日曜日, 9月 07, 2008





日曜の朝刊には、各紙書評がのる。少し暇になるとそれらにも注意がいくようになる。先週も取り上げようとして、機会を逸した。今回は家で留守番を余儀なくされ、環境は整った。

この本は、書評を読んで納得したが、買おうとまでは思わなかった。後述の「日本人のリテラシー 1600−1900年」との関連でとりあげることにした。

評者は竹内洋関西大教授。著者は桃山学院大教授。

書評によれば、昭和10年代になると徴兵率があがり、ひ弱な高学歴兵士が多くなり、このことが軍隊における高学歴兵士いじめの関係しているという指摘に蒙が解かれた、とある。

「帝国陸軍をフィールドに日本人にとっての学歴の意味をあぶりだす着眼点が鋭い。同時に日本社会における学歴優越感と学歴コンプレックス、軋轢を抉って秀逸である」と結んでいるが、読み手で感想は変わりそう。

ブログでもすでにいくつか取り上げられている。

http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000326.html
文学部と平等ーーーおおやにき

http://blog.goo.ne.jp/tamatama-kuni/e/1c138cfcbf9ef5754782aae2d7693e39
には、本日の書評と同じ文言が!?日付をみると2008年8月17日とあり、半月早くどこかの新聞に載ったのだろう。ブログタイトルは、日本人の平等観となっている。

http://mainichi.jp/enta/book/news/20080813dde018040027000c.html
には、太平洋戦争:関連書、次々と とあって、「小泉、安倍両政権時代の「右派」ブームを経て従来の「左」「右」の戦争観を強調する時期が一段落したのか、重層的に戦争への想像力を喚起する作品が目立っている。」などとあって、とらえる視点がジャーナリスティックになっている。



この本の書評を読んですぐさま買おうとしてアマゾンのページを開いたが、高すぎてあきらめた。かわりに、"日本人の思考作法?ときには論理的に考えよう (IT21叢書 情報リテラシー編)"を注文してしまった。在庫がないらしく、入荷は半月以上先になるという。

幻想だった教育大国と大きな見出しがあり、「本書を読めば日本教育への「幻想」は打ち砕かれてしまうかもしれない。しかし、そこから責任ある論議がはじまる。(かもしれない?)教育関係者は、本書を読んでおいたほうがいい」と結ばれているが、果たして、どれだけの教育関係者が読んでくれるか、値段と内容を考えると心もとない感じがする。

とにかく、前提となる知識がないと論議がはじまらないが、知識があっても、どうも日本の教育システムでは、いい論議がなされえないような、知的風土がありはしないか?

幼稚園や保育園から初まって、みんな仲良くなどと教師が言う国は日本以外はないようなことをいう識者もいる。ある程度の学歴の共有は望ましいにしても、似たり寄ったりでは困る、という時代に入っている。

関ヶ原の戦いのあと家康が江戸に幕府を開き、江戸時代となり、いわゆる日本型文化の現在に連なる基本型が出来上がっていく。

最近の研究によると、関ヶ原の戦いのあと、文芸の連続性がとだえ、50年ほどは見るべき記録が断絶している、という説もある。
渡部昇一上智大名誉教授の本から、引用すると、東大の前身の歴史的変遷は1684年の天文方から始まるようである。

関孝和の「解伏題の法」換三式とは、三元連立一次方程式(4元以上では使えないが)の解法としてい知られるクラメルの解法中、行列式の変形操作に現れる演算にサラスの法があるが、関孝和は遅くとも1683年には発見していた、という。(梶原譲二著、新修線形代数、現代数学社、1988)

図解は
http://web1.kcg.edu/~k_emi/math/LA/chap2/LA233.htm
などに見られる。

Pière Frédéric Sarrus(1798-1861)はフランス人なので、現地読みのサリューが望ましい、とも。西洋で線形代数についてわずかでも述べたのはライプニッツが最初で、1693年に行列式のことをほんの少し述べたにすぎない、という。

ケンペルについては、
http://www.wul.waseda.ac.jp/collect/yo/ae3110.html
など。

1690-92年ケンペル日本滞在
1683年 関孝和解伏題之法換三式
1684年12月 天文方

1800年 蝦夷地の測量始まる(寛政12年6月)

1811年05月 蕃書和解御用
1855年01月 洋学所
1857年01月 蕃書調所
1861年   西洋医学所
1862年05月 洋書調所
1863年08月 開成所
1866年   徳川幕府崩壊
1868年09月 開成学校
1868年   明治政府
1869年   舎蜜局(1886年、第3高等中学校、1894年第3高等学校)
......
1877年04月 東京大学
1892年   帝国大学

