ウィンドウズ環境も安定し、CDに焼いておいたものをコピーした、クラシックMacのエミュレーターであるBasiliskIIも安定して作動している。cdrom driverをBasiliskIIに付属しているドライバーセットから、ウィンドウズのバージョンに応じたものを選び、システムのSystem32のフォルダーにあるドライバーのサブフォルダーにコピーしてやりさえすれば、BasiliskII本体の設定は、すでに苦労して設定してあり、OSのインストールも済んでいるので、GUIソフトのRUNボタンをクリックするだけで、立ち上がる。
ところで、修理のすんだMacbookにも対応したクラシック環境はないものと諦めていたのだが、WEBでみると、
Sheepshaverというフリーソフトがあって、もともとLinux環境やウィンドウズ環境でMacOSの7.5〜9.04まで動作
するものであったが、最近MacOSXにも対応し、しかもインテルMacにもバイナリで対応していると言う記事を見つけて、これだ!と喜んだ。
http://www1.kiwi-us.com/~mizusawa/penguin/html_hint/sheepshaver.shtml
ところが、以前から用意しておいたROMファイルが、パワーPCのOSX10.4では問題ないが、インテル機のLeopardでは、4MBのROMでないとダメだ、とSheepshaverの起動直後にメッセージが出て先へ進まない。この4MBのROMというのはVersion1.8でPCIMacにのみ搭載されていたものらしく、それ以前の1.6や1.4、iMac用のROMなども対応しない。他のリナックスやウィンドウズでは、こうしたROMでもいいらしい記事はあるが、レパードでは、まだ体験者が少ないせいか初めてで、面食らった。
それで、またBASILISKIIに戻るしかなく、OSX用のものを探したが見つからない。タイガーには、クラシック環境が完備しているので、いまさらそれ以上試す気にはなれない。
http://www.maccompanion.com/macc/archives/December2007/Columns/AccordingtoHoyle.htm
では、SheepshaverとBasilliskIIでは、実行速度BasilliskIIの方が圧倒的にはやいと、指摘していた。
どちらも同じ開発チームで、Sheepshaverのほうが対応クラシックOSの幅が広いだけらしい。もともとエミュレーターなんだし、OSは必要な限り軽いほうがベターな選択だと思うし、とさらにさがしたらありました。
BasilliskII-1.0-0.20060501.2.MacOSX.tar.bz2というファイルをダウンロードした。レパードにも対応しているらしい。比較的新参なバージョンらしい。昼休みに探してダウンロードしたのだが、再度探したがみつからない。会社の履歴をみればわかるはずだが。
http://gwenole.beauchesne.info/en/projects/basilisk2
自動解凍するとBasiliskII-1.0というフォルダが生成される。Sheepshaverと同じフォルダ構造になっており、BasiliskIIGUI.appというアイコンをダブルクリックすると、冒頭のほうで引用させていただいた、Sheepshaverの起動画面と同じものが現れるので、後はRomを指定し、専用のHDを適当なサイズで指定し、
CDROMから起動するようにすれば、RUNではなくSTARTボタンで、インストール用CDから起動し、作成した専用HDをフォーマットし、インストールは完了。かってのBasilliskIIに比べればいたって簡単。
ところが、再起動後、ソフトをインストールしようとCDROMを挿入すると、そのCDを認識しない。音楽用CDだと出たり、読めないのでフォーマットしますか、などと言われてしまい、頓挫。
諦めていったん撤退する。睡眠不足だし、初回にBasilikIIをセットアップしたときに比べればその1/10の苦労もしていない。
目覚めて、WEBで何かヒントでもと思って探したら、
BasilikIIでMacCDRを使う、というページを発見。知り合いの半数がMacユーザーだというので、Mac用のデータはMacで作らないとだめ?とか思ってしまい、ウィンドウズでBasilikIIの利用を考えたというスキルのありそうなお方の記事。
そこで、やはりCDを読み込む設定にしてもだめでかなり悩まれたというが(半日ほど)偶然に、BasilikIIのGUIを起動していないときに、挿入されたCDがあれば、その状態で起動すればちゃんと読み込めることを発見された、と書かれていて、先日も会社で1回だけ読み込めたので、かなり不安定だと誤解していたことが思い出された。
な〜〜んだ、そういうことか!!とわかってしまえばコロンブスの卵的な話しで、これでインテルMacでもクラシック環境(OS8.1までであるが)が継続できようというもの。それで、インストールしようと用意していたアプリのCDを抜いて、まず、8.1のアップデータからインストールすることにする。それまで読めなかった
MacPeople誌の付属CDROMから、インストール。この頃までは、アップル社は雑誌の付録などにも、そうしたアップデータを配布することを認めていたのだが、ある時期から止めてしまった。ネット環境の急速な普及とは無縁ではないだろうが、それだけでもないような気がしている。
さて、何の疑問もなく、OS8.1にアップデータを適用し無事完了のサインが出たが、今度は以下のようなアラートが出て、二度とBasilikIIは起動しなくなった。つまり、今の段階では8.0までしか、インテルMacでは運用できないということらしい。パワーPC機ならば多分大丈夫だと思うが、そちらはまともにクラシック環境が健在であるので、それ以上は突っ込まない。
しかたなく、BasilikIIを完全に削除して最初からやり直さねばなるまい。それでもダメなら、もういちど、10.5の再々インストールまで及ぶことになる。何せ、フリーソフトだし、というつぶやきをあちこちのwebで聞いたことが思い出される・・・。
ところで一度躓いたBasiliskIIのインストールは、削除してもシステムに初期設定が組み込まれてしまったらしく、二度と再インストールも予想した通りできず、結局再々のリカバリに、・・・。
それでも、リカバリ方法にもいろいろあるらしく、上書きはもちろん厳禁、古いシステムも残さず削除、新規インストールを行う。30分程度で終わった頃、システムの初期設定をするとき、タイムマシンのデータを復元するかと聞いてきたので、復元(そちらは、BasiliskIIとは、切り離しておいたので、関係なし)をクリックしたら、購入時からのメールデータまで復元してくれた。ラッキー^^);。これなら、デフラグ目的のリカバリにも重宝しそう。もちろんアプリ類も、いちいちライセンス番号を打ち込んだりすることなく、そのまま即使用できるのはありがたい。
ちなみに、MacOS8.0と8.1の違いは、バグフィクスのほかに、ハードディスクの最小単位が64Kと4kの違いだという。8.1のほうがディスクを有効に利用できる、ということらしい。いちおう、イメージファイルとして2GB容量を確保してあるので、数式処理ソフトを使うぐらいなら8.0の管理方式でも十分な筈であろう。
そこで、めでたく、インテルコアデュオ2GBのプロセッサでのBasiliskIIのスピードを測ってみた。
今回は、CDから読み込ませ、正規にインストール。マシンタイプは、自動的に判別してくれて、CPUタイプはFPUつきのMC68030だか68040と信じてインストールされたようだ。ちなみに68030はモトローラ製の番号で、インテルでは80386相当だと当時から考えていた。パワーPC版や、ノンコプロ版とかいろいろ選択して機能をインストールするように出来ているようだ。
インテル版10.5では、以前のBasiliskIIでは考えられなかったことが起こる。Mac本体に、データがあって、それをMac8.0のウィンドウにコピーしても、以前は同じアプリから開けたものが、作成情報が不明だといって、開けないのである。これでは、大変困る。全部いちいち手入力では、時間が相当かかるし、体力や視力も相当きつい。いろいろやったがだめで、MathPlayerというのをダウンロード。これで、本体側でファイルを開いておき、エミュレーター内のソフトで新規ファイルを開き、本体側の実行させたいデータやコマンド行を、コピー&ペーストさせたら、上手く行った。結果は、予想どおり、3.2Gのセレロンプロセッサの倍は早い結果がでてそれなりに満足。
ただ、もう一方のTheoristは、コピーできても認識されないので、Win版でしか使えない。インテルMacは、コアの部分で、ファイル管理というか、認識が以前とはかなり違うようだと感じている。XPからVistaに移行された方も、いろいろと面食らう場面があるとは聞いているが、インテルMacでも、不安を持っている人は少なくないかもしれない。かといって、いまさらTigerまで下げる気にはなれない。
また、レパード上のファイルの内容が、エミュレータ内にコピー&ペースト可能だったが、その後、デフォルトのスクリーンショットが機能しなくなり、再起動するまで戻らなかった。それで、このショットは再起動してからなので、メモリー管理で、マセマティカカーネルの使用メモリーは消えてしまっている。ファイルを表示する機能だけに費やされたメモリーが出ているだけである。もう、OS8.0に対応したプリンターもなく、印刷はMathPlayer(旧MathReader)でするか、パワーMacのクラシック環境で印刷するかである。
また、ブートキャンプであるが、XPSP2の完全版かVistaでないと、インストールできないので注意が必要!。私は、ホーム版に使ってしまったので、インテルMacにWinを入れるのなら、Vista版になってしまいそう。ただ、インストールは、リカバリより楽にできるので、心配は御無用。10.5発表の後、デスクトップマシンの売り上げランキングでMacがトップになったりするのは、このWinの使いやすさもかなり影響していそう。つまり、使えるソフトの数の多さでは、Macが一気にトップになってしまった、というわけだ。
これまでは、そこだけはマックファンの負け惜しみ的呟きがあちこちであったものだ。一人で使うソフトの数はせいぜい、数個から10数個だろう、ただ単に使えるソフトが多いからと言って、それだけではたいして優劣を論じても意味はなかろうと。レパードも慣れないので、今後まだ苦労するだろうけれど、慣れれば後戻りできないと思う。ソフト的には、後戻りが可能なので。梶原教授の数学道場でも、コンちゃんはだましだまし使いましょう、などと申されておりましたことが、脳裏に鮮明に残っている。
日曜日, 12月 30, 2007
木曜日, 12月 20, 2007
eMachineのリカバリディスクは、ドライバ類と一体型で、以前のように後で自分で別のCDからセットアップするタイプでなく、XPのプロにしたときは、音が出ずじまいで諦めて、またホーム版に戻していた。
ところが、DVDメニューの項目を何気なく見たら、ドライバー類を、マイリカバリ用に、CDあるいはDVDに書き出す機能がついていた。それを見て、このディスクを作成したらホーム版からプロ版に移行できると確信した。
それまでは、ホーム版にプロ版から起動して、ウィンドウズの修復インストールでもするしかないと思っていて、試したら、Administratorのパスワードを要求され閉口した。これは、サポート窓口に連絡したら聞き出せるのかな、とも思った。システム情報表示パネルには、メール送信先も入っていて、ここからメールすると、個体番号などと一緒に、モデルの情報も送信されサポートされやすく設定されているようだった。
ハードオフで購入したときは、リカバリ済みとなっていてXPのプロ版を入れたら、システムが20GBほど占めてしまいなぜかおかしい、と思いフォーマットし直してプロ版を入れたのだが、音が出ず。サウンドドライバー類が単独で入手できなかったため、また、元にリカバリしてホーム版にしていて、これで行こうといろいろアプリ類をインストールして使い出した矢先だった。
以前、仕事でおつき合いした都庁のお役人で、パソコンに強い、を自認される方と食事時などパソコン談義に花が咲き、ついつい休憩時間を超過することがあった。その方は、ウィンドウズ一辺倒であったが、さすがに詳しく舌をまくほどであったが、リカバリ作業などはなんど繰り返したかわからない、と述懐されていて、そこだけは素直に同意できる話しであった。ウィンドウズ98、Meの頃の話であるが。
ドライバー類は、システム並の容量があるらしく、DVDだと一枚でよいが、CDに書き出す場合は2枚要るとのことで、たまたま未使用のDVDが一枚残っていたので、それに書き出した。焼き跡をみると、占用幅は一センチ強だった。仕事が忙しく、なかなか再インストールできず、2、3日が経過した後、やっと時間を見つけてチャレンジ。こういう作業は、時間に拘束されない時でないと、どこで失敗したか分からなくなったりするものだ。
XPのプロ版は、CDから起動させると、暗証番号など聞かずに素直にセットアップしてくれた。しかし、前回同様、一回目は、なんとかDLLがないとかこわれているとかいわれてしまい、再セットアップ。これでようやく起動できるようになった。次に、ドライバー類を書き出したDVDをセットし、ひとつづつ順番にインストールして行く。最後にオーディオドライバーを入れると、ウィンドウズ終了時から、もう終了音が鳴っているの気付く。うまく行ったと思った。
プロ版本体で2GBちょっと、ドライバー類をいれてようやく4GB台となり、私の使用環境では、以前の内蔵40GBに比べれば、夢のような広大な残り容量だ。
オリジナルのホーム版では、草原のデスクトップ画面の丘の上にeMachiesのロゴが常に置かれていたのだが、プロ版は、OEMではなく店頭での購入版だったので、普通のデスクトップとなった。今となっては、ちょっと惜しむ気持ちもないではないが、壁紙を変えて試すゆとりもなく購入時の状態とはおさらばで、これでBaffalo製のパソコンテレビが使用できることになった。
ところが、うっかりして、本体裏面のUSB装置にパソコンテレビからのUSBケーブルを差したままであったので、最初のインストールは失敗。2度目でようやく正常インストールされました、と出たが音が相変わらず出ずじまい。ウィンドウズ関連は音もでて、DVDも問題ないのに、おかしいと思ったが、原因がつかめない。
それで、製造元のサポートページにアクセスして、情報収集。中には、本体のオーディオドライバーを最新にアップデートされることをお勧めします、などというのもあり、それを試す。
Reaktek AC97 Audio というドライバーだ。グーグルで検索したらすぐに見つかり、今年の10月配布の最新バージョンをダウンロードして解凍し、インストールする。しかし、この解決法も、時系列的には、パソコンテレビが2004年にリリースされていて、当時の状況で問題なく動作したのだから、気休めではないのか、とさえ思えだした。予感は的中、結果は変わらず。もう一度マニュアルを見て、探していたら、ありました。
TVチューナーからは、USBケーブルが一本出て、パソコンへ。アンテナをつなぐ部分に、小さなケーブルが
出ていて、これは何だとたどっていったら、先端はステレオイヤホンと同じタイプで、機器類の谷間に放置されていた。これをラインインの本体裏に差し込めば、即完了。はずかしいお粗末な失敗だった。
多分、これは、XPプロ版専用と書いてあるが、1と3チャンネルに限ればホーム版でも使える、ということらしい。プロ版にすると全チャンネルが視聴できるのだが。それ以外にもあるのだろうが、プロ版の御利益は今のところ、このテレビしかないが、音が聞こえ出したら急にちゃらちゃらした日本語に嫌悪感を抱き、消してしまった。音無しで画面を10日近く眺めていたので、無音に慣れてしまい、ラジオのような喋りでないと、聞き苦しく感じてしまうようだ。CMだって、ラジオのほうが面白いようだとは日頃感じているし、・・・。
じつは、もう一枚SP1仕様のプロ版があり、前回1回インストールしたところで、今回と同様のエラー画面となり諦めていたのだが、これも裏面に傷があるものの、読み取りには問題ないらしく今度またMacにインストールするときは、こちらを使うことになりそうだが、当分ウィンドウズのインストールはごめん被りたい。じつは、Macでは、ウィンドウズを入れなくてもWinソフトが起動できるようになってきており、そちらの進歩に期待したい気持ちが強い。ウィンドウズは仕事一辺倒でシステムなどできるだけ触らずに、という使い方が最適のような気がする。Mac流の使い方をウィンドウズに行うと、必ずといって良いくらい不具合がでる、という雑誌での指摘もあった。
ところが、DVDメニューの項目を何気なく見たら、ドライバー類を、マイリカバリ用に、CDあるいはDVDに書き出す機能がついていた。それを見て、このディスクを作成したらホーム版からプロ版に移行できると確信した。
それまでは、ホーム版にプロ版から起動して、ウィンドウズの修復インストールでもするしかないと思っていて、試したら、Administratorのパスワードを要求され閉口した。これは、サポート窓口に連絡したら聞き出せるのかな、とも思った。システム情報表示パネルには、メール送信先も入っていて、ここからメールすると、個体番号などと一緒に、モデルの情報も送信されサポートされやすく設定されているようだった。
ハードオフで購入したときは、リカバリ済みとなっていてXPのプロ版を入れたら、システムが20GBほど占めてしまいなぜかおかしい、と思いフォーマットし直してプロ版を入れたのだが、音が出ず。サウンドドライバー類が単独で入手できなかったため、また、元にリカバリしてホーム版にしていて、これで行こうといろいろアプリ類をインストールして使い出した矢先だった。
以前、仕事でおつき合いした都庁のお役人で、パソコンに強い、を自認される方と食事時などパソコン談義に花が咲き、ついつい休憩時間を超過することがあった。その方は、ウィンドウズ一辺倒であったが、さすがに詳しく舌をまくほどであったが、リカバリ作業などはなんど繰り返したかわからない、と述懐されていて、そこだけは素直に同意できる話しであった。ウィンドウズ98、Meの頃の話であるが。
ドライバー類は、システム並の容量があるらしく、DVDだと一枚でよいが、CDに書き出す場合は2枚要るとのことで、たまたま未使用のDVDが一枚残っていたので、それに書き出した。焼き跡をみると、占用幅は一センチ強だった。仕事が忙しく、なかなか再インストールできず、2、3日が経過した後、やっと時間を見つけてチャレンジ。こういう作業は、時間に拘束されない時でないと、どこで失敗したか分からなくなったりするものだ。
XPのプロ版は、CDから起動させると、暗証番号など聞かずに素直にセットアップしてくれた。しかし、前回同様、一回目は、なんとかDLLがないとかこわれているとかいわれてしまい、再セットアップ。これでようやく起動できるようになった。次に、ドライバー類を書き出したDVDをセットし、ひとつづつ順番にインストールして行く。最後にオーディオドライバーを入れると、ウィンドウズ終了時から、もう終了音が鳴っているの気付く。うまく行ったと思った。
プロ版本体で2GBちょっと、ドライバー類をいれてようやく4GB台となり、私の使用環境では、以前の内蔵40GBに比べれば、夢のような広大な残り容量だ。
オリジナルのホーム版では、草原のデスクトップ画面の丘の上にeMachiesのロゴが常に置かれていたのだが、プロ版は、OEMではなく店頭での購入版だったので、普通のデスクトップとなった。今となっては、ちょっと惜しむ気持ちもないではないが、壁紙を変えて試すゆとりもなく購入時の状態とはおさらばで、これでBaffalo製のパソコンテレビが使用できることになった。
ところが、うっかりして、本体裏面のUSB装置にパソコンテレビからのUSBケーブルを差したままであったので、最初のインストールは失敗。2度目でようやく正常インストールされました、と出たが音が相変わらず出ずじまい。ウィンドウズ関連は音もでて、DVDも問題ないのに、おかしいと思ったが、原因がつかめない。
それで、製造元のサポートページにアクセスして、情報収集。中には、本体のオーディオドライバーを最新にアップデートされることをお勧めします、などというのもあり、それを試す。
Reaktek AC97 Audio というドライバーだ。グーグルで検索したらすぐに見つかり、今年の10月配布の最新バージョンをダウンロードして解凍し、インストールする。しかし、この解決法も、時系列的には、パソコンテレビが2004年にリリースされていて、当時の状況で問題なく動作したのだから、気休めではないのか、とさえ思えだした。予感は的中、結果は変わらず。もう一度マニュアルを見て、探していたら、ありました。
TVチューナーからは、USBケーブルが一本出て、パソコンへ。アンテナをつなぐ部分に、小さなケーブルが
出ていて、これは何だとたどっていったら、先端はステレオイヤホンと同じタイプで、機器類の谷間に放置されていた。これをラインインの本体裏に差し込めば、即完了。はずかしいお粗末な失敗だった。
多分、これは、XPプロ版専用と書いてあるが、1と3チャンネルに限ればホーム版でも使える、ということらしい。プロ版にすると全チャンネルが視聴できるのだが。それ以外にもあるのだろうが、プロ版の御利益は今のところ、このテレビしかないが、音が聞こえ出したら急にちゃらちゃらした日本語に嫌悪感を抱き、消してしまった。音無しで画面を10日近く眺めていたので、無音に慣れてしまい、ラジオのような喋りでないと、聞き苦しく感じてしまうようだ。CMだって、ラジオのほうが面白いようだとは日頃感じているし、・・・。
