大変楽で、思ったより短い距離と時間で着いてしまった。前回は道に迷い、コンビニやスタンドで聞いたり、行きつ戻りつ試行錯誤も山中であったが、今回は354号線からはずれず、まっすぐ目的地へと滑り込んだ。
今回、実はお昼に茨城のウナギも食べてみたい、という魂胆もあったのだが、駅についてもそれらしい店はなさそうだし、コンビニ弁当のウナギはどこで食べても同じだろうし、第一産地も不明で、少々気掛かり。それに朝のあの定食のせいで全然食欲が湧いてこない。
途中飲まず、休まず来てしまって、いよいよ目的地を探すが、最初は二三回、目的地がわからず、通り過ぎていた。思ったより、田舎ではなくほっとしたが、目的地はやはりまだ砂利道で、走行に苦労した。石を砕くか潰すような音を立てて走る。土の色が東京近辺より明るい黄土色できれいな感じがする。どちらも火山灰由来の土壌だろうが、堆積時期でもちがうのだろうか?
実は、隣の敷地も親戚の持ち物で、どんなふうになっているか知りたいとの話しもあった。どちらも相続問題等で、共通の関心がある場所だ。しかも隣の未亡人の弁によれば、夫に付き添われて見に来た昔は、もう夕方で、あの方向がその土地だよ、と指さされただけで、以来訪れることがなかった、という。
どうも別荘風な建物も多く、無人の別荘も実際あった。目印にと撮った二軒の屋根も別荘風。うち一軒はワンちゃんの小屋の屋根も同じ黄色だった。水道と電気は来ているが、後はなし。
昔は別荘用に開発したらしいが、今は団塊の世代中心に、都会を離れた田舎暮らし用にと、常住地として売る事が多いとか。
駅前の不動産屋さんはどちらも休みで、連絡用の電話番号でもと撮っていたら、目ざとく、内の店の写真をお撮りになりましたが、何か!?と近づく人がいてビックリ。そこの所長さんであって、挨拶をしたら、いろいろと話してくれて、来た目的は大半が終了。まだ、時間は12時で、同じ道を帰る気はさらさらなく、51号線を北上して大洗海岸を目指すことに。
道はすいていて、まもなく大洗。海がまじかに見えたが、曇っていて、水平線は空と海が一緒になって識別できなかった。大洗で良い店があればとおもったが、メイン道路にはほとんどなく、水戸を過ぎて坦々と帰り道。渋滞は大型量販店の回りだけで、どんどん距離が稼げる。ちらっと栃木方面へと誘う標識が出るが今日は我慢。50号線で169円のセルフを今日初めて見つけて入る。通勤を含めて14.2キロ。ちょっと拍子ぬけ。もう少し良い燃費を期待したのだが。高速でどうもスムーズに回らない気がしたが、それが原因か!?
とうとう、あまりお腹が空かないので、どんどん50号を小山まで来て、左折。そのまま4号線を南下して、なんとなく会社へ来てしまった。利根川では、水上バイクが勇壮に波をけ立てて
夏本番を実感。埼玉に入ると途端に暑さを覚え、そうだ、秩父の氷を使っているという喫茶店があると先日聞いたので、そこで涼を取ろうと行ったら、閉店中。途中やはりラッキーなことに169円の最近新装開店したセルフがあったので、給油。今回はホットスタートだったので、
かなり快調に飛ばしたつもりでも15.97となり、まずまずでホッとした。
先日50〜60をキープした定地燃費でも15.9で、感じとしては60〜70位に最高燃費帯があるように感じる。暖機もただ、止らないからと漫然と時間を賭けるより、常用帯の1800〜2200位まで、少し暖まったら、あげてやって、ピストンとシリンダーを慣らすようにすると、比較的低開度のアクセルでも回転のつきがよく、好燃費に繋がるような予感を最近覚えるようになった。いずれにしても、あまり燃費にムラがなくなってきたことは、時節がらありがたい。
原付バイクの売れ行きがよい、というのもうなずけるガソリンの価格高騰だ。
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土曜日, 7月 19, 2008
Rhapsody時代から、従来のいわゆるMacOSは廃止されるが、一部のコードの書き換えで、古いアプリも比較的簡単に新OSに移行できる旨、盛んに宣言されていた。サードパーティの開発者にそっぽを向かれては、いかにジョブスが意気込んだOSといえども、早晩苦境に立たされることは明らかだった。
MacOS Xになった当初から、アップルがPowerPCというアーキテクチャに強く依存するのは危険な状態にあった、と前出白山氏は書いている。
Pentium4に対向できると信じられていたPowerPC G5は、発表当初の涼しいG3などとは段違いの発熱で、性能面で対処できるノートマシンを発表できない状態で、2005年6月の段階で、インテルCoreプロセッサに移行を発表、2007年までにはすべての製品がインテル製CPUとなってしまった。
このとき、動揺派と積極支持派とわかれたマックファンの対応があったように思うが、最初はあれほど優位性を宣伝していたPowerPCからあっさりインテルに切り替えたときは、さすがに最初は動揺したが、過去のCPUシェアの歴史と、インテルの頑張りを見ればかえっていのかもしれないと冷静を保とうとした。
技術の進歩は早く、ある時期の優位性など、ちょっとしたことで逆転することをまたまた感じた。ちょっと前、G4が登場し、G3が安くなった頃、私は友人にこんなメールを送っていた。
『最近の情報によれば、Macの日本による売り上げシェアは10月の時点でトップの24%強で2位のNECはとうとう20%を切ってしまったそうです。アメリカでのシェアは一位あがって6位となり、5位にNECがいるそうです。人気商品 iMacとそっくりに見えなくもないソーテック社のE-ONEはとうとう販売差し止めとなりましたが、あるユーザがそれにしてもよく似ているな、だいじょうぶなのかな、などと裁判以前の時点で話していると店員が揉み手で近づき、ええもう、そりゃ、WindowsじたいがMacのまねですから!などと話の輪に入ってくる状態も見かけられたそうです。・・・
よく冷えた、というのは今度のiMacは冷却ファンがついていません。心臓部のG3-CPUの消費電力が少ないためで、ノートブックパソコンでも早さはトップです。最近製品発表されたG4は発熱が多いので、デスクトップでしか採用されていませんが、ゆくゆくは銅配線をうんと細くしたり、電子の余計な移動を押さえたりする技術をもちいて、発熱を抑制する方向でG3、G4ともにクロック速度は2000年には1GHzに突入します。一方インテル社のなんとかという石は、サードパーティ製品にも速度で抜かれ、クロックをあげられるように線幅を細くすることで苦労しているようです。
DOS時代の製品と互換性を最大限保つよう設計されていることも足を引っ張る原因とされていますが、サードパーティの製品はそれではどうなのか、と思いたくなります。Microsoft社は、一時アップルに出資する見返りにブラウザに同社製品も入れるよう強制したため、Netscape社の業績は急降下し、AOLの傘下になってしまいました。こうした行為は独禁法に抵触するということで有罪の求刑がこの秋出ました。いままで通りの商売はできなくなる、というのが業界の見方のようです。
G4が出たおかげで、G3アクセラレータカードが一斉に値下げとなり、小生も食指が動き、266MHzでバックサイドキャッシュが1Mという米国製品を一番古いマックに装着したところ、約7倍のスピードアップとなり、G3-300Mhz相当の早さで1999年初頭の製品と同レベルのプロセッサ速度となりました。単純計算で計算速度じたいはWindows機の600MHz位になりますが、にわかには信じられません。CPUの温度などもマウス操作で表示してくれるので、外気と使用環境で温度が5〜10℃ほど変化するのもおもしろい(平均55℃)。
子供の話ではG4Macがでたことで、ソニー(ちなみに、日本ではNECについで3位!)のVAIOを買った友人たちもアップルは汚ねえ、出るとわかっていればこんなもの買わなかったのに、と落ち込んでいる友人たちが複数いるそうで、3年生になりパソコンが必要になればG4を買わされそうです。G5、G6までは進化はロードマップに載っているそうで、今世紀末頃にはスパコンが居間の机にのる時代が来る、といわれていましたが、アップル、IBM、モトローラグループが一番のりを果たしました。とりあえず、めでたい!、めでたい! 』
しかし、インテルも必死で配線を細くし、当初の予想を覆して、4GHzあたりまで引っ張ったがそこでコストを含め限界の感を呈し、プロセッサを複数配置して、低クロックながら性能を上げるパワーPCを見習ったかのような戦略へと切り替えた。
それで、わずか一年でOSやアプリのインテル化が完了したわけだが、白山氏によれば、MacOS X自身の移植性の高さに加えて、高レベルのアプリケーションフレームワークであるCocoaおよびObjective-Cの移植性の高さを上げている。Cocoaアプリケーションを作っていれば、再コンパイルするだけでほぼそのまま移行が可能であった、という。そもそもCocoaの元となったOPENSTEPは、680x0,x86、PA-RISC、SPARCの4つのアーキテクチャで動作しており、移植性の高さは実証ずみであった、という。
