戦争経験のまったくない人たちや、いわゆる東京裁判史観の徹底教育を受けた世代の人々にもぜひ読んでほしい待望の書が、絶好の時機に出た。
この本は戦後50年経ってもアジア諸国に謝り続ける政府の卑屈に思える・・・通説として伝えられていることや、一部の報道、論説がいかに根拠に乏しく偏っているかも、実例で説明されている。
旧陸海軍と現在の官僚組織とに共通する問題点や、日本人が戦略思考に乏しいことなど、本書は示唆につきない・・・・。表紙カバー裏に記されている、富士通会長(当時)の山本氏の推薦文の一部である。
「人間はなぜ戦争するのか」 日下公人著、クレスト社、1996
を改めて読んでみた。
第2章 戦争常識の非常識
中に、米軍ではなく陸軍と戦争した山本五十六
とある。「海軍の失敗」で指摘されたこととほぼ同一であるが、今から12年前に読んだ衝撃は想像以上であったが、たぶん本当だったのだろうと思った。
スターリンの五カ年計画の成果に刺激され、国家総動員体制が日本でも実行された。
それによって軍事予算の獲得に成功すると、次は配分争いである。国家の総合戦力を高める、というのはすぐに二の次となった。国益よりは省益、目の敵は海軍省というわけだ。「陸海同額」という協定だった。国民からの憎まれ役はいつも陸軍だという状況から、陸軍と海軍はいつもせめぎ合いを続けていた、とある。
一つの例に、山本五十六をあげよう。海軍次官にもなるが、戦争が始まってからも政治にコミットしている。どうやら、陸軍に勝つことを主目的にして作戦を考えていたらしい、とある。
当時の日本国民が快哉をを叫んだ昭和17年10月のガダルカナル島艦砲射撃はその一つである。
ミッドウェー海戦での大敗四ヶ月後、守勢に回った頃のことである。
このガ島への艦砲射撃は、「ガダルカナルは海軍のヘマから始まった戦いなのに、海軍は何もしないのか」と陸軍に突き上げられて決定された作戦だった。
そこで、戦艦二隻が夜中に沖合から突入し、918発の砲弾を打ち込んだ。ガダルカナルの飛行場は火の海になったと発表された。
ところがこれでガダルカナル島の飛行場は全壊したかと思いきや、何も変わらない。これは山本五十六の自作自演のスタンドプレーだった。まったく役にたたないは彼にもわかっていたにもかかわらず、戦争の「やったふり」をしたのである。
ガダルカナル島を攻撃した金剛・榛名の主砲は36センチで八門。一弾の徹甲弾の場合673キロという。それを一分おきに何度も何度も撃つのだから、たしかに威力がある。しかし、それはあくまでも総論だそうだ。
九一式徹甲弾は、厚さが30センチもある鉄板に向かって撃つ弾で、そのため弾全体が鉄の固まりで、炸薬量が非常にすくない。貫通力が重要視されていたので、信管は、遅発鈍感信管であった。厚い防弾鉄板をぶち抜いてから敵の艦内で爆発するように、そう簡単には爆発しない砲弾だから、空母が相手では防弾鉄板が薄く爆発せずに艦の反対側に抜けた例があるくらい、だそうである。
これを地上に撃った。日下氏もみずから行って見たそうであるが、砂と土が堆積する扇状地だそうで、けっきょく土にもぐりこんだ不発弾だらけとなった。撃ち込んだ625発中の60%が不発弾になった、という。
・・・外に二種類のちがう弾も使ったそうだが、畑に花火と石をぶち込んだのと一緒だった。
(山本昌雄編著、葵陽一イラスト『山本五十六提督 虚構の戦艦砲撃』戦史刊行会発行、星雲社発売による、とある。)
要するに、山本五十六は本気で戦争をしていない。陸軍と戦争している、とある。
また、一ヶ月ぐらいすると、「海軍は何をしている」といわれる。
そこで、山本五十六はもう1回やれと指令する。彼は効果はないことを知っている。部下も大反対している。それでも中止にはしない。
天皇陛下のところに第2回をやりますと報告すると、同じことを二度して大丈夫かと聞かれるが、大丈夫です、と答えるところは無責任である。
はたして大丈夫ではなく、敵は待ちかまえているから、たちまち発見され戦艦が一隻沈んでしまった。行かされた戦艦の乗組員の見になってみろといいたい。山本のスタンドプレーのために出されて戦死したのである。ところがそういうことを海軍の軍人はいまだにヒタ隠しにしている。山本五十六をかばい、自分たち全部をかばっている。・・・と。さらにいろいろ書かれているが、割愛する。
日曜日, 8月 31, 2008
日本文芸社の告発にも似た、仕組まれた昭和史には、平成の現在の要注意人物として、四名の似顔絵も挿入されている。
この本は、思想劇画となっているが、読めば読むほど奥が深く、手放せない本であり、単純にアメリカの謀略で日米開戦となったなどと手放しで済ませられないことが分かってくる。日本の官僚組織や日本人の精神構造まで踏み込んで、さらに該博な歴史知識、歴史感、その他総合的な経済問題もカバーしてなおかつ聡明でないと、真の理解は無理だろうと思えてくる。
指名された4名は、線画ながら、顔は判別できる。女性が一人いる。櫻井よし子氏と思う。残り三名中、二名はすぐにわかった。もと外務官僚の岡崎久彦氏、現京都大学大学院教授の中西輝政氏、あと一人は、しばらく考えたが、名前がでてこない。毎日新聞をあっさり捨て産経新聞に移った記者だ。ネットで調べたら、直ぐに判明した。ワシントン在住の古森義久氏である。
映画『靖国』関連のコメント集「靖国・・・上映中止をめぐる大激論」で宮台教授が触れていたように、「右翼が賢くなれないように操縦されている。倫理社会の教科書でも、戦前には亜流だった福沢諭吉を含めた脱亜入欧派や啓蒙派ばかりが紹介されています。「東洋原理を護るために西洋原理を使え」「列強の帝国主義に棹さすことで抗え」と主張する亜細亜主義者の志向は、啓蒙派よりも思想的に深い」と指摘されているように、似たことが書かれている。
孫文と終生の友情を結び、中国革命を支援しつづけた宮崎滔天、そして玄洋社の頭山満や黒龍会の内田良平にいたる日本の大亜細亜主義の系譜がある、と。彼らこそ尊王攘夷を受け継ぐ日本民族主義者であり、本当の愛国者であった、と。
現在、日本のそこらにはびこっている中国人・朝鮮人をとにかく蔑めばいいと思っている連中、汚らしいアメリカの手先たちのことを右翼とか民族主義者というのではない、とあって、
岡崎氏、古森氏はともかく、櫻井よし子氏や中西教授まで入るとは恐れ入った。
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/25/58?fromtreemode=1
には古森記者が、慰安婦問題に関してアメリカ議会の動きを伝えた記事が出ているが、どうもアメリカ政府へのぶらさがり記事のように感じてはいた。櫻井よし子氏の「異形の大国 中国」(彼らに心を許してはならない)も読んではいるが、そこまでは考えなかった。
ただ、最近胡錦涛の動きを見ていると、どうも中国敵視だけではとてもだめではないか、とは思っている。日本と中国の間に対立のクサビをうちこんだのは、欧米人だともいうし、安っぽう日中友好はごめんだが、日本と中国、朝鮮、および他のアジア諸国との関係はもう少し親密さがあっても良いはずだと思う。
靖国、尖閣、竹島、看護師受け入れ等、いろいろ課題があるが、単に安易な経験論だけではなく、本来の右翼の考え方を勉強し直して、日本がどうあるべきかを再構築する必要があるのでは、と期待半分で考える。
「嫌韓流」に続いて「嫌中流」もみたが、中国というのは朝鮮人よりも変な儒教が浸透していないだけ改革に向くと思った。むしろ、日本人の活動家の中国シンパがなんども中国人愛国者にボコボコにされるケースが多くあり、真の日中友好もありえないことではないように感じた。イデオロギーに染まりきった相手との真の交流は無理だと思う。その点、先祖を否定できない儒教原理に凝り固まったコリコリ(korea、korea)の隣の国とはうまくいかないだろうなと思う。
この本は、思想劇画となっているが、読めば読むほど奥が深く、手放せない本であり、単純にアメリカの謀略で日米開戦となったなどと手放しで済ませられないことが分かってくる。日本の官僚組織や日本人の精神構造まで踏み込んで、さらに該博な歴史知識、歴史感、その他総合的な経済問題もカバーしてなおかつ聡明でないと、真の理解は無理だろうと思えてくる。
指名された4名は、線画ながら、顔は判別できる。女性が一人いる。櫻井よし子氏と思う。残り三名中、二名はすぐにわかった。もと外務官僚の岡崎久彦氏、現京都大学大学院教授の中西輝政氏、あと一人は、しばらく考えたが、名前がでてこない。毎日新聞をあっさり捨て産経新聞に移った記者だ。ネットで調べたら、直ぐに判明した。ワシントン在住の古森義久氏である。