じつは、もう一枚SP1仕様のプロ版があり、前回1回インストールしたところで、今回と同様のエラー画面となり諦めていたのだが、これも裏面に傷があるものの、読み取りには問題ないらしく今度またMacにインストールするときは、こちらを使うことになりそうだが、当分ウィンドウズのインストールはごめん被りたい。じつは、Macでは、ウィンドウズを入れなくてもWinソフトが起動できるようになってきており、そちらの進歩に期待したい気持ちが強い。ウィンドウズは仕事一辺倒でシステムなどできるだけ触らずに、という使い方が最適のような気がする。Mac流の使い方をウィンドウズに行うと、必ずといって良いくらい不具合がでる、という雑誌での指摘もあった。
土曜日, 12月 15, 2007
MacBookの、管理者権限消滅の不具合が、意外なほど早く直り、戻ってきた。もちろん、無料。しかし、内蔵HDは完全にフォーマットされてしまい、起動してみたら、売り場で見るのと同じ状態、ガ〜ン・ショック。
データはおろか、アプリから、苦労してインストールしておいたウィンドウズのパーティションも完全にどこかに昇天してしまっていた。あれは惜しい。アクロバット8.0のプロ版を入れておいたのがパー。すべて新規まき直し。しかし、Winも予想外にまあまあのマシンが来たことだし、当分そちらで十分ではないか、とも考えた。
データもアプリ類もそっくり、外付けHDに同じものが残っている(Winは外付けから起動できないので、ハイそれま〜でよ、・・・・・)ので、さっそくパスワードもなく、起動ディスクとして指定してやると、壁紙こそ違え、まったく同じ環境が出現。ログインにこちらはパスワードを求められる。それで、こちらも上書きインストールだったので、心配だったが、ちゃんと管理者として登録されている。
タイムマシンも試してみたが、システム自体は、ウィンドウズと違い復元対象からはずされているが、アプリなどはすぐコピーして、新規にインストールされたが、すぐに新規OSがタイムマシン用に、設定を要求してくるので、オーケーしたら、11月1日いらいのデータは消え、この瞬間からのタイムマシンとなってしまったので、データなどは結局手動で復元することに。
ところで、eMachineのほうはJ3034という機種で、DVDは、ブルーレイまで対応。フロッピーはないが、いろいろなメディアを差し込む口が幾つもフロントパネルにあり、内部もHDの増設などもできるという。
ただ、一つの不満は、なんどやってもパソコンテレビの音がでず、チャンネルも1と3しか映らない。不思議に思っていて、ネットで調べようとして、箱のラベルの動作条件を何気なく見たら、XPのプロフェッショナルしか対応していない、と明記されていた。あ〜、迂闊でした。今度のeMachineは、ホームエディションでした。
それで、昔ノートのXPを買ったときもホーム版で、それをプロ版にするアップデートOSを販売していた時期があって、それを使ってみることに。Macにインストールしたプロフェッショナルもあるが、こちらで使うとそちらにインストールできなくなるので、やむなく古いXP版(たしか、SP1)をつかう。
やってみたら、あたらしいOSなので、古いOSはインストールできませんと。しかし、その詳細をみると起動順番をDVDに設定してやればそちらから起動するという。それで、F10キーで順番を変えてCDから起動。
驚いたことに、Cドライブのディスクのフォーマットが不明だとか。それで、フォーマットし直すと言う。
あ〜、また3日かかって行ったインストールが無駄になってしまうことに。
それで、インストールが完了し再起動の際に、ウィンドウズのシステムファイルの中の~.dllが壊れているので、起動できないので再インストールを、と告げてハング。しかたなく、MacにWinをいれたディスクを使用することに。今度は、フォーマットを飛び越えて、システムファイルのインストールにすぐに移行。どちらのCDも、保管がわるく、読みとり面に傷がついているので心配だ。
しかし、なんとかインストールが完了するところまで行き、再起動してプロフエッショナル版になったが、チップセットが、適合せず音そのものが出ない。安いマシンはこれだから困る。マシンに添付のドライバー類も、起動しても適合しません、とアラートが出る始末。
しかも悪いことに、一度SP1に失敗して起動しないシステムと、新規にインストールしたシステムの二つが入ってディスク容量が60GBも減っている。余裕があるのでそれでも良いのだが、何となくしっくり来ない。
起動しないシステムしかなければ、おそらくシステムの復元でもとに戻ったろうが、別の正規システムが入り、旧システムを隠してしまっていて、どうしようもない。
こうなると決断は速い。もとに戻すのだ。工場出荷時の状態に。リカバリ・復元ディスクをいれて『R』キーを押しているとてっとり早く復元してくれる。
今回始めて、最近のウィンドウズの廉価版の実態に触れたような気がした。ホームエディションはあくまで家庭でほどほどにウィンドウズ環境を利用するためのものでしかない。そのため、目的合理性精神で極限までコストダウンを図ってえられた産物らしいと感じた。日頃、会社でもDellを使っていて、国産マシンとはちがう不便さを感じていたが、やはり欲張らず割り切って使うしかないだろう。
リカバリディスク以外に、HDにも占用復元領域があらかじめセットされているので、リカバリ後半はそこから読み出すせいかやたらに早く画面表示が進行する。今終わり、再起動になり、終了音がようやくでました。いままで無音でした。
システム領域をみるとわずかに5Gを越す程度。大半の領域が復活。正確に測ったわけではないが、過去最短の時間でシステム復元が終わったようだ。こうなると、また、Macにプロフェッショナルを入れてみようか、などという気持ちにもなるが、不必要なシステムの増大には、最近反省しているところなので、直ぐという気にはなれない。
データはおろか、アプリから、苦労してインストールしておいたウィンドウズのパーティションも完全にどこかに昇天してしまっていた。あれは惜しい。アクロバット8.0のプロ版を入れておいたのがパー。すべて新規まき直し。しかし、Winも予想外にまあまあのマシンが来たことだし、当分そちらで十分ではないか、とも考えた。
データもアプリ類もそっくり、外付けHDに同じものが残っている(Winは外付けから起動できないので、ハイそれま〜でよ、・・・・・)ので、さっそくパスワードもなく、起動ディスクとして指定してやると、壁紙こそ違え、まったく同じ環境が出現。ログインにこちらはパスワードを求められる。それで、こちらも上書きインストールだったので、心配だったが、ちゃんと管理者として登録されている。
タイムマシンも試してみたが、システム自体は、ウィンドウズと違い復元対象からはずされているが、アプリなどはすぐコピーして、新規にインストールされたが、すぐに新規OSがタイムマシン用に、設定を要求してくるので、オーケーしたら、11月1日いらいのデータは消え、この瞬間からのタイムマシンとなってしまったので、データなどは結局手動で復元することに。
ところで、eMachineのほうはJ3034という機種で、DVDは、ブルーレイまで対応。フロッピーはないが、いろいろなメディアを差し込む口が幾つもフロントパネルにあり、内部もHDの増設などもできるという。
ただ、一つの不満は、なんどやってもパソコンテレビの音がでず、チャンネルも1と3しか映らない。不思議に思っていて、ネットで調べようとして、箱のラベルの動作条件を何気なく見たら、XPのプロフェッショナルしか対応していない、と明記されていた。あ〜、迂闊でした。今度のeMachineは、ホームエディションでした。
それで、昔ノートのXPを買ったときもホーム版で、それをプロ版にするアップデートOSを販売していた時期があって、それを使ってみることに。Macにインストールしたプロフェッショナルもあるが、こちらで使うとそちらにインストールできなくなるので、やむなく古いXP版(たしか、SP1)をつかう。
やってみたら、あたらしいOSなので、古いOSはインストールできませんと。しかし、その詳細をみると起動順番をDVDに設定してやればそちらから起動するという。それで、F10キーで順番を変えてCDから起動。
驚いたことに、Cドライブのディスクのフォーマットが不明だとか。それで、フォーマットし直すと言う。
あ〜、また3日かかって行ったインストールが無駄になってしまうことに。
それで、インストールが完了し再起動の際に、ウィンドウズのシステムファイルの中の~.dllが壊れているので、起動できないので再インストールを、と告げてハング。しかたなく、MacにWinをいれたディスクを使用することに。今度は、フォーマットを飛び越えて、システムファイルのインストールにすぐに移行。どちらのCDも、保管がわるく、読みとり面に傷がついているので心配だ。
しかし、なんとかインストールが完了するところまで行き、再起動してプロフエッショナル版になったが、チップセットが、適合せず音そのものが出ない。安いマシンはこれだから困る。マシンに添付のドライバー類も、起動しても適合しません、とアラートが出る始末。
しかも悪いことに、一度SP1に失敗して起動しないシステムと、新規にインストールしたシステムの二つが入ってディスク容量が60GBも減っている。余裕があるのでそれでも良いのだが、何となくしっくり来ない。
起動しないシステムしかなければ、おそらくシステムの復元でもとに戻ったろうが、別の正規システムが入り、旧システムを隠してしまっていて、どうしようもない。
こうなると決断は速い。もとに戻すのだ。工場出荷時の状態に。リカバリ・復元ディスクをいれて『R』キーを押しているとてっとり早く復元してくれる。
今回始めて、最近のウィンドウズの廉価版の実態に触れたような気がした。ホームエディションはあくまで家庭でほどほどにウィンドウズ環境を利用するためのものでしかない。そのため、目的合理性精神で極限までコストダウンを図ってえられた産物らしいと感じた。日頃、会社でもDellを使っていて、国産マシンとはちがう不便さを感じていたが、やはり欲張らず割り切って使うしかないだろう。
リカバリディスク以外に、HDにも占用復元領域があらかじめセットされているので、リカバリ後半はそこから読み出すせいかやたらに早く画面表示が進行する。今終わり、再起動になり、終了音がようやくでました。いままで無音でした。
システム領域をみるとわずかに5Gを越す程度。大半の領域が復活。正確に測ったわけではないが、過去最短の時間でシステム復元が終わったようだ。こうなると、また、Macにプロフェッショナルを入れてみようか、などという気持ちにもなるが、不必要なシステムの増大には、最近反省しているところなので、直ぐという気にはなれない。
木曜日, 12月 13, 2007
三年弱で、ウィンドウズパソコンが起動しなくなった。特に、なければないでそれほど不便ではないと当初思っていたし、却って机上が広く使えていいとさえ思ったが、パソコン中毒者にとってはやはり寂しいし、不便と思うときが出てきた。
それで、別室に放置されていて時々使うMacノートを、半分ぐらいはWinパソコンとして使おうとして運んできていざ使おうとしたら、前からちょっとおかしいなと思っていたことが、さらに厳しい現実として現れた。
要するに、通常のユーザーとしてしか使用できず、以前から当たり前だったウィンドウズの起動すらできなくなっていた。すべて現在のままの設定でしか使えず、変更しようとしても管理者名とパスワードを要求してくるが、それをいれてもどちらかがちがいます!と設定変更を受け付けなくなってしまっていた。もちろん、ただMacとして使う分には問題がないのだが、Winパソコンが毀れた今となってはそれでは宝の持ち腐れでしかない。
パスワードなどの再設定は、起動用DVDから起動して、内蔵のHDを外付けHDあるいは増設HDとみなして、設定を変えることができるのだが、それすら、再起動にパスワードを求めてきて、入れても拒否されてしまう。
optionキーを押しながら再起動すると、Macからはウィンドウズが、ウィンドウズ状態からはMacが起動するようにできているので、それも試したが、南京錠マークが出てきて受け付けない。
それで、フリーダイヤルでアップルのサポートと電話で話して症状を訴えた。すると、以前の10.4から10.5にOSをアップするときに、新規インストールをしていない場合、そうした症状が出てくるケースがあるらしく、私は雑誌で見て、iMacはかならず新規インストールをと言うのを見ていながら、軽く考えて上書きインストールでOSのバージョンアップをしてしまっていた。
最初は、ログイン画面でパスワードなど入れなくてもよかったものが、いちいち煩く出てくるな、と思っていたら、すべてのちょっとしたシステム設定が不可能になってきていた。
アップルの回答は、アカウント画面で、所有者名の下に「通常」という文字が出ていればそうした症状ケースだという。それで、電話で話したときは、起動DVDを持参しないで、ノートを立ち上げただけで、症状確認をしてもらい、解決法を、メールで送ってもらった。
http://docs.info.apple.com/jarticle.html?artnum=306876
『Mac OS X 10.5: 管理者ユーザが通常ユーザに変わる
最終更新: 2007.11.09
Article ID: 306876
問題または現象
Mac OS X 10.5 Leopard へのアップグレードインストール(デフォルトのインストール方式)を行うと、管理者ユーザアカウントが通常ユーザアカウントに変更される場合があります。
対象となる製品
Mac OS X 10.5
解決方法
Mac OS X 10.5 Leopard インストール DVD から起動します。注記:Leopard を再インストールする必要は有りません。
「ユーティリティ」メニューから「リセットパスワード」を選びます。
画面の指示に従って root パスワードをリセットします(root アカウントはあなたのアカウントと同じでは有りません)。
Mac OS X Leopard がインストールされたボリュームから再起動します。』などと書いてある。しかし、私の場合、起動DVDからすら立ち上がらないので、修理ということで、対応してもらうことに。宅配業者が取りにきて修理したらまた送り返してくれるらしい。箱なども業者が持参するので、本体だけ渡せばいいという。
それで少し安心した。
昨日、顧客から急きょ説明を求められる事態が発生して、その日は絶対立ち寄らないエリアまで迂回しなければならなくなった。一段落してまたもとに戻るとき、数日前に適当な中古がないかチェックしたハードオフの前を通ったので立ち寄ったら、一台だけ、比較的良好なウィンドウズパソコンが、本体のみで展示されていた。もう一台は、要らないブラウン管ディスプレイ付きで2万円台のものが前からあって、セット販売なので、敬遠していたのだが、それよりちょと高い値段で、本体のみなのでスペックを見たら、セレロン3.2G、内蔵HDは200GB,内蔵メモリーも約1GBつきで、もちろんXP仕様。しかし、デスクトップはみな安くジャンク品扱いである。それで、ダメモトを覚悟で買ってしまった。
帰ってみて驚いた。キーボードやマウス(ボール式)は新品で、マニュアルの印刷は2006年11月。リカバリディスクや、ドライバディスクなどもほとんどタッチされていないような、保証書つきの新古品。
それで、いちおう幾つか使用頻度の高いソフトをインストール。HDに余裕があるので、MacのエミュレータBasiliskIIもCDからコピーして立ち上げてみた。ソリテアをフル画面モードで行っている様子で、右奥が
新しく置き換わったパソコン、eMachineです。
CPUの性能が、今までで一番早い部類なので、エミュレータでMathematicaを動かしてみたら、意外と遅い。
会社でAMD製のCPUの1G以下の速度での結果よりさらに遅く、時間のかかる計算だが、100秒を越えてしまった。以前は80秒台だったのに。セレロンは、クロックは高くとも、内部回路が少し貧弱なのかもしれない。
パワーPCの命令セットをインテルで翻訳しながら行うので、遅くて当然なのだが、ソリテアの早さで得られた早い!!という印象がものの見事に裏切られた形となった。
ちなみに、Macで、クラシック環境を起動して、パワーPC本来の動きで計算させると6秒台で終わってしまったが、このMacもいずれ寿命が来たら、古いソフトが動く環境は、インテルMacになってそれを継承しない方針らしいので、Win内でBasiliskIIぐらいしか実行環境が見つからない。
それで、Winで動く数式処理ソフトMapleは貴重だが、最近のバージョンでは値段がMathematicaなみに高くなって、私のバージョンもバージョンアップで最新版に移行できるのだが、ネットで買おうとすると、国名でJapanがはずされJamicaしか出てこず、どうしても割高の日本国内の代理店を通して買わせる算段のようだと思った。
それで、別室に放置されていて時々使うMacノートを、半分ぐらいはWinパソコンとして使おうとして運んできていざ使おうとしたら、前からちょっとおかしいなと思っていたことが、さらに厳しい現実として現れた。
要するに、通常のユーザーとしてしか使用できず、以前から当たり前だったウィンドウズの起動すらできなくなっていた。すべて現在のままの設定でしか使えず、変更しようとしても管理者名とパスワードを要求してくるが、それをいれてもどちらかがちがいます!と設定変更を受け付けなくなってしまっていた。もちろん、ただMacとして使う分には問題がないのだが、Winパソコンが毀れた今となってはそれでは宝の持ち腐れでしかない。
パスワードなどの再設定は、起動用DVDから起動して、内蔵のHDを外付けHDあるいは増設HDとみなして、設定を変えることができるのだが、それすら、再起動にパスワードを求めてきて、入れても拒否されてしまう。
optionキーを押しながら再起動すると、Macからはウィンドウズが、ウィンドウズ状態からはMacが起動するようにできているので、それも試したが、南京錠マークが出てきて受け付けない。
それで、フリーダイヤルでアップルのサポートと電話で話して症状を訴えた。すると、以前の10.4から10.5にOSをアップするときに、新規インストールをしていない場合、そうした症状が出てくるケースがあるらしく、私は雑誌で見て、iMacはかならず新規インストールをと言うのを見ていながら、軽く考えて上書きインストールでOSのバージョンアップをしてしまっていた。
最初は、ログイン画面でパスワードなど入れなくてもよかったものが、いちいち煩く出てくるな、と思っていたら、すべてのちょっとしたシステム設定が不可能になってきていた。
アップルの回答は、アカウント画面で、所有者名の下に「通常」という文字が出ていればそうした症状ケースだという。それで、電話で話したときは、起動DVDを持参しないで、ノートを立ち上げただけで、症状確認をしてもらい、解決法を、メールで送ってもらった。
http://docs.info.apple.com/jarticle.html?artnum=306876
『Mac OS X 10.5: 管理者ユーザが通常ユーザに変わる
最終更新: 2007.11.09
Article ID: 306876
問題または現象
Mac OS X 10.5 Leopard へのアップグレードインストール(デフォルトのインストール方式)を行うと、管理者ユーザアカウントが通常ユーザアカウントに変更される場合があります。
対象となる製品
Mac OS X 10.5
解決方法
Mac OS X 10.5 Leopard インストール DVD から起動します。注記:Leopard を再インストールする必要は有りません。
「ユーティリティ」メニューから「リセットパスワード」を選びます。
画面の指示に従って root パスワードをリセットします(root アカウントはあなたのアカウントと同じでは有りません)。
Mac OS X Leopard がインストールされたボリュームから再起動します。』などと書いてある。しかし、私の場合、起動DVDからすら立ち上がらないので、修理ということで、対応してもらうことに。宅配業者が取りにきて修理したらまた送り返してくれるらしい。箱なども業者が持参するので、本体だけ渡せばいいという。
それで少し安心した。
昨日、顧客から急きょ説明を求められる事態が発生して、その日は絶対立ち寄らないエリアまで迂回しなければならなくなった。一段落してまたもとに戻るとき、数日前に適当な中古がないかチェックしたハードオフの前を通ったので立ち寄ったら、一台だけ、比較的良好なウィンドウズパソコンが、本体のみで展示されていた。もう一台は、要らないブラウン管ディスプレイ付きで2万円台のものが前からあって、セット販売なので、敬遠していたのだが、それよりちょと高い値段で、本体のみなのでスペックを見たら、セレロン3.2G、内蔵HDは200GB,内蔵メモリーも約1GBつきで、もちろんXP仕様。しかし、デスクトップはみな安くジャンク品扱いである。それで、ダメモトを覚悟で買ってしまった。
帰ってみて驚いた。キーボードやマウス(ボール式)は新品で、マニュアルの印刷は2006年11月。リカバリディスクや、ドライバディスクなどもほとんどタッチされていないような、保証書つきの新古品。
それで、いちおう幾つか使用頻度の高いソフトをインストール。HDに余裕があるので、MacのエミュレータBasiliskIIもCDからコピーして立ち上げてみた。ソリテアをフル画面モードで行っている様子で、右奥が
新しく置き換わったパソコン、eMachineです。
CPUの性能が、今までで一番早い部類なので、エミュレータでMathematicaを動かしてみたら、意外と遅い。
会社でAMD製のCPUの1G以下の速度での結果よりさらに遅く、時間のかかる計算だが、100秒を越えてしまった。以前は80秒台だったのに。セレロンは、クロックは高くとも、内部回路が少し貧弱なのかもしれない。
パワーPCの命令セットをインテルで翻訳しながら行うので、遅くて当然なのだが、ソリテアの早さで得られた早い!!という印象がものの見事に裏切られた形となった。
ちなみに、Macで、クラシック環境を起動して、パワーPC本来の動きで計算させると6秒台で終わってしまったが、このMacもいずれ寿命が来たら、古いソフトが動く環境は、インテルMacになってそれを継承しない方針らしいので、Win内でBasiliskIIぐらいしか実行環境が見つからない。
