火曜日, 9月 11, 2007

『ビートに刻む先祖への感謝 1』より

話の肖像画と題して、ミュージシャン•つのだ ひろさんが産経朝刊の二面にとりあげられた。つのだひろさんは、くわしくは知らないが、98もマックも使用するミュージシャンということは、以前マック雑誌でとりあげられて存じ上げていた。バブル崩壊の頃、かれこれ10年以上前の話。

それが突然全国紙の二面に。本当は最近朝刊もあまり見ないのだが、どういう訳か、今朝は何気なく開いて見つけてしまった。

何事がとりあげられているのか? 見出しに『英霊に感謝をささげたい』とある。この見出しが、私をしてよびつけたのかも知れない。

出だしを読んでみると、「靖国神社で平成14年から毎夏、奉納コンサートを開催している。今年は7月14日に行われ台風14号の影響による大雨の中、多くの聴衆が集まった。」と始まる。意外な気がした。

掲載された写真は、平成の松岡子規か?という感じで写っている。きっかけは、ゴーマニズム宣言の漫画家、小林よしのり氏らと格闘家の試合で知りあい、著作を読んだり、海外体験から日本を見つめ直したりして、さまざまな要素がまざりあい、命がけで子孫のために戦ってくれた「英霊」に感謝を捧げたいと思うようになられた、とのこと。

コンサートの初めに、「奉納させていただきます」、終わりには「お楽しみいただけましたか?」と言う気持ちをこめて、聴衆の方ではなく、本殿に向かい礼をされるという。その姿が印象的でした、とインタビュアーは水を向けている。

ーーー文部省唱歌『故郷(ふるさと)』や『この道』など8曲を熱唱されました(聞き手)。
つのだ 『故郷』をコンサートで歌うようになったのは、9年ほど前に教育現場で驚くべきことが起こっていると気がついたときからです・・・。

続きが楽しみな企画だ。

文部省唱歌というと古めかしく聞こえるかもしれないが、不思議と今聞いてみて、やはり相当によい。クラシックと同じ。軍歌の中にも、そういう類いのものがあるような気がしている。つのだ ひろ氏は私と同年代で、若い頃は、まず確実に、そういう心境ではなかったはずだ。平成14年というと小泉内閣発足の翌年で、靖国参拝を公約に掲げた首相の登場と言うことで、何かと話題になりだした。また、中国のしつこい
靖国参拝反対が注目をあびた。もっとも、この中国の反対、日本のマスコミ、特に朝日新聞が煽ったものだとは、テレビ朝日で三宅氏が指摘したとおり。

昨日紹介した日本人と軍歌、いや「軍歌と日本人」にも、朝日の関与が掲載されていた。

「大ヒットはしたが、前線の兵士達からは総スカン」というタイトル、朝日新聞が掴んだヒット曲とある。

「父よあなたは強かった」は昭和14年に朝日新聞がつくった軍歌だそうである。

毎日新聞にいつもヒット軍歌をさらわれていた朝日は、昭和13年になって歌詞を読者から募集。25753通の応募から選んだのがその曲で、レコード発売後40万枚もうれたのだそうだが、マスコミが下心丸出しで作った商売音楽は、前線では総スカンだった、という。

「こんな歌を作ったヤツはたたき殺してやりたい」

ある兵士がジャングルの中で、この歌を歌った。すると他の兵士が「ヤメロッ」と怒鳴ってやめさせた。そして言ったという。「こんな歌を作った奴はたたき殺してやりたい」と。山本(七平)も他の兵士もほとんどがもっともだと感じた、という。その理由を山本は長々と書いている(山本七平、「私の中の日本軍」)

山本はこの歌について、「自分たちの死体を踏み台にしている」とまで言っている、という。本当の苦労を見た人達にとってはマスコミの商売ソングなど何の助けにもならなかったのである、と書かれている。

しかし、毎日新聞は、爆弾三勇士をはじめいくつも手がけてもそういう反発があったという話しは載っていない。「露営の歌」、「日の丸行進曲」も毎日が手がけたらしい。

軍歌の王様として取り上げられている「軍艦マーチ」も学ぶところ多いポピュラーな曲だ。



「昭和28年に作られた小津安二郎の代表作に『東京物語』がある。戦争で傷ついた日本と日本人の姿を描いた映画である。その中で戦争で息子を失った老人たちが居酒屋で愚痴を言い合うシーンがある。その居酒屋で流れている音楽が『軍艦行進曲』なのだ」と紹介されている。

ああ、あのシーンか!。もう一度見直すと、確かにバックに静かに流れている。居酒屋で流した、という感じではない。いなければ、いてくれたらとおもい、いればいたで、いろいろと対立がある、というようなことを言い合って、残った息子達をお互いが褒めあうというか慰めあう。その戦死した次男の嫁が、原節子という役どころ、こっそり両親にお小遣いを渡し、はとバスでの都内見物も会社を休んでかってでる戦前の妻の姿。

「軍艦行進曲」はその老人たちに謝っているのである。軍艦行進曲だからできることであろう。ほかの軍歌であれば、シーンが台無しになりかねない、と紹介している。

作曲者瀬戸口藤吉は33歳の時に完成させたそうであるが、「軍艦行進曲」を作るとき、第二の国歌を作るつもりで挑んだのだという。

それは成就されたのではないか、と書いている。この一曲をもっていえるだろう、軍歌とは軍国主義とは関係がないということを。

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