火曜日, 9月 22, 2009



『誤解されるガウス』と題して清水知子さんが、雑誌「理系への数学」(現代数学社)2009年9月号の最後のページのヘウレーカという清水さんのコラムに、2005年にドイツで出てたちまちベストセラーになった、ガウスとフンボルトを題材にした小説を取り上げている。

現代数学社さんとは、かれこれ10数年のおつきあいで、その中味の大半は、梶原先生の著作を通してであり、マックを選んだのも先生のご趣味に沿ったものだった。

そんなわけで昔から梶原先生のファンだったので、梶原先生の書かれる数学解説が面白くて、時々買って読んでいるので、
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/math/1130588784/
にあった、以下のような投稿には、親近感がでる。社会人や多くの学生の中には、この梶原先生の書かれたものだけを目当てに購入されている人も少なくないのでは無いかと思う。この雑誌、めったなことではおめにかかれない雑誌で、私が時折購入する書店でも2冊しか置いてなく、時々品切れのときもある。

『604 :132人目の素数さん:2009/05/25(月) 00:32:37
最近、読んでないんよね。
地元の書店には数冊しか置かれないので、いつも売り切れていて…
梶原センセーの記事しか興味ないから、定期購読するつもりはないし。
地元の三流国立大には置いてないからな~

梶原先生の記事を単行本化してくれれば絶対買うのだが!
みんなで出版社に「出してくれメール」を送ろうぜ!』
梶原先生の初期の分は大方単行本化されているのだが、最近の、特に理系への数学(旧、BASIC数学)に変わってからの中味は単行本化されていないようであり、私も単行本化をお願いしたい一人である。

仕事がら、いやでも数学とは付き合わざるをえないし、数学の専門家ではなくて数学関連のいろいろな事象をあれこれ学ぶのが好きなので、測量も、いわゆる資格としてではなく、社会との拘わりにおいてつい見てしまう傾向がある。

歴史も大いに好きなほうであり、子供の頃から伊能忠敬の業績などには折りに触れて身近に感じてもいた。

最近の測量となると、皆コンピューター化されてしまい、手計算の部分は通常ほとんど姿を隠してしまっているが、測量誤差の網平均一つでも、数学者ガウス並の線形代数を始めとする数学的素養と、行列計算の妙味を感じる部分がある。

最小2乗法も、一応1次回帰や多変数回帰などを学んでも、測量の網平均の最小二乗法となると、ガウスが独力で作り上げたような道筋をたどるような気がするくらい奥が深い気がするのであるが、技術として確立されてしまった今日では、ふだん無視していてもまちがいなく出る時代になってしまった。

それほどむづかしくないことでも、誰よりも先に将来を見据え、独力で手がけて発表する、ということは極く恵まれた少数の天才にのみ、許されることではないだろうか!?




ガウスは1777~1855、伊能忠敬は、1745~1818年で時代は重なっている。
ガウスは、ゲッティンゲンの天文台で観測ばかりしていたのかと思ったが、測量もこなしていたとは、数学の業績に目を奪われがちで、あまり意識してこなかったが、
『1818年にハノーファー州の測量をする測定装置のために、後に大きな影響を与えた正規分布についての研究を始めた。これは測量結果の誤差に関する興味からである。』などと解説されていることを見ると、伊能忠敬と同時代といえる。 忠敬が第1次測量を開始したのが1800年、大日本沿海輿地図が完成したのが忠敬没後の1821年であったという。

さて、誤解されるガウスとは!?清水さんの解説によるとガウスの性的行動と数学的発見の拘わりの描写にリアリティが感じられず、記述が数学的にはデタラメなは我慢しても、としつつ、いくつかの不適切な用語を指摘されている。

『ガウスは新婚初夜に、新妻ヨハンナ相手に手を胸から腹部へと進めている最中に、「惑星軌道の計算ミスを修正する」方法を思いついた』(p169)とある、「惑星軌道の計算ミスを修正する」が何を意味するのかがわかりません、としている。「観測データからより正しい軌道を求める方法」のまちがいでしょうか、と指摘されている。

しかし、暗闇の中で忘れないうちにと花嫁から離れて、机の紙切れに急いで殴り書きをした文面はと言うと、
『計測値と計算値の差の2条の和→最小』と書かれている。原文では
Summe d. Quadr. d. Differenz zw. beob. u. berrechn.→Min.
となっていて、最小2乗法の原理だろうと否応なくわかる。清水さんが問題にされているのは、数学の業績の詳細が、いい加減だと言うことに力点が置かれているようである。素人のわれわれには、ちょっと近寄りがたい面であり、小説なんだからというのが、原著者の言い分でもあるようであり、小説に厳密な数学史を要求されても、・・・ということではないのだろうか。

ガウスは最初の最愛の奥さんは若くして亡くし、2度目の奥さんをもらった。忠敬も婿としてはいった伊能家の娘とは、松島への家族旅行の後、40過ぎた時点で死別している。
晩年は、地図整理の手伝いもかねて、16歳の娘と結婚、師匠から、忠敬は幸せ者じゃ、といわれたそうである。