それで、Winで動く数式処理ソフトMapleは貴重だが、最近のバージョンでは値段がMathematicaなみに高くなって、私のバージョンもバージョンアップで最新版に移行できるのだが、ネットで買おうとすると、国名でJapanがはずされJamicaしか出てこず、どうしても割高の日本国内の代理店を通して買わせる算段のようだと思った。
日曜日, 12月 09, 2007
線形代数にそれ本来の座が与えられる ブルバキ(数学史)
ニコラ・ブルバキ『ブルバキ数学史 上』村田全・清水達雄訳、ちくま学術文庫、2006、153p。
夜勤疲れの頭のウオーミングアップに何気なく手にとった出版案内冊子の巻頭にあった。最近、行列やベクトルがまた気になりだして、あれこれ読み返していたこともあり、思わず引き込まれた。
大学教養課程での授業では、微積分と並んで線形代数は理系の数学の必修科目だという。今でも、昔受けた数学の授業で印象に残っているのは、偏微分と行列計算の大変なことがすぐ思い出される。あの頃は、教授が書いた教科書だったのでは、と思うが今となってははっきりしない。
ところで、微積分のほうは、テイラー展開、偏微分、重責分といかにも大学の数学という内容に満ちているのに、線形代数は、講義の中味が、どうしても連立一次方程式を解くことが中心になりがちで、中学生にも馴染みがあったりして、いちおう大学なので、高次元の空間のベクトルを扱ったりするが、多次元空間と言ってもSFのような奇抜な話しがあるわけではないらしく具体的な技法が中心になりやすいのだろう。
梶原教授も書かれているが、『不思議なことに我が国の大学院入試問題は、佐竹一郎(行列と行列式、裳華房)にルーツを持つようである。出題者がこの本で勉強したのであろうか。・・・』だといい、この冊子を書かれた斉藤毅先生も、佐竹氏の前述の本と、藤原正彦氏の「線型代数入門」(どちらも、日本数学界の出版文化章に輝いた、とある)とがすでに名著としてあるのに、なぜまた線形代数の教科書を書いたか、その理由を書かれていて、なんども挫折しているものとして、つい興味深く読ませていただいた。
たとえば、以下の記述。『1年生にとっての線形代数の舞台は、座標の定められた高次元の空間という、ひとつしかないものである。2年生にとっては、いくつかの公理が満たされるなら、どんなものでも線形代数の対象となる。関数の空間でも、数列の空間でもよい。もっと抽象的に構成される空間でもよいし、構成法すら知らない空間であってもよいのである。それに応じて、連立一次方程式を解く技術ではなく、抽象的な数学の考え方を線形代数を通じて学ぶことがだいじな内容になってくる。』
梶原教授(米国数学会名誉会員)も、「新修線形代数」(現代数学社刊)中で、たとえば
『空間のベクトルは幾何学的横顔と代数的素顔を持ち、両者は全く異質に思われ、同一視することに抵抗を感じる読者が多いと思う。そして、実はこれに敏感に反応する読者ほど、数学的感度がが高い。』などと書かれている。
『かく申す私も、大学の教養の「代数および幾何学」で有向線分が、実数がみっつ並んだ数ベクトルに等しいことを先生は力説されるが、合点がいかなんだ。・・・有向線分の同値類であるところの有向線分の一つの集合がベクトルである。このベクトルを代表する有向線分のとり方に依らぬ性質こそ、その大きさと向きであり、これがベクトル固有の量である。・・・一方、空間に基底をなすベクトルを定めておくと任意のベクトルは基底の一次結合で表され、数字がみっつならんだ数ベクトルが対応する。ベクトルに対して数ベクトルが一対一に対応し、ベクトルの演算には数ベクトルの代数的演算が対応する。このように二つの幾何学的対象の間に、一対一の対応があり、演算が保存されるとき、両者は同じであると考える。これが現代数学のエスプリである。』
斉藤毅先生も御自身の体験から「一年生の線形代数は、高次元の空間を見るのが初めてだから、高次元空間のベクトルや行列をいろいろ具体的に扱ってみてそれに慣れる、というのが主な内容となる。抽象的な線形空間も扱うことになっているが、そのあたりはどうしても学生の理解度が低くなる」という。勇気が出て読み進む。
「その辺にこだわり過ぎると、学生アンケートの評価も低くなる。ところが、線形代数がほんとうに面白くなってきてそのありがたみが分かってくるのは、抽象的な線形空間を扱うようになってからなのだ。」
「数学の歴史の中で、根本的な視点の転換が度々起きている。古くは空間というものはひとつしかないもので、その中にあるものが数学の対象と考えられてきた。それがいろいろな空間を仮定して、個々の空間そのものを数学の対象の対象と考えるようになったことは、抽象化へ向けての大きな転換点であった。今でも数学を勉強して行くと、この転換点を必ず通ることになる。」
距離空間、ベクトル空間、ヒルベルト空間、プレヒルベルト空間、バナッハ空間、・・・梶原教授は位相空間の具体的なおもしろい説明を試みられている。(新修解析学、現代数学社刊)。各空間が、数学者の仕事場なのだ、という話しもどこかで聞いた。
こんど、斉藤先生のかかれた「線形代数」の本は大学2.3年生の必修科目になっている現代数学の基礎的な部分について標準的な教科書をそろえようという企画の、シリーズ「大学数学の入門」中の一冊らしい。
抽象的な話しに重点を置いた線形代数の教科書があればいいのにと思っていたというから、書店で見かけたら是非てにとってみたい。
以上は、数学教師を目指すような方向でのはなしで、工学部や他学部で、具体的な問題に線形代数を使おうという立場での話しも参考になろう。
たとえば、代表例として『工学と固有値』(線形代数ア・ラカルト、日本評論社、1981年12月号の記事から)で、甘利先生は前口上で、
『線形代数と言えば、理工系の基礎数学の華、そのまた中心が固有値というわけで、理工系の学生は固有値・固有ベクトルを避けて通るわけにはいかない。ところが固有値の意味が意外によくわからないという。これもまたもっともな話しである。固有値のしくみがすべてわかれば、線形代数がほとんど分かった、と言っていいのだし、線形代数はやさしいようでいてよく考えると存外難しいものだからである。』と。
そして、教師の教え方にも問題があり、工学部に進学してもとりあえず困らないように固有値、固有ベクトルの計算法でも教えておこう、と悟られて教えられたりしたら、イメージの湧きようがないだろう、という意味のことを述べておられる。
また、『線形代数こそは現代数学流の論理構成のひな型である』と張りきってしまい、公理からスタートして直感を排して厳密な論証に基づく統一的な理論構成云々タイプでも困る、という。話しのために、先生自身は豊かなイメージを持っておられるのに、意地悪くも(講義からの脱線が心配!?)それを隠してしまう、という。
「厳密な論証の糸にがんじがらめになりながらも、自分流のイメージを構成することに成功した学生だけが、論証をも真に理解できるという仕掛けになっている」とおっしゃる。
そして、イメージで理解する線形代数をやってみようと思う、で本論がスタート、終わりでは、思うようにイメージが鮮明かどうかも心もとない、と断りつつも、『行列だ、固有値だと言っても、線形変換の行列と二次形式の行列とではその性質がまったく違うこと、(基底を変換すると、一方はP^-1APでかわり、他方はP^tAPで変わる)したがって両者に対してまったく別々のイメージを抱かねばならない、ということである。』とされている。
もっとも、自己随伴変換の行列でなどを通じて両者が結びつくから話しはややこしくなる、とも。
ニコラ・ブルバキ『ブルバキ数学史 上』村田全・清水達雄訳、ちくま学術文庫、2006、153p。
夜勤疲れの頭のウオーミングアップに何気なく手にとった出版案内冊子の巻頭にあった。最近、行列やベクトルがまた気になりだして、あれこれ読み返していたこともあり、思わず引き込まれた。
大学教養課程での授業では、微積分と並んで線形代数は理系の数学の必修科目だという。今でも、昔受けた数学の授業で印象に残っているのは、偏微分と行列計算の大変なことがすぐ思い出される。あの頃は、教授が書いた教科書だったのでは、と思うが今となってははっきりしない。
ところで、微積分のほうは、テイラー展開、偏微分、重責分といかにも大学の数学という内容に満ちているのに、線形代数は、講義の中味が、どうしても連立一次方程式を解くことが中心になりがちで、中学生にも馴染みがあったりして、いちおう大学なので、高次元の空間のベクトルを扱ったりするが、多次元空間と言ってもSFのような奇抜な話しがあるわけではないらしく具体的な技法が中心になりやすいのだろう。
梶原教授も書かれているが、『不思議なことに我が国の大学院入試問題は、佐竹一郎(行列と行列式、裳華房)にルーツを持つようである。出題者がこの本で勉強したのであろうか。・・・』だといい、この冊子を書かれた斉藤毅先生も、佐竹氏の前述の本と、藤原正彦氏の「線型代数入門」(どちらも、日本数学界の出版文化章に輝いた、とある)とがすでに名著としてあるのに、なぜまた線形代数の教科書を書いたか、その理由を書かれていて、なんども挫折しているものとして、つい興味深く読ませていただいた。
たとえば、以下の記述。『1年生にとっての線形代数の舞台は、座標の定められた高次元の空間という、ひとつしかないものである。2年生にとっては、いくつかの公理が満たされるなら、どんなものでも線形代数の対象となる。関数の空間でも、数列の空間でもよい。もっと抽象的に構成される空間でもよいし、構成法すら知らない空間であってもよいのである。それに応じて、連立一次方程式を解く技術ではなく、抽象的な数学の考え方を線形代数を通じて学ぶことがだいじな内容になってくる。』
梶原教授(米国数学会名誉会員)も、「新修線形代数」(現代数学社刊)中で、たとえば
『空間のベクトルは幾何学的横顔と代数的素顔を持ち、両者は全く異質に思われ、同一視することに抵抗を感じる読者が多いと思う。そして、実はこれに敏感に反応する読者ほど、数学的感度がが高い。』などと書かれている。
『かく申す私も、大学の教養の「代数および幾何学」で有向線分が、実数がみっつ並んだ数ベクトルに等しいことを先生は力説されるが、合点がいかなんだ。・・・有向線分の同値類であるところの有向線分の一つの集合がベクトルである。このベクトルを代表する有向線分のとり方に依らぬ性質こそ、その大きさと向きであり、これがベクトル固有の量である。・・・一方、空間に基底をなすベクトルを定めておくと任意のベクトルは基底の一次結合で表され、数字がみっつならんだ数ベクトルが対応する。ベクトルに対して数ベクトルが一対一に対応し、ベクトルの演算には数ベクトルの代数的演算が対応する。このように二つの幾何学的対象の間に、一対一の対応があり、演算が保存されるとき、両者は同じであると考える。これが現代数学のエスプリである。』
斉藤毅先生も御自身の体験から「一年生の線形代数は、高次元の空間を見るのが初めてだから、高次元空間のベクトルや行列をいろいろ具体的に扱ってみてそれに慣れる、というのが主な内容となる。抽象的な線形空間も扱うことになっているが、そのあたりはどうしても学生の理解度が低くなる」という。勇気が出て読み進む。
「その辺にこだわり過ぎると、学生アンケートの評価も低くなる。ところが、線形代数がほんとうに面白くなってきてそのありがたみが分かってくるのは、抽象的な線形空間を扱うようになってからなのだ。」
「数学の歴史の中で、根本的な視点の転換が度々起きている。古くは空間というものはひとつしかないもので、その中にあるものが数学の対象と考えられてきた。それがいろいろな空間を仮定して、個々の空間そのものを数学の対象の対象と考えるようになったことは、抽象化へ向けての大きな転換点であった。今でも数学を勉強して行くと、この転換点を必ず通ることになる。」
距離空間、ベクトル空間、ヒルベルト空間、プレヒルベルト空間、バナッハ空間、・・・梶原教授は位相空間の具体的なおもしろい説明を試みられている。(新修解析学、現代数学社刊)。各空間が、数学者の仕事場なのだ、という話しもどこかで聞いた。
こんど、斉藤先生のかかれた「線形代数」の本は大学2.3年生の必修科目になっている現代数学の基礎的な部分について標準的な教科書をそろえようという企画の、シリーズ「大学数学の入門」中の一冊らしい。
抽象的な話しに重点を置いた線形代数の教科書があればいいのにと思っていたというから、書店で見かけたら是非てにとってみたい。
以上は、数学教師を目指すような方向でのはなしで、工学部や他学部で、具体的な問題に線形代数を使おうという立場での話しも参考になろう。
たとえば、代表例として『工学と固有値』(線形代数ア・ラカルト、日本評論社、1981年12月号の記事から)で、甘利先生は前口上で、
『線形代数と言えば、理工系の基礎数学の華、そのまた中心が固有値というわけで、理工系の学生は固有値・固有ベクトルを避けて通るわけにはいかない。ところが固有値の意味が意外によくわからないという。これもまたもっともな話しである。固有値のしくみがすべてわかれば、線形代数がほとんど分かった、と言っていいのだし、線形代数はやさしいようでいてよく考えると存外難しいものだからである。』と。
そして、教師の教え方にも問題があり、工学部に進学してもとりあえず困らないように固有値、固有ベクトルの計算法でも教えておこう、と悟られて教えられたりしたら、イメージの湧きようがないだろう、という意味のことを述べておられる。
また、『線形代数こそは現代数学流の論理構成のひな型である』と張りきってしまい、公理からスタートして直感を排して厳密な論証に基づく統一的な理論構成云々タイプでも困る、という。話しのために、先生自身は豊かなイメージを持っておられるのに、意地悪くも(講義からの脱線が心配!?)それを隠してしまう、という。
「厳密な論証の糸にがんじがらめになりながらも、自分流のイメージを構成することに成功した学生だけが、論証をも真に理解できるという仕掛けになっている」とおっしゃる。
そして、イメージで理解する線形代数をやってみようと思う、で本論がスタート、終わりでは、思うようにイメージが鮮明かどうかも心もとない、と断りつつも、『行列だ、固有値だと言っても、線形変換の行列と二次形式の行列とではその性質がまったく違うこと、(基底を変換すると、一方はP^-1APでかわり、他方はP^tAPで変わる)したがって両者に対してまったく別々のイメージを抱かねばならない、ということである。』とされている。
もっとも、自己随伴変換の行列でなどを通じて両者が結びつくから話しはややこしくなる、とも。
木曜日, 12月 06, 2007
今日は天気予報どおりの小春日和となり、昼間はバイクで動くのには絶好の日和で、多くのライダー達をあちこちで見かけた。
午後3時過ぎ、仕事があと少しを残して今日はもう終わりだ、と言う頃国道16号をゆっくり音もなく走るバイクが視界にはいり、珍しい左側一本のみのマフラーが注目を引き、つづいてBMW250の単気筒バイクと認識。たしか18PSぐらいで、時速130キロ以上140位までは出る、当時としては高性能バイクだったはず、といった内容が頭をよぎる。
すぐ車列にまぎれ見えなくなるだろうと多寡をくくっていたら、見えなくなりそうでいて、ずっと視界に。それで、とうとう携帯で車内から撮影してしまった。しかも運良く交差点の停止線で並ぶことさえできた。
生憎、初冬の太陽は午後3時を回る頃にはかなり高度がさがり、車体の陰となってしまい、見難い写真となってしまったが、肉眼ではさりげなくあちこちチェック。プラグコードには所々赤のビニールテープで補修の跡があるほかは、音は静かで車内からはまったく単気筒の鼓動は伺い知ることは、残念ながらできなかった。その他はこれといって欠品や錆などほとんどない比較的程度の良好なバイクと思えた。ライダー氏は、もちろん年配の方らしい。この後静かに発進すると、次の交差点で左折して別れてしまった。運転の眠気を覚ますには持って来いの、思わぬ僥倖的な出会いであった。
この手の古いタイプのBMWに再びお目にかかれるのは、あとまた数年先かもしれない、などと考えた。
名前も製造年も不明なので、ネットで漁ったら、販売目的の写真が最初に出てきた。単気筒 250 BMWの三語で検索。
http://ichiba.geocities.jp/seiyaa_desk/bmwr26.html
には、各部の程度などが詳しく出ているようだ。本日は撮れずじまいだった、左サイドからの美しい写真であった。
http://www.occn.zaq.ne.jp/imafuku/roppow/bmwr26.htm
では、このタイプの古いものを再生した記録付きで、やはり各部のパーツや分解手順なども記されていていた。R69Sタイプのタンデムシートモデルだ。
『この時代のバイクの再生は、どんなグレードであっても業者に依頼すれば同程度の費用がかかります。250㏄だから安くつくという事はありません。もしこういうバイクが途方もない値段で売りに出されていたとしても、恐らくその程度の出費をしているのであって、安いものは別にそれだけの手をかける必要があると覚悟して下さい。基本的にこの時代のものには中古という価値観がありませんので手をかけた分だけ加算されるものなのです。部品代はそこそこですが、かなりの技術が必要で、手間賃を加算すると再生は新車よりはるかに高く付くのです。そんな理由から、どうしてもR26よりハイグレードなR27、究極のR69Sなんかへ人気がシフトするのは仕方のない事でしょうね。』
『キャブレターの構造上アイドリングは安定しませんが、でかいフライホイールのおかげで360rpm程度でも止まる事はありません。1秒で3回しか爆発音がしないんですよ。これだけ遅いとギアが入らなくなりますので、実用上は500rpmあたりでフラフラしているのが適当でしょう。』
『単気筒4速は、普通につないでいくと原付バイクの様な加速感覚をします。トップまでいってメーターを見ると、まだ40㎞/h程度だったりして・・・車体がうなるぐらいまで引っ張ってからつないでいくと良いようです。音と振動で結構ぶん回している感じがしますが、そのあたりで3000rpm程度しかまわっていません。また60㎞/h以上での走行は強烈な振動の攻撃を受けます。15馬力は今の交通事情について行くには力不足です。頑張れば普通の流れについては行けますが、神経と体力をひたすら消耗する「自己バトル」状態になります。』
これは1958年型なので、15馬力ということらしい。1960年のR27で18馬力なのかもしれない。
ついでにもう一つ。ここは、BMWクラブの面々が所有する現代のBMWの写真なども豊富に掲載されている。
http://www12.plala.or.jp/bmwmotorcycle/kaiinkojini.html
『「まだ1日に1000km位は走れるよ」そして、「モーターサイクルは走らせてやらないと、どんどんだめになるから」ともいい残すと、R26独特のスターティング・ウォブルに身を任せながらクラッチを慎重にミートする。脊髄にまでフレームが貫通しているかのように寄妙な錯覚を憶えるライディング・フォームで軽快にコーナーをリーンウイズで抜けて行くオーナーの後姿を見ていると、“バイエルンの黒い疾風”と呼ぶには、あまりにものどかで、爽かな風が吹き抜けるような感じがした。』
水曜日, 12月 05, 2007
ネットで調べたら、最小二乗法(自乗法)について簡潔な説明があった。
http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_1161540033/content.html
『一般に、測定値は、真の値に対して標準偏差が正規分布するように誤差をふくんでいる場合が多い。そのような場合には、それぞれのデータと理論値との差の二乗和S(残差二乗和)が最小になるようにパラメーターpiを推定する最小二乗法を採用するとよいことがわかっている』
とか、
『具体的には、残差二乗和Sの、各パラメーターpiによる偏微分∂s /∂piが0になるようにパラメーターをきめる。理論モデルがパラメーターに関して線形である場合、すなわちパラメーターの1次式とみなせる場合、∂s /∂piを0とおいたn個の式からn元連立1次方程式がつくられるため、行列演算でパラメーターを容易にもとめることができる(→ 行列論と線形代数学)。これを線形最小二乗法という。』
とあり、さらに、非線形な場合にも言及されている。
『一方、理論モデルがパラメーターに関して非線形である場合は、∂s /∂piが整式にならず、偏微分要素がのこるため、連立1次方程式がつくれない。そこで、ニュートン法などを利用して、逐次的に非線形方程式の近似解をもとめることになる。これを非線形最小二乗法という』
などとあり、数式処理ソフトMathematicaなどでは、これにも対応している。Mathematicaでは、線形の場合でも、変数にSin[x]なども選択できて、かなり便利である。
非線形の場合は、予想される関数形を想定して適当なパラメーターを事前に選び、後は逐次近似法(あるいは反復法)で、推定誤差が小さくなるように、自動計算され、結果が逐次示されていき、そのモデルでの最終結果まで続く。したがって、モデリングが重要となる。
『18世紀イタリアの数学者、天文学者、物理学者であったR.J.ボスコビッチは、土地の測量で観測地にもっともうまく適合する値をもとめるために、最小二乗法の先駆的な研究をおこなった。また、ドイツの数学者カール・F.ガウスは、1795年から天文学の計算に最小二乗法をもちいていた。ただし、著作の中でふれたのは、1809年の「天体の運動理論」がはじめてである。彼はその本の中で誤差論を展開し、みずから測定した彗星の軌道計算や三角測量に応用した。しかし、フランスの数学者A.ルジャンドルは、ガウスと独立に最小二乗法の原理を発見し、06年に公刊した「彗星の軌道決定のための新方法」の中で論じていた。両者の間で先取権論争がおこったことは有名である。一般に、最小二乗法の発見者はガウスということにされるが、公刊物にしめしてはじめて先取権を主張できる、という現在の習慣を適用すれば、かならずしもそうとはいえない。』
としているが、これは、事後法で行う裁判結果みたいな判断といえないだろうか?