映画『靖国』関連のコメント集「靖国・・・上映中止をめぐる大激論」で宮台教授が触れていたように、「右翼が賢くなれないように操縦されている。倫理社会の教科書でも、戦前には亜流だった福沢諭吉を含めた脱亜入欧派や啓蒙派ばかりが紹介されています。「東洋原理を護るために西洋原理を使え」「列強の帝国主義に棹さすことで抗え」と主張する亜細亜主義者の志向は、啓蒙派よりも思想的に深い」と指摘されているように、似たことが書かれている。
孫文と終生の友情を結び、中国革命を支援しつづけた宮崎滔天、そして玄洋社の頭山満や黒龍会の内田良平にいたる日本の大亜細亜主義の系譜がある、と。彼らこそ尊王攘夷を受け継ぐ日本民族主義者であり、本当の愛国者であった、と。
現在、日本のそこらにはびこっている中国人・朝鮮人をとにかく蔑めばいいと思っている連中、汚らしいアメリカの手先たちのことを右翼とか民族主義者というのではない、とあって、
岡崎氏、古森氏はともかく、櫻井よし子氏や中西教授まで入るとは恐れ入った。
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/25/58?fromtreemode=1
には古森記者が、慰安婦問題に関してアメリカ議会の動きを伝えた記事が出ているが、どうもアメリカ政府へのぶらさがり記事のように感じてはいた。櫻井よし子氏の「異形の大国 中国」(彼らに心を許してはならない)も読んではいるが、そこまでは考えなかった。
ただ、最近胡錦涛の動きを見ていると、どうも中国敵視だけではとてもだめではないか、とは思っている。日本と中国の間に対立のクサビをうちこんだのは、欧米人だともいうし、安っぽう日中友好はごめんだが、日本と中国、朝鮮、および他のアジア諸国との関係はもう少し親密さがあっても良いはずだと思う。
靖国、尖閣、竹島、看護師受け入れ等、いろいろ課題があるが、単に安易な経験論だけではなく、本来の右翼の考え方を勉強し直して、日本がどうあるべきかを再構築する必要があるのでは、と期待半分で考える。
「嫌韓流」に続いて「嫌中流」もみたが、中国というのは朝鮮人よりも変な儒教が浸透していないだけ改革に向くと思った。むしろ、日本人の活動家の中国シンパがなんども中国人愛国者にボコボコにされるケースが多くあり、真の日中友好もありえないことではないように感じた。イデオロギーに染まりきった相手との真の交流は無理だと思う。その点、先祖を否定できない儒教原理に凝り固まったコリコリ(korea、korea)の隣の国とはうまくいかないだろうなと思う。
さて、日本文芸社のほうであるが、裏に描かれている涙を流す軍人が、多田駿参謀次官で、米内に押し切られて近衛内閣が、
蒋介石を相手にせずという声明を出す段にまで追い込まれて、これで帝国は崩壊する、と言って涙したシーン。
海軍の古賀峰一軍令部次長も、わたしも多田参謀部次長に賛成です、と発言したのに際し、米内海相は、もういい、と怒鳴る。
そして、政府は広田外務大臣を信頼しているといい、統帥部が外務大臣を信頼していない、という。これは政府不信任と言う意味だな!?であれば、内閣は辞職するほかはあるまい、と脅す。多田らは、この重大時に辞職などとというのは無責任ですというが、米内はさらに、参謀本部が辞めるか、内閣が辞めるかどちらかだよ、と無責任発言だといわれても涼しい顔。近衛側近らは、この米内発言に乗り、声明を出してしまった。
『・・・国民政府は、帝国の真意を解せず、みだりに抗戦を策し、内民人塗炭の苦しみを察せず、外東亜全局の和平を顧みるところなし。爾後国民政府を相手とせず。』
近衛首相自身もこの声明を悔やんだという。渡部昇一教授は、近衛公が自殺せず、東京裁判で、どういう勢力に操られてしまったかを詳細に証言してもらえれば良かった、と残念がるのだが、・・・。
これで事変の早期解決はなくなったな、と米内がいえば山本は、みずから交渉の道を閉ざしましたね、と応じる。これで、事変の早期解決はなくなったな山本・・・となっている。こうして、アメリカと内通した者たちによって、日本は戦争の泥沼に引きずり込まれた、とある。
最近の週間新潮でも、ルーズベルトが蒋介石にアメリカ側について、日本に対して徹底抗戦するようサジェストしたことなども書かれている。南京事件の捏造の為の種播きも事前に英語版出版によって用意されたという。タイム誌の署名入り記事では死者は2万と当時の記事には出ているが、昭和19年あたりから、米軍が20万人と宣伝を始めた。
(February 14, 1938)
With Japanese last week still forbidding foreign correspondents to go to captured Nanking, the Chicago Daily News received last week one of the best eyewitness accounts thus far of the "Nanking atrocities" from its Far East Ace Reporter A.T. Steele.
・・・・・
"This may be war to the Japanese, but it looked like murder to me." Best estimates are that the Japanese executed 20,000 at Nanking, slew 114,000 Chinese soldiers in the Shanghai-Nanking phase of the war, lost 11,200 Japanese in this phase.
タイム誌のCDで、Japan China Nankingの3語で検索すると出てくる。
裏切られた蒋介石
アメリカが秘かに毛沢東側を応援していたため、蒋介石は裏切られ台湾に追い出された。旧日本軍の武器弾薬を毛沢東に供与したのが、「マーシャル・プラン」のジョージ・マーシャル将軍だという。マーシャルは国共を調停するために、 中国滞在が長かったが、毛沢東を武器援助で手なづけるためだった。アジア地域での共産中国の躍進を結果的に大きく後押ししたマーシャル将軍はおかしいと気付いたのが、ジョセフ・マッカーシー上院議員である。後にマーシャル将軍の行動は、「反共の闘士」マッカーシー上院議員によって、徹底的に調査された、という。
さて、井上成美のほうであるが、「昭和陸海軍の失敗」によれば、仙台藩の出で、海軍兵学校での成績も180人中2番の成績。数学が大好きで、戦後も幾何の問題集を解いていた、という。
半藤:一度信じ込んだら絶対に曲げないところがあるから、山本としても部下として横においておけば重宝すると考えたのではないでしょうか?
それが日本文芸社のほうでは、
米内:今日の臨時閣議で言ってきた。もはや猶予する時期ではない。海軍は必要なだけやると。
山本:では、例の計画は実行ですね。
米内:うむ、ひとつ世界を驚かしてやろう。
その結果は?
1937年8月15日海軍は中攻機による渡洋爆撃で戦争拡大の既成事実を作った。
長崎県大村から出発した九六式陸上爆撃機20機が南京を空爆。
台北からの14機も江西省南昌を爆撃した。日本の残虐な無差別爆撃はやがて、世界中に報じられる。
堺三郎の「大空のサムライ」では、すでに日本軍飛行場となった南昌基地が、パイロットとしての二番目の活躍場となっている。
日本海軍機による中国都市への爆撃は、奥地の都市、武漢や重慶にまで及んだ。特に重慶には執拗に戦略爆撃が続けられた。1938年からの6年間で空襲が218回、死者は11809人といわれる。
2006年のサッカーアジア大会でもっとも日本人に対してブーイングをしたのは重慶だったそうだ。
多数の市民殺傷を生んだ重慶爆撃を指揮したのが、支那方面艦隊参謀長で、海軍3羽ガラスの一人、井上成美だった、という。
こいつのどこが平和主義者だ、とある。井上は米内光政の二期下で、米内とともに米国に深く操られていた、とある。
不思議きわまりないことに戦後ものうのうと生き続けた、とある。
これでは、サイレントネービーでなくとも、戦争のことについては口を閉ざさざるを得ないだろうが、半藤氏ももうすこし、つっこんだインタビューをしてもらいたかったが、しょせん無理か?
