マリア信仰の付帯的事実!?
暗示的なことは、90年代突入を目前にした1989年12月に、地中海に浮かぶマルタ島でブッシュとゴルバチョフの米ソ両首脳会談が行われたことである。
以下の記録は、昔メモしたもので、引用書や引用サイトなどのメモが記録されていないので、出所を明示できないし、何処までが引用かさえもはっきりしない。
分かっていて手元にある本は、コンノケンイチ氏による、「NASAアポロ計画の巨大真相」だけとなっていて、UFOと聖母マリア関連記事は、はるか以前の著作だと思うが、詳しい題名は失念してしまっている。15年ぐらい前のものだと思う。
あと一冊は、『エドガー・ケイシーのすべて』サンマーク出版、高橋明宏・鈴木七沖編集。1999年。
コンノケイイチ氏は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/コンノケンイチ
では、日本を代表する疑似科学者の一人で、高卒だという。一瞬、悪意に満ちた記述と錯覚してしまったが、どうもそうでもないようだ。似非科学者だというなら、悪意に満ちたといえるかもしれないが、疑似科学は蔑称ではない。以下には、フォトンベルトもそうした範疇にはいる、とされている。UFOもしかりであるが、賛否両論がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:疑似科学
キリストや聖母マリア円盤型雲に乗っているらしい絵は中世の宗教絵画にもある、という。
http://blog.livedoor.jp/fushigi7/archives/cat_977916.html
マリア信仰の付帯的事実!?
「マリア信仰」というとピンと来ないかもしれないが日本ぐらい聖母マリアに庇護されている国も珍しい、という。
日本が真珠湾を攻撃した12月8日は、聖母マリアの「無原罪のやどり」の日だった。
終戦記念日8月15日は、聖母マリアの亡くなった「被昇天」の祝日だった。
原爆の2発目は、小倉に落とされるはずだったが、天候の都合で、長崎に変更され、浦上天主堂の真上で炸裂した。
サンフランシスコ講話条約は、聖母マリアの誕生日である9月8日であった。
(松本に本土決戦に備えた大本営を作る工事の起工式の発破は、11月11日11時11分11秒にセットされたという。いい月、いい日・・・日本独特の言霊信仰。イワシの頭も信心からともいいますが)
もっとも、真珠湾攻撃がアメリカの遠隔操作だというのなら、何となくわかるような気がしている。9.11だって、911は、アメリカの電話番号で、日本に当てはめると119。それで、11月9日とか1月19日を警戒してしまった。
暗示的なことは、90年代突入を目前にした1989年12月に、地中海に浮かぶマルタ島でブッシュとゴルバチョフの米ソ両首脳会談が行われたことである。
山内雅夫氏によればマルタ島とは世界三大宗教の原点となる場所で、先史時代には大地母神信仰の中心地であり、ローマ時代にはキリスト教設立の父、パウロの漂着した場所でもあり、中世ではアラブのモスリム教の霊場でもあった。
これがマルタ島が世界のオカルトの霊場とされる由縁でもあるという。
それだけでなく、悪名高きフリーメーソン発祥の地こそ、このマルタ島なのである。
マルタ島が90年代の幕開け直前に米ソ首脳会談の場所に選ばれたのは、おそらく聖書に約束されているハルマゲドン(人類最終戦争)に入ったという時代の象徴という理由があってのことなのであろう。それを米ソ首脳が十分に知っているからこそ、このマルタ島が選ばれたと思う。
しかもマルタ島での首脳会談の直前にゴルバチョフがバチカンを訪問し、教皇と会談を行ったので、世界中が騒然となった。無神論の牙城である、共産主義国、ソ連の最高権力者がバチカンを訪れることなど従来であれば考えられないことだったからだ。いったい、何を話しあったのだろう。