さらにMacOS XにはインテルかパワーPCかを一般のユーザーから隠すよう設計されており、ユニバーサルバイナリーという仕組みで、インテルでもパワーPCでも、同様に使用できる。それで、現在はほとんどのアプリがユニバーサルバイナリー仕様だそうだ。
ユニバーサルバイナリーが間に合わなかったアプリは、MacOS X 自身がもつRosettaという機能が対応している。これは、旧MacOSをパワーPC上でも動かせるようにしたClassic環境に似ている。私のG4マシンは、これまでのすべての所有するアプリが実行可能。ただ、インテル環境ではそうではなく、Basiliskiiで対応して事実上問題ない。これほどあれこれと変わったOSだが、結局すべてのアプリがいまだに実行可能な状態で、Macを選んで後悔したことはない。
事実、パワーPC用に書かれたオフィスをインテル上でも問題なく私は使用しており、新オフィスも廉価で魅力的だが、まだ移行していない。当然だが、二台同時には起動できないが、新しいオフィスは3ライセンスつきで2万ちょっとでアップグレードできるのだが、今更同時に使用するほど必要性は見当たらない。Win版も何種類ものオフィスがあるし、そんなにマイクロソフト製品を買う気にはなれない。
現在はアドビシステムズ、マイクロソフトOfficeなどほとんどの製品がユニバーサルバイナリー仕様になり、Rosettaの出番はほとんどない、という。
その移植性の高さだが、現在のiPhoneのプロセッサは、組み込み系プロセッサであるARMアーキテクチャだそうだが、このiPhoneのOSもMacOS Xのバリエーションだそうで、iPhone OSと呼ばれはするが、MacOS X 10.5 Leopardをベースとしている。短期間にiPhoneをリリースできたのは、MacOS Xが強力な基盤ををもっているからだと、書かれている。
また、マック雑誌でも、iPhone用の、サードパーティによるアプリ類の開発も、MacOS X
上で、iPhoneなしでも開発可能となっている、と指摘されていた。また、プログラミングで重要なのは概念であり、OSも見てくれも全く違うかに見えるMacとiPhoneなのに、その上で稼働させるアプリを作る概念が全く共通なのだという。その特徴をうまく使うことで、Macの開発者が用意にiPhone開発者にもなってしまう『仕掛け』が機能している、という。Macのプログラミングを追いかけて来た人たちが、良かったと至福の瞬間を味わうことになろう、とも。Cocoaに馴染んでいればよいようだ。
XBox用アプリの開発も、マックのパワーPCG5上で行われていた、という話を信じない人も多いようだが、まあ、何でも動くMacOS X というのは、それだけでも凄いことのように思われ、最近のMacを語る資格が自分にももうほとんだないことに気付かされた。
しかし、アップルの原点ともいえる二人の創業者の記録は、未だに色あせていないように思われる。
http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0706/08/news045.html
には、『Apple IIの「ジョブズ的視点」がPC革命の始まりだった
ウォズはApple IIを「プログラミングで問題を解決するツール」とみなしていたが、スティーブ・ジョブズ氏はこのマシンを家電のようにしたいと考えた。』
として当時の興奮を今に伝えている。
MacOS Xになった当初から、アップルがPowerPCというアーキテクチャに強く依存するのは危険な状態にあった、と前出白山氏は書いている。
Pentium4に対向できると信じられていたPowerPC G5は、発表当初の涼しいG3などとは段違いの発熱で、性能面で対処できるノートマシンを発表できない状態で、2005年6月の段階で、インテルCoreプロセッサに移行を発表、2007年までにはすべての製品がインテル製CPUとなってしまった。
このとき、動揺派と積極支持派とわかれたマックファンの対応があったように思うが、最初はあれほど優位性を宣伝していたPowerPCからあっさりインテルに切り替えたときは、さすがに最初は動揺したが、過去のCPUシェアの歴史と、インテルの頑張りを見ればかえっていのかもしれないと冷静を保とうとした。
技術の進歩は早く、ある時期の優位性など、ちょっとしたことで逆転することをまたまた感じた。ちょっと前、G4が登場し、G3が安くなった頃、私は友人にこんなメールを送っていた。
『最近の情報によれば、Macの日本による売り上げシェアは10月の時点でトップの24%強で2位のNECはとうとう20%を切ってしまったそうです。アメリカでのシェアは一位あがって6位となり、5位にNECがいるそうです。人気商品 iMacとそっくりに見えなくもないソーテック社のE-ONEはとうとう販売差し止めとなりましたが、あるユーザがそれにしてもよく似ているな、だいじょうぶなのかな、などと裁判以前の時点で話していると店員が揉み手で近づき、ええもう、そりゃ、WindowsじたいがMacのまねですから!などと話の輪に入ってくる状態も見かけられたそうです。・・・
よく冷えた、というのは今度のiMacは冷却ファンがついていません。心臓部のG3-CPUの消費電力が少ないためで、ノートブックパソコンでも早さはトップです。最近製品発表されたG4は発熱が多いので、デスクトップでしか採用されていませんが、ゆくゆくは銅配線をうんと細くしたり、電子の余計な移動を押さえたりする技術をもちいて、発熱を抑制する方向でG3、G4ともにクロック速度は2000年には1GHzに突入します。一方インテル社のなんとかという石は、サードパーティ製品にも速度で抜かれ、クロックをあげられるように線幅を細くすることで苦労しているようです。
DOS時代の製品と互換性を最大限保つよう設計されていることも足を引っ張る原因とされていますが、サードパーティの製品はそれではどうなのか、と思いたくなります。Microsoft社は、一時アップルに出資する見返りにブラウザに同社製品も入れるよう強制したため、Netscape社の業績は急降下し、AOLの傘下になってしまいました。こうした行為は独禁法に抵触するということで有罪の求刑がこの秋出ました。いままで通りの商売はできなくなる、というのが業界の見方のようです。
G4が出たおかげで、G3アクセラレータカードが一斉に値下げとなり、小生も食指が動き、266MHzでバックサイドキャッシュが1Mという米国製品を一番古いマックに装着したところ、約7倍のスピードアップとなり、G3-300Mhz相当の早さで1999年初頭の製品と同レベルのプロセッサ速度となりました。単純計算で計算速度じたいはWindows機の600MHz位になりますが、にわかには信じられません。CPUの温度などもマウス操作で表示してくれるので、外気と使用環境で温度が5〜10℃ほど変化するのもおもしろい(平均55℃)。
子供の話ではG4Macがでたことで、ソニー(ちなみに、日本ではNECについで3位!)のVAIOを買った友人たちもアップルは汚ねえ、出るとわかっていればこんなもの買わなかったのに、と落ち込んでいる友人たちが複数いるそうで、3年生になりパソコンが必要になればG4を買わされそうです。G5、G6までは進化はロードマップに載っているそうで、今世紀末頃にはスパコンが居間の机にのる時代が来る、といわれていましたが、アップル、IBM、モトローラグループが一番のりを果たしました。とりあえず、めでたい!、めでたい! 』
しかし、インテルも必死で配線を細くし、当初の予想を覆して、4GHzあたりまで引っ張ったがそこでコストを含め限界の感を呈し、プロセッサを複数配置して、低クロックながら性能を上げるパワーPCを見習ったかのような戦略へと切り替えた。
それで、わずか一年でOSやアプリのインテル化が完了したわけだが、白山氏によれば、MacOS X自身の移植性の高さに加えて、高レベルのアプリケーションフレームワークであるCocoaおよびObjective-Cの移植性の高さを上げている。Cocoaアプリケーションを作っていれば、再コンパイルするだけでほぼそのまま移行が可能であった、という。そもそもCocoaの元となったOPENSTEPは、680x0,x86、PA-RISC、SPARCの4つのアーキテクチャで動作しており、移植性の高さは実証ずみであった、という。
さらにMacOS XにはインテルかパワーPCかを一般のユーザーから隠すよう設計されており、ユニバーサルバイナリーという仕組みで、インテルでもパワーPCでも、同様に使用できる。それで、現在はほとんどのアプリがユニバーサルバイナリー仕様だそうだ。