1940年5月から9月まで続けた百一号作戦は、日露戦争の日本海海戦に匹敵すると井上自身が公言するほどのものだった、という。
この無差別爆撃で、日中戦争の停戦協議のチャンスは失われた。石原莞爾は激怒して、陸軍が強盗なら、海軍は巾着切りだとさけんだという。これ以後、北支事変は支那事変と改称された、という。
アメリカと内通していた者たち
真珠湾攻撃も、米内光政海軍大臣と、井上成美(中将)次官、山本五十六(連合艦隊司令長官、自分の罪を知って、早目に自殺のための視察に出た)らが操られてやらされたことだ、とある。その共同謀議に参加せず、日本国に忠実だった古賀峰一、多田駿、そして潔く闘って勇猛に死んで行った『飛竜』艦長の山口多聞少将たちをいまこそ検証し、顕彰すべきであると。
米内光政海軍大臣の海軍だけでなく、陸軍の情報部の中にも、フィリピンのマニラの師団を中心に、すでに戦争中から、アメリカのスパイになって働いていた軍人たちが、かなりいたと言う。
陸軍情報部にいた、○末○三中将もそのひとりで、アメリカと内通していて、日本とドイツが敗戦した後の、戦後世界体制がどのようになるかを冷酷に教えられていた、という。
戦後体制には邪魔だからとイギリスに指令され、台北から東京へと飛ぶチャンドラ・ボースの飛行機を離陸直後に墜落させて殺したのは、陸軍のスパイ参謀だったのだという。
NHKの記録フィルムで、戦後ジープの貸与など、仲間内からもGHQからの優遇度の高さで不思議がられた人といえば、皆気付くはずの人だ。
土曜日, 8月 30, 2008
「ノモンハンの夏」とかいう作品を購入していらい、二年も店晒し状態で読む気がおこらず、
ネットでしらべて購入した、「ノモンハン事件の真相と戦果」をむさぼり読んだ結果、半藤氏の姿勢に、疑問と嫌悪感をおぼえた。反日で鳴らす天下のNHKならいざ知らず、文藝春秋に長く居たものが書く内容ではあるまいと思ったからである。
しかも、ソ連側情報を知らないで書いたのならいざ知らず、情報公開でソ連側が負けたに等しいほどの損害を出したことを知ってなお後に、姿勢が変わらなかった点を不審に思った。そうとうの根っからの反日作家か!?それにしても、なんで文春なんだろうと。
この疑問は長く解けないでいたが、今回8月23日に取り上げた「仕組まれた昭和史」の所々にある書き込みでわかった、ような気がする。
平和主義者だと伝えられている「海軍3羽ガラス」こそ日本を戦争へ引きずり込んだ張本人だとか、海軍善玉論・陸軍悪玉論は大嘘で阿川弘之の「提督三部作」は悪質な歴史の捏造だとか、文藝春秋社は、他の一社などとならんで、ロックフェラーの手先で、阿川弘之、高木惣吉、山崎正和(などの諸氏の書物も真面目に読んではいない、あ、あの例の海軍好きか!?だったが)などが嘘八百で練り固めて真実を覆い隠してきた、と。
司馬遼太郎は、勝手な嘘を書きやがってと、何度も首を絞められるイラストだったが、阿川の場合は、大型の栓抜きで頭をボコボコにされるイラストであって、かなり熱が入っている。
今回、その文芸春秋社から、普段敬遠していた筆者たちが出揃って、「昭和陸海軍の失敗」なる文庫本がでた。大反響を呼んだ話題の対談集を収録、とある。2007年12月に発行となっている。
海軍3羽ガラスのあたりを中心に、この本と、日本文芸社の記述の違いを見てみたい。
田中角栄といい、山本五十六といい、どちらも新潟県出身で、アメリカに倒された例を見ると、つい県民性と何か関係があるのではないかと勘ぐりたくなるが、多数の事例を収集できないので、妄説として述べておく。好きか嫌いかといえば、あまり好きになれないほうだ。県民からは好かれるのかもしれないが、日本を代表する存在となったとき、どういう意味を持つ結果となるのか、研究が必要だと思う。二度あることは、・・・。
ところで、半藤氏も、あっと驚いたが、新潟県御出身とのこと。それで、山本を弁護する心情が先行するのかもしれないが、冷静になってもらいたい。
半藤:私は山本と同じ長岡中学校卒業ですが、越後人にはいちいち説明するのを嫌うという気風があるのですよ。しかも、人見知りで、人の好き嫌いが激しい。(田中真紀子!?)どちらも山本五十六にあてはまりますね。
戸高:その好き嫌いが参謀との関係にもろにでています。参謀長の宇垣纏とは長い間口もきかず、先任参謀の黒島亀人や、戦務参謀の渡辺安次に直接指示を出していた。・・・
秦:それで、作戦構想はすべて黒島にお任せとなっていた。・・。しかし奇道が正道に勝ち続けるのはやはり無理と言うものです。・・・あとの九つは宇垣参謀長以下の参謀たちがまとめたオーソドックスな作戦でいけば、問題なかったのでは。
戸高:好き嫌いはしかたないにしても、連合艦隊スタッフがこまったのは、指揮系統が混乱したことです。山本が宇垣を飛ばして黒島らと相談するのですが、参謀とは参謀長のスタッフであって、長官のスタッフではない。そういう指揮系統がこの頃の連合艦隊司令部では崩れていた。
瓢箪から駒の真珠湾
半藤:あれほど避けたかったアメリカとの戦いを前に山本は悩み抜いたと思います。まともにぶつかったら、まず勝ち目はない。日本が主導権を握って全力決戦をしかけていくしかない・・・・。その懊悩の果てがハワイ作戦です。・・・
戸高;そもそも常識的に考えれば、真珠湾攻撃はとても決断できる作戦ではありません。日本海軍の艦艇は、ハワイを奇襲するようには設計されていないので、・・・空母も護衛の巡洋艦もドラム缶を無理やり山のように積んで、船体がへし折れるのではという報告もあった位。急襲されたら、一発で大炎上です。・・・
良識派は孤立する
米内光政と井上成美
半藤:私の持論ですが、日本が対米戦争に向かう引き返し不能点は、昭和15年9月の日独伊三国同盟締結だったと思います。・・・このいわば日本の運命の別れ道に際し、堂々たる反対の論陣を張って一歩も引かなかったのが、米内光政海相、山本五十六次官、井上成美軍務局長の官軍”良識派”三羽ガラスでした。
福田:その動きを昭和天皇もよく頑張ってくれた、と評価しています。
秦:しかし、あえて厳しくいえばこの三人の活躍をもってしても、三国同盟の締結を一年先延ばししただけであったし、日米開戦を避けることもできなかった。なぜ、彼らの後が続かなかったのか、という問題も合わせて考えて見ましょう。
陸軍嫌いの過ち
半藤:そして米内のいいところは、大事な場面ではっきりものが言えることです。(海軍は米英と戦うようにはできておらず、勝てる見込みはありません、と発言して三国同盟を延期させたこと)
福田:ただ、米内の判断には、いくつかの決定的な過誤もあったのではないでしょうか。それも日本の進路を誤った重大なミスです。例えば、第2次上海事変のときの対応です。閣議で予算措置からして派兵は無理だと反対する賀屋興宣蔵相を怒鳴りつけたのは有名な話しです。
石原莞爾は「兵をすべて引き上げ、民間には後で補償したほうが安上がりだ」と不拡大路線を貫こうとした。ところが米内は強引に押し切り、「北支事件」は「北支事変」となり、上海に上陸した部隊は、南京へと進軍していきます。・・・海軍主犯論の起きる所以です。
福田:もうひとつ重要なのは、近衛声明に対する米内の態度ですね。昭和13年1月、いわゆる国民党政府を相手とせず、なる声明を出して、日中和平交渉の道を閉ざす。近衛自身、のちに大変な失敗であったと。陸軍の多田駿(はやお)参謀次長が「交渉を継続せよ」と主張しているのに対し、海相の米内は内閣総辞職も匂わせるような表現でおさえつけています。近衛声明に加担した責任はここでも極めて重い。
秦:この一件も、彼の陸軍嫌いが仇となっているように思えてなりません。・・・
秦:太平洋戦争全般にいえることですが、アメリカという敵はそっちのけで、海軍にとっては陸軍、陸軍にとっては海軍が敵みたいになっていた。海軍主導の終戦工作についても、戦艦大和が沖縄特攻で沈むと、もはや海軍にはまともな戦力は残っていません。戦いたくても戦えなかったわけです。
横紙破りがいなかった
戸高:陸軍の場合、陸大教育でも「独断専行」を重視する。これはこれで、問題ですが、海軍はスマートでバランスの良い組織人を求めますね。・・・
逆に言えば、ここぞというときに蛮勇が震える人物がいない。
福田:海軍一家という意識が強いのでしょうね。
