1991年12月30日発行のタイム誌、カバーストーリーから拙訳しました。
Cover Story
Handmaid or feminist? 召使いそれともフェミニスト?
More and more people around the world are worshipping Mary--and it's led to
a holy struggle over what she really stands for
世界中でますます多くの人々が聖母マリアならびに彼女が示現する聖蹟への信仰を深
めている
By Richard N. Ostling--With reporting by Hannah Bloch/New York, GregBurke/Medjugorje, Robert T. Zintl/Rome, and other bureaus
When her womb was touched by eternity 2,000 years ago, the Virgin Mary
of Nazareth uttered a prediction: "All generations will call me blessed."
Among all the women who have ever lived, the mother of Jesus Christ is the
most celebrated, the most venerated, the most portrayed, the most honored in
the naming of girl babies and churches. Even the Koran praises her chastity
and faith. Among Roman Catholics, the Madonna is recognized not only as the
Mother of God but also, according to modern Popes, as the Queen of the
Universe, Queen of Heaven, Seat of Wisdom and even the Spouse of the Holy
Spirit.
2000年前、ナザレの聖母マリアの子宮に生霊が作用した時、彼女はある予測を口にし
た:今後の全世代の人々が私をあがめる(祝福)ことになろうと。これまで生きてき
た女性の中でイエス・キリストの母がもっとも多く崇拝され尊敬
され、多く描かれ、子供の名付けや教会の命名にも愛用されてきた。
コーランでさえ彼女の純正さと信仰を賞賛している。ローマ教会(カトリック、普遍
的という意味らしい)では、マドンナだけが神の母と認識されているのみならず、現
代の法王たちによれば、宇宙の女王、天の女王、知恵の首座ならびに生霊の連れ合い
とまでされているのである。
マリアはまた歴史上もっとも熱心に議論された女性かもしれない。何世紀もの間、プ
ロテスタントたちは彼女をあがめることを熱心に避けてきたし、教皇による彼女の存
在(地位)に対する言及はバチカンと東方正教会の間にくさびを打ち込んできた。対
立は彼女が処女のままだったこと、イエスと同様に罪なしに生まれたこと、そしてイ
エスの磔における彼女の苦しみは大変大きく、人間性の犠牲において、息子と同等で
あったことである。
それでも、たとえマドンナの存在が何百年もの間、西方世界に浸透したとしても、い
まだに驚異に値する事実がこれまで以上に存在するのである。科学者たちが宇宙の起
源を議論する時代にもかかわらず、マリア信仰とマリア出現への待望感は異常なほど
の高まりを見せているのである。処女マリアに対する信頼の草の根レベルでのリバイ
バルは、世界各地で起きている。何百万もの崇拝者その多くが若者たちだが、彼女を
まつる社に群がるようになっており、またいっそう著しいのは、ユーゴスラビアから
ここ数年のコロラドの例におけるまで、処女マリア出現の目撃例報告が多いことであ
る。
これらの幻影ともいえる報告は、1962年-1965年のバチカン公会議以来、彼女の役割
を重視しなかった牧師を当惑させる。「これは(単なる)流行だ」と嗅ぎつけ牧師の
異名をとるパリのジャック・フーリエをしてマリアの出現報告が多くの人々からもた
らされたことに懐疑論を唱えた。ただ、わずかに7例のみが、今世紀中(20世紀)の
マリアの出現として教会の祝福を受けた。
教会の関与は、マリアのイメージについて発生した崇拝人気:神学上の綱引きにおけ
る最もおもしろい一面をうかびあがらせることになった。フェミニスト、自由主義
者、いわゆる活動家たちは、神の意志の受動的な女中としての存在と従来の家族主義
的価値観の原型の新しい解釈とともに前進した。彼女は、伝統的な存在から離脱した
いのです、とキャシー・デンソン(元修道女、現サンフランシスコ麻薬&アルコール
カウンセラー)は言う。彼女は現実の人間的存在でありたいのです。
彼らがそうした見解にしがみつくか否かに関係なく、世界中の人々が自分でマドンナ
への崇拝を示すために莫大な距離を旅行してまわっている。20世紀後半は聖母マリア
への巡礼の時代となり果てたのである。いくつかの例をあげよう。
At Lourdes, the biggest of France's 937 pilgrimage shrines, annual
attendance in the past two years has jumped 10%, to 5.5 million. Many new
visitors are East Europeans, now free to express their beliefs and to
travel. Despite the inevitable attraction of Lourdes for the ill and aged,
one-tenth of the faithful these days are 25 or younger. "We also have new
kinds of pilgrimages," reports Loic Bondu, a spokesman at the site. "They
dance, they sing, they praise out loud. They're more exuberant."
