Column of the History
82.日本は「中国侵略」等していない!! (2000.11.22)
というコラムを見つけた。日付を見ると前世紀の話である。
『昭和12(1937)年7月7日の「廬溝橋事件」から、昭和20年8月15日の終戦迄、実に8年間の長期にわたって続いた「日中戦争」(支那事変・日華事変)。この「日中戦争」を、支那は日本軍国主義による「中国侵略」だと主張し、日本の歴代政権に対して、繰り返し「過去の戦争責任」の追求と、「正しい歴史認識」の強要をしてきました。しかし、・・・・』
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/chugoku_shinryaku.html
侵略ということばの定義は、一時小室直樹博士の著作で、侵略したとされる側が、侵略だと思えば侵略、そうでなければ自衛というか、侵攻といったようなコメントを読んだ記憶がある。
ウィキペディアでは、こういう定義っぽい記述があるが、さすがに、具体例は皆無である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/侵略
『侵略(しんりゃく、aggression)は、ある国家・武装勢力が別の国家・武装勢力に対して、自衛ではなく、一方的にその主権・領土や独立を侵すこと。攻撃して攻め入る侵攻(invasion)と異なり、相手の主権・政治的独立を奪う行為のことである。また、そのために武力を行使して争うことを侵略戦争と言う。1974年12月14日の国連総会決議3314により現代国際法上の侵略の定義が初めて定まった。しかしながら、国連総会で侵略の定義についての一応の合意があったことは事実ではあるが、なお、その解釈や有効性については争いがあり、国際法学者の中でも、侵略の定義について過大な期待は禁物であるとする見解がある。
なお一般的には、たとえ主権・領土・独立を侵したとしても、その国の危険な政策を改めるためになされる場合は、それが一時的であり、相手に発言の機会を与え、目的の達成後に独立させるときに限り侵略とはみなされない。』
宮崎正弘の国際ニュース・早読み
http://www.melma.com/backnumber_45206_4291552/
では、読者の声4で、『侵出の大規模なものは侵攻とすれば、侵出も侵攻も、同じ感じで使えますし、すっきりします」』という前日の読者投稿への反論として、
『挑発された結果、つまり自衛目的の侵出か、自発的な侵攻かの区別は国際法上明確です。より厳密にいえば、「曖昧さの程度」が明確です。
自衛か自衛でないかは、「autointepretation」によるとされています。』と反論し、さらに『外交上、国際法上「autointepretation」の意味は、「自身」(self)が「(条約上定義がはっきりしないことに対して)当該国が自衛か自衛でないかを判断すること」つまり、自衛目的の侵出か、攻撃目的の侵出かは当該国の判断によるというものです。
ただし明らかに事前に準備して、武力を持って境界線を越えて軍事行動を行なった場合、たとえばノモンハン事件におけるモンゴル軍・ソ連軍連合軍が行なったのは侵攻でした・・・』と指摘している。
そのノモンハン事件であるが、最近でも、半藤氏でなくと、氏同様の「誤解」がまかり通っていて、「戦後文化」の洗脳が色濃く残っていると、思わざるを得ない。
右翼人の定義はいろいろあるだろうが、数学の分野で金字塔を達成し、吉川英治氏らと文化勲章を受けた岡潔博士も、一時最古参としてある書には名前があった。二十年近く前の話であるが。戦後、こうした時代を予告するがの如く、敗戦の影響で日本人が自己喪失して「茫然自失」している状況をなんとかしないと、という思いであったのだろう、この茫然自失から抜け出すためには何よりも自覚が大事と説かれていた。あの『自覚』の意味を問うて多くの時間が流れたが、未だにその「自覚」に到達した、という思いはない。そして、日本が再びその覚醒に至るには、一世紀を要しようという予測を中国の賢人がしている、と指摘していた。
ところで、岡潔博士のいう自覚とは、純粋日本人ということらしい。
『パリへ行って、日本にあってここにない何か非常に大切なもののあることを覺り、(それが「情」であることはすぐにわかったが、それが日本人にどう入っているか見ようとして)日本人(原型の)日本人はどんな人か見ようとした。始めはそれを芭蕉翁に求め、ここでいわば鉛筆で素描し、墨を入れるために、十数年道元禅師(村上天皇7代の孫)を「正法眼蔵」(上・中・下、岩波文庫)に追い求め、遂に「生死去来」の四字に追いつめ、これに思いを凝らして彼に会い、日本人の原型を見ると共に自分もそうであることを知った。これが彼の自覚である。「日本の心」(岡潔、講談社、1968)、となっていて、当時思った「自覚」とは微妙にずれて私の理解は限定的かもしれない。