半藤:石原や辻政信のようなアクのつよい人物は、海軍からは出てこないのですね。サイレント・ネービーに関連していうと、海軍の人たちは先輩、同僚の批判をほんとにいいません。井上はその希有な例外ですが、その井上にしても、外部の人間にはほとんど口をつぐんでいたと思います。
私は井上さんには、戦後二度取材に行っているんです。・・・家にはあげてもらえるけど、まったく口を開いてくれない。「英語のラジオはきいているよ」といったどうでもいいことは話してくれますが、戦争のことを尋ねると、とにかく黙りこんでいるだけ。・・・
なお、写真の中段左端が井上成美、右端が山本五十六、下段左から二人目が米内光政の海軍三羽ガラスである。
前著『あぶないニッポン』に続く『騙されるニッポン』
この書名が何か!?ピンときた。ラジオで、昔自衛隊観閲式ハンターイのデモを指揮していた小沢遼子氏が、いま深夜テレビでNHKが、かって関東軍がアヘン売買で資金を得ていたことを放送してますわね〜、とぽつり。
帰化したフルフォード氏は、かってフォーブス誌特派員だったが、あるウイルスソフト大手の会社自身がウイルスを作ってばらないている事実をキャッチ、記事にしようとしたら編集長から、大口広告主だから、ダメといわれたそうだ。記者としての取材活動でもなんども命の危険を感じたことがあったそうだが、メディアリテラシーをもたねばダメだと説く。
大手マスコミの流す情報は、かなり管理され限定された情報ばかりだから、鵜呑みにしていては危ないし、騙されていると。
前ブログで引用したシーポヨ絵なし日記・ときどき絵日記に出ている、植草氏の件でフルフォード氏が、疑惑を提供している旨書いていた。また、りそな銀行の疑惑をスクープした朝日の鈴木記者も、翌日水死体でみつかり、自殺処理されたが、特ダネ直後の自殺などありえないだろうと書いている。書中にももっと詳しく書かれている。
かって、ベトナム戦争で○軍は、○兵の棺桶にまで、ア○ンをしのばせて本国へ輸送していた、という。こういうことを一切報道しないで、NHKは、かっての日本軍の一面ばかりを報道し続ける。ゆえに反日メディアと評されて久しい。
関東軍と毛沢東とはつながっていて、毛はアヘンを関東軍に安く売っていたらしい。国共合作はアメリカがもちかけただけで、毛沢東は蒋介石軍を恐れていた、という。それだからこそ、毛沢東は、戦後訪れた国会議員の謝罪に対して、軍国主義のおかげで今日があると、感謝の意を込めて応えたという。
そもそも、満州国は、吉田茂が奉天で総領事をしていたり、阿倍元首相の祖父岸信介氏もトップ官僚だったりと、戦後活動した
著名人ともかかわりが深い。石原莞爾氏も、東京裁判で、裁かれると覚悟していたが、なぜか簡単な取り調べだけで、おとがめなしだった。戦犯処刑の翌日の晩には、岸氏や児玉氏なども、将来必要な人材としてこっそり釈放されていた。
吉田の父は横浜のジャーディン・マセソン商会の総支配人であって、ロスチャイルド系と繋がっていた、という。ユダヤを先祖にもつゆえに、満州国に、イスラエルのようなユダヤ人を移り住まわす計画があって、リットン調査団も、国連で満州国承認をえるための情報提供のための派遣だった、という。吉田茂のお孫さんが、麻生氏なのはいうまでもない。
これをフグプランとよび、岸信介ら革新官僚らと、石原莞爾ら関東軍とがイギリス系の助言とたぶん資金援助を受けて推進したいったらしい。
『武器無き占領』には、そうした事実を裏付ける歴史の側面が、数々のエピソードとともに語られている。
渡部昇一氏は、日露戦争後、鉄道王ハリマン氏が、南満州鉄道を日本と共同経営をする案を出したとき、元老たちはほとんど異論がなかったのに、東大出の官僚小村寿太郎が断ってしまった、と残念がる。いっぽう、小林よしのり氏は、そんなことをしてもアメリカの日本追いつめ策は発動されたはずだから、無駄だと反論されていた。今となっては、小林氏が正論だったといえる。
小村は、ロックフェラー系で、ハリマン氏は、ロスチャイルド系だった、というのだ。石原莞爾は、中国と事を起こす気は毛頭なかった。ロスチャイルド系もそうだったとみていいだろう。しかし、ロックフェラー系はなんとしても。日本を泥沼の日中戦争へ引きずり込み、中国における、日本・ロスチャイルド系の権益を奪い取ろうと画策していた、という。
戦前、血盟団事件などで暗殺された財界人たちはみな、ロスチャイルド=三井系の人たちばかりだった、ということに注目して欲しい。
日露戦争後二年目に立てられたオレンジ計画で、対日戦争プランが画策されたが、日本を戦争に誘導するための下地造りからはじまって、数十年の地下および外交活動を通じて、日本を追い込んで行った、というところ。リットン調査団の後、海軍が支那で爆撃をふくむ軍事行動を起こし、世界の評判はガタ落ち、リットン調査団のメンツは丸つぶれとなって、・・・。米内の工作か!?。
すでに大正10年12月には、米側によって、日英同盟は破棄されていた。となれば、自主的に日英同盟破棄へむけて舵をとったとされる幣原喜重郎も怪しい。陸奥宗光の甥子さんともいわれる元外務省の岡崎氏は、幣原外相と山本提督とが、日米決戦を呼び寄せた張本人と主張されている。(産経新聞、正論。運命の片道切符)これさえなければ、外交努力でなんとか回避できたはずだから、とされている。
土曜日, 8月 23, 2008
now.ohah.net/setu/diary/20070204.html
には、私が見た最初の指摘は、副島氏によるものだが、植草元教授の逮捕は、国策逮捕とする新説が書き込まれている。それも、三度目の逮捕もそうだというのだから、もし事実なら、米国もそうとうしつこい。
最初の逮捕のとき、副島氏は、警察が逮捕を予見して張り込み、テレビカメラも待機していた、という裏の情報を書いていた。公判での、警官の証言も二転、三転、エスカレーターの位置からは、そのような手鏡によるとされるのぞきなどできない位置関係にあった、とされる。
人はこの植草教授の話をまゆつばものとして捉えるようであるが、私は案外真実にちかいのでは、と考えている。三度目の電車内での現行犯逮捕のときも、証人は、電車でうとうとしていて、そのような行為は見てはいない、という。ただ、何人かの乗客に取り押さえられていた、というだけで、それらの人や女子高生は、誰一人証言していない。先生の趣味に、誤解を与えやすい傾向があるにしても、それだけで逮捕はふつうされないはずだ。
最初に植草教授逮捕が米国による陰謀と書いた副島氏の最近の著作を見て、びっくり。発行は本年7月であるが、先日私が書いた山本五十六ですら、アメリカの先制攻撃要望を実行したのは、アメリカに操られていたからだ、と書いている。
第6章に、ロックフェラー家に操られた米内光正とある。ゾルゲ事件で名の出た尾崎もロックフェラー家の手先だった。正確には、アメリカ主導の国共合作を画策したシンクタンク、太平洋問題調査会の一派だという。米国が、太平洋戦争と言え、というだけのことはある。
ナチスに金をだしたのも、ロスチャイルド系がヨーロッパで幅をきかせないようにするための事前工作だった、と書いている。
週間新潮では、ルーズベルトが蒋介石に、アメリカと組んで日本に徹底抗戦するよう、仕向けたとあるが、同様のことをかなり具体的に。
ノモンハン事件のときに、線車隊付きの情報将校(モンゴル語の言語将校)だったのが、後の司馬遼太郎。司馬の作品はこれから徹底的に検証されなければならない、とある。司馬の作品は、歴史を反映していないとなども強調。司馬氏の首を絞める絵まである。だから小説だって、といいのがれようとしている、・・・。
今西錦司氏や梅棹忠夫氏につながる京都大学や関西派は、戦前、戦中に東アジア全域の偵察、情報収集、山岳踏破行をおこなっていて、戦後中曽根康弘派の系統の、アメリカの意を体現する文化人や学者や新聞記者になった、とある。ふ^ん、やはりそうか。この一派の人たちと比較的近い東大グループも、戦後ロックフェラー財団の資金提供を受けているが、偶然かもしれないし、詳しくは不明。
満州国境の町、張家口で陸軍中野学校出の情報将校たちを学問的に訓練したのが、梅棹氏たちだっとそうだ。戦争がおこりそうなところで、よく地道に学問研究のためのデータ収集などやっていられたものだ、と思っていたが、それなら話は別。