ユニバーサルバイナリーが間に合わなかったアプリは、MacOS X 自身がもつRosettaという機能が対応している。これは、旧MacOSをパワーPC上でも動かせるようにしたClassic環境に似ている。私のG4マシンは、これまでのすべての所有するアプリが実行可能。ただ、インテル環境ではそうではなく、Basiliskiiで対応して事実上問題ない。これほどあれこれと変わったOSだが、結局すべてのアプリがいまだに実行可能な状態で、Macを選んで後悔したことはない。
事実、パワーPC用に書かれたオフィスをインテル上でも問題なく私は使用しており、新オフィスも廉価で魅力的だが、まだ移行していない。当然だが、二台同時には起動できないが、新しいオフィスは3ライセンスつきで2万ちょっとでアップグレードできるのだが、今更同時に使用するほど必要性は見当たらない。Win版も何種類ものオフィスがあるし、そんなにマイクロソフト製品を買う気にはなれない。
現在はアドビシステムズ、マイクロソフトOfficeなどほとんどの製品がユニバーサルバイナリー仕様になり、Rosettaの出番はほとんどない、という。
その移植性の高さだが、現在のiPhoneのプロセッサは、組み込み系プロセッサであるARMアーキテクチャだそうだが、このiPhoneのOSもMacOS Xのバリエーションだそうで、iPhone OSと呼ばれはするが、MacOS X 10.5 Leopardをベースとしている。短期間にiPhoneをリリースできたのは、MacOS Xが強力な基盤ををもっているからだと、書かれている。
また、マック雑誌でも、iPhone用の、サードパーティによるアプリ類の開発も、MacOS X
上で、iPhoneなしでも開発可能となっている、と指摘されていた。また、プログラミングで重要なのは概念であり、OSも見てくれも全く違うかに見えるMacとiPhoneなのに、その上で稼働させるアプリを作る概念が全く共通なのだという。その特徴をうまく使うことで、Macの開発者が用意にiPhone開発者にもなってしまう『仕掛け』が機能している、という。Macのプログラミングを追いかけて来た人たちが、良かったと至福の瞬間を味わうことになろう、とも。Cocoaに馴染んでいればよいようだ。
XBox用アプリの開発も、マックのパワーPCG5上で行われていた、という話を信じない人も多いようだが、まあ、何でも動くMacOS X というのは、それだけでも凄いことのように思われ、最近のMacを語る資格が自分にももうほとんだないことに気付かされた。
しかし、アップルの原点ともいえる二人の創業者の記録は、未だに色あせていないように思われる。
http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0706/08/news045.html
には、『Apple IIの「ジョブズ的視点」がPC革命の始まりだった
ウォズはApple IIを「プログラミングで問題を解決するツール」とみなしていたが、スティーブ・ジョブズ氏はこのマシンを家電のようにしたいと考えた。』
として当時の興奮を今に伝えている。
金曜日, 7月 18, 2008
アスキー・メディアワークスから発行されているUNIX関連情報誌。表紙にあるように、いろいろな方言的UNIXの最近の状況と今後の発展の方向性の解説だ。
UNIXもLinuxも縁がない方が大半という時代だと思う。しかし、WindowsがMacの真似といわれてきて、両社はずっと裁判で争ってきたが、スティーブ・ジョブスがアップルに復帰して、マイクロソフトからの資金援助をはじめ幾つかの取り決めがなされた。その中のひとつ、マック版Officeの開発の合意は、Windowsがマックのルックアンドフィールを真似てもいい、という一つの隠された意味があるらしい。もともと、マイクロソフトが商業的なアプリとして最初に取り組んだのが、マック版エクセルだった。IBM互換機上で、Macのエクセルと同様な表計算を動かせたら儲かる、と考えてWindowsが開発された、というのが歴史の流れ。
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そのMacはもはや、かってのMacOSではなく、NeXT社の、UNIXを母体とするMacOSXとなって久しく、iPhoneなどのOSもMacOSXの派生というか、まんまOSX、すなわちUNIX系ということで、あらためてUNIXやLinuxとは、あるいはMacとWindowsとは、根本でどう違うのかなどと考えると、どうしてもブラックボックスのWinとは対局のUNIXへの理解が手短に必要ではないか、と考える一人だ。
http://nmuta.fri.macserver.jp/dict18.htmlでは、OS/UNIXという解説の中で、衝撃的な記述に出会った。
『インターネット上の場所を示すURLというものがあるということをこの別頁にも書いた。
インターネット上のアドレスのようなものだが、例えばこの頁は
http://www.geocities.jp:80/nmuta2003/dict18.html
というURLで表現されている。』
『このURLはどういう意味かというと
HTTP(ハイぺー・テキスト・トランスファー・プロトコル、つまりhtmlのテキストや画像、音楽などの素材を転送する通信手順)で通信するということわり(スキームという)から始まって、 世界にひとつしかないサーバ名(ドメイン名)とそのポート番号にあたる
www.geocities.jp:80
という表示が続く。
その次の
/nmuta2003/dict18.html
という部分がそのサーバの中で、このページが置かれているディレクトリを表示するパス(ファイルにたどり着くまでの道順というほどの意味)を表示している。』
『それも道理で、インターネットに置かれた素材(リソースという言い方をする。これも別頁で触れた)を世界中どこからでも閲覧できるというこのシステムは欧州合同素粒子原子核研究機関(CERN)でUNIXを使って開発されたからだ。
正確にはCERNにいたTim Berners Leeという人物がNeXTSTEPというOSで開発した資料閲覧システムがこのWWW(ワールドワイドウエブ)のもとになった。
所内の研究資料を研究者がいちいち書庫に取りにいかなくても、自分のワークデスクで居ながらにして全て見ることができるという閲覧システムがこのWWWのそもそもの考え方だ。』
そして、最後のほうに『そのLinuxもかつて大型化し過ぎたUNIXを低性能な小型パソコンでも動くようにしたいということで、UNIXのバリエーションのMINIXをベースにして開発された。
いわばLinuxもUNIXの小型版としてスタートした。』などという解説がある。
UNIXの基礎のおさらいも、mutaさんの記事がかなり参考になる。
http://nmuta.fri.macserver.jp/unix-index.html
さて、大学でのプログラミングの基礎教育もUNIXを基本としておこなうために、Windowsもうごき、まんまUNIXのマックが、東大や東工大で大きな顔をしていても不思議ではない。
今回の特集では、現行Mac OS Xの呼び名であるLeopardの素性を「デスクトップとして洗練されたUNIX」と、MacOS Xの隠された機能に迫る"Inside Leopard”との二本立てのため、特に興味を持った。
現行のMacOS Xは、白山貴之氏の記事によれば、一時期UNIXと名乗って異論を唱えられたこともあったが、Single UNIX Specification の認定を取ったUNIX 03に準拠しているという。
一方で、UNIXとは異質のMacOSも引き継いでいる、という。私がはじめて購入したSE/30という機種は、システム6.04あたりがインストールされていて、継いで漢字TALK7.0となり、その後MacOS7.xとなっていったが、MacOS7.6からOSと呼ばれるようになった、という。この7.6は、今はフリーで教育機関などで利用されたりしているようだ。
そのMacOSは、単にGUIを実装したというだけではなく、その方法論の多くがWindowsをはじめとする後のウィンドウシステムでも踏襲されている、という。一方、メモリー保護を持たず、その点を克服するため、ラプソディー計画などがあったが、結局完成せず、NEXTStepを母体とする新OSへ移行する、との決定が下された。なお、この決定を下したアメリオCEOは、新生アップルからは追放に近い形で解任された。ビル・ゲイツ会長は、ウィンドウズNTを母体にして、マック風なOSにすればよいと進言していて、アメリオ会長が、NEXT系にするという決定を伝えたときの怒りはすさまじかった、と伝えられる。一時、多くのマックファンもBeOSで決まりか、などとも囁かれていたが、それでもなかった。アップルうみの親が、NEXT社で培った、UNIXを主体とするOSが、メモリー保護など新生OSの中核となった。