この表をみると、日本の学問(研究)のまとまった歴史はかなり短い。

中川博士はこのへんの事情をヨーロッパの例と比較して、著書「ラボアジェ」で書いている。

『科学を生み出したヨーロッパ(何事にも長い伝統がある)

 封建制度を支える三つの身分の第三は「祈る人」すなわち聖職者であるが、彼らは同時に学ぶ人、考える人、読む人、書く人、つまり知識人、文化人であった。その意味で中世の僧院は、その頃創健された大学(ボローニャ大学は1088年、オックスフォ-ド大学は1170年ごろ、パリ大学は1150年創立)と並んで当時のアカデミアであった。
 中世ヨーロッパに楕円的二中心世界ができあがった、何事にも相手があるという世界である。問答無用の絶対専制体制とは違う問答有用の世界である。正統対異端の、あるいは正統内部での神学論争がさかんで、そのための論理学、弁証術が発達した。これはやがて科学の道具になりうる。またそれまでビザンティンやイスラム世界に継承、保存されていた古代エジプト、ギリシア、ローマの文化がアラビアやスペインを通してヨーロッパへ流れこんできた。
 学僧たちがキリスト教の信仰あるいは神学を「理論」づけるために難解複雑な論証を積み重ねて造り上げたスコラ哲学はまさに「神学の召使」であって、一見近代科学と無縁の存在、いや科学の敵のようにも見える。しかし数百年間にわたってスコラ哲学は中世人に厳しく、かつ体系的な論理的思考の訓練を施した。このことの後世への効果と影響を人は重視すべきである。唯一神の真理性と合理性を確信し、それからすべてを「論理」的に導き出すための論証に明け暮れた中世人の眼がひとたび神から自然へ向いたとき、そこに近世人、近代人が誕生する可能性があるからである。


.....「日本が技術で重きをなす国であることは確かだ。だが科学で重きをなす国かしら」といった。そして時には、「この国には製造あって創造なく、研究あって学問なし」といわれ、「この国は異質な国である」とまで批評される。
いま我々の眼前にあるのは、ヨーロッパ一千年の科学の思想の歴史を省略して駆け抜けた「明治百二十年」の日本である。この性急な西洋文明の受容は創造よりも模倣にちかい。結果が「異様、かつ異質」なのは当然であろう。』

さらに次のような指摘も

寺子屋と高等教育 (5/5、1996)今道友信 ときの垂線 某新聞記事

『19世紀前半には記録に残る寺子屋だけでも全国では7000を越えるが、海後宗臣や石川松太郎の考えでは、明治維新後に政府が作った小学校は26000だというが、その基礎は私的に営まれていた寺子屋の転換であった、ということである。・・・こういう家庭の外にも郷校や藩校もあったし、儒教や国学者の塾や山門の学院では、大学級の水準もあったとしなければなるまい。ただし、ヨーロッパのような大学は、やはり、なかったとせねばなるまい。(足利学校は日本全国から学びにきた、ということを最近知った。)
 
 私の言おうとする主なことは、ここから始まる。今日でも国際的に共通の問題や類似の問題で試験をして、初等教育や中等教育の児童や生徒の理解度や解答力を比較する試みおいては、日本はすべての教科で五指に入らぬことはない。そして、大学に入学したての頃の情報に関する量と正確度ということになると、これまた、日本の学生は一般に他の国の大学生よりも上かもしれない。

 ところが、その後のことを見ていると、私はいまでもフランスやドイツの大学の教授をかねているのでよく分かるのであるが、日本の大学では「学習」はあるのに、「研究」ということがどうも少なくて、いわゆる秀才たちを愚かな者にして送り出す場合が多いような気がするのである。われわれ教授たちの責任なのかもしれないが、その同じ私はよその国では秀才までゆかぬ者を立派な学者にして送り出しているような気がする。日本の世間や学界に何か創造力を阻む風土がありはしないのか。思い切った学説を立てた人たちは日本では少なくとも無視され、冷遇され、ときには仲間はずれにされる場合が多すぎはしないだろうか。これは、何だろうか。寺子屋だけの誇りでは、それだけでは困るのだ。』

大学とは何だろうか 「ときの垂線 22」2/6/96

 『前回、寺子屋の話を書いた。それが江戸時代の民間の初等教育の普及に役だったとともに、明治維新後、今日にいたるまで、日本の誇る高水準の初等教育の基盤だ、と書いた。それに反して、日本の大学教育は、一概に言えば、満足のゆく状態ではなく、特に学問的な創造の話になると、憂慮すべき状態である、ということも書いた。
 日本で一般に大学がどう考えられているかを知るのに都合の良い事例が三つあるから、それらを手がかりにして考えを進める。