日本の第二次世界大戦参戦までの10年間、駐日アメリカ大使だっとジョゼフ・グルーは、渋沢栄一の息子(渋沢秀雄)たちと協力して必死になって、日米の開戦を阻止しようとしていた。彼は、J.Pモルガンの一族で、極東におけるロスチャイルド家の利益を代表していた、という。
ロスチャイルド家は日本に戦争させたくなかった。日本は米ロックフェラー家の謀略に載せられて、中国を全面侵略するまでに泥沼に引きずりこまれた、とある。
日本の連合艦隊による真珠湾攻撃が仕組まれていたことは、『ルーズベルト欺瞞の日々』文藝春秋社刊、2001年に暴かれた、という。(Robert Stenette"The Day of Deceit, 2000)
には、私が見た最初の指摘は、副島氏によるものだが、植草元教授の逮捕は、国策逮捕とする新説が書き込まれている。それも、三度目の逮捕もそうだというのだから、もし事実なら、米国もそうとうしつこい。
最初の逮捕のとき、副島氏は、警察が逮捕を予見して張り込み、テレビカメラも待機していた、という裏の情報を書いていた。公判での、警官の証言も二転、三転、エスカレーターの位置からは、そのような手鏡によるとされるのぞきなどできない位置関係にあった、とされる。
人はこの植草教授の話をまゆつばものとして捉えるようであるが、私は案外真実にちかいのでは、と考えている。三度目の電車内での現行犯逮捕のときも、証人は、電車でうとうとしていて、そのような行為は見てはいない、という。ただ、何人かの乗客に取り押さえられていた、というだけで、それらの人や女子高生は、誰一人証言していない。先生の趣味に、誤解を与えやすい傾向があるにしても、それだけで逮捕はふつうされないはずだ。
最初に植草教授逮捕が米国による陰謀と書いた副島氏の最近の著作を見て、びっくり。発行は本年7月であるが、先日私が書いた山本五十六ですら、アメリカの先制攻撃要望を実行したのは、アメリカに操られていたからだ、と書いている。
第6章に、ロックフェラー家に操られた米内光正とある。ゾルゲ事件で名の出た尾崎もロックフェラー家の手先だった。正確には、アメリカ主導の国共合作を画策したシンクタンク、太平洋問題調査会の一派だという。米国が、太平洋戦争と言え、というだけのことはある。
ナチスに金をだしたのも、ロスチャイルド系がヨーロッパで幅をきかせないようにするための事前工作だった、と書いている。
週間新潮では、ルーズベルトが蒋介石に、アメリカと組んで日本に徹底抗戦するよう、仕向けたとあるが、同様のことをかなり具体的に。
ノモンハン事件のときに、線車隊付きの情報将校(モンゴル語の言語将校)だったのが、後の司馬遼太郎。司馬の作品はこれから徹底的に検証されなければならない、とある。司馬の作品は、歴史を反映していないとなども強調。司馬氏の首を絞める絵まである。だから小説だって、といいのがれようとしている、・・・。
今西錦司氏や梅棹忠夫氏につながる京都大学や関西派は、戦前、戦中に東アジア全域の偵察、情報収集、山岳踏破行をおこなっていて、戦後中曽根康弘派の系統の、アメリカの意を体現する文化人や学者や新聞記者になった、とある。ふ^ん、やはりそうか。この一派の人たちと比較的近い東大グループも、戦後ロックフェラー財団の資金提供を受けているが、偶然かもしれないし、詳しくは不明。
満州国境の町、張家口で陸軍中野学校出の情報将校たちを学問的に訓練したのが、梅棹氏たちだっとそうだ。戦争がおこりそうなところで、よく地道に学問研究のためのデータ収集などやっていられたものだ、と思っていたが、それなら話は別。
日本の第二次世界大戦参戦までの10年間、駐日アメリカ大使だっとジョゼフ・グルーは、渋沢栄一の息子(渋沢秀雄)たちと協力して必死になって、日米の開戦を阻止しようとしていた。彼は、J.Pモルガンの一族で、極東におけるロスチャイルド家の利益を代表していた、という。
ロスチャイルド家は日本に戦争させたくなかった。日本は米ロックフェラー家の謀略に載せられて、中国を全面侵略するまでに泥沼に引きずりこまれた、とある。
日本の連合艦隊による真珠湾攻撃が仕組まれていたことは、『ルーズベルト欺瞞の日々』文藝春秋社刊、2001年に暴かれた、という。(Robert Stenette"The Day of Deceit, 2000)
木曜日, 8月 21, 2008
前回の映画『靖国』とともに、映画館で販売していた『映画靖国 上映中止をめぐる大議論』(創出版)の
前書きを改めて読んだ。
そこには、約10年ほど前、映画『南京1937』が公開されたとき、右翼からの攻撃は今回の比ではない規模の
スケールのおおきいものだったにも拘わらず、上映を敢行した映画館もあったのに比べて、今回の上映自粛の
連鎖は、見えない暴力の影に怯えていて、トラブルに巻き込まれたくない、さわらぬ神にたたりなしといった空気が社会全体に蔓延していることに問題がある、という。
それはこの10年間に日本の社会の変化を端的に示す事柄かもしれない、とある。戦争責任、慰安婦、ジェンダーといったある種のテーマについては、自由に集会を開くこともできない事態が頻発しているのである、と。
著者に名を連ねている上野千鶴子氏は、最後にそうした事態の一端を報告している。しかし、著者に名を連ねている宮台真司氏は、マック使いの社会学者で有名人であるが、鈴木邦男氏って!?誰と思った。
著者略歴を見ると、鈴木邦男氏は、一水会顧問だという。水交社というのが、海軍上級士官達の親睦団体だったことから、その類かと思いきや、なんと右翼団体だという。
宮台教授の言説に興味があって、映画代金と同額の解説本を買ったのだが、この宮台先生の対談相手も、一水会顧問だった。
最初ふたりは、左翼的立場から発言しているのか?という先入観で読み出したものである。東大院時代、小室直樹法学博士の弟子筋だっという宮台先生の発言に、ある種の期待をもっていたのだが、最近やはり左翼的発言に終始しているような受け止め方をしていた。しかし、準教授ならいざ知らず、いまや首都大学東京の教授であるからか?、そうした匂いはほとんど消えている。
対談のタイトルは、『上映中止騒動が市民社会に問うたもの』となっている。
宮台「刀匠の刈谷さんが、「取材のときに聞いていた話しとちがう」と言っています。リベラル側は、国際戦犯法廷で、「放送されるといっていたのに放送されないとは何事か」と期待権を主張する。その理屈で戦犯法廷の主催者側を応援するのなら、刈谷さんも応援すべきです。自称リベラルは、正論を語る格好をしつつ、内容に依存した肩入れをしているだけ。民主主義者なら、内容の主義主張に関係なく平等に期待権を認めなきゃ。刈谷さんの話を聞いて本当はどうだったのだろうと調査しなきゃ。戦犯法廷側の抗議は聞いてあげて、靖国側の抗議は「洗脳されたんだろ」と拒絶するのは卑怯です。リベラルの名に値しない。」
などとご発言。
「政治は象徴闘争です。世間が反靖国とラベル貼りした作品に抗議するのは、中身に関係なく、ありです。ただ、中身については僕は揶揄とは思いません。右翼のオーラに僕は謙虚に感染しました。」
「・・・靖国イメージも単調だけど、刈谷さんや、台湾原住民の描き方も単調です。まるで、「刀鍛治としての人生がすべて」「靖国に反対する人生がすべて」みたいな描かれ方。実際に人生は万華鏡です。靖国も万華鏡です。それを取り込めないなら、駄作です。先日も僕は、靖国で夜桜能を観て心から堪能しました。靖国にもいろんな季節があり、いろんな日があり、いろんな顔がある。その中の一コマとして「ああいう人もいる」と描けないなら退屈です。・・・」
「だから、僕は、内容は駄作でも、上映を擁護します。あの映画を擁護する人が内容を褒めるのが情けない。内容がいいから擁護するんじゃ、民主主義者じゃない。」
顧問「今回、右翼の試写会を取材に来たマスコミの人は、「右翼の人はなにもしゃべれないのかと思っていたたら、きちんと自分の意見を言うんですね」と言っていた。確かに一般の人はそういうふうに思っているかもしれない。
叫んでいるだけで、きちっとした理論に基づいてはいないとか、・・・。」