アップル社をBeOSの開発者であるジャンルイガセーとスカリー会長の連携プレーで追い出されたジョブス氏にしてみれば、フリーのUNIXしか、もはや自分の会社の売り物として利用できる素材はなかったが、これが後年、紆余曲折を経て実を結んだ形だ。
ジョブス氏は1988年にNeXTという独自のワークスステーションを発表した。このNeXTワークスステーションに搭載されたOSがNEXTStepで、Machをベースとして4.3BSDをパーソナリティに持つ、とされている(白山氏)。その上にオブジェクト指向フレームワークによって構築された洗練されたアプリケーション環境を搭載していたが、商業的にはまったく成功しなかった、という。
ただ、Rhapsodyは、いわばNextstepからOPENSTEPという仕様として販売されたものを母体として、パワーPC上でのOPENSTEPであり、MachとBSDというカーネルが用いられていたが、プラグ&プレイなど現代的な機能が大きく欠けていて、サードパーティの開発者からの支持も得られず、フェードアウトした、と書かれている。しかし、MacOS Xの二つ目の源流が、NEXTStepとRhapsodyだと、はっきり書かれている。
なおMachとは、簡単には、『Mach(マーク、Multiple Asynchronously Communication Hostsの略)は、カーネギーメロン大学のリチャード・ラシッド教授(実際の実装はアビー・テバニアンが中心[1])らの Mach プロジェクト(日本からオムロンのエンジニアも参加)により開発されたマイクロカーネルタイプのOS。』などと紹介されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Mach
現在MacOS XのサポートするCPUはPowerPCとx86の二種類となっていて、最初から公開されたMacOS Xのカーネル部分を抜き出したオープンソースのDarwinは、両方に対応していた、という。
Mac上でウィンドウズOSなしで、Winアプリを動かす計画があって、以前から注目されていたが、それをDarwineなどといって、ワインにちなんでボトルと言う単位を設定して、特定のアプリに対応したボトルを用意して、直接実行きるようになっているが、アプリの数がまだ限られている。それで、私は、Mac上では、VMware Fusionで、Winを起動し、Winアプリを実行したりしている。
日曜日, 7月 13, 2008
sho様のコメントにあるとおり、交換したフロントタイヤは、ダンロップのスピードマスター。
クセのないコーナーリングが可能で、どの角度でもそのままの体勢を保持させるような特性がある。その前の石橋製は断面形状が、タイヤの接地部分が飛び出た感じで、思った以上に車体を傾けさせようとするクセがあったが、持ち主の重さに負け、徐々に真ん中も丸く凹みだして、いつのまにかそうしたクセはきにならなくなった。
写真にあるように、新品時から接地面積が広く、減り方がマイルドな感じに見える。やっと、タイヤの初期の固さも、今日あたり、かなり暑かったので、ほぐれだした感じである。
千葉に用事があって出かけることに。昼間は暑くなりそうだから朝早くで用としたが、日曜の寝起き前に到着しても迷惑だろう、と少し時間調整をして16号で千葉へ。午前8時、県境の橋の温度計は、すでに28度を表示していた。日曜日であるため、かなりこの時間帯でも空いていて、飛ばす車についていくと、ほぼ一時間で50キロほど距離を稼いだ。千葉の家は、今住んでいるところから秩父までの距離とほぼ同じである。
途中、ぴたりと後ろについてくる重量バイクがいたが、やがてそれがカワサキの1100らしく、適当に道が空いたところで、挑むように抜いていった。いかにも、俺のほうが、どうだ、早いぜ!といっているかのようなしぐさで、ヒラリヒラリとやっている。今日はミラクルパワーは、三本から通常の2本に戻している。三本だと、真ん中のシリンダーも熱をもちその影響で、3番目まで熱が伝わり、今一ピストンの抵抗感が抜けず、燃費も今一だったので、最良の時の日本にもどしてまだ二日目。
それで、エンジン出力のテストをかねて後続車としてついていったが、どちらもトップギヤのまま、飛ばすが加速感に遜色は無かった。いままで、こんなに飛ばさなかったので、トップで急加速するというのは慣れていなかったが、エンジンは十分反応してくれて、頼もしかった。相手も途中で嫌がり、競争を一時中断。形勢不利と放棄した振りをして、先で油断していたら、また追い抜かれた。そこはもう16号から分かれる手前だったので、元の他人同士。
帰り際にその付近のセルフで燃費を計ったら、14.3と当然のごとく悪かったが、以前こんな走りだったら、12キロ代だったかもしれない。
それで、おとなしくいつものペースで走っていたのだが、春日部の手前で、今度は赤白のCB1000SFにあおられて、信号の区間が長いので、今度は全開モードでレッドゾーンまで一気に。周りのカワサキなど重量車は、見ていて乗ってこなかった。相手のほうが若干早い気がしたが、9000以上素直に周り、アクセルは本当には全開では無かったようだ。しかも相手はかなり軽そうな方だったので、二馬身ぐらいの差はどうってことないと思い、またおとなしく走った。真昼はかなり暑く、橋をもどる時何度か確認しようと掲示板を振り返ったが、角度がわるく確認できず。
暑くてかなわないので、水分補給をしながら、涼しい方向へといつの間にか進入していて、299ののぼりに入り市街地からはなれると一気に涼しくなり、はじめて走行写真を撮った。もう帰るバイクグループがさかんに対向車線を降りてくる。携帯だと簡便だが、シャッターチャンスがママならず、体に固定したデジカメなどが欲しくなる。
秩父で遅い冷やしうどんをとるが、店にはいると同時ににわか雨。合羽もってますかと聞かれたが、この程度の雨は平気ですと。止みそうでやまず、しかも140号は帰りのラッシュで渋滞。さかんに熱気がわきのバイクを襲うので、定峰峠へ逃げ、空いた山道をしぶきがかかるので、ゆっくり登り、峠の茶屋で一休み。かなりの涼風が風鈴を揺らし、コーヒーの後、熱いお茶で
ゆでたインゲンに、味噌おでんのたれをつけて食する。
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雨がほとんど止むと、また外車を中心としたバイク軍団がドヤドヤとやってきたので、すぐさま、東秩父村方面へと下る。この茶屋で、秩父よりの上り口にも、おいしい湧き水がでている、という場所を教わった。定峰から尾根伝いに走り、大野、都幾川方面への降り口付近も、林床付近の地面から湧き出るところがあり、そこはけっこうポリタンクをもって汲んでいく観光客が多いのはすでに知っていた。また、有料トンネル付近の風布あたりには、日本水とかいう商標化された湧き水の場所もある。
東秩父あたりまで曲がりくねった坂道を降りると、後ろからついてきた乗用車がさかんに抜いていった。こちらもペースをあげるが、かって知ったる地元の軽4に100キロ近くだして抜いていくのがあったりして、こちらもペースが上がってしまった。おかげで、下り気味でもけっこうアクセルを開けてしまった。14.1ぐらいだった。
もう、当分ミラクルパワーを増やすことはないだろうが、エンジンの性能はさして劣化していないようだったし、このままで、経過をみていくことにするが、いつものコースで、ホットスタートでどれくらいか、気になるところ。翌日チェックしたら、16.8となったので、ホッとした。
土曜日, 7月 12, 2008
私が、マッキントッシュSE/30に、国産カラーモニタに出力可能なボードを入れて、8MBのラム、160MのHDとともに購入したのは、1991年だった。
当時のマックのモノクロモニターは、今のコピー機の一部についている液晶モニター並のサイズで、B5サイズよりも小さかったが、フォントがきれいで、DOSの世界で見飽きた横文字が、タイムやクーリエといったフォントを選ぶことで、こんなに見栄えが変わるものかと、驚嘆した。メニューバーを含む主画面をモノクロモニターに選ぶか、外付けカラーモニターに選ぶかは、自由に変更できた。さいしょその変更のしかたがわからなくて、カラーボードの製造元へ電話して聞いたら、コントロールパネルで、希望する画面に、にっこりマックをドラッグすればよいと教わって、目から鱗だった。
それ以前の98モニターをカラー画面に使っていたが、640×400ドットしかなく、扁平な感じのする画面で、早くアップルのカラーモニターが欲しくてしかたがなかったが、かなり高価だった。
のちにこの扁平モニターでも、MSのウィンドウズが動くようになったとき、IBMなどは640×480ドットで、我々のウィンドウズは母屋の窓、という気がするが、某メーカーの扁平な画面でウィンドウズを起動すると、便所の窓的な感じだ、と酷評されたりしていた。