マリア像の血の涙は何を伝えているか
聖母奇跡というと、多くの方は信用しないだろう。しかし、ケーシーも少年時代、マリアらしき女性を見た、と言われている。(林の中で)しかも、20世紀に入ってからだけでも、世界各地で300回以上も起きているという現実をどう思われますか。
その最大スケールは何と言ってもファチマだが、聖母の出現場所は都会から離れた寒村や僻地に多く、全員が目撃できるケースと、特定の人にしか見えない場合に分けられる。後者の場合、幼い子供や、先天的に体の弱い女性に多いのが共通で、いずれの場合にもマリアは光とともに出現し、近く起こる人類大災厄への悲痛なメッセージを託している。(ケーシーの場合も、まばゆい光とともに女性が出現したという、その翌日から読んでもいない書物のページが居眠りの後、写真のように見えたという(この場合、成績の悪い科目の教科書だったが)超能力があることを自覚したという。
ここでまた、まじめな余談。
ケーシーは、18歳のとき知り合った3歳年下のガートルード・エバンスと20歳のとき、婚約した。結婚は誰の人生にとっても重大な意味をもつが、ケイシーにとってはなおさらそうであった。彼の晩年のリーディングによれば、彼らは前世から深い縁で結ばれており、ひとりでいるよりも二人そろうことで人生の目的を達成する運命にあった。もし二人が結婚しなければ、彼女は26歳のときには結核で死ぬ運命にあり、またケーシーは37歳で胃腸の病気が原因で死ぬ運命であったことが判明したそうである。
マリア像から、血の涙や汗が流れるという現象も多発している。主な場所は、アメリカのカリフォルニア、カナダのトロント、韓国のナジュ、ベルギーのモンテナン、イタリアのポルト・サン・ステファノ、日本では秋田市の湯沢台などが有名だが、その際にバラのような芳香がただようことも共通している。
大事なことはマリア奇跡はキリスト教国のみの現象ではなく、人種や宗教を問わず地球的規模で起こっていることである。
以前からあった「マリア奇跡」
記録によると、聖母奇跡は昔から小規模ながら実に頻繁に起きている。よく知られているものにグアダルーペの聖母事件がある。
1531年にメキシコで57歳のホアン・ディエゴの前にマリアが出現。その場所には季節がずれの花が咲き、さらに彼のマントにマリアの絵姿が浮かびあがった。このマントはサボテンの繊維を編んだもので、本当ならとうにぼろぼろになってもおかしくないのに、今も聖母の姿を浮かびあがらせている。
1830年7月18日にはフランスのパリでゾエ・キャサリン・ラプレという若い尼僧志望者の前に聖母が出現してメッセージを与えている。
16年後の1846年にはフランスのラ・サレットという小さな山村でマキシアン・ジロー(11歳)とメラニー・マシュー(15歳)の前に聖母マリアが出現し、それぞれ秘密のメッセージを授けている。
1858年には有名なルルドの奇跡がおきている。もちろんフランスに限られたわけではない。1879年にはアイルランドのノックという小さな村にマリアが出現し、かなりの人数がその姿を目撃している。1888年には、イタリアのカステルペテロソにも同様の出現があり、500人ほどの人々がその姿を目撃している。
ファチマの伏線——「ルルドの聖泉」
こうした試験的ともいえる小規模の出現が続いた後に、クライマックスがファチマでの一大ページェントとして展開されたわけだが、その伏線ともいえるルルドの奇跡について、簡単にふれます。
事件の主役は、南フランスのピレネー山脈の麓に住む、ベルナディットという一少女だった。1858年2月11日、ベルナディットが妹と友達の三人で洞窟のある場所へ薪ひろいに行ったときのこと、突然轟音が響きわたり、驚いたベルナディットが振り向くと、洞窟の入り口の草が何か重いものがのったように押しつぶされていた。轟音がやむとそこにはこの世の人とは思えない高貴な女性が立っていた。