宮台「大きな話をすると、GHQの検閲に問題があります。自称右翼の亜細亜主義など日本の右翼思想の膨大な蓄積を知りません。北一輝が、大川周明が、石原莞爾が、田中智學が、どんなに凄いことをいったのか知らない。でも自称右翼のせいではありません。思想の蓄積を見聞する機会を奪われたのです。右翼が賢くなれないよう操縦されている。倫理社会の教科書でも、戦前には傍流だった福沢諭吉を含めた脱亜入欧派や啓蒙派ばかり紹介されます。大川周明や石原莞爾や中野正剛が何を言っていたのかを知る機会が奪われています。「東洋原理を守るために西洋原理を使え」「列強の帝国主義に掉さすことで坑え」と主張する「オルタナティブな近代思想」たる亜細亜主義者の志向は、啓蒙派よりも思想的に深い。右翼のほうが左翼よりも思想的に深いのに、それを知ることができないから、右翼が浅くなり、左翼も浅くなる。」
顧問「それはありますね、言論が鍛えられない。勉強する場も無い。・・・」
宮台「元はといえば、週間新潮が記事を書いたのが発端だけど、それに触発された稲田議員(自民党)が疑義を呈して以降の一連の展開は・・・表現の自由の危機といった紋きり型のものいいで済ませるべきじゃない。」
などとなっている。
顧問「宮台さんは自民党の一部が特別試写会を求めたことに対しては認めていましたね。」
宮台「僕は構わないと思いますよ。」
顧問「僕は事前検閲じゃないかと思ったんですが、それは違うんですか?」
宮台「上映するなと言い出したなら、事前検閲。でもそれは言ってないですから。」
そして、最後はこう締めくくっている。
宮台「そうした危機感をもつ右翼の方々が、一堂に会するのは珍しい。凄く良かったですよ。何事も瓢箪から駒だし、人間万事塞翁が馬。いろんなものを利用して成熟に向かって経験を積むしかない。なのに思考停止の条件反射がどの方面にも多すぎます。個人的最適化もいいが、社会的最適化も大切です。・・・自分の意見をいうのも大切だけど、気にくわない意見をいう相手の存在を認める社会を守り抜くことも大切です。」
最後になったが、激論ムック『8.15と靖国の真実』は映画靖国の事前評判も頭にいれておこうという気持ちもあって購入した。編集者の講演でも、瞠目すべき内容があった、記憶がある人である。
はじめに、には「受け継がれゆくもの」としてあって、
『靖国神社のみたま祭りは、占領中の昭和22年に始まった。敗戦2年後の出来事だが、20万人の人出で賑わった。
西尾幹二氏は、新著「GHQ焚書図書開封」(徳間書店)で、敗戦直後の日本人が占領軍を受け入れながらも「日本人の中にも密かな抵抗、占領軍に対する表立たない不服従の意識が働いていた」と看破している。
日本敗戦後、占領軍は靖国神社の解体を目論んでいた。日本人と日本軍の強さを恐れた米国は訳もわからず、<国家神道>というイデオロギーをでっちあげ、自らの恐怖を除去したかったからだ。
・・・ ・・・・ ・・・・
昭和28年には、日本社会党の堤テルヨ衆議院議員の提言で遺族援護法の改正を目指す運動が盛り上がり、当時の有権者のほとんどである4000万人の書名も集まり、国会で与野党全開一致で改正遺族援護法が可決されたのである。
すなわち東京裁判を含めた連合国の軍事裁判で処断されたA、B、C各類の戦犯を日本人のまさに総意で救済したのである。
・・・ ・・・
ところ、90年代になって共産主義思想が衰退するとともに、逆に日本国内でこれらの歴史的事実や日本人の記憶を抹殺する動きが始まった。
民主党の野田佳彦衆議院議員が平成17年に国会で「戦争犯罪人が合祀されていることを理由に内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対する論理はすでに破綻している」という質問趣意書を提出した。政府は「国内法上は戦犯は存在しない」と答弁したしたのだが、朝日新聞やNHKを始めとする反日メディアはほとんど報道することが無かった。
日本は再び占領かに戻ったのであろうか?』 編集長 西村幸祐
とある。
宮台教授が、右翼顧問との対談で指摘した、『大きな話をすると、GHQの検閲に問題があります。自称右翼の亜細亜主義など日本の右翼思想の膨大な蓄積を知りません。北一輝が、大川周明が、石原莞爾が、田中智學が、どんなに凄いことをいったのか知らない。』ということは、「GHQ焚書図書開封」(徳間書店)を見ていけば、より鮮明になるはずだ。
この焚書がGHQの最大の大罪だとされている。東京裁判も、南京事件の報道もすべて米国が主導したものだ。
そこには、KGBのエージェントたちも深くかかわっている。最近は、張作霖爆殺も、KGBが関東軍がやったように見せかけた、という説があちらかも出てきた。
この10年、南京事件についての研究もすすみ、YOU TUBEにもそれをやらせだった、という映像がアップされた。
そもそも昭和19年になって、米軍が急に南京20万人大虐殺を宣伝し始めた。
それは、日本の大都市を無差別爆撃する際の良心の麻痺を狙って、アメリカが仕組んだ、とTAMAGAWA BOAT氏はフィルムの中に書き込んでいる。その映像操作により、非戦闘員80万人の命が奪われた、と明言している。
台湾に眠っていた、蒋介石側の外交記録文書にも、日本軍が民家を誤爆したことでも被害や抗議の記録があるのに、南京戦のときは何もかきこまれていない、という。温家宝首相来日の折、この矛盾を糾したら、無言でスタコラ退散した、という。
南京戦のとき、欧米メディアも40名以上はいっていたが、ついにまともな(虐殺の)記録映像は撮れなった、という。そこで、古い別の映像を滑り込ませるという手口をアカデミー賞を三度も受賞した監督が意図的にしたことだと言う。朝日の記社だけでも80名ほどの密度で入っていた、という時代。
火曜日, 8月 19, 2008
一緒に購入した解説本によると、最初に問題視したのは週間新潮で、いわゆる南京虐殺の証拠とされた日本兵によると見られる捕虜の日本刀での処刑らしき写真なども何回か映画に挿入されて、日本人としては不快感を呼び覚まされるように感じた。しかし、南京関連本の中で証拠とされた写真は、すべて誤用か、捏造写真と最近では一枚として、証拠となる実証的写真ではない、というところまで研究は進んで、今では無かった派が優占種となる地殻変動が続いている。右翼の抗議は尤もなことだと思うが、靖国の日本刀をテーマに上げている以上、割愛はできなかったはずだが、何の脚注もなく載せたことが後々まで尾を引く。
英文字幕ともなれば、公開する国によって、如何様にも脚色されうる恐れ、というよりほぼ確実だろうから。
アメリカの国策記録映画で、日本軍の南京における虐殺シーンとされているいくつかのシーンは、蒋介石の配下の兵が共産党員を処刑しているシーンで、中国兵とばればいように、兵士側の映像をカットしていたことがあきらかになった。アメリカ国民の対日憎悪を助長させる目的で作られた、という。南京戦には、欧米の取材班も同行しており、そのようなカットはみつかっていないそうだ。
http://www.metacafe.com/watch/639587/movie_the_fake_of_nanking_1/
南京大虐殺の嘘をあばいたビデオクリップ『FAKE OF NANKING』を見よう。グーグル検索で『・・・』を打ち込めば、即座に可能となる。上記サイトでも可のうである。一時YOU TUBEから削除されたという記事も見えるが、今はまた可能なようだ。TAMAGAWA BOAT 氏の力作。(8・15と靖国の真実、激論ムック、オークラ出版2008.9)
小泉首相の参拝シーンも収録されている。一昨年の8月15日の人々をカメラに収めたらしい。君が代斉唱中に、侵略戦争のシンボルなんだぞ、靖国は!などと叫んで式に乱入した若者二人は、ズボンを脱がされかかるほどもみくちゃにされて相当ふたりとも殴られたようだ。一人は中国人とかで、門の外まで中国へ帰れ!と怒鳴られながら出て行ったし、日本人と思われる若者は鼻血で、顎まで朱に染めて、警官たちに救急車に押し込められながらも、主張を繰り返していた。彼が50歳を過ぎる頃、どんな心境にに陥っているか興味があるが、回りの観客は、この青臭い主張を、笑っていた。
旧軍の正装(と思われる)をして、軍刀をさげて参拝する人たちもけっこう多い。また、集団で軍服に身を包み、下手なラッパを吹きながら行進するグループも何組か納められていた。冊子の表紙に載っている人も、そうしたグループの中の一人らしい。
天皇陛下や東条首相などの戦前の軍服姿の参拝シーンでは、西南戦争の後でできてさかんに謳われたという軍歌『抜刀隊』の一番と二番が男声合掌で流れた。大正あたりの録音か?
