木曜日, 4月 02, 2009



さいきん、八重洲書店に行った折り、福岡伸一氏の最新刊を見たが、買わないでしまった。そのせいか、最寄りの書店で偶然この本がたった一冊売れ残っているのを見たら即買いだ!とレジへ直行してしまった。

福岡氏の書いたものの一部は、拙ブログで昨年の5月に言及した。以来、ずっと頭の片隅に残っていた名前だ。最近なにかと話題に上るようにもなり、テレビでも自説をのべられていた。初版は昨年の10月だから、私が話題にした頃は、この本は書き終わる頃だったのかもしれない。

エピローグで著者は言う。『生物の基本仕様としての女性をカスタマイズしたものが男であり、そこにはカスタマイズにつきものの不整合や不具合がある。つまり、生物学的には男は女のできそこないといってよい』と。

昔、私が20代の頃、テレビなどで中ピ連とかいう女性への種々の束縛解放を叫ぶ女活動家たちがいた時代があった。その代表、榎美佐子氏とか言う、この福岡教授と同じ京大出の活動家は、女性は男子より高等な生き物だというようなことを申されていた。
http://www.youtube.com/watch?v=DyZ_SaaeFFE

女性は尿道は尿道として独立しているが、男性は鳥の総排泄孔のごとく、尿道は尿道としてのみ独立していない、劣った生物だと言うようなことだったような気がしている。福岡教授も同様な指摘をしている。

Y染色体という貧乏くじを引いたばかりに、基本仕様である女性の路線からはずれ、遺伝子の使い走り役にカスタマイズされた男達。このプロセスで負荷がかかり、急場しのぎの変更が男性の生物学的仕様に不整合を生じさせたのである、という。弱きもの、汝の名は男なりで、ボーボアール女史の言い方に沿えば、人は男に生まれるのではない、男になるのだ、とも。

生命が出現してから10億年、大気には酸素が徐々に増え、反応性に富む酸素は、いろいろな元素を酸化するようになり、地球環境に大きな転機が訪れた。気候と気温の変化もよりダイナミックなものになる。(種の)多様性と変化が求められた。

メスはこのとき初めてオスを必要とすることになったのだ、と書かれている。本来、すべての生物はまずメスとして発生する、という。

生物学的な発生経路から言えば、まず割れ目を作り、そこに入り口(出口)をもつ二つの管、ミュラー管とウォルフ管を用意する、という。発生生物学で習った用語だった。もし、発生プログラムがデフォルトのままだったら、ミュラー管が成長し、膣・子宮・卵管などになるという。しかし、発生途中で、男性としてカスタマイズされる因子が挿入されると(本書では、この発見競争のプロセスでのアメリカと英国の先陣争いの経過の描写が見事であるが、・・・)
ウォルフ管が成長を始め射精管、精嚢、輸精管、精巣上体などができる、という。そして、いまやいらなくなった割れ目を閉じるのだという。

尿道が合流したウォルフ管の出口、女性ではここが割れ目になって外界に通じる、という。男性化のカスタマイズは、この割れ目を肛門の側から縫い合わせて膣口を閉じ、左右の大陰唇を閉じて玉袋(陰嚢)を作り、さらに作業を進めるにあたり、小陰唇部分をうまく使って、尿と精子が通過できる空洞を残しながら、割れ目を閉じていく、というのである。

ここで、著者は、男性諸君に各自の持ち物を観察するよう勧めている。棹にあたる部分は、あたかも「たらこ」のような紡錘形の海綿組織を、左右から寄せ合わせたようになっている。私も子供の頃、裏側に手術したような後があることにびっくりしたことがあった。・・・この不可思議にも精妙な形状はすべて女から男へのカスタマイズの過程の明々白々な軌跡そのものなのである、と。

このようにしてみると、著者は例のフェミニズム仮設、女性は尿の排泄のための管と、生殖のための管とが明確に分かれていて、女性のほうが分化が進んでおり、つまりより高等である、という説はあながち間違ってはいないことが分かると。

この本に寄せられた共感の声をみると、いろいろな意味において面白いという。各読者それぞれの環境で、この本の話題を、いろいろ反芻されているようだ。

私もざっと読んだときは、読み飛ばしてしまったが、すると男子のみの皇統を守ってきた天皇の世継ぎ問題も触れて欲しいものだという気がしたが、直接的ではなく、寓話的に言及されていることに、たいへん興味を持った。なお、戦前には天皇制などという言葉はなく、それは戦後の左翼の造語だという説も最近になって知った。

「お世継ぎの価値」という小節は、Yの旅路と題した第9章に書かれている。

『皇統が男系によって永遠に維持してきたもの、・・・その本質は実に今を去ること2700年前、この国をつくりたもうた大王の始祖のY染色体に他ならない。始祖のY染色体に記された刻印こそ、われらの男子皇統によって守るべきものなのである。

もし、女王が大王位を継ぎ、そこへ外部から男がやってくれば?

連綿と護持してきた大王の刻印を持つY染色体はそこで途絶え、代わりにその男がもたらした文字通りどこの馬の骨かわからぬY染色体に皇統がのっとられてしまうことである。それは断じて避けねばならないことである。

むろん、上代の人々はこの尊きY染色体などは知る由もなかった。しかし、伝統とは本来そのようなものである。私たちのたましいは、しらずしらずのうちに最も大切なものを守り通してきたのである。

その言やよし。』

しかし、Y染色体自身は、上述したように男性へとカスタマイズするための指令遺伝子でしかないという。男の本質は、使い走りであり、母の遺伝子を別の娘のもとに運び混ぜ合わせることであったと、書いている。Y染色体自身に神器としての価値はなく、ナノスケールの屋号だ、とも書いている。

なお、津田梅子が留学したブリンマーカレッジは、ネッティという女性研究者がチャイロコメノゴミムシダマシという名の甲虫を実験材料として、性決定の遺伝メカニズムを見たカレッジで、梅子自身もカエルの発生学を研究した、ということが、第二章「男の秘密を覗いた女」という意味深げなタイトルの末尾に記されていた。




なかのひと

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