数学史上では、決着がついているようである。しかし、数学者、数学史家といえども、肩入れの仕方でニュアンスに差がでるかもしれない微妙な問題を含んでいるような気もしないではない。
前回紹介した、『最小二乗法の歴史』(安藤洋美)の表紙の写真というか肖像画は、ガウス26歳(1803)のときとされている。ガウスの『天体運動論』は1809年にようやく刊行され、ルジャンドルによる
最小二乗法の粗い発表は1805年であったが、ガウスの天体運動論は実はもっと前から準備されていたらしいが、ナポレオン侵攻によりドイツは混乱していて、出版が遅れたという。ドイツ語ではだめで、ラテン語にしてようやく出版されたという。しかし、皮肉なことに、まもなくラテン語は、首座から下りて行く時代が来る直前であったようだ。
ナポレオンは1806年7月西部ドイツの16の公国を合併し、ライン同盟をつくり盟主となる。やむなく、プロシャは、ロシアと組んでフランスに宣戦布告、総司令官は、ガウスの庇護者であったブラウンシュヴァイク公であったが、10月14日、イエナの会戦で公爵は左目が飛び出す重傷を負った、という。
英国亡命中、11月10日死去。ナポレオンは占領地に戦争税を課し、ガウスの割り当ては2000フランであったが、貧乏なガウスにはとても払えず、ラプラスがパリで立替払いをした、という。ガウスは以後利子つきで、ラプラスに返済をすることになった。ナポレオンへの憎悪は、ラプラスはともかく、ルジャンドルの上に増幅される、と安藤氏は書かれている。
今回、当時の2000フランが今日の円換算でどれくらいのものであったか、私には関心があった。高木貞二先生が、ガウスの数学ノートの書き込みとして、こんなに生活が苦しいなら、死んだほうがましだ、というような書き込みがある、などと紹介されていたので、・・・。ガウスの息子の一人は、アメリカに渡り、有名な化学会社創立にかかわったりするのだが、・・・。人をやとって計算させたら?などというアドヴァイスにガウスは激怒したとも。
http://www.hpmix.com/home/komori/C5_2.htm
を拝見したら、お金の話がいろいろあり、ヒントになる話があった。
『19世紀のフランスの文豪ヴィクトル・ユゴーは「レ・ミゼラブル」で、自らの60年を振り返るかのように、金銭をめぐる人間の葛藤を悲壮かつおごそかに描いた。ジャン・ヴァルジャンは、60万フラン(1860年頃の6億円)も、愛する者を失ったかなしみの前では何の役にも立たないと嘆いている。生きる金と死ぬ金。』
半世紀ほど後の貨幣価値であるが、単純計算でいくと、ガウスにナポレオンに課せられた戦争税は、200万円ぐらいということになる。今日では、普通車の新車並値段ぐらいということになりそうだが、
・・・。完成させた天体運動論は、ドイツ語で書かれていて、出版を引き受けてくれる業者がいるはずもなかった、と記述されている。それで、ラテン語なら、ということで、ようやく刊行へと、・・・。
安藤氏の著作では、「ルジャンドルの限界」という項をもうけ、ルジャンドルの最小二乗法は、確率的枠組みがなかった。シンプソンいらいの観測誤差論の影響は、そこには微塵も感じられない。概念の系譜からいうと、ボスコビッチの補間法の延長線上のものである。また、彼が称した誤差は、今日の残差に当たる。このように彼の最小二乗法は大いなる欠陥が見られるのにもかかわらず、適用のしやすさで高く評価された、とある。
ある程度の成功を収めたルジャンドルは、ナポレオンの没落と歩調を合わせるように、学者としての地位を絶えず脅かされるようになる。大陸各国の反ナポレオン感情の発生と、、ガウスの執拗なまでの反ルジャンドル・キャンペーンは、無関係とはいえないような気がする、と記述されている。
最小二乗法の先取権の問題について、総じてフランスの学者たちの態度は冷静、公正である、という。ガウスの戦争税を立替払いをした、というフランス数学者ラプラスは『確率の解析的理論』の第4章24節であるというが、
『ルジャンドルは観測の誤差の平方和をつくり、それを最小にするという簡単な発想をした。そうすると補正すべき要素の数と同じだけの終結方程式が得られた。この博学の数学者こそがこの方法を公表した最初の人である。しかしこのことが公表される何年も前から、ガウスも同じ考えを持っていて、ずっと使っていたばかりか、多くの天文学者に伝えていたことを注意するのが公平だろう。ガウスは「天体運動論」の中でこの方法を確率論と結びつけることを研究した。観測者たちによって認められた、多数の観測値の算術平均の規則を一般的に成立させている観測誤差のあの法則が、同時に観測誤差の最小二乗法の規則をも与えることを示した」ときわめて公正に、事実をありのままに述べている、と結んでいる。
さらに、安藤氏は、ガウスの証明は、行列やベクトルを使っていないけれども、そのまま線形代数が適用できる、という。実際に最小二乗法の研究に最初に線形代数が適用されたのは、約110年後の1935年、エジンバラのエイトケンによるという。線形代数が数学に出てきたのが1930年代とは、現代数学社の雑誌で知っていたが、・・。
ガウスの偉大さは、推論の筋をそのまま現代風に書き換えることができる点にある、という。そして、マトリクスとシステムの本で展開されているのと同様な、行列とベクトル表現が示されている。
最初のガウスの最小二乗法の三番目の証明で、「もしも誤差が正規分布にしたがうとすれば算術平均は最確値である。算術平均が観測誤差を結合するすぐれた方法として一般的に認められている。それで誤差分布は正規分布であると考えられるというのである。・・・十数年後、ガウスはこの拙い推論の連鎖に気づく。
ガウスの貢献とした12章では、ガウスの最小二乗法の研究は1821年から26年にかけて発表された『誤差を最小にとどめる観測値の組み合わせ論』三部作に結実している、とだけ紹介して、今回は終わる。
研究には、なかなか終わりというものが無いのが実感である。
http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_1161540033/content.html
『一般に、測定値は、真の値に対して標準偏差が正規分布するように誤差をふくんでいる場合が多い。そのような場合には、それぞれのデータと理論値との差の二乗和S(残差二乗和)が最小になるようにパラメーターpiを推定する最小二乗法を採用するとよいことがわかっている』
とか、
『具体的には、残差二乗和Sの、各パラメーターpiによる偏微分∂s /∂piが0になるようにパラメーターをきめる。理論モデルがパラメーターに関して線形である場合、すなわちパラメーターの1次式とみなせる場合、∂s /∂piを0とおいたn個の式からn元連立1次方程式がつくられるため、行列演算でパラメーターを容易にもとめることができる(→ 行列論と線形代数学)。これを線形最小二乗法という。』
とあり、さらに、非線形な場合にも言及されている。
『一方、理論モデルがパラメーターに関して非線形である場合は、∂s /∂piが整式にならず、偏微分要素がのこるため、連立1次方程式がつくれない。そこで、ニュートン法などを利用して、逐次的に非線形方程式の近似解をもとめることになる。これを非線形最小二乗法という』
などとあり、数式処理ソフトMathematicaなどでは、これにも対応している。Mathematicaでは、線形の場合でも、変数にSin[x]なども選択できて、かなり便利である。
非線形の場合は、予想される関数形を想定して適当なパラメーターを事前に選び、後は逐次近似法(あるいは反復法)で、推定誤差が小さくなるように、自動計算され、結果が逐次示されていき、そのモデルでの最終結果まで続く。したがって、モデリングが重要となる。
『18世紀イタリアの数学者、天文学者、物理学者であったR.J.ボスコビッチは、土地の測量で観測地にもっともうまく適合する値をもとめるために、最小二乗法の先駆的な研究をおこなった。また、ドイツの数学者カール・F.ガウスは、1795年から天文学の計算に最小二乗法をもちいていた。ただし、著作の中でふれたのは、1809年の「天体の運動理論」がはじめてである。彼はその本の中で誤差論を展開し、みずから測定した彗星の軌道計算や三角測量に応用した。しかし、フランスの数学者A.ルジャンドルは、ガウスと独立に最小二乗法の原理を発見し、06年に公刊した「彗星の軌道決定のための新方法」の中で論じていた。両者の間で先取権論争がおこったことは有名である。一般に、最小二乗法の発見者はガウスということにされるが、公刊物にしめしてはじめて先取権を主張できる、という現在の習慣を適用すれば、かならずしもそうとはいえない。』
としているが、これは、事後法で行う裁判結果みたいな判断といえないだろうか?
数学史上では、決着がついているようである。しかし、数学者、数学史家といえども、肩入れの仕方でニュアンスに差がでるかもしれない微妙な問題を含んでいるような気もしないではない。
前回紹介した、『最小二乗法の歴史』(安藤洋美)の表紙の写真というか肖像画は、ガウス26歳(1803)のときとされている。ガウスの『天体運動論』は1809年にようやく刊行され、ルジャンドルによる
最小二乗法の粗い発表は1805年であったが、ガウスの天体運動論は実はもっと前から準備されていたらしいが、ナポレオン侵攻によりドイツは混乱していて、出版が遅れたという。ドイツ語ではだめで、ラテン語にしてようやく出版されたという。しかし、皮肉なことに、まもなくラテン語は、首座から下りて行く時代が来る直前であったようだ。
ナポレオンは1806年7月西部ドイツの16の公国を合併し、ライン同盟をつくり盟主となる。やむなく、プロシャは、ロシアと組んでフランスに宣戦布告、総司令官は、ガウスの庇護者であったブラウンシュヴァイク公であったが、10月14日、イエナの会戦で公爵は左目が飛び出す重傷を負った、という。
英国亡命中、11月10日死去。ナポレオンは占領地に戦争税を課し、ガウスの割り当ては2000フランであったが、貧乏なガウスにはとても払えず、ラプラスがパリで立替払いをした、という。ガウスは以後利子つきで、ラプラスに返済をすることになった。ナポレオンへの憎悪は、ラプラスはともかく、ルジャンドルの上に増幅される、と安藤氏は書かれている。
今回、当時の2000フランが今日の円換算でどれくらいのものであったか、私には関心があった。高木貞二先生が、ガウスの数学ノートの書き込みとして、こんなに生活が苦しいなら、死んだほうがましだ、というような書き込みがある、などと紹介されていたので、・・・。ガウスの息子の一人は、アメリカに渡り、有名な化学会社創立にかかわったりするのだが、・・・。人をやとって計算させたら?などというアドヴァイスにガウスは激怒したとも。
http://www.hpmix.com/home/komori/C5_2.htm
を拝見したら、お金の話がいろいろあり、ヒントになる話があった。
『19世紀のフランスの文豪ヴィクトル・ユゴーは「レ・ミゼラブル」で、自らの60年を振り返るかのように、金銭をめぐる人間の葛藤を悲壮かつおごそかに描いた。ジャン・ヴァルジャンは、60万フラン(1860年頃の6億円)も、愛する者を失ったかなしみの前では何の役にも立たないと嘆いている。生きる金と死ぬ金。』
半世紀ほど後の貨幣価値であるが、単純計算でいくと、ガウスにナポレオンに課せられた戦争税は、200万円ぐらいということになる。今日では、普通車の新車並値段ぐらいということになりそうだが、
・・・。完成させた天体運動論は、ドイツ語で書かれていて、出版を引き受けてくれる業者がいるはずもなかった、と記述されている。それで、ラテン語なら、ということで、ようやく刊行へと、・・・。
安藤氏の著作では、「ルジャンドルの限界」という項をもうけ、ルジャンドルの最小二乗法は、確率的枠組みがなかった。シンプソンいらいの観測誤差論の影響は、そこには微塵も感じられない。概念の系譜からいうと、ボスコビッチの補間法の延長線上のものである。また、彼が称した誤差は、今日の残差に当たる。このように彼の最小二乗法は大いなる欠陥が見られるのにもかかわらず、適用のしやすさで高く評価された、とある。
ある程度の成功を収めたルジャンドルは、ナポレオンの没落と歩調を合わせるように、学者としての地位を絶えず脅かされるようになる。大陸各国の反ナポレオン感情の発生と、、ガウスの執拗なまでの反ルジャンドル・キャンペーンは、無関係とはいえないような気がする、と記述されている。
最小二乗法の先取権の問題について、総じてフランスの学者たちの態度は冷静、公正である、という。ガウスの戦争税を立替払いをした、というフランス数学者ラプラスは『確率の解析的理論』の第4章24節であるというが、
『ルジャンドルは観測の誤差の平方和をつくり、それを最小にするという簡単な発想をした。そうすると補正すべき要素の数と同じだけの終結方程式が得られた。この博学の数学者こそがこの方法を公表した最初の人である。しかしこのことが公表される何年も前から、ガウスも同じ考えを持っていて、ずっと使っていたばかりか、多くの天文学者に伝えていたことを注意するのが公平だろう。ガウスは「天体運動論」の中でこの方法を確率論と結びつけることを研究した。観測者たちによって認められた、多数の観測値の算術平均の規則を一般的に成立させている観測誤差のあの法則が、同時に観測誤差の最小二乗法の規則をも与えることを示した」ときわめて公正に、事実をありのままに述べている、と結んでいる。
さらに、安藤氏は、ガウスの証明は、行列やベクトルを使っていないけれども、そのまま線形代数が適用できる、という。実際に最小二乗法の研究に最初に線形代数が適用されたのは、約110年後の1935年、エジンバラのエイトケンによるという。線形代数が数学に出てきたのが1930年代とは、現代数学社の雑誌で知っていたが、・・。
ガウスの偉大さは、推論の筋をそのまま現代風に書き換えることができる点にある、という。そして、マトリクスとシステムの本で展開されているのと同様な、行列とベクトル表現が示されている。
最初のガウスの最小二乗法の三番目の証明で、「もしも誤差が正規分布にしたがうとすれば算術平均は最確値である。算術平均が観測誤差を結合するすぐれた方法として一般的に認められている。それで誤差分布は正規分布であると考えられるというのである。・・・十数年後、ガウスはこの拙い推論の連鎖に気づく。
ガウスの貢献とした12章では、ガウスの最小二乗法の研究は1821年から26年にかけて発表された『誤差を最小にとどめる観測値の組み合わせ論』三部作に結実している、とだけ紹介して、今回は終わる。
研究には、なかなか終わりというものが無いのが実感である。
月曜日, 12月 03, 2007
ビル・ゲイツ氏はMacOSの次期仕様をWindows NTをベースにしてMac風にアレンジすればよいと、当然の如く考えていたそうです。アップルが次期OSのコアとして、BeOS、Windows NT、あるいは NextStepのどれにしようかと模索している時、アップルCEOのギル・アメリオに強くはたらきかけていたそうで、NextStepに決めたと連絡を受けて、烈火の如く怒りを露にしたそうです。ちなみに、BeOS側(ジャン-ルイ)も自分のところのOSで決まり、と踏んでいたらしく値下げ交渉では始終強気だったそうです。ビル・ゲイツはそれで、約束していたWindows NT 4.0でもPower PC上で動作できるようにするという仕様をとりやめました。
『ジャン−ルイと一連の交渉を行うかたわら、私(ギル・アメリオ)はビル・ゲイツとも頻繁に電話で話し合っていた。ビルはあいかわらず乗り気で、契約を結びたがり、技術的な壁を克服するために膨大な人材と資金をつぎ込むという約束を繰り返した。
うまく事を進めれば、「マッキントッシュのルック&フィールを備え、なおかつ、ウィンドウズの世界すべてと互換性があり、インテルのプロセッサ上で動くOS」が手に入るかも知れない。魅力的な長所だ。おもなアドバイザーも、ほとんど毎日のように、ビル・ゲイツとの提携を私に勧めた。しかし、技術的な問題が不安だった。ビルは大丈夫だと請け合ったが、やはり大変な難題に思えた。私はあれこれ言い訳をしながら、ビルとの交渉を引き延ばし、その一方で調査を始めた。』
Windows NTがMacの次期OSとしての目がなくなったときに、ビル・ゲイツ氏はジョブズはまったくのセールスマンで、エンジニアではない、とはき捨てるように言ったそうですが、彼の評価が正しいのなら、ジョブズこそ本当のセールスマンかもしれず、(最初に、アタリ社のゲームを開発した仲間をだまして300ドルしか渡さなかった、約束では500ドルということであった)、小生がセールスマンとするビル・ゲイツは先を越されたと思っているのでは、と思います。ビル・ゲイツは天才かもしれないが、すべてをマイクロソフト社で、というのでは無駄が多すぎる、と思います。事実、ジョブズは、Next のカーネルにMachをうまく取り入れているし、ビル・ゲイツ氏自身、MSDOSを作るとき、ある技術者が作ったものを、IBMが望んでいることはおくびにも出さず、安値で買い上げ修正してIBMに納品し、今日の繁栄の基礎を作りました。アップル社も、現行MacOSの基礎はゼロックス社のパロアルト研究所で原型ができあがったものにおよそ3年近い年月と当時の最良といわれるエンジニヤ達数百人を投入して初代Macへと至るのですから、マイクロソフトにいながら、再挑戦してもマイクロソフトを越える製品の再創出はかなり困難ではないか、と思います。だれが関わるかで、ほとんどすべて結果が決まってしまっているのです。
アップル薄氷の2000日だったと思うがそれを読んで、知人に紹介した1節。ビル・ゲイツ氏自身の愛機が
Macだとは昔から有名な話し。それで、何とかMacを吸収しようと手だてをあれこれ考えたのかもしれない。
しかし、技術的に不安だとアップル社のアメリオ社長は考えたというが、その原因にはあえて触れずに終わっている。それをいうと、Windowsの本質を言ってしまうことになるからなのかもしれない、と考えている。スカリー社長(スティーブ・ジョブスを追い出したアップルの社長)のときも、すでにインテル機、要するにIBM機で動くMacは出来ていて、いつマイクロソフトと合併してもおかしくはなかったそうだ。そうしたら、ウインドウズは、Macライクだったかもしれない。
『ジャン−ルイと一連の交渉を行うかたわら、私(ギル・アメリオ)はビル・ゲイツとも頻繁に電話で話し合っていた。ビルはあいかわらず乗り気で、契約を結びたがり、技術的な壁を克服するために膨大な人材と資金をつぎ込むという約束を繰り返した。
うまく事を進めれば、「マッキントッシュのルック&フィールを備え、なおかつ、ウィンドウズの世界すべてと互換性があり、インテルのプロセッサ上で動くOS」が手に入るかも知れない。魅力的な長所だ。おもなアドバイザーも、ほとんど毎日のように、ビル・ゲイツとの提携を私に勧めた。しかし、技術的な問題が不安だった。ビルは大丈夫だと請け合ったが、やはり大変な難題に思えた。私はあれこれ言い訳をしながら、ビルとの交渉を引き延ばし、その一方で調査を始めた。』
Windows NTがMacの次期OSとしての目がなくなったときに、ビル・ゲイツ氏はジョブズはまったくのセールスマンで、エンジニアではない、とはき捨てるように言ったそうですが、彼の評価が正しいのなら、ジョブズこそ本当のセールスマンかもしれず、(最初に、アタリ社のゲームを開発した仲間をだまして300ドルしか渡さなかった、約束では500ドルということであった)、小生がセールスマンとするビル・ゲイツは先を越されたと思っているのでは、と思います。ビル・ゲイツは天才かもしれないが、すべてをマイクロソフト社で、というのでは無駄が多すぎる、と思います。事実、ジョブズは、Next のカーネルにMachをうまく取り入れているし、ビル・ゲイツ氏自身、MSDOSを作るとき、ある技術者が作ったものを、IBMが望んでいることはおくびにも出さず、安値で買い上げ修正してIBMに納品し、今日の繁栄の基礎を作りました。アップル社も、現行MacOSの基礎はゼロックス社のパロアルト研究所で原型ができあがったものにおよそ3年近い年月と当時の最良といわれるエンジニヤ達数百人を投入して初代Macへと至るのですから、マイクロソフトにいながら、再挑戦してもマイクロソフトを越える製品の再創出はかなり困難ではないか、と思います。だれが関わるかで、ほとんどすべて結果が決まってしまっているのです。
アップル薄氷の2000日だったと思うがそれを読んで、知人に紹介した1節。ビル・ゲイツ氏自身の愛機が
Macだとは昔から有名な話し。それで、何とかMacを吸収しようと手だてをあれこれ考えたのかもしれない。
しかし、技術的に不安だとアップル社のアメリオ社長は考えたというが、その原因にはあえて触れずに終わっている。それをいうと、Windowsの本質を言ってしまうことになるからなのかもしれない、と考えている。スカリー社長(スティーブ・ジョブスを追い出したアップルの社長)のときも、すでにインテル機、要するにIBM機で動くMacは出来ていて、いつマイクロソフトと合併してもおかしくはなかったそうだ。そうしたら、ウインドウズは、Macライクだったかもしれない。
土曜日, 12月 01, 2007
素人にとって取っつきやすい行列の応用は、連立方程式を解くことだと思う、というか少なくとも私にはそうだった。
一番簡単な一次式のy=ax+bタイプに問題が還元され、後はそれを小学校以来身に付いている算法にしたがって解けばよい。最小自乗法も行列を使って解くようなので、なんで連立方程式の解法がでてくるか、素人の頭にはピンとくるものがなかった。それで、少し行列を勉強する気になった。
マイコンからパソコンに代わる頃かもっと前に、パソコン雑誌の常連に近いあるライター氏が、アスキー社の雑誌か何かに、最小自乗法のやさしい解説を書かれていて、その時はわかった、と思っていたが、改めて素人にわかるように説明を考えると、意外とむずかしい。そのライター氏も、解説の途中で、数学者矢野健太郎になった気分だ、などと書かれていた。氏は、インテル社の80386CPUの解説を講談社のブルーバックスに書かれた方だが、残念だが、氏名はどうしても出てこない。
ブルーバックスに書かれたことは記憶しているので、全目録をしらべたら、ありました。1988年9月20日、32ビット・パソコン入門とか、林晴比古氏でした。その後どうされたか、ついでに探したら、プログラマー向けの解説本をかなり手がけておられるようでした。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%97%D1%90%B0%94%E4%8C%C3/list.html
ただ、その本の中だったかどうかは、忘れたが、シャンソン歌手のイベット・ジローを長い間、男とばかり思い込んでいて、ある日恥をかいた、と述べられたことを記憶している。竹下氏が消費税導入をはかった頃だったような記憶もあるが、・・・。その記憶は長く新鮮で、私はジロー氏のシャンソンは、ポルトガルの4月ぐらいしか知らないのだが、LP盤で聞いて知っていたので、ほほえましくおもっていた。しかし、私もある女性研究者の共著論文を送ってもらって、連名のベラ・スキ氏が女性なのか男性なのか妙に気になり、問い合わせたら、変なことに興味をもつ変な人間と思われてしまいました。いちおう、男性らしいですが、・・・。
Σ(yiー(axi+b))^2、iは1からnまでの和を最小ならしめるaとbを求める問題で、算術公式ではxとyの平均値を求めてからの公式が多くの本に出ているが、慶応大学の工学部大学院の入試問題にもなった経歴をもつ由緒ある問題で、梶原教授の「独習微分積分学」では、偏微分の解説の中にお目見えする。偏微係数f(aとbにおける)がゼロのとき、最小となる、とヒントが・・・。かのライター氏の解説もこれと変わらないものであったが、なぜ行列が出てくるのか!?が全然ピンとこないではないか?
いったい行列ってなんだろう。梶原教授は、行列と行列式をいくら口を酸っぱくして言ってもわきまえぬ学生がいて、そういう場合は悩まず落とせるが、それでもいやになるなどと述べられている。先生によれば、行列はいわば絵であり、行列式は数値であるとの特徴抽出を試みられている。
以前引用した、須之内先生のBASIC言語で、行列計算をするプログラムを、マックで数式処理ソフトが使えるようになる1994年ごろまで使っていたらしい。記憶から消されてしまっているが。1990年にでた
『マトリクスとシステム』という本を、思い出して開いたらBASICで解いたのと、数式処理ソフトで解いたものとの比較が出てきた。
教科書の出力と比べると、BASICプログラムでの数値の粗さが目立つが、これはまだマックを買ったばかりの時点で、98で出力したからだと思う。いちおう倍精度で計算させていたようだが、中央大のたしか西見先生かどなたかが、NECのBASICには数値計算のバグがある、ということをマイコン関連の雑誌に投稿されていて、気になりだしていた。
うちの98はまだ80286搭載で、386は入っておらず、そのせいでもあるまいが、大学の先輩のところへその記事を持って行き、同様の計算をさせても指摘されるようなバグがあるような結果は得られず???、にやりとした先輩は、秋葉原でコプロを買ってきて入れているのさ!と涼しい顔をされていた。もちろん、家での98にはそのようなものは入っていなかった。マックの世界では、ソフト的にコプロの役割をするソフトがあったが、(計算時間はかなりかかる)、
それはまだ少し後の話である。
数式処理ソフトとして使用したMathematicaとTheoristも、どちらもコプロ付き用と、コプロなし用とバージョンがわかれていた。パワーPCになって、その区別がなくなり過去の話の時代となった。その頃は、こうした理工系の本も、ミスプリはともかく、使用したソフトやハードの違いからくると思われる、小数点以下の数値の細かな差などけっこう気になっていた時期がある。
この本は、原題は「マトリクスと微分方程式」として印刷され、発売時にカバーと題名をこのように変えたらしい。巻末の奥付をみると紙が貼ってあり、最初の原題を隠してあったが、もちろん私もシステムという言葉に引かれて買ったので、システムが入っていない当初の書名だったら、はたして手にとったかどうか疑わしい。
いずれにしても、数式処理ソフトが登場以後、アルゴリズムやハードの違いを吸収してどのハードでも同一の結果がでるようになってきたので、より本質的な問題に集中できるはずなのであるが、なかなかそういうわけにもいかない。使う側のモチベーションが大半だからだろう。
木曜日, 11月 29, 2007
sho様のCB1300SFの燃費がかなりいい。うらやましい限りだ。
http://www.geocities.jp/shonaka2001/
たしかに、CB1300SFは、CB1000SFに比べて、排気量は、アップしたものの、出力はさほど変えなかったので、燃費がいいことは、カタログ数値にも表れていて、60キロ走行時に、1000の値よりはリッターあたり2キロほど向上していた記憶がある。それで、タンク容量もCB1000SFの23リットルから、21リットルへと変更されたのだと思う。
リッター16キロの燃費だとして、23リットルでは368キロ走行できるが、18キロの燃費だと21リットルでも378キロ走行できるので、敢えて23リットルにこだわる理由はなかったはずだ。これは主として、ピストンのストロークアップによって達成された排気量変化で、ピストン直径は僅か1ミリの増加にとどめたため、ピストン重量がほとんど変化せず、ピストンの往復に拘わる力の変化を最小限に抑えたことも影響しているような気がする。
最初から、将来的には1300の商業版をだす心積もりは、設計陣にはあったはずだ。また、CB1000SFが世に出た頃、特にその設計を煮詰めていた時季はバブル崩壊前でギリギリの燃費向上への配慮も、今よりは希薄だっただろう。
ネットでCB1000SFの燃費を調べたら、リッター20キロ近い例から、最悪で12.1キロ、14キロ前後と16〜17キロ前後と大きく二手にわかれた報告があることに気付いた。私のCB1000SFは好くないほうの平均的な値に近い。マイクロロン処理をしてもホンダ車は変わらない、という報告もあるのだから、その効果云々をいまここで述べる気はしないが、二つの燃費グループの差は何に基づくのか、最近燃料代も高騰しているし、落ち着いて考えてみる気になった。
とくに夏以降、ツーリングに出かけても以前ほど好燃費はでず、15キロをわることも。とくに最近の通勤の燃費は13キロ台前半に集中してしまい、最初の頃の14キロ台前半はどうやっても出なかった。
運転方法も特に変えてもいないが、・・・・とずっと不満でもあり、どうやらバルブシート接触不良が原因かもしれないなどという仮説も、なかなか捨てきれなかった。また、4万キロを越えての、各部の摩耗も原因かもしれないと思ったりもした。しかし、ねぜか今一これといった燃費不良の原因が見えて来なかった。
半年近く考えていたが、sho様が、日の当たらない車庫に止めておられるせいもあるかもしれないが、出かける前に必ずある程度の暖機運転をされる、というのがずっと引っかかっていた。
買ってから、すぐマイクロロンを入れたせいもあり、ほとんど暖機なしで動くし、通勤で毎回暖機などしていれば燃費に響くのはあたりまえ、と妙なけち根性を発揮しつづけていたのだが、燃費不良の原因追求の最後の切り札として、ある程度の暖機運転を実行する、という風に変えてみた。まだ満タンから1回目の給油だが、寒くもなってきたし、毎日乗るわけでもなくなってきているので、タンクのガソリンがまだ暖かかった時季のガソリンでちょっと冷えると始動性も低下してしまっているので、暖機運転は丁度いい、ぐらいに思って励行した。
チョークを引いて暖めると、オイルの焼けるいい臭いが鼻をくすぐる。この臭いは、さあこれからビッグ1ではしりだすのだ、と言う合図みたいなもので、精神のどこかに緊張の糸を張るような気がする。マイクロロン処理はしてあるので、音は心配したほど大きくない。これなら、朝、家の前でも実行可能のようだ、と最初に思った。
時間にして2分前後くらいか。段々暖機運転が上手くなっていく気さえする。それから走り出すと、驚くほどスムーズで、エンストもほとんどない。今までは、ちょっとしたことで、シフトの途中でエンストしたりしたのだが、ある程度以上暖めてしまえば、けっこう低速でもトルクがあるな、と感じられた。
もちろん、トップで60キロもでればエンジンは二千回転強で、街路のまがりなどもゆっくり方向転換などすると回転は1000回転ぐらいまで落ちるが、比較的スムーズ。最初に重い車体を、冷えたピストンで、しかも荷重を掛けながら、走り出すよりも、ある程度通常の走行状態に近い状態まで、ピストン、シリンダ間のすき間を熱膨張で狭くしてから走りだしたほうが好いことは、理屈ではだれでもわかることだろう。
もう、こうなった以上、燃費が少々悪くなっても、エンジンのためにいいことをしようとして、それで燃費が悪くならなければもうけものとして始めてみたが、今日スタンドで、自分で店員からノズルを奪い取り、給油してみて、ガソリンのメーターに眼をやると、普段より入りがすくないのが直感的に分かった。それで何かピンと来た。
このところどうやっても、通勤燃費はリッター13キロ前半、最初の頃の14キロ前半はどうやってもでなかったのが、今日は、14.29キロともとに戻っている。暖機運転を毎回励行しているのにだ。暖機運転を励行するようになってから、トップなどで定速走行していると、ほとんどアクセルを開けないでも走っているなと感じていたので、もしかしたら、このことが、暖機でのロスを上回れば、燃費向上につながるわけだと考えたりもしていたのだが、予想は、今回は当たってくれた。
いずれまた報告したいと思っている。たった、リッター1キロの向上と笑うなかれ。これで、1回の給油で会社1往復を稼ぎ出すのである。この前のsho様のレポートのように、まんまツーリングでの燃費と、そうでない燃費とでは、リッター4キロ近い差がでているではないか。私はこの数値を前にして、ツーリング経験から、ピストンを走行状態にして走り出し、走ることを給油まで続ければ、ぜったい燃費は好くなる、という仮説を確信したのだった。ヒントを与えていただいた、sho様に感謝しています。
この仮説が正しければ、この夏やっと暖機の必要がなくなったと勘違いして、暖かいからエンストもしないしと、気楽に冷えたエンジンでアクセルを比較的低回転でも開けぎみにしていたのは、最悪であるという結論に・・・。夏以降燃費が落ちてきたのだった。ピストン温度を考慮すれば、今どきと夏との気温差20度Cなどという差は、意味がないことになる。夏でも最低でも1分半ぐらいはしたほうが良かったのだと・・・。
しかし、燃費が戻ったとなると、摩耗による低下説は怪しくなる。これがマイクロロンの効果なのかもしれない。経験から、最低一年は、そのバイクと付き合ってみないと特性はわからない、というのがこれまでの経験から言えると思う。
今では、エクセルの機能をつかって、行列(メイトリクス)演算もできる時代になったが、面倒くさく、数式処理ソフトがある以上、それを使えば便利この上ない。
それまで、BASICプログラムで、いろいろなサブルーチンを用意し、データを入力するプログラムと連動させて計算させていたような処理は一気に過去のものとなった。フロッピーも8インチから5インチ、3.5インチとなり、おもに5インチで使用したそうしたプログラムも、垣間見ることもできなくなった。
マックが最初から3.5インチフロッピーを装備しながら、途中からフロッピーレスとなりマック用のフォーマットに移したものも、たぶんウィンでは読めないだろう。まだ、プログラムリストはほこりをかぶって、探せばあるかもしれないが。
そんなわけで、行列の例題演習書などを買って、数式処理ソフトの結果と比較したり、毎晩苦労していた行列演算が、眼のあたりに展開されるのが「うれしくて」やたら演算させていたりした時代があった。それで、教科書のミスプリがかなりあることを知った。それを頼りに手計算で、どこかで違ったと思って落ち込んだりしていたら、学ぶべきその先の課題にアクセスすることは難しいだろう、よほど優秀でないかぎり・・・。
あるとき、知り合いの会社に行ったら、かなり金額の大きい仕事を某公団関連の事業から受注し、納品となったが、所長殿が、結果の精度があまりよくないことに難色を示し、かれこれ二ヶ月以上納品がストップしてしまい、困っているという話を偶然聞いた。
それで、測量ソフトにもミスがあるかもしれないので、それを使わないで再点検して、どうしてこんな結果でしかないのか、説明しなさいという注文を付けられ、担当者は過去4度説明に伺ったが、うち二度は、また君か、今日は疲れているので、またにしてくれなどと嫌味を言われたりしていたらしい。
なるほど、精度は褒められたものではなかった。しかし、測量プログラムは、ブラックボックスで、それを使わないで、別の計算をするとなるとどういうルーチンで計算をしているか知らなければ、手がだせない。
私は、通常の最小二乗法しかしらないし、どうしたものかと思った。それで、担当者の学生時代の、測量学校の教科書を持ってきてもらい、どういう教材か覗いてみたら、なんと測量結果の網平均(専門用語らしいが、要するに観測がみな同程度の誤差を含んでいると仮定されたときに、誤差を最小の配布で平均する方法らしい)にラグランジュの未定定数法、ここでは、未定係数法と書かれているが(最小二乗法の理論とその応用、小牧・田島共著、東洋書店)、
それをつかっているらしい。
通常の測量プログラムに対して、網観測が自由にでき、条件をつけなくても、データだけ指定してやれば厳密に計算する、厳密網平均プログラムは別途に100万近くするし、あまり普及していなかった。
それで、国交省指定の網に応じた平均方法のプログラムをみながら、3日ほどその会社にマックを持参し、たしかいろいろ表計算も使ったりしながら、商用ソフトに頼らない演算結果を得て、あたりまえだが、商用ソフトにミスはない結果をえた。CDROMを付けたパソコンはマックが
まっさきに採用し、社員にデモンストレーションなどもしたので、うちもこういうのを買ってくださいと言い出す社員もいた。
それで、5回目の説明会には私も同席し説明することになった。例のごとく、担当責任者がぼそぼそと、つまりながら、言いよどみながら、事前に予想したとおりの冴えない説明を始める。数分で、何か、所長殿の逆襲を食らって頓挫してしまう。いじめと映ったので、すかさず割って入り、後半の説明を10分ほどし、質疑応答をしているうちに、別の説明を思いつき長々としゃべりだしたら、所長殿がすっと立ち上がり、もういいと。それで、納品オーケーとなった。同席した公団系の会計担当者なども皆ほっとした顔をされていた。
今から思うと赤面ものだが、日ごろマックでの計算トレーニングをしていた自信があふれていた時期だったから出来たのだと思う。今では、とても細部までは思い出せない。
昔は、みな手計算でこんなことをしていたのだと思うと、頭が下がる思いであるが、それだけに、国交省が例解として示した二色ズリの教材にも、最後のほうの誤差の推定で、手書きゆえか、ミスした手書きの数字がそのまま残されているのをみると、救われる思いがする。
今日のニュースでも、某建設会社が、船橋市で取り付ける基準点を誤ってしまい、あらぬ方向へ下水道を掘ってしまい、勝手に他人の土地の下に100メートル以上は下水管をいれてしまった、という。抜き取って埋めなおすというのだから、責任者は辛いだろうなと同情してしまう。
橋げたの位置が一メートルずれていた、などということもあるらしい。こういう場合は結果がすぐわかるが、外交の失敗とか、政策のまずさなどという問題はどうなっているのだろうかとふと思ったりもするが、これらを是正するのは至難の技だろうなと、考えないことにするで済まされる問題ではないのだが。逆に手順どおりやればよいというモデルがないので、それだけ評価も一筋縄ではいかないわけだし。
そこで、ふとこんなことを。科学者は、おれはこうおもう、と実験や調査の結果をだせばよく、間違っても、データ改ざんなどをしていなければ責められることはあまりないが、技術者やその免許で食べている者は、間違えば責任を問われる。大は戦争裁判から小は軽微な駐車違反にいたるまで、賞味期限改ざんもあるし、・・・責任者というのはつらい立場が多い。
左がかった連中のミスはところでどうなんだろう!?総理大臣、裁判官から、教室の現場まで・・・。
数学は裏切らないことを、梶原教授はどこかで力説していたような記憶があるが、・・・。決して欺くことのない、人生の伴侶とかなんとか、・・・。ただ、数学が本当に必要なときが何時来るかは、だれにもわからないとも。
それまで、BASICプログラムで、いろいろなサブルーチンを用意し、データを入力するプログラムと連動させて計算させていたような処理は一気に過去のものとなった。フロッピーも8インチから5インチ、3.5インチとなり、おもに5インチで使用したそうしたプログラムも、垣間見ることもできなくなった。
マックが最初から3.5インチフロッピーを装備しながら、途中からフロッピーレスとなりマック用のフォーマットに移したものも、たぶんウィンでは読めないだろう。まだ、プログラムリストはほこりをかぶって、探せばあるかもしれないが。
そんなわけで、行列の例題演習書などを買って、数式処理ソフトの結果と比較したり、毎晩苦労していた行列演算が、眼のあたりに展開されるのが「うれしくて」やたら演算させていたりした時代があった。それで、教科書のミスプリがかなりあることを知った。それを頼りに手計算で、どこかで違ったと思って落ち込んだりしていたら、学ぶべきその先の課題にアクセスすることは難しいだろう、よほど優秀でないかぎり・・・。
あるとき、知り合いの会社に行ったら、かなり金額の大きい仕事を某公団関連の事業から受注し、納品となったが、所長殿が、結果の精度があまりよくないことに難色を示し、かれこれ二ヶ月以上納品がストップしてしまい、困っているという話を偶然聞いた。
それで、測量ソフトにもミスがあるかもしれないので、それを使わないで再点検して、どうしてこんな結果でしかないのか、説明しなさいという注文を付けられ、担当者は過去4度説明に伺ったが、うち二度は、また君か、今日は疲れているので、またにしてくれなどと嫌味を言われたりしていたらしい。
なるほど、精度は褒められたものではなかった。しかし、測量プログラムは、ブラックボックスで、それを使わないで、別の計算をするとなるとどういうルーチンで計算をしているか知らなければ、手がだせない。
私は、通常の最小二乗法しかしらないし、どうしたものかと思った。それで、担当者の学生時代の、測量学校の教科書を持ってきてもらい、どういう教材か覗いてみたら、なんと測量結果の網平均(専門用語らしいが、要するに観測がみな同程度の誤差を含んでいると仮定されたときに、誤差を最小の配布で平均する方法らしい)にラグランジュの未定定数法、ここでは、未定係数法と書かれているが(最小二乗法の理論とその応用、小牧・田島共著、東洋書店)、
それをつかっているらしい。
通常の測量プログラムに対して、網観測が自由にでき、条件をつけなくても、データだけ指定してやれば厳密に計算する、厳密網平均プログラムは別途に100万近くするし、あまり普及していなかった。
それで、国交省指定の網に応じた平均方法のプログラムをみながら、3日ほどその会社にマックを持参し、たしかいろいろ表計算も使ったりしながら、商用ソフトに頼らない演算結果を得て、あたりまえだが、商用ソフトにミスはない結果をえた。CDROMを付けたパソコンはマックが
まっさきに採用し、社員にデモンストレーションなどもしたので、うちもこういうのを買ってくださいと言い出す社員もいた。
それで、5回目の説明会には私も同席し説明することになった。例のごとく、担当責任者がぼそぼそと、つまりながら、言いよどみながら、事前に予想したとおりの冴えない説明を始める。数分で、何か、所長殿の逆襲を食らって頓挫してしまう。いじめと映ったので、すかさず割って入り、後半の説明を10分ほどし、質疑応答をしているうちに、別の説明を思いつき長々としゃべりだしたら、所長殿がすっと立ち上がり、もういいと。それで、納品オーケーとなった。同席した公団系の会計担当者なども皆ほっとした顔をされていた。
今から思うと赤面ものだが、日ごろマックでの計算トレーニングをしていた自信があふれていた時期だったから出来たのだと思う。今では、とても細部までは思い出せない。
昔は、みな手計算でこんなことをしていたのだと思うと、頭が下がる思いであるが、それだけに、国交省が例解として示した二色ズリの教材にも、最後のほうの誤差の推定で、手書きゆえか、ミスした手書きの数字がそのまま残されているのをみると、救われる思いがする。
今日のニュースでも、某建設会社が、船橋市で取り付ける基準点を誤ってしまい、あらぬ方向へ下水道を掘ってしまい、勝手に他人の土地の下に100メートル以上は下水管をいれてしまった、という。抜き取って埋めなおすというのだから、責任者は辛いだろうなと同情してしまう。
橋げたの位置が一メートルずれていた、などということもあるらしい。こういう場合は結果がすぐわかるが、外交の失敗とか、政策のまずさなどという問題はどうなっているのだろうかとふと思ったりもするが、これらを是正するのは至難の技だろうなと、考えないことにするで済まされる問題ではないのだが。逆に手順どおりやればよいというモデルがないので、それだけ評価も一筋縄ではいかないわけだし。
そこで、ふとこんなことを。科学者は、おれはこうおもう、と実験や調査の結果をだせばよく、間違っても、データ改ざんなどをしていなければ責められることはあまりないが、技術者やその免許で食べている者は、間違えば責任を問われる。大は戦争裁判から小は軽微な駐車違反にいたるまで、賞味期限改ざんもあるし、・・・責任者というのはつらい立場が多い。
左がかった連中のミスはところでどうなんだろう!?総理大臣、裁判官から、教室の現場まで・・・。
数学は裏切らないことを、梶原教授はどこかで力説していたような記憶があるが、・・・。決して欺くことのない、人生の伴侶とかなんとか、・・・。ただ、数学が本当に必要なときが何時来るかは、だれにもわからないとも。
水曜日, 11月 28, 2007
人の一生と数学ー 大学を出てからも数学は必要であり、それが何時訪れるかはわからない、・・・九大教授のつぶやきから思い起こすあれこれ・・・
子供の頃といっても、小学生高学年、5年か6年の頃、父親から電子計算機なるものが出現し、一生かかかってもできないような類の計算をほとんど瞬時になしおえるような機械だと教えられた。しかも、計算は0と1だけの二進数で行われるなどという、余計に数学から遠ざかりたくなるような話も聞かされたが、そうなるとほとんどうわの空で聞いていたような気がする。