三河島事件での項(「春宵十話」1963、毎日新聞社)で、これは教育問題なのに誰もそれを指摘しないが、教育問題としか思えない、としている。(「三河島惨事と教育」113〜114)
尼崎事故事故最終報告にも、日勤教育などの問題が指摘されていたようだが、岡博士の指摘は学校教育の現場である。
『いま、たいていの中学、高校では答案が合っているかどうか生徒にはわからない。先生が合っているといえば合っているいうだけで、できた場合もできなかった場合もぼうっとしている。本当は答えが合うことよりも、自分で合っていると認めることのほうが大切なのに、それがわかっていない。こんなのが大きくなったら大事故が起こるのは当たり前だと思う。惨事があればそんな教育であることが連想され、また教育をみればすぐ惨事が連想される。』
『マックアーサーは日本人の精神年齢は12歳だといったが、それは理性の発育だけを見たからで、本当は15歳程度だと思う。人でいえば生涯の動向を決める時期と言える。ところがあのころ、進駐軍によってやらされたかのかどうかは知らないが、アメリカのやり方をまね、今もそのままやっている。あらゆるものが、みな改悪だと言ってよい。・・・』などとある。
この写真は、アメリカ建国史を概説した『We Americans』に載っていた初期の算術書の一例で、当時から多色刷りであり、こうした伝統が引き継がれて戦後教育になったのであろうか?
側頭葉、前頭葉の区別の是非などは、通常かなり分かりにくく、相当選ばれた人でないと理解不能かもしれないが。また、図版の最後、イチゴ9個を3等分する図では、9÷3となるべきと思うが、9-3と印刷されている。
さらに、数学教育について、明確に述べている部分があって、岡博士お得意の、大脳前頭葉問題が出てくる。
『その一つは、水道方式というものについてである。わたしは「算数に強くなる」(毎日新聞社出版)をていねいに通読したが、水道方式は大脳側頭葉しか使わず(この場合は衝動的判断しかできず)、大脳前頭葉を使おうとしても使う余地がない。だから水道方式による数の計算は数学ではない』というもの。
『いま一つは、小学校一年の算数の教科書である。これは一口にいうと、色を使って算数を教えている。しかし、色を識別するためには、大脳側頭葉を使うほかはないのだから、大脳側頭葉で判断する癖をつけてしまう。私の聞いたところによると、アメリカの南部に黒人のみを教えている小学校があるが、これはそこで教科書として使っているものを、進駐軍のすすめで文部省が取り入れたのだということである。・・・そうするとインスピレーション型の発見のみが可能になるが、解析学においてはともかく、代数学でこれのできる人は数が非常に減ってしまう。この一年の教科書は、ぜひ廃止してほしいものである。』とあり、括弧でくくって
さらに『私は、何よりも水道方式を止めたかったのあります。色々えらそうなことを言って大変失礼しましたが、そのためだったのですから、お許しください。』となっている。(日本の心)。
高校時代に読んだ、野末陳平氏の本だと思うが、スエズ運河:ナセルの成せるワザとかあったように思うが、進駐軍によってもたらされた学制改革(!?)の6・3・3制を、テキサスあたりの黒人を教えるシステムの真似というような意味のことが書いてあった。岡博士の提言も私の中学、高校時代とほぼ一致するから、時代の雰囲気というものがあったのだろう。国会決議で、日本にはA級戦犯などいない、という決議もあった時代だが、後年村山談話は、国会で決議しようとして無理とわかり、突然閣議でこういうものを出しますから、と抜き打ちに発表したものだったはず。ならば、国会決議の方が上位にくるべき筋でしょうが、いまはそんなことすら問題にしない、できない時代なのだろう。
小室博士も、教科書で、日本人は悪だ、侵略者だ、殺人者だと教えているから、そのうち、生徒による殺人が、親殺しなどいくらでも出てくるだろうと批判したが、そのとおりの社会状況になっているかの如き感もある。
国会で、田母神論文の質疑があったが、田母神氏の主張の是非を論ずることのできる議員は居らず、ひたすら、ワンパターンに沿っているかいないかだけの堂々巡り的な話題作りで終わってしまった。日本の国会は、 the Dietであって、Parliamentや、Congressではないことをここでも露呈。(ORIGIN late Middle English : from medieval Latin dieta ‘day's work, wages, etc.,’ also ‘meeting of councilors.’)
誰が、いつごろ、日本の国会をDietと認識したのか、興味がつきない。
日曜日, 11月 16, 2008
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