水曜日, 9月 12, 2007

『ビートに刻む先祖への感謝 2』  昔の名曲を若者に伝える

子供ももう大学を出て久しく、学校教育がどうなっているのか、あまり関心がない状態になってしまい、ゆとり教育推進はまずいんでは、πを3と教えるような教育は、絶対におかしいとぐらいにしか認識していなかった。しかし、事態はやはりそこまで進行していたのだった。

日野市の公立小学校へ、つのだ氏が息子を通わせていたとき、何気なく小学5年生の音楽の副読本を見て、大変驚いた、という。

わけのわからない流行歌のような歌が幅をきかせていて、文部省唱歌の故郷のような歌や北原白秋のような日本を代表するような方の作詞した歌が歌い継がれていないことに気付いた、という。

実は、わたしも国語で鴎外や漱石の文章が、難しいからという理由で削られると言う話しを数年前聞いて、ゆとり推進のつけかなあ、と思っていた。

つのだ氏は、直接先生に問いかけたところ、「昔の歌は、歌詞がむずかしくて生徒にはわからないんです」と答えた、と言う。

むずかしいことを教えるのがきょうしではないか、とたいへん驚いた、という。それいらい、どうしたら昔の優れた名曲を若者に伝えられるか考え始めた、という。

小学校の卒業式にも出席したが、蛍の光は歌われなかった、という。君が代では、つのだ夫妻以外だれも起立せず声もださなかった、という。むかし祭日と言えば、折り畳んだ跡がくっきりの大小さまざまな日の丸が各家にかかげられていた時代がまぶたに浮かぶのだが、・・・・・。昭和は遠くなりにけり。

御起立くださいというアナウンスで謳われた曲は、「翼をください」(全然知らない!)だった、という。この曲はフォークソングだそうで、つのだ氏からみれば歌謡曲としか思えない曲だそうだ。

帰宅して、国歌を歌わなかった息子を怒鳴りつけたところ、教えられていないから歌いようがないんだもん、だったので、これまた仰天!。
日本の国民なのに国歌を教えないとは!これが当時の実態だったそうだ。

平成9年に国立競技場で行われたFIFAワールドカップの対ウズベキスタン戦では、国歌を独唱された。
つのだ氏が歌い始めると観衆がダアアーンと立ったんです。立った風圧を感じました。そして皆で歌ったんです。うれしかった、という。

つのだ氏は、勇敢にフィールドに飛び込んで行く若者への激励と「祖先への感謝」の気持ちを込めて歌いました、と述べておられる。

吉川英治氏とならんで文化勲章を受章した数学者、岡潔博士はこの国では、古来から善行と言ったら「犠牲的行為」だと説いた。戦争中、死なば諸共と言っていた国民が、戦後食糧の奪いあいをするさまを見るに耐えず、宗教の門を叩き、念仏を唱えていたら、難問のうちの一つが自然に解けた、という。終戦までにすでに多変数関数解析の難問を、いくつか解き論文も書かれていたが、残った難問だったという。

最初のとりかかりに夢中になり、某大講師も辞め戦争中は、農民にわけてもらった芋の蔓なども煮てたべたこともあったらしい。死なば諸共の声に励まされ、数学研究に閉じこもったのだと言う。奇行も報じられているが、主体と客体とが一致し、心身脱落の境地を説いた正法眼蔵なども物すごく深く研究されていたように思える。数学の難問が、日本人である私に解けないのならば、フランス人なんかに解けるはずがない、という姿勢で臨んだらしい。

本当は、ドイツ留学すればよかったらしいが、フランスに留学、無冠で帰国したので、評価は最低。ドイツで出た「問題の難問」へのハンドブックを手がかりに、その本がぼろぼろになるまで読み込んで考えては寝て、寝ては考えてを繰り返した、という。

つのだ氏は、先祖への感謝ということばを使うが、岡潔博士は、非自非他ということばを好く使われた。
いまの学校で教えている、自己と言うか自分は本当の自分ではない、ということである、わりきってしまえば。普遍的無意識の中にこそ、本当の自己があり、それを見出す努力が教育ということではないだろうか、というのが只今の私の解釈であるが。

教師の能力がないという人数が、数百人というニュースをやっているが、首相としての自覚から辞任する決意をした安倍首相に、今後の再出発のチャンス再来があるかどうか見守っていきたい。戦後政治の大転換が後世どのように評価されるか?

0 件のコメント: