土曜日, 10月 04, 2008

UP (University Press:東京大学出版会の出版案内用冊子)の2008年10月号を見ていたら、No.94の生物学のアンサング・ヒーローたちという福岡伸一氏のシリーズで、ダーク・レディというのがあった。

生命科学の分野での、過去最大の発見は、ワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造の解明である(1953)、ではじまる。

そして、1968年に出た発見にいたるまでの内幕を描いた『二重らせん』は科学読み物として大ベストセラーとなった、という。かくいう私も、遅まきながら読むべき本として不承不承、買って読んだが、後味がよくないので、今はどこにあるかわからない。

そして、多くの読者が気づかなかった事実がある。内容が『フェア』ではない、というのである。著者ワトソンだけが無邪気で天衣無縫、傍若無人な天才という安全地帯にいて、他の登場人物は彩りを添えるため、戯画化されすぎていた。後味がわるい、というのはそういうことである。

共同研究者の一人である、あえていうとユダヤ人女性ロザリンド・フランクリン嬢は気位が高く、時に(かなり)ヒステリックで自分のデータの重要性にも気づかなかった
独身女性研究者(ダーク・レディ)として描かれているが、彼女はそれに気づかなかったわけではない、というのである。

DNAは二重らせんにちがいないという結論への飛躍を、つまり『演繹』の”誘惑”を自らに禁じて『帰納的』アプローチに徹していたのだ、という。

同僚たちがノーベル賞に輝いたことを知らぬまま、ガンでこの世を去った彼女のために、二重らせんは、ワトソン・クリック・フランクリンのモデルと呼ばれるべきである、と結んでいる。

桜井邦朋氏の、科学史の中の女性たち、という某雑誌に掲載されたシリーズでも、イギリスの若い女性研究者の功績(地味な大量の写真データを肉眼でスキャン)がなければ、ノーベル賞の糸口にならなかったとして、受賞後、名前が加えられた例を紹介していた。

今手許に届いている、『日本人の思考作法』(時には論理的に考えよう)大野侚郎(としろう)、日科技連、2001を開いて、端的な演繹法、帰納法の解説を読むと、面白い。

ここでの多様な説明がなされているが、特に私の趣味にあった、帰納法の説明として、
『因果推論は、帰納推論であり、状況や関係者に相対的であり、中数の法則が支配する世界の話である』とか出ていて、間違えやすい帰納推論、演繹推論、確率的統計推論の話をまとめておこうというページもある。

演繹推論には、二つの隠された前提がある、という。

1)結論にいたる前提は真
2)前提から結論にいたる過程が妥当
この世界はごくごく狭い世界である。真偽を問える世界である、という。

AならばBである。Aが成り立つ。よってBである。(前件肯定)
AならばBである。Bではない。よってAではない。(後件肯定)
AならばBである。Aでない。よってBでない。(前件否定の錯誤)
AならばBである。Bである。よってAである。(後件肯定の錯誤)

正しいのは上の最初のふたつだけである、としている。このあたりは、高校数学でたしか高二あたりで習った。先生の口調が思い出される。

さて、問題の帰納推論。

1を聞いて10わかったつもりになり、2から9(?)(のいくつか)を間違ってしまうような推論を、帰納的推論という、とある。

例1
韓国の柳先生は礼儀正しかった。
韓国の金先生もれ議正しかった。
よって韓国人は皆礼儀ただしいのだ。

演繹推論ではこうなる。
例2
すべての韓国人は礼儀正しい。
朴さんは韓国人である。
よって朴さんは礼儀正しい。

帰納推論の一種で仮説的推論(abduction)というのもある、という。
例3
すべての韓国人は礼儀正しい。
スベンソンさんは礼儀正しい。
よって、スベンソンさんは、韓国人ではないか?

例1も例3も前提が含意する以上のことを結論づけている、と指摘。

そして、帰納的推論の善し悪しを判断するばあい、普通に強調される3条件として以下の3つをあげているが、解説が長いので、条件だけあげる。

1)前提の容認可能性
2)前提と結論の妥当な関連性
3)結論のための十分な根拠

とあり、条件が多いし、限界がはっきりしない。先ほどの真偽が問える演繹法とはかなり趣がちがうのである。

他に確率的統計推論があるというが、割愛する。

帰納的推論に関する誤った議論として、身近ないくつかをあげている。

人身攻撃法 「アインシュタインはユダヤ人だ・・・」
先回り論法 「賛成しないと右翼(左翼)になるが・・・」
二者択一強制論法「アカかアカでないか、どちらかだ・・・」
・・・・・・・
転嫁論法 「UFOがいないとは、証明できまい・・・」
等々。

今回のアメリカの共謀罪、日本の同名の共謀罪とかなり中身が違うので、私は、春先からこれだけは通るはずと社内で広言してきた。Van Shicklen判事の判断も、けっきょく周囲の策動がいろいろあって遅れたが、そうなった。
http://news.yahoo.com/nphotos/slideshow/photo//080926/480/666bf80da7394f55ac741c1b76f3c5ac/

どういう裁判結果になるにしろ、私は、子供が産まれたときから、M氏が犯行の中心人物と信じ込まされてきた一人なのかもしれない。当時の報道は各局とも凄かった。保育園へつれていく時間がくるまで、テレビはこの事件一色だったような気がする。あと白石千鶴子さん事件の各種証言報道も連日続いた。禍福はあざなえる縄のごとしとか。人生万事塞翁が馬という、中国の故事は、永久に不滅です。昨日開いた埼玉新聞にも、自民党が、選挙のための、勝利の方程式見いだせず、というようなことが書いてあったが、恒等式よりは言い得て妙、と改めて思った。ちなみに、昨日再び
http://www.0823.org/
を見たら、すでに4500万回以上、訪問回数がカウントしてあった。裁判費用などはどうされているかも気になるところである。有能な弁護士がうまく審理を運んで、釈放になったとしても、冤罪であったとは、どういう方が口にするか気になる。

この場合の例えとしては適当ではいが、論文でも決定的な証拠がないとき、I believe that~
と書くと、あちらの世界では尊敬されるらしいが、日本では、このアホ!となりかねない。精神の土壌基盤がかなりちがう。アメリカでも、日本のO.J. シンプソン扱いの記事は出ていた。


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なかのひと

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