気に入った英文などをせっせと打ち込んでは、書体を指定し、出力して眺めていた。いつかはクラウンではないが、いつかは、英語圏の人が見ても遜色のない英文を書いて発表するぞ、という意気込みもどこかにあった。バタ臭い英文を書くためにあれこれといろいろな英文を参考にしたが、結局は英借文スタイルになっていった。
成績のいい人は、とかく日本語の文をそのまま英文に置き換える、という芸当を難なくこなすようだが、そうした英文はえてして正しい理解が得られない、というようなことを桜井邦朋博士の、科学英語論文を書く前に、とかいう本で研究した。
それはともかく、マックを出したジョブスが、ネットワーク化されたオフィス環境を構想し、このネットワーク環境で、ファイルサーバーとレーザープリンターが重要な役割を担うと説いて反対を押し切り、キャノン製エンジンに、アドビ社のポストスクリプトを搭載し、DTPとして世に出すと、マックは出版社を中心に一気に広がった、と書いている。(アップルの法則、林信行、青春出版社)
当時、マイクロソフトから日本の各社にくる技術文書などすべてがマックで印刷されてきて、という話を聞いたことがある。ただ、このアドビ社のフォントは高いので、のちにアップルはトゥルータイプのフォントを開発し、自社製品にのせ、安いプリンターでも擬似的にDTPライクな文書が作成できた。ウィンドウズのフォントも同様にそうなった、と理解している。
ところで、一生砂糖水を売って終えるつもりか、という殺し文句で引っ張ってきたスカリーにアップル社を追い出されたジョブスであるが、ジョブスがうっかり計画を、あのBeOSを開発したジャン=ルイ・ガセーにもらしたため、ガセーからスカリーに密告され、先手を打たれて取締り役会で追放されたという。後年、次期メインOSをどれにするか迷っていたとき、ガセーのBeOSで決まりかけていたが、結局ガセーが要求した額よりはるかに高額な4億2700万ドルで、ネクスト社を買収し、今日のOSXの基礎となった。この決断をしたアメリオ会長も、復帰したジョブスに解任され追放されたのであるが、・・・。
ネクストは結局商業的には失敗したが、インテル機上で動いていた。スカリーの当時、すでにインテル機上で、マックOSを動かせたというが、しかもより高速に、という話も聞いている。
スカリーの頃のアップルは高価格路線で、毎週だか隔週だかの土曜日は、無料のバーベキューパーティが行われていた、とも言う。
現在のジョブスのアップル社では、有給休暇もなくなり、禁煙で、地下駐車場でこっそりタバコを吸っていたのをジョブスに目撃された社員は即刻クビだった、とも言う。エレベーター内のちょっとした会話で、クビを言い渡された社員もいて、下級社員はエレベーターを敬遠するようになったとも。
ただ、食堂の食事は、かなりおいしいという。
ジョブスはリード大学を中退したが、そこで受けたカリグラフィー(英習字)の授業が後にDTPへとつながって行ったようだ。当時の彼には、それが何に役立つかは分からなかったというが、「それは美しく、歴史があり、芸術的にも中味のある内容で、科学とはちがう魅力があり、うっとりさせられた」という。
さいきん、スタンフォード大学で、そのことを若い学生たちに講演している。日本語版もネットにあったが、今では残念ながら削除されているようだ。
www.wired.com/culture/lifestyle/news/2005/06/67836
『ハングリーであれ、バカであれ。私はいつも自分自身がそうありたいと願っていた。そして今君たちが卒業して新たな一歩を踏み出すにあたり、私は同じことを君たちにも願っている。Stay Hungry, Stay Foolish』スタンフォード大の卒業生に向かって。
ハーバード中退のビルなんとかさんにもよ~く聞いて欲しいフレーズなんだが、・・・。この方は180度違う方向に、think different(ly)!!!???
当時のマックのモノクロモニターは、今のコピー機の一部についている液晶モニター並のサイズで、B5サイズよりも小さかったが、フォントがきれいで、DOSの世界で見飽きた横文字が、タイムやクーリエといったフォントを選ぶことで、こんなに見栄えが変わるものかと、驚嘆した。メニューバーを含む主画面をモノクロモニターに選ぶか、外付けカラーモニターに選ぶかは、自由に変更できた。さいしょその変更のしかたがわからなくて、カラーボードの製造元へ電話して聞いたら、コントロールパネルで、希望する画面に、にっこりマックをドラッグすればよいと教わって、目から鱗だった。
それ以前の98モニターをカラー画面に使っていたが、640×400ドットしかなく、扁平な感じのする画面で、早くアップルのカラーモニターが欲しくてしかたがなかったが、かなり高価だった。
のちにこの扁平モニターでも、MSのウィンドウズが動くようになったとき、IBMなどは640×480ドットで、我々のウィンドウズは母屋の窓、という気がするが、某メーカーの扁平な画面でウィンドウズを起動すると、便所の窓的な感じだ、と酷評されたりしていた。
気に入った英文などをせっせと打ち込んでは、書体を指定し、出力して眺めていた。いつかはクラウンではないが、いつかは、英語圏の人が見ても遜色のない英文を書いて発表するぞ、という意気込みもどこかにあった。バタ臭い英文を書くためにあれこれといろいろな英文を参考にしたが、結局は英借文スタイルになっていった。
成績のいい人は、とかく日本語の文をそのまま英文に置き換える、という芸当を難なくこなすようだが、そうした英文はえてして正しい理解が得られない、というようなことを桜井邦朋博士の、科学英語論文を書く前に、とかいう本で研究した。
それはともかく、マックを出したジョブスが、ネットワーク化されたオフィス環境を構想し、このネットワーク環境で、ファイルサーバーとレーザープリンターが重要な役割を担うと説いて反対を押し切り、キャノン製エンジンに、アドビ社のポストスクリプトを搭載し、DTPとして世に出すと、マックは出版社を中心に一気に広がった、と書いている。(アップルの法則、林信行、青春出版社)
当時、マイクロソフトから日本の各社にくる技術文書などすべてがマックで印刷されてきて、という話を聞いたことがある。ただ、このアドビ社のフォントは高いので、のちにアップルはトゥルータイプのフォントを開発し、自社製品にのせ、安いプリンターでも擬似的にDTPライクな文書が作成できた。ウィンドウズのフォントも同様にそうなった、と理解している。
ところで、一生砂糖水を売って終えるつもりか、という殺し文句で引っ張ってきたスカリーにアップル社を追い出されたジョブスであるが、ジョブスがうっかり計画を、あのBeOSを開発したジャン=ルイ・ガセーにもらしたため、ガセーからスカリーに密告され、先手を打たれて取締り役会で追放されたという。後年、次期メインOSをどれにするか迷っていたとき、ガセーのBeOSで決まりかけていたが、結局ガセーが要求した額よりはるかに高額な4億2700万ドルで、ネクスト社を買収し、今日のOSXの基礎となった。この決断をしたアメリオ会長も、復帰したジョブスに解任され追放されたのであるが、・・・。
ネクストは結局商業的には失敗したが、インテル機上で動いていた。スカリーの当時、すでにインテル機上で、マックOSを動かせたというが、しかもより高速に、という話も聞いている。
スカリーの頃のアップルは高価格路線で、毎週だか隔週だかの土曜日は、無料のバーベキューパーティが行われていた、とも言う。
現在のジョブスのアップル社では、有給休暇もなくなり、禁煙で、地下駐車場でこっそりタバコを吸っていたのをジョブスに目撃された社員は即刻クビだった、とも言う。エレベーター内のちょっとした会話で、クビを言い渡された社員もいて、下級社員はエレベーターを敬遠するようになったとも。
ただ、食堂の食事は、かなりおいしいという。
ジョブスはリード大学を中退したが、そこで受けたカリグラフィー(英習字)の授業が後にDTPへとつながって行ったようだ。当時の彼には、それが何に役立つかは分からなかったというが、「それは美しく、歴史があり、芸術的にも中味のある内容で、科学とはちがう魅力があり、うっとりさせられた」という。
さいきん、スタンフォード大学で、そのことを若い学生たちに講演している。日本語版もネットにあったが、今では残念ながら削除されているようだ。
www.wired.com/culture/lifestyle/news/2005/06/67836
『ハングリーであれ、バカであれ。私はいつも自分自身がそうありたいと願っていた。そして今君たちが卒業して新たな一歩を踏み出すにあたり、私は同じことを君たちにも願っている。Stay Hungry, Stay Foolish』スタンフォード大の卒業生に向かって。
ハーバード中退のビルなんとかさんにもよ~く聞いて欲しいフレーズなんだが、・・・。この方は180度違う方向に、think different(ly)!!!???