女性はベルナディットにロザリオを唱えるようねつげ、ベルナディットはそれに従った。しかし、他の二人には、貴婦人の姿は見えなかった。
その後も」ベルナディットは何度も貴婦人の姿を見ることになるが、同行した人々には見えず、声も聞こえなかった。そのため、ベルナディットの幻覚とも考えられたが、その場所に(お告げにより)湧き出でた泉水によって、単なる幻覚ではないことが証明され、依頼この水の出るようになった洞窟が「ルルドの聖泉」と呼ばれ、世界中のカトリック信者の聖地となった。
このようにして湧き出でた水が、多数の難病患者を奇跡的に治癒した無数の例が「ルルド国際医学協会」に記録されており、この現象は今も続いている。
この奇跡の水の信憑性は、ノーベル賞を受賞したアレキンス・カレン博士の調査でも確認されてより世界的に高まり、「ニューズウィーク」1971年8月9日号では、イギリスの3歳の幼女の末期ガンが盛衰で奇跡的に消滅した例が写真入りで紹介されている。
以降のベルナディットは人々の好奇の目にさらされ、また人の心を惑わすなどの批判もあって、体も弱かったので、後半生はヌーベル・ツールドラサリア修道院で過ごすことになった。1879年4月16日、35歳の若さで薄幸の一生を終えた。そして、真の奇跡はベルナディットの死後に起こった。
30年後に彼女の墓を掘り返してみると、驚くべきことにベルナディットの遺体は少しの腐敗も死後硬直もなく、皮膚もバラ色に輝いて、まるで眠っているようだった。そして、今もその遺体はサン・ジルダール修道院に安置されている。
ネットで拾ったルルドやベルナディット
ルルドの名は、超常現象の世界では一流のブランドになっています。
1858年、この小さな村に住むベルナデット・スビルーという貧しい少女が、村を流れるガーブ河の脇にある洞窟で、聖母マリアとおぼしき女性の姿を目撃しました。そして、このベルナデットが聖母のお告げにしたがって地面を掘ったところ泉がわきだし、その水を飲んだ人の病気が次々といやされるという奇跡が起こりました。
今ではルルドは、年間500万人の巡礼者が訪れる、カトリック最大の聖地となっています。
関係書を読んでみると、ルルドはピレネー山脈の麓にあり、フランスでも相当へんぴな場所であるように書かれています。確かに田舎ではありますが、ルルドからトゥールーズまでは電車で2時間の、トゥールーズとパリの間は、フランスの誇るTGBが3時間半で連絡しています。つまりパリからルルドまで6時間以内で到着できるわけです。日帰りは少々苦しいでしょうが、駅から聖母の洞窟までは歩いて10分少々で、洞窟の隣で聖水をくむことができます。お水をくんで帰るだけなら、早朝パリを出て夜に帰り着くという荒技も不可能ではありません。
フランスとスペインの国境のピレネー山脈にルルドという人口1万人余の小さな村がある。
この村には、現在カソリック教会の大伽藍を中心に、高層ホテルが数百も建ち並んでいます。それは年間3百万人も超える病人が、世界中からこの村を訪れているからです。
以下は本当に合ったお話です。
3歳になる少女が、腎臓の悪性腫瘍にかかった。1個は摘出したが、悪性腫瘍は、頭蓋骨に移転し、身体はやせ衰え、薬害のため、毛髪は抜け落ち、皮膚はまっ黄色に変わり、全身が腫瘍におかされて医者は手のほどこす術なしと完全にさじを投げたほどだった。
途方にくれた両親は、ワラをもつかむ気持ちで、なかば意識を失っている少女を寝椅子車に乗せてルルドを訪れた。そこで聖なる水に身体をひたし、水を飲ませた。しかし、その時は少しも良くなる兆しがないので、なかばあきらめて、死ぬなら我が家でと、イギリスのグラスゴーに帰った。
ところが、帰宅して3日後の朝、少女がベッドの上に座ってオレンジを食べ始めた。そして数日で腫瘍は消え去り、あとは健康な少女と何ら変わらぬ体になったのである。
この出来事は、スコットランドの医学界でも評判になり、ルルドの奇跡の水として有名になった。
