日曜日, 11月 23, 2008


卒業旅行でインドを旅した家族のアルバム中にあったバイクのショット。イギリス領だっただけけあって、おそらく英国車の系譜が歴然とした一台。イタリア系らしきスクーターやホンダの二輪もあるにはあるが。インド映画に登場するバイクなどもこの英国系のタイプの出番が多い感じがする。

かって、フランス映画「カトマンズの恋人」では、ルノ・ベルレーが恋人ジェーン・バーキンズを乗せて、爆音高く街中を飛ばすシーンも印相的に思い出すが、それはホンダの125ccのベンリーでフランス映画だけに少々拍子抜けした感じが残っている。ただ、排気音は日本で聞くよりかん高く、いい音に聞こえた。公開年が1969年というから、レイモンド・ラブロックのガラスの部屋と同年だ。ガラスの部屋は、しかし後年テレビ公開かなにかで見たような記憶が。・・・

団塊の世代より数年から10年ほど早く、多くの日本の若者が海外にバイクと共に飛び出していった時代があった。指揮者の小澤征爾氏もその先駆け的存在だったかもしれない。
小澤氏は、国産の125ccスクーターでユーラシア経由でヨーロッパに渡り、たしかパリかどこかのコンテストで優勝したのではなかったか!?。

『小澤は1959年、単身で音楽修行のためヨーロッパに出発。学費捻出のため、知り合いに無心のお願いをして回ったが、ようやく話のついたのが富士重工。同社の新型スクーター、ラビットジュニア125ccを借りて現地へもってゆき宣伝して(乗って)まわることとの取引であった。「日本国籍の明示」「音楽家であることを示す」「事故をおこさない」の3条件を提示されたため、白いヘルメットにギター、日の丸といういでたちになった。右翼ではない。made in Japan をヨーロッパに売り込み、貿易立国の一翼を担ったのだ。』と紹介されている。
http://www.jiyu.co.jp/GN/cdv/backnumber/200208/topics03/topic03_06.html

その後、バイク雑誌などでも主としてヤマハの250ccバイクを中心に海外を回るレポートも何編か掲載されて、当時熱心によみ、夢を膨らませたりした。ヤマハの250ccでは、フレームが折れたり、13万キロ程走破して、最初の部品で残ったのは、クランクケースぐらいだったとも話にあったような気がする。整流器が故障し、バッテリー液が沸騰し、ランプやウィンカー、ブレーキランプを全部付けて、修理工場まで走ったなんて、トラブルもあったらしい。最初はやはりホンダ車、中でもCB72系だったようだが。ユーラシア大陸を女一人が走っていると、いろいろなバイクがスピード競争を挑んできたが、勝ったバイクはいなかった、とも。新婚旅行に北米をMACH IIIで、タンデムツーリングした大迫氏の体験記も数回掲載され、時代が250からより大きなバイクに移行しつつあることを感じた。

私とほぼ同世代のツーリストとしては加曽利 隆氏だ。
http://archive.mag2.com/0000037317/index.html
私も昔愛用したスズキの250のオフロード仕様車で、もう一人の友人とふたりでアフリカを回ったことから、氏のバイクとのつきあいが始まる。

今、改めてみると、これはこれで大変なつきあいだったんだろうな〜と考え込んでしまう。さすがに同年代ともなると、比較的関心が薄くなっている。日本車が世界で十分に通用する、という事実が当時の私には眩しかった。

今、世界的不興で、国産車の輸出も一時的に陰りを見せているが、また、相変わらず、日本人はいまだにドイツ車信仰があるかのように見られるが、もう事実上の世界一といっても過言ではないだろう。韓国などまだまだ真似できないだろう。トヨタ一社の研究開発費だけで、たしか韓国全体の研究開発費レベル(1兆3000億円、長谷川慶太郎、「米金融危機は日本にとって千載一遇のチャンスだ」WILL 12月号)ではなかったか?。