金曜日, 7月 11, 2008
待ちに待った!?iPhoneの国内販売が本日開始され、各地で行列が出来た、という。私は、家にiPhoneから電話機能を取り去っただけとかいう、iPod touchがあったり、iPhone sumilatorなども前から出回っていたので、それっとばかりに飛びつく気はないが、世間一般(一部のギークたちやその潜在的予備軍)がどう受け止めるのか、少しは気になる。
http://nmuta.fri.macserver.jp/unei0707.html
http://www.sumainobaiten.com/blog/zakki/archives/2007/06/_iphone.html
携帯電話もできるOSXの入ったモバイル式超小型タッチパソコンといった中味らしいが、長年の
マックファンの一人である私からみれば少々面食らう。
しかし、一部のCADとか、各種設計とか、プラント管理などのどうしてもパソコンに頼らなければならない業種を覗けば、パソコンの比重は相対的に下がり続けるだろうとだいぶ前から、TRONの開発者である坂村健博士たちによって予言されており、どうもそういう方向にどんどん時代は動いているかのようだ。
そうした時代(時期)をえらんだかのように、アップルの法則などという新書が出ていたので、購入した。著者、林信行氏は、長年のマック雑誌愛読者ならおなじみの方だが、反マック陣営からは、反発もあったかのような、おぼろげな記憶もある。
他にもいろいろ本を書いておられる。
http://ipodtouchlab.com/2008/02/-iphone.html
さいきんようやく仕事が、常態にもどりつつあり、何ヶ月ぶりかで購入した本で、私の最近のアップルについて無理解や、過去のアップル社の浮き沈みなども、おりまぜて簡単ながら、そうだったんだと思わせるようなアップル社小史的なところで、頭の中での欠落した部分をかなり補強できた。
私は、以前から、ビル・ゲイツ氏が、アップルの本当のところを超えることはついにできないととうに悟ってはいるのだろうな、と思っていた。時期的には、XP発売の頃からだ。ラジオで、吉田照美氏が、Windows×Pって何だ!?と発言し、小俣嬢が、それってXPのことではないですか!?とのやり取りが忘れられない一人であるが、OSXを真似てはいても、超えることのないMS的商法を冷ややかに見つめてきた、一人である。さいきん、とうとうMSから去り、慈善事業の専念する!?との発表があった。
http://www.asahi-net.or.jp/~FV6N-TNSK/gates/
では、ウィンドウズVistaについての、かなり本当のことが書いてあるように思える。私は、Vistaは使っていないし、使うつもりもないが、会社のXPパソコンの一台が4年間リカバリーなしで動いていたが、とうとうリカバリーしないともう無理というところまで来て、専門業者に依頼したら、そのリカバリーすら受け付けなくなっていた。メーカーにエラーの状況や発するエラーコードを送っても、もうしわけありません、不明ですだけ。
業者は、XPなら、二年に一回は、リカバリーしてすっきりしないと使い物になりません、とあちこちでの経験から、断定的に言っていた。しかももう、Vistaしか買えず、どうしてもXPというのなら、Vistaに、XPをつけて1万5000円ほど追加しないと、在庫をもたないDELLなどでは、新品のXPパソコンは入手できないんだそうだ。すごいぼろもうけの会社じゃありませんか!?
上記サイトには
『で、もうVISTAは今後導入することは無い、と言い切る大企業も多く出ています。すると、次の買い換えは4年後になりますが、4年後になるとかなり世界変わりますね。
今、世界中でデータセンターの建設が進んでいますが(Googleだけでも年2400億円だそうで)、これだけ巨大なデータセンタがいくつも出来ると、もう企業は自前でサーバーを置くなんて手間がかかるばからしいことはやめて、ほとんどアマゾンなどでホスティングをする流れになるでしょう(ちなみに、アマゾンは1CPUあたり10セント/時で貸してくれるようです)。』
などとあって、やはり時代はそうとう動いていると思う。
先月には、とうとうグーグル社と、米ヤフー社とが、提携関係に入ることに最終合意した旨ニュースが流れた。大手の新聞社は、遠慮して書いていないようなことが、地方新聞には、はっきり書いてあった。見出しも、一番ストレートで刺激的だ。両者のCEOの共通項は、寡占のMSに対する激しい嫌悪感で、一致している、とある。ゲイツさん、慈善事業をする前に、値段を下げることが、てっとり早い最善の慈善事業ではないのかな!?と最近つくづく思った。この方の愛機もマックといううわさも一部にはある。
水曜日, 7月 09, 2008
マイクロロン処理以来22ヶ月ほど経過し、マイクロロン処理は燃費の向上に、ホンダ車は関係ない、という記述をほぼ信じていたが、今回の3番シリンダーの不具合があきらかになってきて、やはり調子のよいエンジンは、燃費向上もあるのでは、と思うようになった。音が静かになり、振動が軽減される、ミッションタッチの向上などは、処理直後からはっきりしていた。
しかし、1000ccって、こんなもの!?というほどアクセルを開けてからの加速は悪い印象が残っている。それもどうやら、3番シリンダーの抵抗があったためだろう。
それで、もういちど、マイクロロン処理をトライ。今度は、燃費云々ではなく、3番でのエンジン抵抗の具合を、マイクロロン再処理過程を通じて推定しようというものだ。
初回の処理では、アイドリングが200回転ほど下がってしまい、最近までどうやっても回復しなかった。50〜70回転は復活してきたが。今から思うと、3番シンリンダーで、傷があったとして、マイクロロン処理によっても何ら改善されず、全体の抵抗のなかで、そこだけ顕著に残り結果としてエンジン回転が低下してしまったのでは!?ということだった。
今回は、追加的処理のため、8オンス入りの缶を全量一度に処理。処理した後は、すぐ運転して100キロほど走らなくてはならないので、即実行。
マイクロロン特有の加速感が得られるが、当初ほどではない。マイクロロンを溶かし込んでいる溶媒がエンジンオイルをパシャパシャに薄め、細部の汚れを洗い出し、シリンダーとピストン金属同士の粗い表面同士が直接触れあうようになり、その荒れた金属面に次第にテフロン組織がしみ込むように作用する、というふうに理解している。それで、最大出力を伴うような操作は厳禁とされている。
30キロ過ぎる辺りからエンジンが過熱しはじめ、最初のヌルヌル感から変わって金属同士が擦れるような感じに変わってくる。水温計はたいして変わらないが、膝からしたの内側全体がホットに感じる。40キロ近くで折り返し点のセルフで給油。
予想どうり、燃費はよくなく、12.8ぐらいであった。それから、そのまま定番の燃費コースをたどり帰ることに。だいぶエンジンがスムーズになってくるが、今一、パワー感が薄い。そこで10キロほど走って、ミラクルパワーを二個追加して走ってみると、確かにパワーは増加する。
最初はなんの変化も3番シリンダーには感じないが、10キロも走ると、抵抗感が出てきた。最初は気のせいか!?ぐらいからますますはっきりする。2100回転あたりが顕著で、軽くブレーキを踏んで走る感じ。買った当時のもたつきが蘇る。
処理の効果がだんだん顕著になりエンジンがスムーズになってきて、変な、ピストン表面に膜があるような感じは薄れてくると、よりはっきりする。
古い車などで、ディスクブレーキの円盤表面に、急ブレーキなどでできた凹凸がある場合、軽くブレーキを踏むと、ディスクの凸面がパッドを通過する際、一瞬そこだけブレーキをきつくかけた抵抗感がある場合があるが、アクセルオフにして惰性で走っていると、エンジン自体にもそうした抵抗がある事が、車体のゆれからわかってきた。
加速も3000回転以上まで回す場合はさほどではないが、2500回転ほどでシフトアップして行くと、ギクシャクではないが、全体として抵抗が出てくるのがはっきりした。そこで、3番だけ、火傷覚悟でミラクルパワーを取りはずす。そうすると、うそのように加速時の抵抗感が消え、比較的スムーズに加速モードに入ることがはっきりした。