ルルドでは、フランスの937もの巡礼神社中最大のものがあり、ここへはここ2年で
10%の増加があり550万人が訪れる。多くの新しい訪問客は東欧からであり、自由に
信仰を表明できるようになって旅行してまわっている。病気治癒と老人向けとしての
ルルドの認識にもかかわらず、忠実な信者たちの1割は25歳以下で占められる。ここ
のスポークスマンであるロイック・ボンデュは新しい傾向の巡礼者たちをこう述べて
いる「彼らは踊り、歌い、声に出して賞賛する。
彼らはより生き生きしている」と。(昔、NHKのフランス語講座のテキストで読ん
だルルドには、差別用語に相当するメクラ、チンバ、イザリや難病人が地面をはって
というようなことが書かれていた)。
アイルランドのノック。ここでは一世紀前に15人の前でマリアが出現したところで、
ヨハネ・パウロ2世が1979年に訪れた後は忠実な信者の列が劇的に長くなっている。
それ以来、巡礼者数は2倍になり毎年150万人を数える。そのため、1986年には、新
しく国際空港がノックにできた。
At Fatima, Portugal, the shrine marking the appearance of Mary before
three children in 1917 draws a steady 4.5 million pilgrims a year from an
ever widening array of countries. One million devotees turned out last May
when John Paul made his second visit.
ファチマ、ここは1917年(第一次大戦中)に三人の羊飼いの子供たちの目の前にマリ
アが出現したのだが、毎年多くの国々から450万人が訪れ、ジョン・ポールが2度目
の訪問をした昨年五月には100万人もの熱狂的信者が訪れた。
ポーランドのツエットチョワでは、黒人マドンナ神社への参拝増加は年間500万人と
なった。1979年のジョン・ポールの訪問以後、ファチマとルルドと人気を三分してい
るのである。昨年夏、ローマ法王は100万人ものカトリックの若者たちにここで語り
かけた。
アメリカのエミッツバーグ(メリーランド州)(ルルド同様の洞窟神社で、43あるア
メリカの聖母マリアのサイト中、最古参)では、昨年巡礼者は2倍の50万人まで増加
した。
以上のような古くからのサイトのブームはMedjugorje(ユーゴスラビア、今は解体さ
れていますね)で最近報告されたマリアの出現(容姿として)を通してめざましく発
達したカルトブームによって、目をそらされがちである。幻視が1981年に出現してか
ら、ユーゴでの内戦勃発で旅行者が接近することが困難になるまえのこの9月までに
1000万人以上の巡礼者が山の村に群がった。6名の若い地元の百姓が聖母は晩に現れ
るたびにメッセージを伝えたと、主調している。何百もの病気の治癒例が、そこへの
訪問の過程で報告されている。しかし、それらは、ルルドにおける病気治癒に対して
適用される厳しいルールで、確かめられたわけではないけれども。
逆説的にひびくが、Medjugorjeでの幻視は地元のローマカトリック教会の司教Zanic
Pavoにとっては頭痛の種である。彼は「聖母はここでは何も言われなかった」と主張
する。聖母マリアは旅行者を引きつけ、銀行の出納係を夢中にさせただけにすぎない
と。バチカンはMedjugorjeでの例が詐欺ではないか、介入した。司教には、問題が解
決するまで旅行者がサイトに群がるのを後援しないよう勧告したが、ローマははっき
