日曜日, 8月 31, 2008

戦争経験のまったくない人たちや、いわゆる東京裁判史観の徹底教育を受けた世代の人々にもぜひ読んでほしい待望の書が、絶好の時機に出た。

この本は戦後50年経ってもアジア諸国に謝り続ける政府の卑屈に思える・・・通説として伝えられていることや、一部の報道、論説がいかに根拠に乏しく偏っているかも、実例で説明されている。

旧陸海軍と現在の官僚組織とに共通する問題点や、日本人が戦略思考に乏しいことなど、本書は示唆につきない・・・・。表紙カバー裏に記されている、富士通会長(当時)の山本氏の推薦文の一部である。

「人間はなぜ戦争するのか」 日下公人著、クレスト社、1996

を改めて読んでみた。

第2章 戦争常識の非常識

中に、米軍ではなく陸軍と戦争した山本五十六
とある。「海軍の失敗」で指摘されたこととほぼ同一であるが、今から12年前に読んだ衝撃は想像以上であったが、たぶん本当だったのだろうと思った。

スターリンの五カ年計画の成果に刺激され、国家総動員体制が日本でも実行された。
それによって軍事予算の獲得に成功すると、次は配分争いである。国家の総合戦力を高める、というのはすぐに二の次となった。国益よりは省益、目の敵は海軍省というわけだ。「陸海同額」という協定だった。国民からの憎まれ役はいつも陸軍だという状況から、陸軍と海軍はいつもせめぎ合いを続けていた、とある。

一つの例に、山本五十六をあげよう。海軍次官にもなるが、戦争が始まってからも政治にコミットしている。どうやら、陸軍に勝つことを主目的にして作戦を考えていたらしい、とある。

当時の日本国民が快哉をを叫んだ昭和17年10月のガダルカナル島艦砲射撃はその一つである。
ミッドウェー海戦での大敗四ヶ月後、守勢に回った頃のことである。

このガ島への艦砲射撃は、「ガダルカナルは海軍のヘマから始まった戦いなのに、海軍は何もしないのか」と陸軍に突き上げられて決定された作戦だった。

そこで、戦艦二隻が夜中に沖合から突入し、918発の砲弾を打ち込んだ。ガダルカナルの飛行場は火の海になったと発表された。

ところがこれでガダルカナル島の飛行場は全壊したかと思いきや、何も変わらない。これは山本五十六の自作自演のスタンドプレーだった。まったく役にたたないは彼にもわかっていたにもかかわらず、戦争の「やったふり」をしたのである。

ガダルカナル島を攻撃した金剛・榛名の主砲は36センチで八門。一弾の徹甲弾の場合673キロという。それを一分おきに何度も何度も撃つのだから、たしかに威力がある。しかし、それはあくまでも総論だそうだ。

九一式徹甲弾は、厚さが30センチもある鉄板に向かって撃つ弾で、そのため弾全体が鉄の固まりで、炸薬量が非常にすくない。貫通力が重要視されていたので、信管は、遅発鈍感信管であった。厚い防弾鉄板をぶち抜いてから敵の艦内で爆発するように、そう簡単には爆発しない砲弾だから、空母が相手では防弾鉄板が薄く爆発せずに艦の反対側に抜けた例があるくらい、だそうである。

これを地上に撃った。日下氏もみずから行って見たそうであるが、砂と土が堆積する扇状地だそうで、けっきょく土にもぐりこんだ不発弾だらけとなった。撃ち込んだ625発中の60%が不発弾になった、という。

・・・外に二種類のちがう弾も使ったそうだが、畑に花火と石をぶち込んだのと一緒だった。
(山本昌雄編著、葵陽一イラスト『山本五十六提督 虚構の戦艦砲撃』戦史刊行会発行、星雲社発売による、とある。)

要するに、山本五十六は本気で戦争をしていない。陸軍と戦争している、とある。
また、一ヶ月ぐらいすると、「海軍は何をしている」といわれる。

そこで、山本五十六はもう1回やれと指令する。彼は効果はないことを知っている。部下も大反対している。それでも中止にはしない。

天皇陛下のところに第2回をやりますと報告すると、同じことを二度して大丈夫かと聞かれるが、大丈夫です、と答えるところは無責任である。

はたして大丈夫ではなく、敵は待ちかまえているから、たちまち発見され戦艦が一隻沈んでしまった。行かされた戦艦の乗組員の見になってみろといいたい。山本のスタンドプレーのために出されて戦死したのである。ところがそういうことを海軍の軍人はいまだにヒタ隠しにしている。山本五十六をかばい、自分たち全部をかばっている。・・・と。さらにいろいろ書かれているが、割愛する。


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なかのひと

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