この話は遠藤周作の名著『聖書のなかの女性たち』(講談社刊)の中でも”ルルドの聖母”というタイトルで詳しく書かれている。
こうした奇跡がなぜ起こるのか、いまだ大きな謎とされていますが、実はルルドの泉の水には、ゲルマニウムが豊富に含まれていることが、近年の調査で明らかにされています。
【日本の軌跡の水】 参考書籍 福島裕子 著 ガン・難病治療に有機ゲルマニウム
実は日本国内にも、ゲルマニウムの豊富な水が湧き出ている場所があります。青森県東津軽郡の山間に湧き出ている『山吹の水』もその1つです。
地元では昔から、ガラスの容器に入れておくといつまでも腐らない水として珍重されてきました。そしてその水を飲んだ人の中には、ルルドの泉同様の”奇跡”を体験する例が見られています。
私自身、一般的な治療とあわせて、患者さんにその水をすすめて、驚くような結果をまのあたりにしたことが何度かあります。
2)少女ベルナデッタの証言:
私が見たのは、年頃16、17の貴婦人です。私は、今までにあの方のような美しい婦人を見たことがありません。白い着物を着て、空色の帯を締め、右の腕にロザリオをかけていました。
貴婦人は罪人の改心のため祈るよう勧められました。私は貴婦人に接した時、私のみにくい心がとても気になりました。私はそれを正直に貴婦人に申し上げました。
最後の御出現の時、私は「あなたのお名前を教えて下さい。」とお願いしました。貴婦人は神に感謝するかのように天を仰いでから、「私は無原罪の御宿りです。」と仰せになり、合掌なさいました。
聖母は私に、「この世ではなく後の世で幸せな者にしてあげます。」とお約束下さいました。洞窟に現れた優雅さ、美しさは、生涯忘れることができません。
(注)「無原罪の御宿り」は、1854年に教皇ピオ9世によって、カトリックの信仰箇条として宣言されたばかりであった。ベルナデッタは教会の教えをよく知らなかったので、この言葉を知らないし、意味を理解できなかった。このことは、この御出現が本物である証拠となり、貴婦人が聖母マリアであることが明らかになったと言えよう。
(3)教会の承認:
1862年1月18日に、約2年間に及ぶ司教区調査委員会による調査の結果、現地司教は、ルルドのマッサビエルの洞窟の聖母御出現を公的に認める教書を発布した。
(4)ベルナデッタの生涯:
1844年1月7日:ルルドにて生まれる。同年1月9日:受洗。
1858年:2月11日より18回にわたり聖母の御出現の恵を受ける。
1866年7月7日:ヌベ−ル愛徳修道会の本部修道院に入会した。
1866年7月29日:着衣式。同年10月25日:初誓願。
1878年9月22日:永久誓願。
1879年4月16日:帰天。(午後3時15分)
1933年12月8日:列聖。
現在、ベルナデッタはヌベ−ルの修道院の聖堂に安置されていて、棺の中で眠り続けている。遺体は現在も腐敗しておらず、巡礼者は目のあたりにベルナデッタを見ることができます。1994年、私はルルド、ヌベ−ル、ファチマに巡礼に行き、その時ヌベ−ルでベルナデッタを見てきました。実物を拝見してみますと、やはり言葉に言い表せない感動がありました。機会があったらぜひ行ってみたほうがいいと思います。
(何年も前、日本のテレビでも紹介されましたが、ベルナディットの姿をレポートする若い女性リポーターが泣きじゃくってしまい、まともな放映にいたらなかったことが印象に残っています。その時はタイムの記事を読んで知っていましたから驚かなかったのですが、今こうしてまとめていると、ファチマもすごいがルルドも超一流のオカルトですね。貴婦人が「この世ではなく、後の世で幸せにしてあげます」というメッセージもすごい、本当の天才というか天力でしょう、これは。)
土曜日, 4月 25, 2009
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