木曜日, 3月 04, 2010


しばらく、休んでいた数式処理関連、また少し余裕を見て、自分の専門領域と関連のある、積分をもう少しすっきりさせようと、以前から愛用の数学関連書籍を探したが、多分部屋が狭く、雑誌などと一緒に出してしまったらしい。それで、やはり大学入試+アルファクラスの数学受験指南書をあらたに物色した。

大学教養の学生向け参考書も手元にあるが、その方の専門性が色濃く反映されがちで、難易度もばらつくものの、基礎を固めるにはちと、抵抗があることが、数式処理と平行して試してみて、解答の信頼性の問題で、諦めた。数学科の学生さんやや工科の学生さんにはいいかもしれないが、生物系、医薬系の数学には、かならずしも適当でないように感じている。

そうこうしているうちに、ある方の紹介で、赤門学友会報(2010、No.17)というコミュニティ誌に、フェルマーの定理の証明の端緒を、若い時に発表された東大の谷山助教授の思い出、という記事があった。S32理I−4Bクラスの方が、谷山助教授の試験問題や、関連する思い出などを語るという趣向で、谷山豊氏が、映画化された『博士の愛した数式』の小説にも登場していたとは、ざっとDVDを見たが、気がつかなかった。

このクラスには、飛び抜けて数学がよくできる人がいたらしく、谷山先生から数学科に誘われていたらしいが、けっきょくだれもこのクラスからは数学科へは転じなかったという。先生の試験問題は、半数が追試というありさまだった、と思い出が語られていた。その飛び抜けて数学ができたY氏は、駒場の教官室にかけてあった木製の名札を今でも形見として秘蔵しているとかで、その写真もでていた。

ここで、はじめて私は、谷山先生の自殺手段を知る事になった。ガス自殺だそうである。合掌。先生の実家は、騎西町で例のニュースが世界中を駆け巡っていたとき、山下純一氏の記事でそれを知り、騎西町の先生の墓地も訪ねてみたことがある。住職に事情を話し、焼香させていただいた。前日あたりにも、先生の出身校、不動ヶ岡高校の数学単担任も、訪れていたそうである。

許嫁の女性も、半月後には後追い自殺をされた(やはりガス自殺)、という、衝撃の二乗のような結末もぞんじあげていたが、墓碑銘には、その女性の戒名なども記されている。このクラスが二年生の11月に、自殺されたということから、昭和34年ということになる。 念のため、チェックしたら、
昭和33年11月17日ということだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/谷山豊
ここには、一年程先輩のよき友、志村五郎教授の言葉も紹介されている。
「彼は数学者として非常に注意深いという人では無かった。彼は沢山の間違いを犯した。だが良い方向に間違えるので、最終的には正しい答に辿り着くことが出来た。私は彼を真似ようとしてみて、良い間違いを犯すというのは実は非常に難しいのだということを知った。」

昭和33年といえば、わたしはまだ小学校3年か4年の頃、数学科へ行きたかった父が、かなりコーフンしていたことを思い出す。
http://natto.2ch.net/math/kako/988/988397239.html
には、『親の時代にあの事件は有名で、数学なんか勉強すると自殺とかするから
やめとけと親に言われたことあった。』などという書き込みもある。私も、東大の数学科の秀才!?天才!?ともなれば、死ぬ事にも意味があるのかな、とも考えたかどうか、軍隊経験のある父は、数学に命を捧げて、国家のため?あるいは数学のために自身の命を燃焼させてしまったことに感動している、と捉えていた。その少し後に、「人知れず微笑まん」の樺美智子氏の記憶がある。父はこの本をかなりの時期、携えていた記憶がある。

かすかに読み取れる谷山先生の解析試験、二時間で4問あり、最初が積分計算である。

Mapleによる結果も同一の答えを出力する。結果を微分して整理すると元の形にもどることから、いちおう正しいと思われる。

もとの式をやさしく部分分数に分解することは、Maple 9.5ではできなかった。
> f1:=convert (f,parfrac,x);
Error, (in convert/parfrac) argument not a rational function
それで、Mathematicaでの出力結果をもとに、個別に積分を実行させると以下のようになる。


最初に述べた受験数学の理論、微分積分中には、特殊な置換積分としてP214の
例題7-14の(1)に、∮1/sqrt(1+x^2)の例が出ており、解答の後に、積分公式として太字で
log(x+√(1+x^2+1)+Cとなっている。
そこで、この答えとしてのと関数と、Mathematicaが出力したarcsinhのグラフを出力させると、ほぼ同一に見える。念のため、両関数を、級数展開させてみると、まったく同一であると判明した。高校までの教材では、arcsinh(双曲線関数)は出てこないため、一見、数式処理ソフトの解答が違うように見えただけだった。

出題された積分の関数を、和の形に変形できれば、高校の数学の範囲で解ける問題であるともいえる。

それにしても、東大理科I類のあるクラスの半数ほどが追試を受けたという試験問題中の第1問はどのくらいの正答率であったのだろうか?。ある閃きがあって、公式運用が着実にできれば、自然に解答に向かえる良問のように感じた次第だが、どうだろうか!?

なお、この試験は二時間という制限つきであったようだが、故矢野教授の回想によれば、戦前の試験では、時間制限は特になく、矢野氏が、翌日試験会場の前を通ると、まだ答案用紙に向かって努力している学生さんが、何名かおられとた書かれていた。

梶原教授の『独習 微分積分学』(現代数学社、1982)の34ページには、赤く囲んで、
『微分の方は、定義に従い、差分商を作り、強引に極限をとれば、計算できぬことはないが、積分の方は、微分したらfになるという原(モト)の関数Fを見いだすという、発見なる閃きを要し、凡人のなせる所ではない。したがって、公式の暗記が必要である。例えば以下の・・・』
などとある。


なかのひと

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