大学に入っても、卓上にでんと置かれたタイプライターより大き目の計算機があったが、われわれ学生はまだ、手回し式の計算機をあてがわれて使った。
卒業の頃、電池式のポケット計算機が数千円から一万弱で売り出され、爆発的にヒットして、答え一発カシオミニなどというCMが流行った。それでも買ったのは二、三年あとで、二千円以下ぐらいの手のひらに納まるようなせいぜいルート計算が出来る程度のものを仕方なく買った記憶がある。
仕事の都合で、統計や最小二乗法の基礎を少しわずかの数値でしかなかったが、手計算では埒があかないので、入手した。しかし、入力が間違うと再度最初からやり直しで、あまり好きになれなかった。そのうち、横河電気だか製作所から、プログラム電卓がでたが、数万円はしていたようだが、まだ実感がわかなかった。
それからまもなくマイコンブームが起きて、初期のものが回りにも少しづつ導入されだしたが、まだ距離感がありとっつきにくかった。
5年以上下の後輩のほうが、教養課程でコンピュータ教育を受けてきているせいか、抵抗無く
接しているようだったが、使いこなしてはいないようだった。しかし、仲間のひとりが百万近くするパソコンを買って、フォートランを入れて何やらシュミレーションするなどという話が出てくると、そういう時代なんだな、と改めて思い、勉強する気になってきた。
まだ、近くの喫茶店などでは、インベーダーゲームが流行っていた頃である。ディスプレーもカラーはあったが、多くはモノクロで、黒い画面に緑色で文字が表示されるものが多かった。
マイコン雑誌もいろいろ出るようになり、折に触れて買ってはみたが、機械語のオンパレードで、とても親しめる類ではなかった。
それでも、各社各様のマイコンを見ていると、いろいろと特徴があるらしいことはわかった。
東芝のパソピア、シャープのMZシリーズ、NECのPC8000とかPC8800シリーズ、富士通のFM7、ニュー7などなど。ワープロも、専用機が登場し、ほぼ同時にパソコン版も。マイコンからパソコンへと呼び名も変わって行く。そして、8ビット機から16ビット機へというトレンド。
そして、BASICというプログラム言語も、MSDOSベースで動作するようになり、プログラムの移植性が向上。フロッピーディスクの容量も320キロ、640キロ、1280キロバイトと増加していくが、世界標準の1.44MBとは違う基準で、外国産とは、互換性が無かった。初めて買ったPC8800の三代めシリーズで、豊富に出回っていたプログラムをあれこれ参考にして、最小二乗法のプログラムを作っては、打ち込んで使い勝手を試す日々。
ところで、京都の現代数学社から、当時「BASIC数学」という月刊誌が刊行されていて、BASICプログラムで、乱数を発生させ、πの近似値を求めるプログラムなども紹介されたりして、数学的問題への展望も期待されていた。それで、ときどきこの雑誌を読んでいると、数学史や統計に関する実用問題の解説やら、九大の梶原教授による、大学院や公務員試験に見る数学入試問題への解説、単に解くだけでなく、人生論も踏まえての、数学的な対応レベルで解法が堂変わるかなどの解説が面白く、毎号読むようになった。
しかも、梶原教授は、なんと岡潔博士のお弟子筋ということで、岡博士の研究の紹介や、いろいろなエピソードの紹介もあって、梶原教授の著作も、単行本として何種類かあるものを皆購入して、数学にうとく弱かった時代から、な~んだ、そうなのかと比較的数学につよいというか、数学好きな面がだんだん目覚めてきた。
しかも、どちらかというと左翼の先生でありながら、突然毎号掲載されていた記事を、ある時期から、すべてアップル社の32ビットパソコン、マッキントッシュ上で、アメリカの数学ソフト、というより、数式処理ソフト、Mathematicaを用いての解説に切り替わり、米帝反対の路線から決別されたことは、十分にそれまでの先生を知る周囲の人々を驚かせたらしい。
私も、プログラムで苦しんだ経験から、数式処理ソフトのすごさ、すばらしさに、すっかり参ってしまった。とくに、微分、積分、偏微分はいうにおよばず、厄介な行列計算が、数値はもちろん、文字で行列の各要素を入れても、処理してくれてまるで夢のような時代が、強力な師匠とともに現れてきた、と心から思った。
マッキントッシュと入力して漢字変換すると、魔金取手と変換されるなどという話をどこかで読んでまさにその通りだと思ったが、それでも数式処理ソフトを使いたさに、三年ローンを組んで、マック貧乏となったが、毎日が幸せだった。バブル期だったこともあって、他のソフト類や、周辺機器も次第にそろえて行けた。
当時は、Mathematicaが使えるパソコンはマックだけで、私が苦労してMathematicaを買って半年から一年ほどして、ようやくIBM系パソコン版も出てくるようになって、次第に広まっていったが、Theoristという数式処理ソフトもあり、このソフトだけは、IBM系への移植はなされず、
マック版だけであり、今でも貴重なソフトだと思っている。このソフト、今では数式入力ソフトとして、生き残っているようである。TheoristもMathematicaもふくめて、古い漢字トークから、MacOS8.1までの動作ソフトはウィンドウズ上で、BASILISKIIというエミュレータを使えば、まるまる動作するので、重宝している。ただし、このエミュレータ、マックOSの一部を書き込んだ起動用のROMを持っていないと動作しない。かって、マックを購入したものでないと、ライセンス上使用できないことになっているが、アメリカでは一時ネットで流通していたし、今でも探せばあるかもしれない。
子供の頃といっても、小学生高学年、5年か6年の頃、父親から電子計算機なるものが出現し、一生かかかってもできないような類の計算をほとんど瞬時になしおえるような機械だと教えられた。しかも、計算は0と1だけの二進数で行われるなどという、余計に数学から遠ざかりたくなるような話も聞かされたが、そうなるとほとんどうわの空で聞いていたような気がする。
大学に入っても、卓上にでんと置かれたタイプライターより大き目の計算機があったが、われわれ学生はまだ、手回し式の計算機をあてがわれて使った。
卒業の頃、電池式のポケット計算機が数千円から一万弱で売り出され、爆発的にヒットして、答え一発カシオミニなどというCMが流行った。それでも買ったのは二、三年あとで、二千円以下ぐらいの手のひらに納まるようなせいぜいルート計算が出来る程度のものを仕方なく買った記憶がある。
仕事の都合で、統計や最小二乗法の基礎を少しわずかの数値でしかなかったが、手計算では埒があかないので、入手した。しかし、入力が間違うと再度最初からやり直しで、あまり好きになれなかった。そのうち、横河電気だか製作所から、プログラム電卓がでたが、数万円はしていたようだが、まだ実感がわかなかった。
それからまもなくマイコンブームが起きて、初期のものが回りにも少しづつ導入されだしたが、まだ距離感がありとっつきにくかった。
5年以上下の後輩のほうが、教養課程でコンピュータ教育を受けてきているせいか、抵抗無く
接しているようだったが、使いこなしてはいないようだった。しかし、仲間のひとりが百万近くするパソコンを買って、フォートランを入れて何やらシュミレーションするなどという話が出てくると、そういう時代なんだな、と改めて思い、勉強する気になってきた。
まだ、近くの喫茶店などでは、インベーダーゲームが流行っていた頃である。ディスプレーもカラーはあったが、多くはモノクロで、黒い画面に緑色で文字が表示されるものが多かった。
マイコン雑誌もいろいろ出るようになり、折に触れて買ってはみたが、機械語のオンパレードで、とても親しめる類ではなかった。
それでも、各社各様のマイコンを見ていると、いろいろと特徴があるらしいことはわかった。
東芝のパソピア、シャープのMZシリーズ、NECのPC8000とかPC8800シリーズ、富士通のFM7、ニュー7などなど。ワープロも、専用機が登場し、ほぼ同時にパソコン版も。マイコンからパソコンへと呼び名も変わって行く。そして、8ビット機から16ビット機へというトレンド。
そして、BASICというプログラム言語も、MSDOSベースで動作するようになり、プログラムの移植性が向上。フロッピーディスクの容量も320キロ、640キロ、1280キロバイトと増加していくが、世界標準の1.44MBとは違う基準で、外国産とは、互換性が無かった。初めて買ったPC8800の三代めシリーズで、豊富に出回っていたプログラムをあれこれ参考にして、最小二乗法のプログラムを作っては、打ち込んで使い勝手を試す日々。
ところで、京都の現代数学社から、当時「BASIC数学」という月刊誌が刊行されていて、BASICプログラムで、乱数を発生させ、πの近似値を求めるプログラムなども紹介されたりして、数学的問題への展望も期待されていた。それで、ときどきこの雑誌を読んでいると、数学史や統計に関する実用問題の解説やら、九大の梶原教授による、大学院や公務員試験に見る数学入試問題への解説、単に解くだけでなく、人生論も踏まえての、数学的な対応レベルで解法が堂変わるかなどの解説が面白く、毎号読むようになった。
しかも、梶原教授は、なんと岡潔博士のお弟子筋ということで、岡博士の研究の紹介や、いろいろなエピソードの紹介もあって、梶原教授の著作も、単行本として何種類かあるものを皆購入して、数学にうとく弱かった時代から、な~んだ、そうなのかと比較的数学につよいというか、数学好きな面がだんだん目覚めてきた。
しかも、どちらかというと左翼の先生でありながら、突然毎号掲載されていた記事を、ある時期から、すべてアップル社の32ビットパソコン、マッキントッシュ上で、アメリカの数学ソフト、というより、数式処理ソフト、Mathematicaを用いての解説に切り替わり、米帝反対の路線から決別されたことは、十分にそれまでの先生を知る周囲の人々を驚かせたらしい。
私も、プログラムで苦しんだ経験から、数式処理ソフトのすごさ、すばらしさに、すっかり参ってしまった。とくに、微分、積分、偏微分はいうにおよばず、厄介な行列計算が、数値はもちろん、文字で行列の各要素を入れても、処理してくれてまるで夢のような時代が、強力な師匠とともに現れてきた、と心から思った。
マッキントッシュと入力して漢字変換すると、魔金取手と変換されるなどという話をどこかで読んでまさにその通りだと思ったが、それでも数式処理ソフトを使いたさに、三年ローンを組んで、マック貧乏となったが、毎日が幸せだった。バブル期だったこともあって、他のソフト類や、周辺機器も次第にそろえて行けた。
当時は、Mathematicaが使えるパソコンはマックだけで、私が苦労してMathematicaを買って半年から一年ほどして、ようやくIBM系パソコン版も出てくるようになって、次第に広まっていったが、Theoristという数式処理ソフトもあり、このソフトだけは、IBM系への移植はなされず、
マック版だけであり、今でも貴重なソフトだと思っている。このソフト、今では数式入力ソフトとして、生き残っているようである。TheoristもMathematicaもふくめて、古い漢字トークから、MacOS8.1までの動作ソフトはウィンドウズ上で、BASILISKIIというエミュレータを使えば、まるまる動作するので、重宝している。ただし、このエミュレータ、マックOSの一部を書き込んだ起動用のROMを持っていないと動作しない。かって、マックを購入したものでないと、ライセンス上使用できないことになっているが、アメリカでは一時ネットで流通していたし、今でも探せばあるかもしれない。
日曜日, 11月 25, 2007
今朝、唐突にウィンドウズマシンが起動しなくなった。テレビを見ていて、音声が流れているので気にしないで、マックのほうでインターネットなどしていたら、画面が最後に見たままになっていて、カーソルも張り付いたままで画面がフリーズ。仕方なく強制終了してスイッチを入れたが、二度と起動しなかった。アクセスランプは点きっぱなしで、定期的にカタン、カタンと音がするだけ。
ほぼ丸三年近い寿命で、歴代のパソコンでは、一番の若死にだ。これで、家ではウィンドウズは、マックのブートキャンプで起動するXPだけになってしまった。それで、常時テレビが見られなくなったが、なければないで
たいしたことではない。
それで、机のまわりをかたすとかなりスペースがとれることがわかった。それで、寒くもなって来たので、別室のMacBookを持ち込んで並べた。今度はケーブルでインターネット接続とした。気のせいか無線方式より早い気がする。
このところ、仕事が多忙でマックのレパードにしてから触る機会が滅多になく、解説だけで知っていて使ったことのない新機能を試してみた。タイムマシンしか体験していなかったが、これは今朝のような突発的な場合に頼りになる、ということで、日常的に意識して使う機能ではない。
まず第一の機能、カバーフロー。
フォルダを選択して、表示メニューからカバーフローを選択するだけで、中身の各ファイルをプレビューできる。これは単なるサムネイルの拡大表示というのと似ているが、ソフトを起動してそのファイルを開かねば見られなかった内容を起動せずに、ダイレクトに中身を覗ける、仕掛けで、ページを繰ることも可能という、目から鱗の目玉機能。
タイトルだけで中身を忘れてしまった場合などは、便利この上ない。今までのいちいち開いて確認して、という作業から解放されるのだ。ファイルが少なければ差があまり感じられないが、似たフォルダ、似たファイル名が何百もたまってしまうと、整理する気も起きなくなってしまうほど、いちいち開いて確認という作業は大変なものだ。
ここまでは、買ってすぐわかっていたが、次にクイックルックとなると、それらしいメニュー項目もなく、
どうするかまったくわからずにいた。
今夜も帰って少しゆとりをもってトライしたのだが、わからない。拡大表示らしく、フルスクリーン表示までファイルを開かずに、閲覧可能と言われていた。本当に使うファイルは意外と少なく、大半は中を見て放置してしまうファイルが多いので、これも大変便利な機能で、カバーフローとならんでなくてはならない新機能だろう。
仕方なく、マックの解説特集が出ている雑誌を開いてみたら、これまた目から鱗。カバーフローで開いている画面にカーソルを当て、スペースバーを一回押すだけで、拡大表示され、さらに拡大表示するときには、
画面下の斜め矢印をクリックするだけで画面が切り替わる。ファイルを開いているのと全く変わらない
画面が見られるので、目の疲れ、時間のロスなどがかなり軽減されると思う。使ってなんぼの新機能。
ここでは、紹介をかねて、自分ではわかっているファイルを使ったので、中身の確認だけなら、探しているファイルかどうかは、カバーフローだけで事足りてしまうのだが、ついつい拡大表示のクイックビューも、指一本でできるので、何気なくトライしてしまう場合も多いかもしれない。
PDFファイルも、最近のリーダーも肥大したので、ちょっと中味を確認するために見るだけでも起動に時間がかかり、起動すればしたで、メモリーを食う。アクロバット本体をインストールしてあればさらに時間がかかる。これは、ヘビーデューティユーザーには朗報の機能だと思う。HDの寿命にも影響を与えるのかどうかまではわからないが。
ほぼ丸三年近い寿命で、歴代のパソコンでは、一番の若死にだ。これで、家ではウィンドウズは、マックのブートキャンプで起動するXPだけになってしまった。それで、常時テレビが見られなくなったが、なければないで
たいしたことではない。
それで、机のまわりをかたすとかなりスペースがとれることがわかった。それで、寒くもなって来たので、別室のMacBookを持ち込んで並べた。今度はケーブルでインターネット接続とした。気のせいか無線方式より早い気がする。
このところ、仕事が多忙でマックのレパードにしてから触る機会が滅多になく、解説だけで知っていて使ったことのない新機能を試してみた。タイムマシンしか体験していなかったが、これは今朝のような突発的な場合に頼りになる、ということで、日常的に意識して使う機能ではない。
まず第一の機能、カバーフロー。
フォルダを選択して、表示メニューからカバーフローを選択するだけで、中身の各ファイルをプレビューできる。これは単なるサムネイルの拡大表示というのと似ているが、ソフトを起動してそのファイルを開かねば見られなかった内容を起動せずに、ダイレクトに中身を覗ける、仕掛けで、ページを繰ることも可能という、目から鱗の目玉機能。
タイトルだけで中身を忘れてしまった場合などは、便利この上ない。今までのいちいち開いて確認して、という作業から解放されるのだ。ファイルが少なければ差があまり感じられないが、似たフォルダ、似たファイル名が何百もたまってしまうと、整理する気も起きなくなってしまうほど、いちいち開いて確認という作業は大変なものだ。
ここまでは、買ってすぐわかっていたが、次にクイックルックとなると、それらしいメニュー項目もなく、
どうするかまったくわからずにいた。
今夜も帰って少しゆとりをもってトライしたのだが、わからない。拡大表示らしく、フルスクリーン表示までファイルを開かずに、閲覧可能と言われていた。本当に使うファイルは意外と少なく、大半は中を見て放置してしまうファイルが多いので、これも大変便利な機能で、カバーフローとならんでなくてはならない新機能だろう。
仕方なく、マックの解説特集が出ている雑誌を開いてみたら、これまた目から鱗。カバーフローで開いている画面にカーソルを当て、スペースバーを一回押すだけで、拡大表示され、さらに拡大表示するときには、
画面下の斜め矢印をクリックするだけで画面が切り替わる。ファイルを開いているのと全く変わらない
画面が見られるので、目の疲れ、時間のロスなどがかなり軽減されると思う。使ってなんぼの新機能。
ここでは、紹介をかねて、自分ではわかっているファイルを使ったので、中身の確認だけなら、探しているファイルかどうかは、カバーフローだけで事足りてしまうのだが、ついつい拡大表示のクイックビューも、指一本でできるので、何気なくトライしてしまう場合も多いかもしれない。
PDFファイルも、最近のリーダーも肥大したので、ちょっと中味を確認するために見るだけでも起動に時間がかかり、起動すればしたで、メモリーを食う。アクロバット本体をインストールしてあればさらに時間がかかる。これは、ヘビーデューティユーザーには朗報の機能だと思う。HDの寿命にも影響を与えるのかどうかまではわからないが。
金曜日, 11月 23, 2007
『大阪地裁における第三回証人尋問で大江健三郎氏は、被告代理人による『沖縄ノート』のテーマについての問いかけに「日本人が世界とアジアに対して普遍的な人間であるにはどうすればいいかを考えた」と答えている。「普遍的な人間」この言葉は『沖縄ノート』に相応しいのであろうか。』
2007年11月22日の正論談話室への投稿で、菱海孫氏が問いかけている。
http://ez.st37.arena.ne.jp/cgi-bin/danwa/kiji_display.cgi?thread_id=200711-001&kiji_id=00074
もともと、自民、民主による「大連立の是非」についての投稿がいろいろならんでいるのであるが、こういう意見が出てきた背景には、民主党は左翼の巻き返し、などという意見がさかんに投稿され出したことと無関係ではないような気がする。
・・・『沖縄ノート』で大江氏はハンナ・アーレント著『イェルサレムのアイヒマン』を引用している。そこでイスラエルがアイヒマンを拉致して法廷に引き出したのに比較して、沖縄の人々が「旧守備隊長」の拉致をなし得なかったこと、その上でエルサレム法廷におけるアイヒマンに対比して架空の沖縄法廷における「旧守備隊長」を想像して「旧守備隊長」がアイヒマンよろしく「青年の心から罪責の重みを取り除くのに応分の責務を果たしたかった」と、異様に倒錯した使命感のうちに語るであろう、そのような光景を我々は「へどをもよおしつつ詳細に思い描く、想像力の苦い自由をもつ」と述べている・・・
と続き、最後に
『私はアーレントに賛成するため「日本人/沖縄人」という共同性に固執している姿勢からは「普遍的な人間」が浮かび上がってくることはなく、したがって「普遍的な人間」という言葉が『沖縄ノート』に相応しいとは思えないのである。そして私はこの点が大江氏の思想の根本的矛盾であろうということを「へどをもよおしつつ詳細に思い描く、想像力の苦い自由をもつ」のである。』と大江氏の言い方を踏襲しつつ結んでいる。
出典:『沖縄ノート/大江健三郎著』『イェルサレムのアイヒマン/ハンナ・アーレント著』『敗戦後論/加藤典洋著』沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会HP
とある。