それで、50キロ以上で燃費を計ると、だいぶ良くなり14.5となった。アイドリングの低下は、今回はなく、むしろ上昇気味であったが、処理が終わると元に戻るだろう。次回以降の燃費に関心がもたれる。
火曜日, 7月 08, 2008
真ん中のどちらか、あるいは両方の2番、3番シリンダーのミラクルパワーを外すと、燃費が期待していた値となることがほぼ確実となり、走行感覚でも調子の良さが裏付けられた。
すると、両方かあるいはどちらかが悪いのか、興味も湧いてくる。もともとにんじん君の効果はすべて一様にあるものの、私のバイクでは、今のところさほどでは無いようだ。ミラクルパワーの影響が、おそらくにんじん君との相乗効果だと思われるが、かなり色濃く出るように思う。
シリンダーヘッドからのアースをつけると、燃費が落ちるのは、すべてシリンダーにミラクルパワーをつけたのと近く、不良シリンダーの内部摩擦が増加し、燃費の足を引っ張るのだろうと判断すると分かりやすい。
秩父の長いのぼり坂、傾斜がきつくなってもアクセルを開けず、平坦地のままにしていくと、
真ん中のシリンダー当たりからゴツゴツとした抵抗が表れ、慣らしというか慣らし以前のピストン、シリンダーの調和に問題があるように感じていた。ただ、すべてにミラクルパワーをつけても14.1で、真ん中の二つを外すと15.xとなり、不調シリンダーでもミラクルパワーそれなりに効果を発揮しているようである。
願わくば、どちらか一方のみの不良であって欲しく、三個目のミラクルパワーをまず3番につけて走行したら、アースをつけたような感じで、勢いはいいのだが、また12キロ台におちて、しかも過熱しやすいことが分かった。予想していたのは2番シリンダーだったのだが、この結果だけからは、3番が悪かった、ということになる。
しかし、2番シリンダーにもつけて走って見ないと、確かなことは分からない。幾分懐疑的になりながらも、熱いシリンダーにもかかわらずミラクルパワーを3番プラグコードから外し、2番に付け替えた。すると、いくぶんアクセル開度が少なくても済むような感じがした。
それで、いつもの時間帯にコールドスタートでいつもの走行をすると、高速を含めて15.4と前回二個でテストしたときとまったく同一の結果が出た。やはり、一個、3番シリンダーが、悪燃費の主役だったようだ。ホットスタートで再度一般道で測定すると16.2キロ、前の車が飛ばすので着いていってこの数値。50~60キロ走行に徹すれば、もっと良くなったはずだ。あと100cc節約したら、17キロとなるところだった。
以前は、40~60走行でテストしていたので、4輪に良く抜かれたが、今は抜かせないようについ早く走ってしまうが、3気筒が正常なため、2気筒分のミラクルパワーのときより、トルクの厚みを随所に感じる。4気筒まんまノーマルで、にんじん君とミラクルパワーをつけたら、
・・・いいだろうな~と思う。sho様にも、にんじん君をお勧めしたいところだ。ただ、現在1セットほぼ二万円という値段であるので、経済的かどうかは保証できない。
それにしても、4個すべてミラクルパワーをつけて慣らしをやったとして、14.1からさらに向上する可能性はあるのだろうか?あるとしてもかなり気の長い話となるだろう。
アイドリング回転数を規定値の範囲にセットし、簡単ながら暖機を行う、というルールを設けて一ヶ月ほどで、悪いシリンダーの具合がはっきりした。以前は、ミラクルパワー4個をつけると過熱して悪燃費となってすぐやめたが、その直後好燃費がでても永続性が無かった。その後、sho様がミラクルパワーをつけて好燃費となる報告があり、私も見直して、一個ずつ増設して様子を見る方法をとったが、過熱するかどうかに関心があり、一個づつの燃費をチェックしなかったので、3番目の異常を検出できなかった。
ノーマルで、何もしないでいたら、燃費は12~13ぐらいまで落ちたままだったかも知れない。それからすると、長距離で15~16ぐらい出てくれれば、かなりの改善といえると思うのだが、後付グッズが二種類組み合わせての結果なので、単独の効果はいまいち不明。同型モデルで15.6が平均だったというsho様の情報に感謝します。
いまでも続いていると思うが、昔オートバイとかモーターサイクリスト誌には、読者の愛車紹介があって、中古で購入後、時間を経るとさらに燃費が向上する報告などもあり、不思議に思ったが、その原因は今となってはよく分かる。
http://www.route6.co.jp/products/mp/mp.htm
日曜日, 7月 06, 2008
昨日の日経新聞のPLUS1に、天然氷の涼味と題して「ふんわり優雅な口溶け」という見出しも添えて秩父の天然氷の紹介が掲載されていた。
ナビゲーター氏はまな出版企画代表の中島満さん、とある。氷の文化史に詳しい方との紹介があり、私も昨年はじめて賞味したことのある、阿佐美冷蔵と、枕の草紙いらい日本人にも馴染みがふかい氷の文化史の一端もちょっぴり触れられていた。
清少納言の実家は、清原家といって、天然氷の保存と運搬を統括する主水司(もんどのつかさ)の長官職を代々代々担ってきた家系という(中島さん)。新聞の解説による枕の草紙のころのかき氷といえば、『甘葛という当時のシロップをかけたかき氷を新しい銀の器にいれて』といったところらしい。そして、筆者みずから阿佐美冷蔵での体験を記している。
地元の酒粕でつくった氷甘酒もあるという。温暖化で、このまま続けばあと10年で、ここの地元での氷製造は難しいとも。平安の昔を想像しながら、のんびり優雅に楽しんではいかがだろう、と結んであった。この記事が頭のどこかに残っていたのかどうか、今朝も適当に出勤して、残務整理の前に、ひとっ走り。
通勤も含めての二度のコールドスタートで飯能を目指す。16号から川越、入間、飯能と移動。
正丸を抜けて横瀬を過ぎる頃になって初めて、念頭にこのまま秩父を通って帰るなら、時間が速いから、阿佐美冷蔵もたぶん混んでいないだろうから、寄ってから会社へ行こうと思いついた。
国道299号は、登りも下りも結構バイクが走っている。バイクの調子がいいので、あっというまに芦ケ久保まで来てしまった感じがする。
140号を下るが、アクセルオフに近い感じで降りていける。それで、阿佐美冷蔵も通り過ぎてしまい、Uターンして店を覗くと、9時半というのに、すでに30名ほど並んでいる。バイクはまだ、私一人。駐車場は、すでにほぼ四輪で満車。あと2台か3台むりやり駐車させると、すぐ満車の看板。あとは、第二駐車場へ行かねばならない。現在の店の前の四輪が空く頃には、行列が蛇行して広場を埋め尽くすことになるのだろう。あとは、バイクの駐車場も一部かねることに。今日は、恋人らしい二人が10時前に二台のバイクで到着し、行列にならんだ。川崎ナンバーだから、かなり早く出たのかもしれない。
行列が一向に進まないと思ったら、ここの営業時間は午前10時からだった。10時5分ほど前になって、軽に乗り合わせた女性スタッフたちが、ユニフォーム姿で到着。まもなく注文取りがはじまり、席番号を記した注文書が配られる。待つことさらに10分ほどして、10番まで店内に誘導され、着席。私は10番で、後の方たちはまだ外で待たされていた。私は、去年とおなじ日当たりが比較的よい店の裏手へ。10番の席へと案内されたところは椅子が3つ。その脇は椅子がふたつだったので、椅子が2つの方へ座っていたら、10番にちゃんと座ってください、と指示された。そして、椅子一つは他のテーブルへ回された。なるほどね。後から伝票を見て、注文品を運んで来る人が同じ人とは限らないから、勝手に移動しては混乱を来すらしい。
やがて、別のスタッフが私が頼んだ品をもって現れました。煎茶小豆を最初に食べましたが、なかなかおいしくいただきました。途中で、あんこ層が独立して現れてきた、白桃を後回しにしたことを後悔しました。案の定、昨年あれほど美味に感じた白桃は、自販機で売っている白桃ジュースを水増しした位のあっさり、水っぽい味に感じられ、ゆっくり味わう機会を完全に逃がしました。
残った煎茶部分に錬乳を加え味わいましたが、こんどは、白桃の味に惑わされ、最初とても美味しいと思った味覚は狂ってしまいました。少々残念な気持ちがしました。今年は新聞で報じられた氷甘酒の外に氷紅茶というのもメニューにありました。