今日、初めて、ビッグ1の1300と競争する機会を得た。突っ切れば突っ切れる位置であったが急停車した。すると右から右折で来たバイクがしきりにこちらを意識するかのような動作をして先に行った。400かなとおもって、発進していき、次の信号でならぶとフィンなしの1300だった。吹かすと、大きな音がする改造マフラーのようであった。

その気はなかったが、新アースコードをダブルでつけて、静かに走っていたが、マフラーからのノイズに誘われ、こちらもフル加速をしてしまった。以前から、マイクロロンなどで処理しておけば、高回転型の初代ビッグ1は、現行1300といい勝負をするだろうと予測はしていたが、マイクロロンがモータロイもどきに変わっただけだ。

結果は、十分についていけて楽しかった。音もしずかで、こちらはレッド近くまで回すが、緊迫感はない。もちろん相手はせいぜい6000回転ぐらいだったろうと思う。こちらは400であるかのように回せるので、回していればけっこう早い。やはりマイクロロンなどよりよさそうだと感じたが、基本的に、爆発火花特性が主で、潤滑系はその次という印象が現在の正直なところ。今のところ、アイドリングに毛の生えた程度のアクセル開度で、気持ちよくエンジンが吹けている感じで、そこからのつながりもストレス無く気持ちよい。変えたのは、アースコードだけ。それで、これだけフィーリングが変わることにビックリしている。今が、発売当時のままの素直な火花の実力だったのではないか!?という気がしている。

最後に相手が猛烈に加速したが、やがて、スピードを落として左折。だいたい、曲がる前の直前に、透かしっぺよろしくあおって走るタイプが割と多い気がする。その後、マイエンジンも音といい、加速といい、さらに調子がよくなった感じで、アースコードを念入りに作ったものに換えたことは、今回は失敗ではなかったようだ。すると、いままでの取り付けは、いったい何だったのだという思いもあるが、いろいろ試行錯誤した結果の改良結果の満足感もある。


なかのひと

2 件のコメント:

sho さんのコメント...

Natureさん、こんばんは~♪

秋も深まり、だんだん寒くなってきましたね~。
この週末は幸い秋晴れのいい天気ですね。明日は崩れそうなので、土日のうちに楽しんできました。
昨日の土曜日は御殿場まで高速で行き、箱根の山や道志みちのワィンディングを楽しんできました。
先週末は全く跨れなかったので2週間ぶりでしたが、エンジンはセル一発で目覚めてくれたのでひと安心でした。

アースコードの交換でエンジンの調子が劇的に変化したようですね。ちょっとしたハンダの違いなのでしょうが、電流の流れひとつでライトの明るさにまで影響があるとは驚きです。
モータロイもどきの効果とも相まって、燃費向上にもつながることを祈念しています。

nature さんのコメント...

こんばんわ、コメントありがとうございます。

ガソリン価格がどんどん下り、4月の一時的に失効したガソリン税の下落時よりさらに下りましたね。いま、この辺では、みな115円前後まで来ました。

以前ほど頻繁に給油していませんので、あまり実感はわきませんが、こんかいあまりに急なエンジンの変化で戸惑っています。

以前、マフラーのせいで燃費が悪いと考えたこともありました。アクセル開度が少ない時のレスポンスが悪い理由として想像したのですが、その想像は別の理由で裏付けられました。

いままで、良くなったと思った原因は皆たいてい見当違いだったのではと恥ずかしくさえありますが、やっと3000キロあたり、もうあまり燃費云々は辞めたくなりました。

始動性は最初から悪くなく、電装系は大丈夫だと思っていたのですが、マフラー内にカーボンが溜まりやすいこと、sho様のプラグ写真とくらべて余りにも黒ずんだ火花の悪そうな写真の示す通りの状態だったわけで、体感で感じたことだけがどうやら正しかったのか、と考えていますが、検証もまた大事。燃費を計るのが、実は不安です。