大江氏の作品にはほとんど無縁のものであるが、あるときの座談で、彼がまだ若い頃、防衛大の学生だか、出身者が、血色好く意気軒昂なようでは「戦後」日本はだめだ、というような意見を述べているのを見て、
この作家の原点と言うか、本質をすべて悟ったような気がした記憶がある。
なんだ、よーするに左翼にひとからげされる人種なんだと。いろいろ理屈を述べられても、基本路線がそれでは、お里が知れている。社会主義革命が起きて、ソ連側政権が日本に起きたとき、それがこわくて迎合する発言をしておこう、というのと変わらないと私は思っていた。その頃、私淑していたある東大出の教授は、オレは、進歩的文化人なんて大嫌いなんだと、よく発言されていた。戦中は、インドで陸軍将校を体験された方である。軍を批判しつつも、批判だけしてすむ問題ではないことを、体験談から教えられた。
ノーベル賞が出たとき、アメリカの関与を皮肉った論説が出たときも、この人間にしてこそこういう批判がでるのは当然と思った。故伊丹十三監督の著作から、妹さんが大江夫人だということが控えめに述べられているのを発見し、驚いたことがある。彼の作品については、伊丹氏は一言も触れていないが、触れたくても微妙すぎる立場だと思う。
伊丹監督のエッセイは大好きなのであるが。伊丹監督の著作「女たちよ!」で、スポーツカーの運転方を教えてもらった。・・・
今、ネットで調べると、
『1993年3月、自称右翼の男が『大病人』公開中の映画館のスクリーンを切り裂く事件が起こるなど数々の被害や脅迫・嫌がらせを受ける事となったが、伊丹はさらに日本社会に鋭く切り込む映画を製作していく。襲撃事件により身辺警護を受けた経験は、1997年に『マルタイの女』で映画化された。『タンポポ』はアメリカでも配給され評判となった。1993年『大病人』以後の作品は批評家の評価も厳しいものとなり、また『マルサの女』『マルサの女2』において、主人公(権藤)やソープ嬢を障害者とする設定を行ったことに対して、倫理的観点から厳しい社会的批判を受けた。しかし女シリーズに代表される「社会派コメディ」のジャンルを確立した事は大いなる功績といえよう。伊丹に続く社会派作品はほとんど出現していないというのが今の邦画界の現状である。』・・・
などとある。改めて彼の深い苦悩の一端をかいま見るような気がしている。合掌。
2007年11月22日の正論談話室への投稿で、菱海孫氏が問いかけている。
http://ez.st37.arena.ne.jp/cgi-bin/danwa/kiji_display.cgi?thread_id=200711-001&kiji_id=00074
もともと、自民、民主による「大連立の是非」についての投稿がいろいろならんでいるのであるが、こういう意見が出てきた背景には、民主党は左翼の巻き返し、などという意見がさかんに投稿され出したことと無関係ではないような気がする。
・・・『沖縄ノート』で大江氏はハンナ・アーレント著『イェルサレムのアイヒマン』を引用している。そこでイスラエルがアイヒマンを拉致して法廷に引き出したのに比較して、沖縄の人々が「旧守備隊長」の拉致をなし得なかったこと、その上でエルサレム法廷におけるアイヒマンに対比して架空の沖縄法廷における「旧守備隊長」を想像して「旧守備隊長」がアイヒマンよろしく「青年の心から罪責の重みを取り除くのに応分の責務を果たしたかった」と、異様に倒錯した使命感のうちに語るであろう、そのような光景を我々は「へどをもよおしつつ詳細に思い描く、想像力の苦い自由をもつ」と述べている・・・
と続き、最後に
『私はアーレントに賛成するため「日本人/沖縄人」という共同性に固執している姿勢からは「普遍的な人間」が浮かび上がってくることはなく、したがって「普遍的な人間」という言葉が『沖縄ノート』に相応しいとは思えないのである。そして私はこの点が大江氏の思想の根本的矛盾であろうということを「へどをもよおしつつ詳細に思い描く、想像力の苦い自由をもつ」のである。』と大江氏の言い方を踏襲しつつ結んでいる。
出典:『沖縄ノート/大江健三郎著』『イェルサレムのアイヒマン/ハンナ・アーレント著』『敗戦後論/加藤典洋著』沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会HP
とある。
大江氏の作品にはほとんど無縁のものであるが、あるときの座談で、彼がまだ若い頃、防衛大の学生だか、出身者が、血色好く意気軒昂なようでは「戦後」日本はだめだ、というような意見を述べているのを見て、
この作家の原点と言うか、本質をすべて悟ったような気がした記憶がある。
なんだ、よーするに左翼にひとからげされる人種なんだと。いろいろ理屈を述べられても、基本路線がそれでは、お里が知れている。社会主義革命が起きて、ソ連側政権が日本に起きたとき、それがこわくて迎合する発言をしておこう、というのと変わらないと私は思っていた。その頃、私淑していたある東大出の教授は、オレは、進歩的文化人なんて大嫌いなんだと、よく発言されていた。戦中は、インドで陸軍将校を体験された方である。軍を批判しつつも、批判だけしてすむ問題ではないことを、体験談から教えられた。
ノーベル賞が出たとき、アメリカの関与を皮肉った論説が出たときも、この人間にしてこそこういう批判がでるのは当然と思った。故伊丹十三監督の著作から、妹さんが大江夫人だということが控えめに述べられているのを発見し、驚いたことがある。彼の作品については、伊丹氏は一言も触れていないが、触れたくても微妙すぎる立場だと思う。
伊丹監督のエッセイは大好きなのであるが。伊丹監督の著作「女たちよ!」で、スポーツカーの運転方を教えてもらった。・・・
今、ネットで調べると、
『1993年3月、自称右翼の男が『大病人』公開中の映画館のスクリーンを切り裂く事件が起こるなど数々の被害や脅迫・嫌がらせを受ける事となったが、伊丹はさらに日本社会に鋭く切り込む映画を製作していく。襲撃事件により身辺警護を受けた経験は、1997年に『マルタイの女』で映画化された。『タンポポ』はアメリカでも配給され評判となった。1993年『大病人』以後の作品は批評家の評価も厳しいものとなり、また『マルサの女』『マルサの女2』において、主人公(権藤)やソープ嬢を障害者とする設定を行ったことに対して、倫理的観点から厳しい社会的批判を受けた。しかし女シリーズに代表される「社会派コメディ」のジャンルを確立した事は大いなる功績といえよう。伊丹に続く社会派作品はほとんど出現していないというのが今の邦画界の現状である。』・・・
などとある。改めて彼の深い苦悩の一端をかいま見るような気がしている。合掌。
日曜日, 11月 18, 2007
戦後レジームとは、アメリカという他者の存在を隠蔽するところにこそ、その本質がある。したがって、その骨格は6年半にわたる被占領期に作られた。「憲法」、「東京裁判史観」そして、占領期における「検閲」こそが、戦後日本を呪縛しつづけている、と早稲田の岩田氏は末尾にこう書いている。
この戦後レジームを体現し、その延命を図っている存在こそがマスコミに他ならない。そこにこそ、マスコミの執拗なまでの「戦後レジーム」からの脱却に対する非難の動機がある、と指摘しているが、まさに同感である。
この認識は、私のような政治思想というか保守主義を任じていつ者でさえ、ごく最近に至って確信に変わってきたもので、岩田氏は、まずマスコミは真実を伝える存在である、という偏見から自由にならなければならない、と指摘しているが、正論ではあるが一般人には至難の業となろう。
戦後レジームの脱却とは実に遠大な道程を経た後に実現されるべきものであり、国家観、歴史観における幾多の変更を強いられるものなのだ、と指摘している。それを一内閣で成し遂げるというのは、あまりにも難しい。安倍元首相の挫折とは、我々にその方向性の誤りを示すものではない。戦後レジームの強靭さとその脱却の困難さを示唆したものにほかならないと。
今、教科書検定問題があるが、作家の大江氏は、いまだに軍命令がないとわかっても、軍の雰囲気と、手りゅう弾などの自決材料が軍から来た以上、基本認識に誤りはない、というすり替えで居直っている。
大江にノーベル賞を推薦したのは、アメリカだという。沖縄は、いまだに占領期間と同じ米軍向け姿勢をとっていて、日本に返還されたあとも、気分は占領期間中のままだそうだ。あちらの新聞は赤旗まがいのものしかなく、まさに皇居前広場で、共産党が大手を振ってパレードしていた昭和23年までのままであるらしい。
そして、新聞は、日本軍を非難して、米軍を救世軍のように褒め称える報道をしてきた。戦後の早い時期に著名な大江氏が、米軍のプロパガンダに沿った、日本軍を悪魔のごとく捉える著作を発表したのは、信念なのかアメリカの政策に協力したためかわからないが、おそらく後者
だろう。それで、ノーベル賞後、アメリカの大学で一年ほど客員教授の待遇を得た。
マスコミが、戦後レジームに染まっている、とすれば、いまだに米国の占領政策の継続が働きかけていることは想像に難くない。金丸失脚、田中元首相失脚、小沢党首の大連立構想など、アメリカの陰の手なくしては、考えられない。細川政権の、佐川献金での失脚もアメリカの手が動いていた、とされる。
今回の小沢氏は、山田洋行からの600万円は返還したというが、実はその10倍ほどの金が動いていたのを、暴露してもいいのかという脅しに屈したため、ともいううわさもある。
靖国神社の第二次世界大戦での、日本の立場を述べる部分が昨年書き換えられた、というのも記憶に新しい。拉致問題を忘れない、といいながら反対のことをしているのが、世界の現実だ。そういえば、Occupation without troops (Glenn Davis, John G. Roberts)という本が出ているが、戦後政治はずっとアメリカのコントロールのもとで動いてきた、ということを示す本だ。
この戦後レジームを体現し、その延命を図っている存在こそがマスコミに他ならない。そこにこそ、マスコミの執拗なまでの「戦後レジーム」からの脱却に対する非難の動機がある、と指摘しているが、まさに同感である。
この認識は、私のような政治思想というか保守主義を任じていつ者でさえ、ごく最近に至って確信に変わってきたもので、岩田氏は、まずマスコミは真実を伝える存在である、という偏見から自由にならなければならない、と指摘しているが、正論ではあるが一般人には至難の業となろう。
戦後レジームの脱却とは実に遠大な道程を経た後に実現されるべきものであり、国家観、歴史観における幾多の変更を強いられるものなのだ、と指摘している。それを一内閣で成し遂げるというのは、あまりにも難しい。安倍元首相の挫折とは、我々にその方向性の誤りを示すものではない。戦後レジームの強靭さとその脱却の困難さを示唆したものにほかならないと。
今、教科書検定問題があるが、作家の大江氏は、いまだに軍命令がないとわかっても、軍の雰囲気と、手りゅう弾などの自決材料が軍から来た以上、基本認識に誤りはない、というすり替えで居直っている。
大江にノーベル賞を推薦したのは、アメリカだという。沖縄は、いまだに占領期間と同じ米軍向け姿勢をとっていて、日本に返還されたあとも、気分は占領期間中のままだそうだ。あちらの新聞は赤旗まがいのものしかなく、まさに皇居前広場で、共産党が大手を振ってパレードしていた昭和23年までのままであるらしい。
そして、新聞は、日本軍を非難して、米軍を救世軍のように褒め称える報道をしてきた。戦後の早い時期に著名な大江氏が、米軍のプロパガンダに沿った、日本軍を悪魔のごとく捉える著作を発表したのは、信念なのかアメリカの政策に協力したためかわからないが、おそらく後者
だろう。それで、ノーベル賞後、アメリカの大学で一年ほど客員教授の待遇を得た。
マスコミが、戦後レジームに染まっている、とすれば、いまだに米国の占領政策の継続が働きかけていることは想像に難くない。金丸失脚、田中元首相失脚、小沢党首の大連立構想など、アメリカの陰の手なくしては、考えられない。細川政権の、佐川献金での失脚もアメリカの手が動いていた、とされる。
今回の小沢氏は、山田洋行からの600万円は返還したというが、実はその10倍ほどの金が動いていたのを、暴露してもいいのかという脅しに屈したため、ともいううわさもある。
靖国神社の第二次世界大戦での、日本の立場を述べる部分が昨年書き換えられた、というのも記憶に新しい。拉致問題を忘れない、といいながら反対のことをしているのが、世界の現実だ。そういえば、Occupation without troops (Glenn Davis, John G. Roberts)という本が出ているが、戦後政治はずっとアメリカのコントロールのもとで動いてきた、ということを示す本だ。
土曜日, 11月 10, 2007
「政治的無能」本書を一読した読書の誰もが抱く感想ではなかろうか!?
日本保守主義研究会代表の、岩田氏の述懐である。ここでの本書とは、上杉隆『官邸崩壊』(新潮社、207〜209)のくだりである。
安倍総理の退陣から読み解くーーー戦後レジームと政治家と題する「澪標」44・45号の巻頭言である。
政治的無能とは安倍総理以下の側近達の行動を、上杉氏の著作からかいま見た感想である。岩田氏は、マスコミが安倍氏の理念への国民の拒絶にあると報道した、と指摘している。しかし、岩田氏は国民の中で安倍不信が広がったのは、その理念や達成した業績に対する反感ではなかったはずと見る。
上杉氏の『官邸崩壊』を見ると、『この本はまさにジャーナリストの作品と呼ぶにふさわしい著作であり、随所にその逸脱は見られるものの、基本的に著者自身の価値判断にきわめて禁欲的である。』とされていて、取捨選択された事実をつなぐことによって、著者自身の安倍内閣への評価が現れてくる、という。
そして、冒頭の記述へと続く。政治的無能!?
『美しい国、日本』というタイトルを見たとき、ドキッとした。あのドキッは、やはり今回の辞任へとつながる何かを予感してのドキッ、だったと今にして思う。あの本は、三名の代作といううわさもある。うち一人は、京都大学大学院教授の中西輝政氏だという指摘もどこかで読んだ。中西教授の論議のスタンスは、私からみれば妥当だが、学会ではまだ少数派らしい。
それでも、参院選で大敗するまでは、それほど政治的に無能だとは、ほとんど認識しなかった。ただ、真っ先に訪米しないことには、不審感を持っていた。
参院選前に、いろいろと閣僚の事務所経費などの不祥事が出たり、政治的未熟を揶揄するかのような、少年官邸団などという造語も聞いていた。若手、側近だけでの官邸政治は、最初から躓いていて、反安倍の官僚たちも、情報を遮断したままだったらしい。
赤城農水大臣の事務所経費の問題が出たとき、日曜日にテレビをつけていたら、光熱費800円でど~の、こ~のという安倍首相の姿が、たしか、ニュースのフラッシュで流されたのを見たのだと思うが、責任を周囲に押し付けたとしても、ご本人の見識が疑われる。演説原稿も、選りによって、なとあの海部元首相の演説スタイルが手本だというから、正直あきれてしまった。
だったら、だれを手本にすべきかを指摘するほど選択肢が豊富というわけではないが、インパクトに欠けることはたしか。それで、事務所経費の弁明では、ものすごくマイナスのインパクトを残してしまった。
『安倍晋三首相の突然の辞任は、首相自身の考え方や思惑とはまったく別に、首相の目指した戦後体制からの脱却を頓挫させ、日本を一時的に古い日本に逆戻りさせる可能性がある。喫緊の課題であるテロ対策特別措置法の延長問題も、なお混乱させる可能性がある。
首相就任以降の足跡の特徴は、これが自らの信念だと主張してきた内容と現実の行動が、非常に重要な、少なからぬ点において大きくかけ離れていることだ。』
桜井よし子氏のブログからも、こういう書き出しが見られる。結果的に戦後レジームからの脱却を標榜しながら、それに埋没してしまった、とも。
政治家は、少なからず綱渡りをしなければならない局面に立たされるが、それをうまく切り抜けるには、運というか、それを可能にする周囲の態勢こそがものをいうはずであるが、それらを味方に引込む才覚が、惜しむらくは少なかったのでは!?・・・・・。
水曜日, 11月 07, 2007
Leopard (Mac OSX 10.5)の紹介ビデオでも、他のマックとの連携はラ〜クラクと言っていて、あっというまに画面を共有さえできる、とされている。
毎日30分づつでも勉強を続ける本によれば、勉強に飽きたら、場所を変える、あるいは別の勉強をする、などとあって、部屋を変えたりするのも効果的などとあり、別の部屋にMacBOOKを置き、そこで活用するようにしている。
Tiger(10.4)の時から、前のマックにアクセスできたら便利と思っていたが、ウィンドウズとの共有はできるのに、マック同士の共有は、どういうわけかできなかった。今回もOSをバージョンアップしたのに、簡単にできると言われていながら、一週間ほどできないでいた。
それでもだんだん繋がりそうな予感がして来た。ネットで調べても、ウィンドウズXPとのやり取りはあるが、マック同士、はほとんど見つからず、自分でやるしかなかった。
そして、マックブックが無線で、前のマックが有線で、何か仕様の違いが影響しているかもしれない、と思いMacBookも有線につないで、ファイル共有を試みた。それで、両方の画面を見ていて、初めて、アクセスされるマック側で、このアクセスを拒否するか、許可するか聞いてくる画面が出ていて、許可をクリックすれば画面共有ができて、別のマックを操れることがわかった。
それで、仮説があたった、と思って爆睡。4時間ほどで目覚め、もう一度トライしてみたら、今度は一度繋がると、あれこれしなくても、すぐ許可するかどうか画面が出る。それで、また、いままで繋がらなかったのは、別室で許可するかどうか聞いてくる画面に気付かなかったのでは!?と思い出した。有線LANと無線LANの規格の違いなどではないのでは、と思いまた別室で無線でアクセスしたら、あっさりつながることがわかった。まったく単純な誤解で、ずっと不便な思いをしていた訳だ。自己の愚かさにびっくり、^^;)。
こんどのマックは、Boot Campでウィンドウズで起動すれば、無線LANは繋がらないが、マックOSであれば、線の届かない場所は、ルーターに無線LAN機能があるので、Air Macの機能が自動で作動してメールやインターネット、そして他機とのやりとりができるし、プリンタ共有もできる。これで、必要なファイルをメールで送ったり、ウィンドウズを介してのファイル交換などしないですむようになった。一つの画面で、二台を操れるのだから。
ただ、他機がスリープモードだとできない。その辺は、設定を変えるしかない。できるはずのことができない、というときは、案外原因は意外なところにあったりするものだと、再認識。
ところで、がんばれ!!ゲイツ君 http://www.asahi-net.or.jp/~FV6N-TNSK/gates/というサイトでは、
さいきんマックの話題がないか探したら、なかったが面白い指摘を見つけた。
最新版では、こんなことも『さて、また三週間のご無沙汰でしたが皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。Mac OS XのLeopardが先日リリースされ、こちらの方はVistaとは違って非常に売れているようなのですが(これはあまり劇的に変わっていない所が売れている理由かもしれませんが)、それにしても変わるといえばまぁ例のオザワ君には参りましたね(^^;。•••』などと。
この前の版では、200710/26 叩かれることのない会社、というタイトルで、トヨタの例を挙げていた。
『ま、こんな感じでソフトバンクについてもゲイツ君についても話題は尽きないのですが、まぁ彼らは今風の言葉で言えばIT業界の諸悪の根源ということになるかもしれません(^^;。
ただ、今日話す会社に比べると、彼らもちょっと可愛いと思えてしまうのが不思議です。
先日、F1の日本グランプリが富士スピードウェイで行われた件をご記憶の方も多いと思うのですが、あれはもうレベルが違いますね。MSもユーザを大事にしないというのは一緒ですが、さすがに肉体的に一般人を直接追いつめるようなことはあまり無いのに対し(間接的にはいくらでもありますが(^^;)、日本の誇る大企業のトヨタ様ともなるとスケールが違います。なんかこう、トヨタがいつもやっている下請け虐めを一般人にそのまま適用したようなすさまじい阿鼻叫喚の地獄絵が現地では展開されていたようなのですね。ちょっと一例を上げると、
駐車場や道路が未舗装で、雨でぬかるみ、道路陥没で立ち往生する車が続出
帰りのバスが雨の中最長6時間待ち。病人続出。が休憩所は早々と閉鎖。
トイレも無く、雨+冷気で野外での脱糞が続出。当然のようの暴動発生。
しかしバイトに謝らせただけで責任者は全く姿を見せず。
そんな中トヨタ関係者やVIPだけ優先的にスムーズに退出。
一部観客席からレースが全く見えず(こんなことがなんで当日分かる?)
