土曜日, 7月 12, 2008

私が、マッキントッシュSE/30に、国産カラーモニタに出力可能なボードを入れて、8MBのラム、160MのHDとともに購入したのは、1991年だった。

当時のマックのモノクロモニターは、今のコピー機の一部についている液晶モニター並のサイズで、B5サイズよりも小さかったが、フォントがきれいで、DOSの世界で見飽きた横文字が、タイムやクーリエといったフォントを選ぶことで、こんなに見栄えが変わるものかと、驚嘆した。メニューバーを含む主画面をモノクロモニターに選ぶか、外付けカラーモニターに選ぶかは、自由に変更できた。さいしょその変更のしかたがわからなくて、カラーボードの製造元へ電話して聞いたら、コントロールパネルで、希望する画面に、にっこりマックをドラッグすればよいと教わって、目から鱗だった。

それ以前の98モニターをカラー画面に使っていたが、640×400ドットしかなく、扁平な感じのする画面で、早くアップルのカラーモニターが欲しくてしかたがなかったが、かなり高価だった。

のちにこの扁平モニターでも、MSのウィンドウズが動くようになったとき、IBMなどは640×480ドットで、我々のウィンドウズは母屋の窓、という気がするが、某メーカーの扁平な画面でウィンドウズを起動すると、便所の窓的な感じだ、と酷評されたりしていた。

気に入った英文などをせっせと打ち込んでは、書体を指定し、出力して眺めていた。いつかはクラウンではないが、いつかは、英語圏の人が見ても遜色のない英文を書いて発表するぞ、という意気込みもどこかにあった。バタ臭い英文を書くためにあれこれといろいろな英文を参考にしたが、結局は英借文スタイルになっていった。

成績のいい人は、とかく日本語の文をそのまま英文に置き換える、という芸当を難なくこなすようだが、そうした英文はえてして正しい理解が得られない、というようなことを桜井邦朋博士の、科学英語論文を書く前に、とかいう本で研究した。

それはともかく、マックを出したジョブスが、ネットワーク化されたオフィス環境を構想し、このネットワーク環境で、ファイルサーバーとレーザープリンターが重要な役割を担うと説いて反対を押し切り、キャノン製エンジンに、アドビ社のポストスクリプトを搭載し、DTPとして世に出すと、マックは出版社を中心に一気に広がった、と書いている。(アップルの法則、林信行、青春出版社)

当時、マイクロソフトから日本の各社にくる技術文書などすべてがマックで印刷されてきて、という話を聞いたことがある。ただ、このアドビ社のフォントは高いので、のちにアップルはトゥルータイプのフォントを開発し、自社製品にのせ、安いプリンターでも擬似的にDTPライクな文書が作成できた。ウィンドウズのフォントも同様にそうなった、と理解している。

ところで、一生砂糖水を売って終えるつもりか、という殺し文句で引っ張ってきたスカリーにアップル社を追い出されたジョブスであるが、ジョブスがうっかり計画を、あのBeOSを開発したジャン=ルイ・ガセーにもらしたため、ガセーからスカリーに密告され、先手を打たれて取締り役会で追放されたという。後年、次期メインOSをどれにするか迷っていたとき、ガセーのBeOSで決まりかけていたが、結局ガセーが要求した額よりはるかに高額な4億2700万ドルで、ネクスト社を買収し、今日のOSXの基礎となった。この決断をしたアメリオ会長も、復帰したジョブスに解任され追放されたのであるが、・・・。

ネクストは結局商業的には失敗したが、インテル機上で動いていた。スカリーの当時、すでにインテル機上で、マックOSを動かせたというが、しかもより高速に、という話も聞いている。

スカリーの頃のアップルは高価格路線で、毎週だか隔週だかの土曜日は、無料のバーベキューパーティが行われていた、とも言う。

現在のジョブスのアップル社では、有給休暇もなくなり、禁煙で、地下駐車場でこっそりタバコを吸っていたのをジョブスに目撃された社員は即刻クビだった、とも言う。エレベーター内のちょっとした会話で、クビを言い渡された社員もいて、下級社員はエレベーターを敬遠するようになったとも。

ただ、食堂の食事は、かなりおいしいという。

ジョブスはリード大学を中退したが、そこで受けたカリグラフィー(英習字)の授業が後にDTPへとつながって行ったようだ。当時の彼には、それが何に役立つかは分からなかったというが、「それは美しく、歴史があり、芸術的にも中味のある内容で、科学とはちがう魅力があり、うっとりさせられた」という。

さいきん、スタンフォード大学で、そのことを若い学生たちに講演している。日本語版もネットにあったが、今では残念ながら削除されているようだ。
www.wired.com/culture/lifestyle/news/2005/06/67836

『ハングリーであれ、バカであれ。私はいつも自分自身がそうありたいと願っていた。そして今君たちが卒業して新たな一歩を踏み出すにあたり、私は同じことを君たちにも願っている。Stay Hungry, Stay Foolish』スタンフォード大の卒業生に向かって。

ハーバード中退のビルなんとかさんにもよ~く聞いて欲しいフレーズなんだが、・・・。この方は180度違う方向に、think different(ly)!!!???


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なかのひと

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