以前にも何度も書いているように、司馬氏の小説は友人の下宿で手にとって数ページ読んだだけで、以後一冊の本も読まないし、買わない。面白いかも知れないが、時間をかけて読むほどのものかと、直後に内省したような記憶がある。
しかるに、いろいろな人が司馬氏を褒めたりしている。そんなものか?と思っている。大江氏がノーベル文学賞を(アメリカの口利きで!?)もらったからといって、これも読まない。
歴史に関心はあるが、半藤氏や保坂氏の昭和史に関する書も読まない。テレビで見聞きした限り、日本史の専門家という気がしないし、かなり狭く戦前を捉えて臆するところがない態度が大変見苦しく内心感じていた。どうもいけない、といつも危ぶんで眺めている状態である。
ところで、他の人は例えば半藤氏をどう見ておられるのか気になり少し覗いてみた。あまり悪口はないようで、変だな!?私がおかしいのかなどと思っていると、ありました。
『宮崎正弘の国際ニュース・早読み』というところに。
日本保守主義研究会などにも講師として出られることもある、また中国問題ウオッチャーでもかなり信頼に足ると思う視点での分析には、いつも胸のすく思いがする御仁のサイトである。そこで以下の本を紹介していた。
渡部昇一、松浦光修、八木秀次『日本を虐げる人々』(PHP研究所)
『 シリーズ四作目にあたる本書。こんかいのゲストは松浦光修氏(皇學館大學教授)。
鼎談が書物になっても、冗漫な中味のものや、殆どすれ違いの議論が多いなかで、このシリーズは稀なほど緻密、鼎談者それぞれの息も合っている。
それは歴史認識が同じだからであろう。
とくに欺瞞、虚偽の歴史をつづって国民をまどわす輩を実名入りで次々と俎上にのせているが、冒頭が半藤一利、保坂正康のコンビ。つまりこの二人の“文春文化人”は「大東亜戦争」をサヨク的にぶったぎって平然としていたニセ歴史家の司馬遼太郎史観を受け継いで、いまも日本に害毒を垂れ流している。
生前、三島由紀夫は司馬の「乱世史観」を偽物と断言していた。』
http://www.melma.com/backnumber_45206_3194570/
『つぎに高橋哲也とかの哲学者が出鱈目な観念論を弄んだ「靖国」という書物をひねりつぶし、大江健三郎、二階俊博、加藤紘一、後藤田正晴、さらには官僚批判となって栗山尚二元駐米大使、田中均、野田英二郎、浅井基文の各氏が木っ端微塵に誌上で粉砕されている。
これらの政治家、官僚が日本の名誉をいかに傷つけた犯罪者のごとき存在であるか、よくよく了解できる。
特筆するべきは本書では、従来「保守」と思われていた人達の左翼化も鋭角的にとりあげて問題視しており、とくに女帝容認を急に説き始めた田中卓、所功、高森明勅の「三T」に容赦なき批判の矛先が向かう。』などとある。
『松浦氏いわく。(サヨクの敗北史観を批判したあとで)「このような歴史観をひっくるめて、拙著『夜の神々』のなかで“負けて良かった史観”と名付けた」。
対して八木氏は、保坂、半藤の歴史観を「ネオ東京裁判史観」と呼んでいる。ついでに言えば八木氏は女帝容認で暴走したサヨクのあつまり「有識者会議」を「平成の弓削の道鏡」と銘々している。(わかりやすいなぁ)。』とは、宮崎氏の弁である。
昨日紹介した「坂の上の雲」に隠された歴史の真実にも、ノモンハン事件の誤ったイメージが日本人の心に形成される端緒となったのが、五味川純平の小説『ノモンハン』である。この小説は昭和48年に『週間文春』に連載が始まり2年間続いた後、昭和50年に文芸春秋から単行本として出版された、とある。エ〜ッ、!?文藝春秋社かよ〜、やはり副島氏が指摘したように
、??がたくさんつく会社である。
それ以来、私は、「疑惑の銃弾」さえも、週間文春から始まったことを思うと、アメリカから何らかの情報提供を受けて始めたキャンペーンではなかったか?と疑うようになってしまった。杞憂であれば幸いであるが、・・・・・・・・。
この五味川の見解をそのまま踏襲して『ノモンハンの夏』というベストセラー小説を書いたのが作家の半藤一利氏である。この作品は平成10年に文藝春秋から出版されるやいなや大評判となり、初版からわずか1年半の間に23刷を重ねるという驚異的な売り上げを記録した。山本七平賞を受賞したことによって、『ノモンハンの夏』の評価はさらに高まり、ノモンハン事件を昭和陸軍性悪説とみなす考え方の決定版となったかのように思えた、などとある。
ところが皮肉なことに、『ノモンハンの夏』が出る前後からであろうか、ソ連崩壊後の情報公開により、門外不出の秘密事項とされてきた極秘文書が、公文書として次々と公開発表されるようになった。その結果、五味川や半藤氏の唱える「ソ連の進んだ機械化部隊のために、日本軍が大敗した」という解釈は事実とまったく逆であり、実際のノモンハン事件は日本軍の大勝利であったことが明らかになり始めたのである、としている。
また、五味川・半藤両氏が主張した「ソ連軍の進んだ機械化部隊」などというのも史実に反する。当時ノモンハンに投入されたソ連軍の戦車は走行射撃も不確かな低レベルにあり、戦車戦では日本軍戦車に太刀打ちできなかった。事実ソ連の戦車は、日本軍の極めて高性能の速射砲・高射砲の標的となり800両が破壊されていた。日本側の戦車の損害は29両である。空中戦でもソ連の戦闘機は低性能(中には布はり機もあった、イー153チャイカやイ16など)で、日本機に比べて全く相手にならなかった。撃墜されたソ連軍機(破壊も含むと思う)1673機に対して、日本軍機は1/10の179機という事実がそれを裏付けている、と福井氏は書いている。中には歩兵に撃墜された機体もあった、という。
五味川の主張する「ノモンハン戦が失敗したのは、作戦指導の中枢神経となった辻正信と服部卓四郎のせいで・・・この二人が諸悪の根源であり、・・・その後の太平洋(大東亜)戦争においても作戦を指導した。その結果、・・・・日本の敗戦という、ノモンハン戦失敗などとは比較にならぬほどの悲劇を生んだ」という意見は、ほぼそのまま半藤氏の『ノモンハンの夏』に受け継がれている、という。
司馬氏と半藤氏とは肝胆相照らす仲であり、互いの作品をもっともよく理解しあい、評議しあっていた友人同士と聞く。司馬が果たしえなかった最後の夢を、半藤氏が代わってかなえたのであろうか、などと書いてある。
やはり、私が感じたとおり、半藤氏は司馬商店の筆頭番頭だったわけだ。しかも、作る会のメンバーたち一派(私もそれに近いかもしれないが)からは、『大東亜戦争を左翼的にぶったぎって平然としていたニセ歴史家の司馬史観を受け継いで、いまも日本に害悪を垂れ流してる』存在だと、いうことなんだろうな。
とここまで書いて、ようやく私は、大江氏のタネ本となった、鉄の暴風とかいう作品、沖縄タイムスが朝日に持ち込んだとき朝日は相手にしなかったが、1週間後にGHQの働きかけで、堂々と出すことが決まった、という話とおなじ背景が、ここにもあるのだな、と思う。まさに武器無き占領は続行中なわけだ。
金曜日, 10月 31, 2008
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