この曲は、学徒出陣のニュース映画でも、雨の中を分列行進する大学生たちを送り出す際にもさかんに演奏されていたが、歌詞は最近まで知らなかった。
吾は官軍、我が敵は天地容れざる朝敵ぞ〜で始まるが、
二番の出だしは、字幕もないので判然としない。しかも私の有するCDでは、日本刀をにっぽん刀と歌っているのに、映画のそれは、日本刀をやまとがたなとうたっているバージョンだった。陸軍外山学校軍楽隊演奏、テレフンケンレコードなどとほぼ同一バージョンと思える私が買ったCDの記録には、そう書かれている。
皇国(みくに)の風ともののふは
その身を護る魂の
維新このかた廃れたる
日本刀のいまさらに
また世にいずる身のほまれ
敵も味方も諸共に
刃の下に死すべきに
大和だましいあるものの
死すべきときはいまなるぞ
人に遅れて恥かくな
敵のほろぶるそれまでは
進めや進め諸共に
玉散る剣抜き連れて
死する覚悟ですすむべし
私はこの曲で軍歌に目覚めたのかもしれない、好きな曲である。映画の最後では、ちゃんと外山正一の名前も作曲者のシャルル・ルルーとともに出ていた。明治の日本で大流行した歌だそうである(軍歌と日本人、宝島社、2007)
南北戦争時代のアメリカ留学を果たした外山正一は、東大教授で、西南の役の5年後に「抜刀隊」を発表した、という。
彼はのちに東大総長。彼は家康が将軍になる前から仕えていた旗本の名門出身だという。
武士の誇りのために起きたともいえる西南戦争で、武士の象徴である日本刀が大活躍した、という時代であった。
映画の途中で、8月15日に集まった人々が「海ゆかば」の大合唱をするシーンもおさめられてはいても、常に日本刀と靖国と、サムライ、それに護国精神を外部の目線を通して描きたかったのではないかと、思う。
田原聡一郎氏は、決して反日映画ではない、と何度も書いているが、普段の我々の意識が、知らず知らずに反日精神に漬かっているので、保守主義系の人々が書いた靖国関連を読むと、やはり反日映画かな、そうでないにしても、反日イメージを増幅しかねない舞台装置としての映画なのかもしれない、と思う。
木曜日, 8月 14, 2008
毎年この時季になると、恒例のように第2次世界大戦、特に大東亜戦争(太平洋戦争)関連ものが書籍や新聞や広告媒体などに増える。忙しくて、この時季にあわせようとしたわけではないのに、偶然重なってしまい、このような本を読んで感じたことなどを書くこととなった。なにかの巡り合わせであろうか。
ことのおこりは、何かのきっかけで、日本の外交姿勢がおかしいのではないか、戦前だって対立する意見ぐらいは自由にいえたはず、だが。しかし、あの時代だって、おかしなことがたくさんあって、海軍の米内光政大臣が近衛首相をあおって、あろうことか日中戦争(事変)拡大へ火をつけたり、真珠湾攻撃を時の首相東条英機は、事後にしらされたりと、この国は何かに分断されているような気がする、と発言して風呂に入った。
最後の旧軍人のひとり、である義父は無言を貫いた・・・。彼は、昭和20年8月1日に少尉に任官、半月で失職。それでも公職追放をうけ、郷里の村の教壇を追われた一人である。翌日ふらっと入った店で珍しく日経がおいてあり、その広告をみて、夕べ口走ったことがそのまま掲載されているかのごとき書籍広告に出会い、仰天した。なんたる偶然、なんたるタイミング。いつもは隣の店へはいることにしていて、その日に限って今日はこちらにしてみるか、と入った店であって、いつもの店にはスポーツ紙しかおいていないのであった。
義父も折りに触れて海軍のことにはいろいろ疑問を感じるということは口にしていた。東京裁判では、山本五十六は戦死していて病むをえないにしても、刑死した海軍首脳は一人だにいないはずだ。病死とかはいても。アメリカが待ちに待っていた、日本側からの先制攻撃を、首相不在で独断決行したのはまさに海軍そのもの。チャーチルは、これで(英国の)敗北は無くなった、と胸をなでおろしたとか。米内海相はフリーメーソンの一員と噂されていた、という記事を読んだこともある。
最初、真珠湾攻撃を海軍首脳はこぞって反対していたのに、山本長官がやらせてくれなきゃ、辞職するとまで上層部を脅し決行におよんだくせに、空母の追撃はやめさせ、ハワイの石油タンクも無傷にしたまま、連合艦隊を帰投させた。相手の戦意を阻喪させるという意図であったはずだが!?それで、私は、山本長官は、アメリカのスパイではなかったか!?とだいぶまえから疑うようになってしまった。あまりにもお粗末すぎる作戦であるし、ルーズベルトは、ハワイの提督をだまして、連合艦隊が近づくのを知らぬふりをして、高官たちだけをお茶会にまねき、奇襲の一部始終を秘密部隊の無線中継で聞かせていた、という。そして、ゾルゲもそうだったが、必然を装って殺される、・・・。ゾルゲは、弁護士が控訴期限を「一日間違えて」一審で死刑が確定。ソ連側は、そんな人物は知らない、と回答し続けた。
山本長官は、前から自殺を覚悟していたと噂されるが、ゼロ戦の護衛数を大幅に減らして飛んだ。アメリカは無線解読で探知していた、ことになっている。
アメリカの参戦の仕方はいつも、相手に先に手をださせたことにしてから、料理する、という自作自演型だということは、もう充分にわかってきたことである。イラク戦争の前に起こった一連の出来頃事は・・・!?
http://yhsvtex.blogspot.com/2007/06/blog-post_25.html
でも触れたように、日本を引き返すことのできない運命の分岐点を越すことのできた二人の人物を、日本の外務官僚の一人は、幣原喜重郎と山本五十六をあげた。
幣原は、絶対平和主義的人物で、戦後のアメリカの政策との関連から戦後に評価が高まったこともある。日英同盟の自主的廃棄をはじめ、中国の諸外国排斥運動下でも、列強から誘われても武力行使をさせなかったために、特にイギリスの疑念を招き、裏で日本と中国とはできているのでは?との疑念をだかせ、政策変換。中国へのソフト政策にはげみ、ために、弱腰と思われた日本へ、排外運動のすべてが中国側から日本へ集中し、結局大陸への出兵なくば、邦人保護はできない状況を招いてしまった。幣原の意図で、邦人たちが攻撃されていて、列強は武力行使しているさなか、日本の艦船は揚子江をくだって、「逃亡」したという歴史的事実がある。「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」(中西輝政:PHP新書426)
『日本は何としても、国際的な協調行動をとるべきでした。中国大陸に進出している国々が自国の権益を守る、というのは当時当たり前のことでしたから、イギリス、アメリカが日本に共同出兵しようと言ってきた段階で、日本は一緒に行動すべきでした。』(前掲書)
水曜日, 8月 06, 2008
3度だか4度だか別々と思われるサイトから、~.ZIPファイルをそれぞれ半日ほどかけてダウンロードしたが、どれも似ても似つかぬハッシュ値表示で、こりゃだめだ、と悟った。
それで、さらに~.isoファイルを探して、ダウンロードしたら、こちらは一回ですんなりうまく行った。家のeMachineに期待をこめて焼き付けたDVDからスタートさせてみたが、10.5.0の時とほぼ同一の結果となった。
こうなれば、もう時間の無駄とばかり、適合機種であるDELLのOptiplex GX520でトライ。
するといままで画面いっぱいに羅列された文字群はでず、Darwin/x86を読み込んでいる、という文字だけである。Darwinは、OSXのコアの部分で、一般公開されている。家のeMachineではもういっぽうのコアであるカーネギーメロン大ゆらいのMachを読み込めない、といういような苦情もでていたように思うが、あっさり画面がかわりりんごマークに切り替わった。この時点でうまく行ったと思った。あとで、これはoption表示をOFFにした結果とわかったが。
後はすんなりいくと思ったが、各段階にいろいろとオプションがあって、すんなりいかなかった。なかでも、ウィンドウズフォーマットしたままの外付けHDをアップル用のフォーマットをし忘れ、インストールできないと表示されてしまったことだ。
その時点で、時間切れで一回中断。その時は、もう一回マックにつないで、アップル用にフォーマットしなおせばいい、と軽く考えていたが、そもそもマックなど持っていない人にはインストールできないことになって、不合理だと思い始めた。そこで、その前の段階で、プルダウンメニューから、自分でディスクユーティリティーを起動し、外付けHDをフォーマットできるはずだと、考え直した。
フォーマットはGUIDパーティションにせよ、とネットの掲示板には、DELLの該当機種の項目には書いてあって、通常のHFS+ではだめかと思い出したが、しばらくは分からなかったが、パーティションのオプションの中に見つけることができた。