ガウスは二人の奥さんの間にそれぞれ各3人の子をもうけたが、アメリカに渡りデュポン社の創立に係わった息子は、二人目の奥さんの子のようである。

清水さんも紹介している部分。
Die Zahlen begleiteten ihn jetzt immer. Er vergaß sie nicht einmal, wenn er die Huren besuchte. Es gab nicht viele in Göttingen, sie kannten ihn alle, grüßten ihn mit Namen und gaben ihm manchmal Rabatt, weil er jung war, gut aussah und Manieren hatte. Die ihm an besten gefiel, hieß Nina und stammte aus einer fernen sibirischen Stadt. Sie wohnte im alten accoushierhaus, hatte dunkle Haare, tiefe Grübchen aud den Wangen und bereite, nach Erde duftende
Schultern; in den Augenblicken, wenn er sie umfaßte, den Blick zur Decke wandte ihr Schaukeln auf sich spürte, versprach er ihr, sie zu heiraten und ihre Sprache zu lernen. Sie lachte über ihn, und wenn er schwor, dass er es ernst meine, antwortete sie nur, er sei eben noch sehr jung.

Seine Doktoratsprüfung fand unter Aufsicht von Professor Pfaff statt.....
『いまや、どこに行くにも数が一緒だった。娼婦のもとを訪れるさいにも数のことを忘れなかった。・・・・1番気に入っていたのは、遠いシベリアからやってきたニーナという女である。・・・・ガウスは君と結婚する、君の国の言葉だって勉強するよと言ったが、とにかくあなたはまだ若すぎると応えるばかりだった』などとあり、唐突に学位試験の記述がはじまる。

清水さんは、学位試験の直前なんだから、単なる数ではなく、ここでは「代数学の基本定理(の証明)」とすべきだといわれる。
もちろん、一般の読者には難解な部分なので、内容には触れていない。なにしろロマンなのだから・・・。

しかし、ヨハンナとの結婚の二日前、ニーナに最後の別れを告げに行き、二日後には妻にも同じことをするんだな、などという記述の後、別れを告げると、ニーナに泣かれてしまう。そのことで、ガウス不愉快に感じてしまう。「私のこと、愛していてくれなかったの」「少しは愛していたさ」「でも、もう一つの約束は守るよ、君の国の言葉を勉強するってことさ。」

やはりBASIC数学誌上で、ガウスがロシア語を60を超えてから勉強を始めた、という記述を読んでいたが、こんなこともきっかけだったのかどうか?
杉原千畝も、最初の妻、白系ロシア人と別れた後も、生涯文通その他の連絡手段を持っていたようである。ガウスも、二人の妻に先立たれ、娘に身に回りの世話をしてもらうような境遇でやはり最初の通い妻ともいえるニーナへの追想から、約束を思い出したのであろうか?

そのニーナと別れた帰り道、ガウスは野原の真ん中で馬をとめ、夜空を眺めた。このとき、ガウスはケレスの軌道のゆがみから木星の大きさを算出する方法を思いついたのだ、とされている。

ところが、ガウスは天文台ができる予定のゲッチンゲンヘ移ると、再びニーナのもとへ通う生活が復活する!。まだ、ロシア語の勉強は始めていないようね、などといわれながらも、・・・そして奥さんには、絶対このことは隠し通そうと決意する、などと書かれている。たしかに当時のゲッチンゲンは、戦後の混乱で荒れており、天文台予定地は羊が草をはんでいるという有様で、いろいろと困難な状況にあって、しかも単身赴任であったことも影響したようだ。学生の質もかなり悪く、苦労の連続であったようだ。

なお、ガウスは、フランスとの開戦は、人に指摘されるまで知らなかった、という。

ところで、私が感じたのは、ニーナへの愛情である。史伝には、最愛の妻ヨハンナと出ており、この本でもそうなっている。当然ながら、二番目の妻通称ミンナのことまでしか書いてないが、ミンナをもらうまでは、ニーナと結婚して家庭の面倒を見てもらおうとまでした、とある。友人の諌めで実現しなかったそうで、それから、最初の妻の友人で、婚期の遅れたミンナへ求婚したが、すぐに失敗に気づいたそうである。奥さんの顔を遠くから見ただけで、気分が沈んだということの前に、もっといろいろ二番目の奥さんに失礼なことがいろいろ書いてある。

ニーナは、別れ際にガウスにロシア語辞典をプレゼントし、姉のもとへ去っていったという。
後年、ロシアにも行ったガウスは、ロシア語のおかげで、実利も得るとともに、家庭での奥さんからの嘆きや避難など、子供の問題などの厄介ごとを乗り切るのに役立った、とある。ロシア語の文学作品にも親しんだようである。

しかも、ほんの一瞬であったが、という但し書き付きではあるが、自分にとっての生涯の女性とはニーナだったのではないかと考えたことがあった、とまで書かれている。なお、この本でガウスの測量を手伝った息子オイゲンはミンナの長男であり、測量計算の間違いやら何やらで、ガウスに殴られたり、大学を出ても微分方程式もろくに理解していないなどとフンボルトの前でけなしたりしている。間違いだって、わずか、五桁目だし、それに何より援助を求めたのはお父さんでしたでしょうに、と反論するがフンボルトに測量計算の間違いは許されないことだと言われ、二人の前から飛び出していってしまうシーンも描かれている。

伊能忠敬も、息子を測量隊に入れるが、思ったような働きができずに、クビにしたりしている。

なかのひと

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

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