他社や観客には横断幕を禁止させ、自社の巨大横断幕だけは堂々と掲示。
それを指摘されると、禁止したのが間違いでしたと開き直り。
現地飲食のぼったくり価格。中には一万円弁当も、•••』
とか、
『ちなみに、先日FRIDAYが突然発売中止になったのをご記憶の方多いかと思います。どうも出版社が言うには「時津風部屋の兄弟子の写真が間違っていたから急遽中止した」とのことですが、あの雑誌がその程度のことで前代未聞の発売中止なんて措置を取るのもうどうもおかしい話だと思っていたら、今回のトヨタの醜態を大特集したために電通とトヨタが圧力をかけたのだ、という情報もあるようですね。まぁ確かに相手が10兆円企業と世界の電通だとなると相撲協会なんかとは比べ物にならないほど圧力があるでしょうから分からない話でもありません。
例のリコール隠しの問題も、三菱の場合は会社が傾くほどマスコミは叩きまくったにも関わらず、トヨタも場合はほとんど報道されませんでしたしね(^^;。まぁ、日本一広告に金をかけている会社ですから(年間800億円で10年連続日本一)、これでは確かに広告で成り立っているマスコミは取り上げるわけにはいきません(:-P。
ま、FRIDAYの件は本当の所はわかりませんが、しかしまぁ講談社も一号分の売り上げを丸々損失計上したわけですから(コストだけはいつも通りかかってますから丸損ですね)、何かやはりよほどの事情があったのでしょう。•••』
などと久々の他企業に関するうわさ話ではあるものの、面白かった。
Leopardはあまり劇的に変わっていない、というのも納得、変な差別化などをしないで、どの段階を買うべきかなどと悩む必要もないし、•••、しかし、今回はやはりトライしてみて初めてわかった。わかりやすいOS
なのかもしれないが、奥は深いようだ。
日曜日, 11月 04, 2007
平成4年11月4日、旧郵政省は、文化人切手の第一号として、関孝和と与謝野晶子の切手を発行した、という。(平山諦著、「和算の誕生」、1993年、恒星社厚生閣)。
『我が国の学術・文化の発展に顕著な功績を残された方の偉業をたたえ、今後の我が国の学術・文化の発展に資するため、文化人切手を発行する』と郵政省機関誌にはある、という。
発行の対象者は1年間に原則二名とし、とある。
与謝野晶子は、歌人としてすでに著名であるが、関孝和とならんでだされた背景には彼女が、昭和4年秋までに与謝野寛、正宗淳夫、与謝野晶子編集校訂になる「日本古典全集」全50冊を出版し、その中の二冊は古典数学集と題して、割り算書、塵劫記、諸勘分物、堅玄録、因帰算歌が納められている、というから、発行理由がわかろう、というものだ。
塵劫記は江戸時代の数学書で、名前を聞いた方も多いだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/塵劫記
には、『1627年(寛永4年)に吉田光由が明の程大位の著書、『算法統宗』からヒントを得て執筆したもので、数の桁の名称や単位、掛け算九九などの基礎的な知識のほか、面積の求め方などの算術を日常生活に身近な話題をもとに解説しており、一冊で当時の生活に必要な算術全般をほぼ網羅できるような内容となっている。』・・・
『明治時代に至るまで、実に3~400種類の「塵劫記」が出版されたといわれている。』・・・
『同書はまた江戸時代の多くの学者に影響を与えたことでも知られており、後に和算の大家となった関孝和や儒学者の貝原益軒なども若いころ『塵劫記』を用いて数学を独習していたことがわかっている。』
『なお、『塵劫記』という書名は法華経の「塵点劫」(この世の土を細かく砕いて粉にしたものを千の国を通るたびに一粒ずつ落としていき、その砂がなくなるまでに通る国の数のことで、数えきれないくらい大きな数のたとえ。』とある。
『法華経の「化城喩品」などにその記述がある)に由来しており、「(永遠に等しいほど)長い時間経っても変わることのない真理の書」という意味が込められている。』と解説されており、大げさにいええば、明治維新後も、西洋数学を吸収発展させた基礎学力を養った源流に位置づけられる、数学書と言えるかもしれない。
それにしても、晶子さん、歌も凄いが文化的影響力も歌だけにとどまらなかった点は初耳で、いまでもその一族が、国会議員にいて、税制の大家というあたり、数大系の影響を与え続けているわけだ。
さて、平山博士の「和算の誕生」であるが、家康が江戸に幕府を開いた頃、イタリアから宣教師スピノラが来日し、慶長9年から同16年までの7年間に京都の天主堂で布教の傍ら、数学を教えたという。
このことが我が国数学の誕生のきっかけの一つであると思う、として研究した生まれた本である。
『塵劫記以下の初期の書物には、出典の不明なものがある、として平山博士は仮説を設けた。
天文18年(1549)にはじめてスペインの宣教師ザビエルが来日してから、慶長16年(1611)の禁教まで約60年間布教が続けられた。慶長7年にはスピノラが来日した。彼は本国イタリアでクラヴィウスの教えを受け、38歳で来日し、日本の若き学徒たちに数学を教え、長崎で火刑によって殉教したのである。
このとき、門下の書き集めた切支丹学習録といったものが寛永の後まで伝わって和算家の利用するところとなったのではないか』、というものでる。
スピノラのアカデミアは、当時北京にいたマテオ・リッチと深い関係にあったと思われるから、中国算書の輸入にも便宜を得たであろう、とも。
カルロ・スピノラについての文献は「カルロ・スピノラ伝」宮崎賢太郎著、昭和60年があるというが、版元は不明。
彼の乗った船が海賊に襲われ、用意したノートや書籍がすべて失われたとということから、平山博士は我が国の和算の起こりは、西洋の書籍には関係ないことがわかる、と記述している。
『我が国の学術・文化の発展に顕著な功績を残された方の偉業をたたえ、今後の我が国の学術・文化の発展に資するため、文化人切手を発行する』と郵政省機関誌にはある、という。
発行の対象者は1年間に原則二名とし、とある。
与謝野晶子は、歌人としてすでに著名であるが、関孝和とならんでだされた背景には彼女が、昭和4年秋までに与謝野寛、正宗淳夫、与謝野晶子編集校訂になる「日本古典全集」全50冊を出版し、その中の二冊は古典数学集と題して、割り算書、塵劫記、諸勘分物、堅玄録、因帰算歌が納められている、というから、発行理由がわかろう、というものだ。
塵劫記は江戸時代の数学書で、名前を聞いた方も多いだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/塵劫記
には、『1627年(寛永4年)に吉田光由が明の程大位の著書、『算法統宗』からヒントを得て執筆したもので、数の桁の名称や単位、掛け算九九などの基礎的な知識のほか、面積の求め方などの算術を日常生活に身近な話題をもとに解説しており、一冊で当時の生活に必要な算術全般をほぼ網羅できるような内容となっている。』・・・
『明治時代に至るまで、実に3~400種類の「塵劫記」が出版されたといわれている。』・・・
『同書はまた江戸時代の多くの学者に影響を与えたことでも知られており、後に和算の大家となった関孝和や儒学者の貝原益軒なども若いころ『塵劫記』を用いて数学を独習していたことがわかっている。』
『なお、『塵劫記』という書名は法華経の「塵点劫」(この世の土を細かく砕いて粉にしたものを千の国を通るたびに一粒ずつ落としていき、その砂がなくなるまでに通る国の数のことで、数えきれないくらい大きな数のたとえ。』とある。
『法華経の「化城喩品」などにその記述がある)に由来しており、「(永遠に等しいほど)長い時間経っても変わることのない真理の書」という意味が込められている。』と解説されており、大げさにいええば、明治維新後も、西洋数学を吸収発展させた基礎学力を養った源流に位置づけられる、数学書と言えるかもしれない。
それにしても、晶子さん、歌も凄いが文化的影響力も歌だけにとどまらなかった点は初耳で、いまでもその一族が、国会議員にいて、税制の大家というあたり、数大系の影響を与え続けているわけだ。
さて、平山博士の「和算の誕生」であるが、家康が江戸に幕府を開いた頃、イタリアから宣教師スピノラが来日し、慶長9年から同16年までの7年間に京都の天主堂で布教の傍ら、数学を教えたという。
このことが我が国数学の誕生のきっかけの一つであると思う、として研究した生まれた本である。
『塵劫記以下の初期の書物には、出典の不明なものがある、として平山博士は仮説を設けた。
天文18年(1549)にはじめてスペインの宣教師ザビエルが来日してから、慶長16年(1611)の禁教まで約60年間布教が続けられた。慶長7年にはスピノラが来日した。彼は本国イタリアでクラヴィウスの教えを受け、38歳で来日し、日本の若き学徒たちに数学を教え、長崎で火刑によって殉教したのである。
このとき、門下の書き集めた切支丹学習録といったものが寛永の後まで伝わって和算家の利用するところとなったのではないか』、というものでる。
スピノラのアカデミアは、当時北京にいたマテオ・リッチと深い関係にあったと思われるから、中国算書の輸入にも便宜を得たであろう、とも。
カルロ・スピノラについての文献は「カルロ・スピノラ伝」宮崎賢太郎著、昭和60年があるというが、版元は不明。
彼の乗った船が海賊に襲われ、用意したノートや書籍がすべて失われたとということから、平山博士は我が国の和算の起こりは、西洋の書籍には関係ないことがわかる、と記述している。
木曜日, 11月 01, 2007
レパード(MacOSX10.5)にしてみて、まだ1日目。MacPeopleという雑誌を買って、別冊付録の
Leopardコンプリートブックという、95ページにおよぶ解説本を参考に、中味を一部トライしてみた。外付けHDを前の晩つないで、バックアップもかねる設定に、タイムマシンというアイコンで設定しておいた。
もちろん、マックのよさの一つとして、簡単に外付けHDを起動ディスクに指定できるので、そちらにも、インストールして外付けからのシステム起動も可能にした。接続はUSBでOK。
こうすると、内臓HDの修復などが、いちいちDVDのシステムディスクを入れて、そちらから立ち上げ、実行しなくても、外付けから立ち上げれば、内臓HDは従属ディスクになるので、簡単にデフラグや修復などができる。
しかも、今回の変更では、中味を保持したまま、パーティション分割なども行える、というからおどろきだ。
さて、タイムマシン、1日たって起動したら、ごらんのように復元ポイントが立体的に表示される。ブラウズして復元ファイルを見つけたら、右下の復元ボタンを押すだけで復活できる、というがまだそこまでは試していない。
解説本では、小学館の国語、英和、和英辞典が入っている、と書いてあったが、大辞林は三省堂版、英和、和英のみ、小学館のプログレッシブ辞典だった。従来ついていた、Oxford Dictionaryも入っていて、チェックマークを入れたら使用できた。New Oxford American Dictionary。
と書いてしまったが、よく見ると大辞泉。yahooの辞書として使われている小学館の大国語辞典でした。
英々辞典ではしんどければ、クリック一つで、英和の解説が出るので、微妙なニュアンスの差などを詳しく調べるのにはうってつけ。大辞林は、会社で聞いた話しでは、Vistaにも搭載されていたようだ、という情報も。英和、和英は?と聞いたら、無かったようだ、とも。
EGBridgeという日本語入力ソフトで、以前のタイガーでは、英和、和英辞書機能を持たせていたのだが、最初からついているので、6000円ほど出してバージョンアップする必要がなくなってしまった。今のところ、期待を裏切らないできばえのように感じた。
システムのある部分の脆弱性は、Vistaよりも劣るという報告も出たが、トータルではどうなんだろう?まだ詳しく見ていないが、いろいろと対策は施されているようで、最近ようやくマックを標的にしたトロイの木馬が出現したというが、まだ、何もアンチウイルス処置はしないで、今日までやって来た。ウィン専用の~.exeのウイルスらしきものが来ても、すいません、入るところを間違えましたとかコメントを出して消えて行くことも過去何度かあったが、マックも今年9月のデスクトップパソコンの売り上げナンバーワンとか言っているので、いずれウイルス対策も必要な時代が来る、あるいは来ているのかもしれない。
フォルダ内のエクセルや文書ファイルをいちいち開かなくても中味が把握できるプレビュー機能のQuick Lookという機能にも期待している。エクセルはではシートもめくれるというから
おどろきだ。
先日、ブートキャンプも正式対応し、ウィンドウズからマックに戻るのに、起動ディスクのアイコンが見つからず、と書いたが、以前のそれに相当するのが、ブートキャンプそれ自体のアイコンで、コントロールパネルの最初のほうに並んでいました。マックライクのアイコンから、ウィンドウズライクのアイコン(4っつ窓デザイン)に変更になっていました。
家のeMacは、インストールできない速度となっている。もうちょっと早いとパワーPCマックでも可能ということになっているらしい。あるいは、アクセルレーターというCPU加速装置を買い足せば可能とも言うが、タイガーで十分。ふるいOS9.2までがブート可能マシンなので、これはこれで大事に使いたい、と思っている。
それが壊れたら、最後はウィンドウズ上で動くBASILISKIIというフリーソフトで、旧OSでしか動かないソフト群を立ち上げるしかない。最初から、ウィンドウズ対応なので、インテルマックでもOK。
苦労して、ようやく二代目の、最初よりは幾分早いマックを買ったら、すぐにパワーPCのアナウンスがあって、1997年ごろまでにすべてのマックが、パワーPCになるといわれた。パワーPC世代になってからは、中古機でしのいできた。
それで、21世紀になれば、ウィンドウズとマックの間の壁はますます低くなり、両者は互いに長所を学び取り、かなり似てくるはずで、その時期は早ければ2010年以前であろう、などと予測されていた。
パワーPCは当初のロードマップでは、インテルをしのぐ性能を発揮するはずだったが、IBMが売り上げのパイが小さいので、動機づけが弱く、一方インテルは負けまいと必死に研究開発を行い、CPUの優位性、と供給能力を十分に示してきた。
それで、アップルもインテルマック機へとOSを変更したのだが、そのおかげでウィンとマックは一台に融合してしまった。ただ、まだはっきりしないが、ウィンドウズは、外付けHDからの起動をサポートしていないので、ブートキャンプが、正式にOSの一部となっても、外漬けのシステムのブートキャンプからウィンドウズを立ち上げることはできないようだ。それはマックのせいではなく、ウインドウズの素性のなせるせいのように思う。
http://www.apple.com/jp/macosx/guidedtour/?cid=AOS-JP-114193-C40000085256
http://www.apple.com/jp/macosx/guidedtour/large.html
水曜日, 10月 31, 2007
ほぼ毎夜の会社どまりの日々がようやく峠を越え、なんとか肩の荷がおりた所。土日もまじめに励んだので、途方に暮れたわりにはあっけなく過ぎ去った。それで、ひさしぶりに自転車で帰って来た。ペダルを踏む足取りも心なしか軽く感じる。
実は、前回の通勤時、朝早めに出発したのだが、前の晩に危惧した通り、初めての走行中パンクに見舞われた。その日に限って、朝途中で思いつくことがありそうで、ポケットに手帳と筆記用具を忍ばせた。ちょうど8キロをすぎたあたりで、川辺の遊歩道を走っていて、その通りが終わりかけた頃、忘れそうだから、と止まってメモした。走り出す段になって、車がこないから、早めに反対側へ渡ろうと、こぎだす力を節約できるよう、ほぼ直角に道を横切ろうと、わりと傾斜のある方へとで出して、後輪が一番下へどすんと着いたとたん、違和感を感じ、急に空気が甘くなるのを感じた。
しばらくして、安全な場所で見てみると、切削屑のような薄い鉄板が折れ曲がったものがタイヤに食い込んでいる。ちょっと持ち上げたら、一気に空気が抜けてしまった。
ちょうど町中で、自転車屋さんもあるかもしれないが、この辺で思い当たる店は知らないし、あったとしても開けている時間帯ではない。それで、4.5キロほどさきのいつも通勤時間帯には開けている店まで、押していくことと相成った。
しばらくすると、タイヤが完全にリムから浮き上がり、チューブがはみ出して来た。チューブをたくし上げた荷台に引っ掻け、押していると、今度は邪魔者がないので、タイヤの一方の縁がすべてリムから外れ、タイヤ内面が半分丸見えの状態に。設置面のタイヤパターンが浮き上がって見えるほど薄い自転車のタイヤであった。何度もはめ直したが、すぐに片側全部が外れてくる。仕方なく、押していく。反対側の丸出しのリムが石などにあたると、金属的な音がする。
対抗からは、女子学生などがたくさん通学で自転車で来たが、みな見てみぬふりで通り過ぎる。同情的な視線は一つもない。今時の子供って、そうなんだと思いながら、ひたすら歩道を汗をかきかき店まで30分以上かけて、よろけながら押していった。
最初はいつ着くか、まるで予想がつかなかったが、半分をすぎるあたりから、覚悟を決めてスピードアップ。幸い、全部外れるということはなかった。
自転車屋さんは、会社からは前回の店より一キロほど遠いので初めてなのだが、店主のことはバイク通勤時から交差点だったせいもあり、よく見知っていたので、安心感があった。代車を貸しますから、夕方きませんか?と言われたが、その日はもう、夜も自転車で帰る気はなくなっていたので、今待ちますからやってもらえませんか、と行ったら、椅子を出してくれて、嫌な顔もせず数分で直してくれた。
心配した、チューブ背面へも貫通していなくて、一カ所のみで助かりました。店主も、新客となるかどうか関心があるらしく、さりげなくいろいろと聞いてくる。ブリジストンタイヤの交換だと、チューブ、工賃込みで3800円だとも。
自転車は、ホームセンターで買ったんだろ!?と聞いてくる。正直に答えると、安いからな!と言っていた。ああいうところの自転車は、みな安い外国産なんだよ、と。てっきり高いほうを買ったので、国産かと思っていた、と言ったら、ほら、ここに小さい字で、中国製と書いてある、と教えてくれた。それで、ひどい状態で、チューブが内部でこすれて最初のパンクが起きたらしい。一部がこすれて、ピカピカしていて、その真ん中あたり、接地面とは反対側にパンク修理の後があった。
それでも会社につくと40分オーバー程度で、遅刻寸前で会社に着いた。店主が、たよりになるいいおじさんにいっそう身近に感じられた。スクーターの中古45000円、メイトの中古で7万円とか教えてくれました。顔まで言ってしまうと、いまの韓国人の国連事務総長さんそっくり、と言って過言ではないおだやかな感じの店主ではありました。
おとといの晩インターネットで頼んでおいたOSXの10.5、通称レパードが翌々日には届いていた。一部の機種で、アップデータ適用後、フリーズするという情報を知ったが、後の祭り。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071029-00000004-cnet-sci
それで、さっそく昨夜インストールして、10.4から10.5へアップしたが、何のトラブルもなく、終了。
ウィンドウズ対応も正式となり、いろいろな対応ドライバをウィンドウズを起動した状態でインストールすればよいらしく、きわめてらくちんに終わった。マックに戻ろうとコントロールパネルを探すと、新しいいくつかのアイコンが増えていても、起動ボリュームを選択するHDのアイコンががなくなっていてどきりとしたが、しかたなく再起動を選んで、立ち上がるとき、optionキーを押していると、ウィン、マック、あるいはDVDのインストールディスクのどれから起動するかアイコンが出て来たので、アップルを選んでもとに戻った。
最初の画像が、スリープ状態から復帰したとき、次の画像が、ドック内のアイコンをクリックしたとき、そこの書類一覧を表示する機能。あまり使っていないのでわずかしかないが、多くなると、正方形の領域にきちんとならんで表示されるようだ。
それで、あれ、こんな書類もあったのか、忘れていた、というものもあり、開いてみた。
5『122] 福井雄三『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』(主婦の友社) 投稿者:ロシアチョコレート 投稿日:
http://soejima.to/boards/undefine/110.html
2005/10/08(Sat) 22:44:48
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」から一部貼り付けます。
(貼り付け開始)
福井雄三『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』(主婦の友社)
過日、或るシンポジウムで著者の福井教授とご一緒した。 話題はノモンハン事件から近代現代史の誤謬をめぐる企画で、話題が集中したのは従来ソ連が勝った! 勝った! と宣伝されてきた日本軍とソ連軍との軍事衝突の真実である。 評者(宮崎)はノモンハン現場の現状から説明を始めた。ソ連が崩壊し、民主化されたおりに、夥しい機密文書が世に出た。 毛沢東の機密に関してはユン・チャン(『ワイルドスワン』の著者)が、それらの機密文書を詳細に追跡し、十年がかりで『毛沢東、知られざる真実』を書いた(本邦未訳)。』
本邦未訳となっていますが、すでに二冊になって出ています。そこには、日本軍が実行したとされる張作霖爆殺が、実はKGBが日本軍がやったように見せかけたものだということが出ている。
このことを読んだ数学者の藤原教授の日記にも、え〜、そうなのというような驚きが書かれているのが、新聞記事のコラムに載っていた。ついていけない、という意味のフーッで終わっている。しかし、これでまた面白くなった。
『ノモンハンは日本がかろうじて勝っていた事実が判明し、これまでの五味川純平、司馬遼太郎、半藤一利、田原聡一郎などが主張してきた巧妙な左翼の嘘がばれた。』
半藤一利氏は、文芸春秋だから左翼ではないのに、変なことをいうなと思っていたし、今でもその思いは相変わらずで、具体例を書こうとしてしていた矢先。左翼と決めつけられている。やはりそうなんだ、という思い。
左翼は巧妙な嘘をつくことは、今回の沖縄でのデモ11万人説や、軍の命令がないのを知りながら、あたかもあったかのように軍がいたからそうなった、という雰囲気づくりに躍起。最も、これだけいろいろ従来とちがうことが明るみに出て来たら、彼らが生き延びる手だてはないのだから、必死なのだろう。マッカーサーという庇護もとっくにないし。
『とりわけ司馬遼太郎は、デタラメな軍事史観をもとに全てを一方的に判定する癖がある。その売国的歴史観を「乱世史観」と称したことは有名だが、『坂の上の雲』は、軍事データや作戦の齟齬に関する誤謬に満ちている。
乃木大将が愚かであった、と分析すること自体、歴史の嘘を踏襲し、みずからの歴史しらずを晒しているようなものだが、これまで不思議なことに司馬氏への批判がすくなかった理由は、司馬遼太郎の小説がいまも飛ぶように売れるため、出版社、新聞社が司馬遼太郎批判を忌避してきたからである。
そのタブーも破られる日がきた。
福井氏は、何が真実であるかを読者に誠実に木訥に提示し、しかし大胆に歴史を問い直す作業に挑まれてきた。本書は司馬遼太郎批判を、『中央公論』に書いたことが端緒となって編集者が強く単行本化を従容し、その後の考察が加わった力作となった。 ☆ ☆ ☆ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
http://www.melma.com/backnumber_45206_2310112/
(貼り付け終了)』
となっている。ありがとう、ロシアチョコレートさん。私は、自慢ではないが、学生時代友人の下宿で、司馬氏の小説を数ページ読んでから、そのときは、自分で買って読もうかな、と思ったが、その後どうも食欲がわかず、今日まで一冊も買わずにきた。今では、その判断は正しかったんだろうな、と思っている。最初は、だまされていろいろ週刊誌などの記事は読んでいたが、やはりノモンハン批判、昭和の軍部批判の一方的なことに、ついて行けなかった。
それでも産経記者上がりだと言う。文芸春秋の半藤氏と一緒ということか。それとも時代がそうだったから、俺もそうしたと。どっちみち同じなんだろうけど。
科学でも、ある人は新事実を見出すのに、大多数の人はそうではなく、事実関係すら把握できない例が多いとも聞く。科学ならそれですまされようが、国の歴史が、そうであっては、いががなものか。
アングロサクソンも勝者に都合のよい歴史を捏造というか創造するというと、オランダ人は喜んで理解してくれた、という話もある。教科書問題も、まさに立場で大きくちがうのだ、ということくらいは両論併記してもらいたい。
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