最初はさらに、インストールオプションのチェックマークすべてをつけてインストールしてしまい、インストールに失敗しました、前に戻って再インストールしてみてください、となった。途中用があって外出してしまい、細かな検討なしに自動進行をもくろんだのが、失敗のもとだったようだ。
オプションは三角マークをクリックするとかなり多数あり、すべてをチェックするという乱暴なものだったので、デフォルトで最低限ついているものだけにし、あとは情報を集めてからということにして、三度目のインストールに挑戦した。
しかし、こんどはインストールの終了まで後2分というところで失敗、前回は1分で失敗したのだが、前回中途半端のインストールされていた部分を削除して再フォーマットしていないことも一因かもしれないと、考えた。先の長い話しである。
Macで、HDの内容を見てみると、システムの一部が解凍されないまま、コピーされたり、アプリフォルダは空だったりと、とても起動できるとうなシステム構成ではないようだ。インストールには2時間はかかるなどと言われたわりには、早いと思ったら案の上だったわけだ。
Macでもういちど内容を消して再トライを期するが、パッチをあてて、・・・などという記述も散見されたり、こうすればうまくいくと言う情報が少なく手探り状態が続く。
日曜日, 8月 03, 2008
家の各パソコンに付属する外付けHDのうち、eMachineのものは、ほとんど気休めのバックアップしか入っておらず、内蔵HDもサブマシンとしては、十分な200GB近く空いているので、この外付けHDをきれいにし、パーティションも開放して、単一ボリュームとし、FAT32だったフォーマットを、ウィンドウズ標準のフォーマットを施す。
コントロールパネル内の管理ツールアイコンをクリックして使用した。はじめて使ったような気がする。クイックフォーマットでも、けっこう時間がかかった。古いタイプ(あまり使用はしていないが)120GB時代のもので、実効スペースは110GB強である。
バイオスで、CDROMを起動優先度を一番に設定して、前回焼き付けたハックしたMacOSXのDVDを入れて立ち上げると、ずらずらとメッセージが数分間流れ、なかなかどうなるか分からない。
しばらくすると、通常のDOSっぽい文字から、ユニックス系の文字なのだろうか、細かい文字に置き換わって、相変わらずどんどん表示が変わる。
いろいろと必要なファイルがみつからない、と言っているのがほとんどで、この段階でまずインストールはむりだろうな、と大体予測をつける。
これは、10.5.0のバージョンで、いろいろと必要なドライバ群がほとんど入っていない、という。
最後に、ディスプレーの素性がわからん、というような苦情も出ている。最初のほうで、ファイアーワイアーがついていない、というような当然の要求も出ていた。もちろん、これは無くても動くはずなのだが。
それで、必要なファイルがないか、HDをくまなくサーチしているようすで、何も入っていない外付けHDもずいぶんアクセス状態が表示されていた。
うまく立ち上がれば、DVDのOSを、外付けHDをアップルフォーマットしてインストールしてくれる筈なのだが、立ち上がらなければ、外付けHDも内蔵HDも、何も変化がない。
そして、とうとう、レパードの標準壁紙状態で、ストップしてしまい、ジ・エンド。
やはり、セ、ノルマル。こんなもんでしょう。そこで、すかさずNEXT STEP。まず、DELL機でほぼ動くと思われる10.5.1のバージョンをダウンロードすることに。
それは、Kalyway_leo_10.5.1_intel_SSE2_SSE3というファイルをネットで探す。SSExというのは、CPUにこの機能がないと、基本的にハックしたMacOSXは動かないとされる機能。
慣れないので、この名前だけで探してしまい、失敗談の羅列や、中国系、ロシア系のサイトに行ってしまい、あわてる。
そこで、この名前にtorrentもスペースで区切り検索すると、ようやく多くのサイトに豊富にこの名前が見つかる場所へ来た。
あとは、雑誌からダウンロードしたファイル共有ソフトが起動できるように、一つのトレントファイルをデスクトップにダウンロードし、共有ソフトを起動すれば、自動的にダウンロードが始まるので、終わるまで待つことになる。この間、メールなどの送受信は可能だが、ネットブラウジングはちょっと苦しくなるので、家にいても、普通のアプリでしかやることはなくなる。光にすれば違うのだろうが・・・。
とはいえ、前回丸一日近くかかったダウンロードは、ファイルサイズが3.51GBと小さい事もあって、なんと12時間かからずに終了してしまった。
今回のファイルは~.ZIPで、解凍したら、肝心のisoファイルに問題がある、と指摘されてしまった。念のため、もう一度解凍操作をしてみたが、結果は変わらす。
だめもとで、ハッシュ値を計算させたら、お話にならないくらいに違う結果がでた。そうなると、ダウンロード元を変えて再度落とさなければなるまい。がっかり。
それで、前回と違う、数ページ後のダヌンロード先を選んでみた。すると、今回も、アップロードされた日付やコメント数はまったく同じだが、シード数が10ほど多いサイト。
さっそくファイル共有で落とし始めると、なぜか、予想終了時間が、約20時間となって、同じサイズでもまるで違うようだ。しかも、前回、詳しくはしらないが、アップロードサイズが小さく、ダウンロードサイズは大きく不思議に思っていたが、今回は、まだ最初の段階で、ほぼ同数の値が表示されている。それで、なんとなくこれでうまく行くだろうと、安心することにした。明日夕以降の首尾や如何に!?。
などと書いて、風呂で汗を流したりして、みたら、もう10%以上進行して、残りはおよそ8時間前後の表示が。明日は雷雨がありそうで、今夜中になんとか完全にダウンロード出来たかどうかがわかる、というのは助かるが、好事魔多し。
金曜日, 8月 01, 2008
THE OSX86 PROJECT とグーグルなどで検索すると、
『A community of users running Mac OS X on x86 hardware.
www.osx86project.org/ - 2k - キャッシュ - 関連ページ
Wiki
Installation Guides
X86 software
HCL 10.4.8/Portables HCL 10.4.8/Desktops
Vmware OSX
FAQ
Incompatible Hardware
osx86project.org からの検索結果 »』
などと表示されて、完全動作および部分動作したパソコンの一覧を検索できる。
ウィンドウズパソコンにMacOSxのハック版のどのバージョンならインストールできたか、が表示される。残念ながら、eMachieのリストには、家のウィンドウズはなかったが、調べられていないだけで、動かない、ということではないらしい。
ただ、DELL機はかなりいろいろと試されていて、Dimension シリーズやOptiplexs シリーズなどは十数機種挙げられている。会社で使っているDELLも10.5.1は動くと出ていた。少しコツがあるらしいが、・・・。
『Optiplex GX520
* Install Method: Kalyway & GUID Partition to avoid b0 error
* Audio works
* LAN works
* Video (GMA950)
* Some minor graphic artifacts.』
Some minor graphic artifacts.とあるように、このマシンはキャドを使用中、一部のグラフィックシンボルが変な表示をすることがあり、不思議に思っていたが、それが、同じかどうか不明だが、OSXでも出るらしい。もっとも、変といっても、鎖線の間隔が縮小されたりで、誤作動ではないのだが、拡大されたりもして、ちょっとドキッとする癖がウィンドウズ上でも出るので、知らない人は、リカバリーだ!などと誤解しやすい。
起動には外付けHDが不可欠で、そこからOSXをbiosをいじって起動順序を変えて立ち上げるようなので、本体に特に影響があるわけでもない。さっそく、10.5.1もダウンロードしておこう。
あと、10.4.Xシリーズもけっこう出回っていて、とても調べられないくらいある。ここでもeMachineしりーずは少数で数機種のみ。そのため、ダウンロードして試すバージョンは6~7ぐらいになりそうで、頭が痛い。
自分ので2、3種試してコツを覚えれば、後は確実なDELLで立ち上げてみて、その使い心地を試したほうが得策のようだ。ただ、そうすると、外付けHDが二台あったほうがいい、ということにもなりかねず、その点も頭いや懐が痛いところだ。
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