日曜日, 9月 23, 2007



映画「東京物語」の存在は外国人に教えられた。マーク・ピーターセンという大学教授で、仲間の外人達もやはり小津監督の東京物語を推薦するものが多いとか。この先生、教材でオズの魔法使いやカサブランカなども使用されるらしく、どちらもタイトルしかしらないでいたので、DVDがでまわるようになって購入した。昭和18年製作のカサブランカのセリフが、大学の英語教材としていまだに有効、有用との指摘に、多いに関心をそそられた。

それで、モノクロの、現代の感覚からみれば単純に見える映画と最初は映ったが、繰り返し見るうちに、良くできた映画のように思えた。英語の勉強にもいいのかもしれない、と思うようになった。

東京物語は最近安いDVDがでまわり、目に付いたので早速購入してみました。登場人物がほとんど全員団扇を使って涼を得ている室内シーンの連続で、最初はなぜこのような映画が、と思ったが我慢して後半まで見ているとだんだん引き込まれていった。カメラアングルが低いな〜という印象。

杉村春子の役に注目したが、原節子も地味ながら光るな、と思ったし、昭和30年代の高度経済成長以前の、日本の平均よりやや上の階層を上手く描いているのだろう、と想像した。この頃は、たしか都心でもタクシー代が100円以下で、80円とかそういう時代しか私は知らない。原節子が、戦死した次男の未亡人役で、尾道から上京した老夫婦の、義母に、こっそり現金を渡すシーンがあったが、いかほどだったのだろうと、妙に気になった。三千円くらいか、あるいはもっと少ないのか。タクシー代が8倍かそれ以上、現代なら、やはり3万円ぐらいか、だとしたら3000円という想像は、大きくはずれないかも。

この本は、亡くなった笠智衆さんの息子さんがだされた本で、2007年5月30日発行。まだ、すべて読んだわけではないが、笠氏は、いつも監督を、小津先生と呼ばれるのが習わしだった、という。

しかも、笠氏は、長い間一番良い映画は、東京物語ではなく、筆者が子供の頃から、自分の代表作は「父ありき」だと言い続けていたのだが、小津作品がヨーロッパで評価され、東京物語が、世界のベストテンにランクされ、小津ブームの中心作品として有名になり、インタビューなどでも必然的に多く質問されるうちに、いつの間にか、ベストワンは東京物語と答えるようになっていった、と後書きに紹介されている。





「一度も植民地になったことがない日本」

デュラン・れい子さんは、1942年生まれで女性コピーライターとして博報堂に入社し、産経広告大賞などを三年連続受賞などの経歴のほかに、英国国際版画ビエンナーレでの入賞経験をもつ。スエーデン人と結婚され、南仏で、翻訳なども行われている。

この本は、ひととおりよんだが、やはり小津映画の話しが出てくる。

小津安二郎の国は責任感が強い、と題するエッセイ。

映画監督小津安二郎は、ヨーロッパ、特にフランスで人気がある、という。丁度、畳に座った位置でとるカメラアングルが、彼らには新鮮に映るらしい、と。

数年前の暮、日本で過ごそうと帰ったとき、小津ファンのフランス人たちと、小津ゆかりの神奈川県、茅ケ崎館で忘年会をしようということになったそうである。日本人とフランス人の6名で一晩小津作品を語ろうという趣向だったそうである。

映画狂の面々は部屋の火鉢をいとおしそうに撫でて、「ああ、これがここにあった。小津監督が自らすき焼きやら即席料理を作った火鉢だ」などととにかく詳しい、らしい。

集まったメンバーの中には、この部屋(8畳間)で小津監督と脚本家野田高悟が仕事をしている写真を日本の古い雑誌で見た、というフランス人も。ファンもここまでとなると、神話が生まれるのも無理はないと関心する、と書いている。タイトルの由来は、その旅館に指定時刻までに東京で注文しておいた忘年会用のワインやその他が届いてなくて、催促したら、電車で同じものを届けに来たが、直ぐ後、肝心の品も少し迷った後でちゃんと届き、ワインなどは量が二倍になっても余ることはなく、日本の宅配システムの責任感にも話題がおよんだとの由。


まあ、尾道から出てきた老夫婦が熱海へ追い払われるシーンがあったが、あのとき、設定では笠氏は70ぐらいの役だったそうだが、実際はなんと49歳だったそうだ。道理で、若い顔の爺さんだなあ、と思った。長女役の杉村春子の老けが逆に際立っていたことを、今になって思い出した。洋服では誤魔化せるが、和服では誤魔化せないそうで、老人の背中の感じを出すのに、笠氏自身のアイデアで、背中に座布団をいれて丸みを出し、年齢を演出したそうだ。

しかし、演技はすべて監督の思い通りにしないとダメだった、とも。

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