秩父を下って、深谷で燃費チェックをすると、コールドスタートで、299のカーブを攻めたにもかかわらず、15.2と15をクリアーしていました。帰りの定番燃費コースは15.8でした。かなりあつかったし、交通量も多かったので、涼しい明け方に達成した16.2には及ばなかったが、いままでにない燃費の安定振りに大満足。
もし、真ん中のシリンダーのどちらか一方しか、ミラクルパワー装着の悪影響がないとしたら、もう一個ミラクルパワーを増やし3個にしてみる手も残っており、今後がまた楽しみ。わたしのヤマカンでは、2番シリンダーが怪しいと思っているが、・・・。
『ミラクルパワーの理論』と題する原理説明図も実験データ数枚とともに最近追加されたことも分かりました。
今は、にんじん君も私のバイクには必須ですが、ミラクルパワーの性能が一番顕著であるかに
思っている。昨日の同僚には、電話でミスを詫び、説明しておいたが、かなり興味を示していた。エコボックス装着以上の結果がでればいいのだが。
http://www.route6.co.jp/products/mp/mp.htm
土曜日, 7月 05, 2008
失敗は成功のモト(サイクリスト)
にんじん君は悪くはないが、どうもエンジンが重く、その原因をあれこれ試し、走らせては失敗に終わり、の繰り返しで、エコボックスより、いまいち成績が振るわない状態が続いている。
朝も、これでどうだというような走りをしたら、却って燃費が落ちた。それで仕事をしながら、考えているとにんじん君自体はそう変化していないようなので、良い燃費の頃はつけていなかったミラクルパワーを外して見ることに。ただ、左側一番のシリンダーでは、効果が顕著だったので、残した。残りは、袋に入れて、シート下に格納しようとして、ふと思い立ってにんじん君のコードに、プラスとマイナスにそれぞれ一個づつとりつけてみた。
昼に結果を知りたくて、また現場の下見を兼ねて乗り出すと、道路を10メートルも走ると、感じがまるでちがうことに気づいた。近くの食堂へ着くころには、アクセル開度が少なくても調子よく走ることがはっきりした。午後もそのまま、現場へ。最近開通したバイパスでも、皆飛ばしているので、付いて行くとあきらかにアクセルを余計に開けないでも加速することを再確認。それで、帰ってあまったミラクルパワーのうち二個をエコボックスを取り付けている軽ワゴン車の持ち主に薦めて、つけさせてしまった。
帰りは、左側のミラクルパワーもはずし、残った二個をにんじん君のコードにつけて走り燃費を計測すると、なな、なんとまた悪くなっている。こんなはずじゃ、と思って、よく考えた。
あの昼間の調子のよさは、ミラクルパワーを一個残し他をはずしたことしか、考えられないではないか。にんじん君のコードにつけたことは多分無意味。昼間同僚に薦めた措置は、たぶん間違いで、効果は無かろう。
すると、また、残りのミラクルパワー2個とにんじん君だけで、テストして、調子の良さが再現するかどうか、試す必要がある。
というわけで、燃費テストを再開。時間に限りがあるので、秩父往復はしない。ある程度、まとまって走ってみる必要があり、この前と同じ、行きは高速を併用し、帰りはいつもの定番燃費コースを走ってみよう、と寝る前に決めた。
蒸し暑い夜で、寝苦しいこともあってか、二時には目覚める。歳のせいもあるが・・・。
起きて、雑用をしながら、ミラクルパワーを左の一番に取り付けるとして、残りも使うかどうするか。真夏日の昼間、水温計の針は、ちょっと渋滞すると、ファンが回りかねない領域へと移動していたことを思い出す。そうした際の発進には、若干のもたつきも感じたので、やはりとりつけることに。爆発順序を想像し、一回転に一回ミラクルパワーの効果がでるように、右の四番に着けることに決定した。
3時ごろ、あたりはまだ静かで、バイクを押していつもの暖機スポットへ。アイドリングしながらでも、ミラクルパワーの付け替えは可能なことに、後から気づく始末。すっかり焦っていて、汗もかいてしまう。
エンジンは快調にかかり、音も問題ないようだ。しばらくして発進、50メートルほど先の信号を回る頃には、これで決まりだ、と思う感触を得ていた。走り出すと、汗をかいたことが嘘のように遠のき、体が気持ちよい。
後ろから、BMWの大排気量車がしばらくついていたが、こちらが飛ばさないので、追い越し禁止でも堂々と抜いていった。すぐ先に大型トラックが、これでどんな車かじっくり観察しようと思って近づくと、また追い越して猛スピードで逃げるように、闇に消えて行った。
高速も、土曜の早朝で、大型トラックが大半だが、マイカーも結構走り、ペースが以前よりあがっていて、こちらも120ぐらいまで、流れに乗ってあっというまに、高速は終わり。ミラーの振動もなく、快調に走り、高速でもアクセルを意識して開ける、ということはほとんど無かった。
高速に乗る前から、これこそ、かって17.1+αを記録したときのインプレッションに書いたように、2気筒車に乗っている感じの走行感覚が戻ってきて、今回の燃費の良さを確信できていたが、さて結果や如何に!?といつものセルフのスタンドへ。
ここは、入金にコインも利用可能で、精算は自動で、お釣りは何もしなくても自動的に出てくるので、助かる。バイクの走行距離メーターを見ると、夕方の悪燃費のショックで、ゼロセットしていないことに気づくが、よく覚えていたので燃費計算をすると、14.9xで15キロには一息たりないが、高速も使って15キロというレベルは最近経験したことの無いもの。それも120も出してこの値。
後は、いつもの定番コースを走ってみて、どの程度出るか、テストだけ。ようやく明るさが増してきて朝もやがかかり、野鳥が飛び交い、昔、映画『あの胸にもう一度』のヒロインが、退屈な夫との日常から、黒塗りのハーレーで逃げ出す冒頭のシーンが蘇ってきた。
やはり、夜間よりも、薄暗くても早朝が走りやすいものだ。途中、この前ノイズか何かでエンジンが止まり、エコボックスから、にんじん君へと切り替えた場所へきたので、一枚撮影した。
エンジンの感覚というかフィーリングは、最高燃費を記録したときとまったく同じと思える感覚で動いてくれている。あのときは、かなりアクセルを絞って達成した値だが、今回は、普通感覚で走ってなんぼか?に関心があるので、特に意識せず、走りそのものを楽しんだ。これぞ、持ち味!!!♪。重い4気筒なのに、軽い2気筒のように、アクセルをてげてげにしたまま、惰性で走ってさえいるかのようだ。発進時以外は、アクセルをひねることをほとんど意識しないで、車速が、坂道を転がるように伸びて行く。
スタンドで、給油のためにタンクを開けて、ガソリンレベルから16キロ代を直観。16.2キロと出て、つい二日ほどまえの14.1から2キロ以上向上した。
これで、エンジンのクセがあって、ミラクルパワー4個では、エンジンが軽く回らず、かえって燃費を落としていたようだと分かった。すると、素直なエンジンでは、sho様の事例のようにリッター20キロをオーバーしても不思議は無い。実に、苦労した割には意外な結果となったが、ミラクルパワーも、にんじん君も、エコボックスもみなそれぞれ、特性がありそれなりの効果が期待できそうだが、最適条件を見出すのは個々の経験から判断して組み合わせて見出すしかないようだ。
http://www.geocities.jp/shonaka2001/
それにしても、エコボックスのコードにまでミラクルパワーを着けるよう薦めた私は、うかつであったが、プラグコードに着けるように来週さっそく伝えよう。3気筒のエンジンなので、あと一個足らないが、2個で効果が出たら、自分で買うだろう。それとも、たばこ代に消えるか!?
にんじん君+ミラクルパワー4個・・・・14.1
にんじん君+ミラクルパワー0個・・・・12.8
にんじん君+ミラクルパワー2個・・・・16.2
(数字は直近の一般道燃費)
この数字とエコボックスとミラクルパワー4個の数字を比べると、エコボックスのほうが若干よかったが、火花特性が絡んでいるので、単純に置き換えての比較は無理。
秩父の坂を登るときのエンジンのもたつきは、2番、3番シリンダーあたりが絡んでいるかのような想像をしたが、そこにミラクルパワーを付けると、現在ではよくないようだ。付けても問題ない時は、一年もしたらやって来るのだろうか!?
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