木曜日, 8月 14, 2008





毎年この時季になると、恒例のように第2次世界大戦、特に大東亜戦争(太平洋戦争)関連ものが書籍や新聞や広告媒体などに増える。忙しくて、この時季にあわせようとしたわけではないのに、偶然重なってしまい、このような本を読んで感じたことなどを書くこととなった。なにかの巡り合わせであろうか。

ことのおこりは、何かのきっかけで、日本の外交姿勢がおかしいのではないか、戦前だって対立する意見ぐらいは自由にいえたはず、だが。しかし、あの時代だって、おかしなことがたくさんあって、海軍の米内光政大臣が近衛首相をあおって、あろうことか日中戦争(事変)拡大へ火をつけたり、真珠湾攻撃を時の首相東条英機は、事後にしらされたりと、この国は何かに分断されているような気がする、と発言して風呂に入った。
最後の旧軍人のひとり、である義父は無言を貫いた・・・。彼は、昭和20年8月1日に少尉に任官、半月で失職。それでも公職追放をうけ、郷里の村の教壇を追われた一人である。翌日ふらっと入った店で珍しく日経がおいてあり、その広告をみて、夕べ口走ったことがそのまま掲載されているかのごとき書籍広告に出会い、仰天した。なんたる偶然、なんたるタイミング。いつもは隣の店へはいることにしていて、その日に限って今日はこちらにしてみるか、と入った店であって、いつもの店にはスポーツ紙しかおいていないのであった。

義父も折りに触れて海軍のことにはいろいろ疑問を感じるということは口にしていた。東京裁判では、山本五十六は戦死していて病むをえないにしても、刑死した海軍首脳は一人だにいないはずだ。病死とかはいても。アメリカが待ちに待っていた、日本側からの先制攻撃を、首相不在で独断決行したのはまさに海軍そのもの。チャーチルは、これで(英国の)敗北は無くなった、と胸をなでおろしたとか。米内海相はフリーメーソンの一員と噂されていた、という記事を読んだこともある。

最初、真珠湾攻撃を海軍首脳はこぞって反対していたのに、山本長官がやらせてくれなきゃ、辞職するとまで上層部を脅し決行におよんだくせに、空母の追撃はやめさせ、ハワイの石油タンクも無傷にしたまま、連合艦隊を帰投させた。相手の戦意を阻喪させるという意図であったはずだが!?それで、私は、山本長官は、アメリカのスパイではなかったか!?とだいぶまえから疑うようになってしまった。あまりにもお粗末すぎる作戦であるし、ルーズベルトは、ハワイの提督をだまして、連合艦隊が近づくのを知らぬふりをして、高官たちだけをお茶会にまねき、奇襲の一部始終を秘密部隊の無線中継で聞かせていた、という。そして、ゾルゲもそうだったが、必然を装って殺される、・・・。ゾルゲは、弁護士が控訴期限を「一日間違えて」一審で死刑が確定。ソ連側は、そんな人物は知らない、と回答し続けた。
山本長官は、前から自殺を覚悟していたと噂されるが、ゼロ戦の護衛数を大幅に減らして飛んだ。アメリカは無線解読で探知していた、ことになっている。

アメリカの参戦の仕方はいつも、相手に先に手をださせたことにしてから、料理する、という自作自演型だということは、もう充分にわかってきたことである。イラク戦争の前に起こった一連の出来頃事は・・・!?

http://yhsvtex.blogspot.com/2007/06/blog-post_25.html



でも触れたように、日本を引き返すことのできない運命の分岐点を越すことのできた二人の人物を、日本の外務官僚の一人は、幣原喜重郎と山本五十六をあげた。

幣原は、絶対平和主義的人物で、戦後のアメリカの政策との関連から戦後に評価が高まったこともある。日英同盟の自主的廃棄をはじめ、中国の諸外国排斥運動下でも、列強から誘われても武力行使をさせなかったために、特にイギリスの疑念を招き、裏で日本と中国とはできているのでは?との疑念をだかせ、政策変換。中国へのソフト政策にはげみ、ために、弱腰と思われた日本へ、排外運動のすべてが中国側から日本へ集中し、結局大陸への出兵なくば、邦人保護はできない状況を招いてしまった。幣原の意図で、邦人たちが攻撃されていて、列強は武力行使しているさなか、日本の艦船は揚子江をくだって、「逃亡」したという歴史的事実がある。「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」(中西輝政:PHP新書426)

『日本は何としても、国際的な協調行動をとるべきでした。中国大陸に進出している国々が自国の権益を守る、というのは当時当たり前のことでしたから、イギリス、アメリカが日本に共同出兵しようと言ってきた段階で、日本は一緒に行動すべきでした。』(前掲書)







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