 第一の事例は60年近い昔の第二次大戦中の話だ。日本政府は日本の大学の理工医
系の学生だけを残して、法文系の学生を工場と兵営と戦場に送ることにした。これは大学における法文系の事実上の閉鎖である。理工医系の教育を残した理由は、その種の学問が戦争に有効だからである。法文系の学部が事実上閉鎖されたのは、その種の学問が戦力にならないからである。ここには極端に言えば、戦争に役立たない学問は不要だという考えがあり、つまり日本は敵国に勝ちさえすれば、哲学も歴史も文学もない野蛮国でよろしい、という考えである。この目先の物質的有効性への執着は今日にも糸を引き、実は理工医系の学問の場合でも、基礎理論の軽視という点で、大学をただの専門学校に化そうとしている。軍事優先の思想は、平和時においては、経済戦争のための企業優先のポリシーとなる。

 第二の例は、従って、企業が大学教育を妨害する話だ。企業の就職試験やそれに類する行事が、現実にははやくから始まり、いわゆる青田刈りで、卒業年度の研究教育は大いに乱される。しかし、大学は学生の就職についても顧慮する必要があるから、企業社会に強く抗議することができない。刃向かう者にたいする企業の冷たさは軍隊に似ているからだ。就職試験は卒業論文を書き終え、授業もあらかた終わった2月に一斉にやれば良かろう。もっとも、そういうと日本の学生どもがわがままな反対を言うだろう。就職は大事だから早く決めたい、言うを止めよ、先生、余計なことを、と。学生の身になればそうかも知れぬ。ただ、学者の身になって考えてくれる人々がいないので、結局、目先の利にとらわれて、大学への妨害を公然と許すことになる。
 残念だが、もともと日本の大学は、学問研究よりも、国家有為の材を作るということで、官僚生産工場から出発したようなところがある。だから、戦前は、秀才は法学部在学中に高等文官の試験を突破し、卒業を待たずに中途退学して役所に採用されることを理想としていた。したがって、明治維新この方、大学とは高等専門学校だったのである。そこで今でも、学生は大学を就職の手段だと考えるし、大学も専門学校なみに学年制をとりたがり、基礎の古典語の力がなくても修士は2年でよろしいなどということになるし、逆にまたどんなによくできても、すぐ博士にしない。
 せめて、大学院の学生全員に奨学金を与えてゆっくり勉強させる、という予算はくめないものか。まともに考えれば、それくらいの金は出るはずだ。よその国はそうしている。他国からの大勢の留学生にも出費している国は多い。

 第三の例は、教育実習による公然たる欠席だ。これは教育免許を取得しようとする学生に2週間、大学の授業を欠席させる制度であって、この間、当の学生たちは高校の授業を邪魔しにゆくのである。つまり、教員になるための実利のゆえに、教員になろうとする人たちが、大学の授業など2週間続けて完全に休んでもかまうものかという考えをもってしまう制度である。学問が手順を踏んで論理的に一歩づつ進むものである、ということを教育制度を論ずる人々が知らない、ということだ。これでは、大学の授業の1時間1時間が、教師と学生との一期一会だなどという気風がすたるのも無理はない。たしかに大学は大衆化した。だからと言って、大衆的功利主義が大学を満たすべきなのか。むしろ、大衆の中に大学的知性がいきわたるべきではないのか。

 逐次あげてきたこれら三つの事例をつぶさに見直してみると、どういうことが分かってくるか。日本では、政府、企業、学生、教授、教育関係者がよってたかって、大学を専門学校と同一視して、目前の処理に関して間違いのない職人を養成するのに余念がないのだ。私はこういう腕利きの職人が文明に必要なことはよく知っている。しかし、大学とは、そういう職人を作るところではない。そこは、少なくとも、文化の府であり、理念として、真理の学問的探求を目的とする集団であって、そこに学ぶということは、必ずしもそれに身をささげるということを意味しないけれども、学の尊さやきびしさを経験して、そういう文化的創造の営みを身近に見て、それを尊敬し、大切にする謙虚さを身につけることであらねばならない。この私の書く馬鹿のようなきまじめさがなくなると、創造は消えてしまうのだ。この私の書く馬鹿のような自由な気持ち、これがなくなると創造が消えてしまうのだ。

 エトルリアを知っているか。土木事業と初等教育とカード遊びと経済では図抜けていて、ヘロドトスを感心させた民族は、文化ではひたすらギリシアの猿真似しかせず、ギリシアを基にして創造をしたローマ人に比べると、何も創造しなかった。初等教育だけはずば抜けていたそしたらある日忽然と滅び、今日かれらの文字を読む人もいない。』

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なかのひと

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