りした言質を与えてはいない。
聖母マリアの出現を見たという報告が、中央アメリカからスラブの草原まで、多くの
信仰者の行列を引き起こしている。ニカラグアではVioleta Barris De Chamorro大統
領がCuapaという小さい町に1980年5月から10月にかけて続いてマリアが現れたと(教
会管理人によって目撃された)いうことに強い信奉を表明している。1981年にマナグ
ナの大司教臨席の再には約30000人が出席し、信奉者たちは、太陽の色が複雑に
変化したと主調した。ウクライナでは、Hrushiwで12歳の子供が、支配的だった共産
主義勢力に封印されていた教会上空を聖母が舞うから見に行くというので1987年に何
万もの人々があつまった。
つい最近アメリカでもデンバー近くの聖キャブリーニ修道院に数千人の熱狂的信者
が、マリアが現れたというので、集まった。そこのテレサ・ロペスは、マリアが過去
7週間に4度現れになった、と申し立てている。聖母マリアの幻視報告は、カリフォ
ルニアのコファックスにあるセント・ドミニク教会の教区コーディネーター、エド・
モロイによって昨年13週にわたってあったとされ、また今年も驚くことにはつい6
週間前にもあったということである。サンタ・アナ(カリフォルニア)にあるピラー
教会のマリアのモザイク画像に昨年10月以来、毎朝マリアのイメージが見えるとメキ
シコから移住してきたイルマ・ビレガスによって言われている。多くの出席者がいる
午前7時に彼女には見えるといい、マリアが人々にそのことをしらせなさい、と告げ
られたので、その通りしましたと、申し立てている。
20世紀後半にこのようなありさまなので、アメリカ人たちは、これらの神の出現につ
いて広める活動を展開している:
ネットワーク
ルイジアナのミール(ロシア語で平和)グループのミミ・ケリーは言う。「皆、人類
になにか役立つことをしたいという熱烈な願望とともに集まって来ています。」
Medjugorjeでのマリア出現を信ずる約300団体がアメリカ全土にわたって存在し、
少なくとも会報誌だけでも30ほどになり、毎月一回のペースで大会を開いている。
ユーゴスラビアからマリアのメッセージを伝える70台の特設回線(ホットライン)
がそこにはある。
過去16ヶ月でテキサス支部にはMedjugorjeに啓発された約6500もの広報板が設置さ
れた。巨大な看板には、「聖マリアは、神があなた(方ではない)を愛していること
を知らせるために現れになった」と書かれている。
何人もヨハネ・パウロ2世が感じた以上に聖母マリアへの信仰の高まりに満足し、あ
るいはそれがわき起こってきた道筋に内在する困難を感ずるということはないのであ
る。マリアへの傾倒は、法王の母国がポーランドということで宿命づけられている。
ポーランド(約9割以上はカトリック信者)は、何世紀にもわたって、トルコ軍の撃
退、スエーデンのルーテル教徒撃退、そして1920のソ連のボルシェビキ撃退に聖母マ
リアによる加護があったと認められているのである。貴重な黒いマドンナ・イコンは
共産主義を捨て去る国の努力のために動員されているシンボルであって、そしてまた
各国を結ぶための統一したイメージでもある。
1958年に彼が司教になったとき、ジョン・ポールは彼のガウンの紋章のMを金色で飾
り、ラテン語で“Totus Tuus”(All Yours)ということは、キリストではなく、聖母
マリアに対する言葉だと言及した。いったん、彼が聖ピーターのリングをはめたジョ
ン・ポールは、教皇の兵器庫にマリアの統一パワーを象徴するセンターピースを作っ
た。彼は、地球上の無数の聖母マリアをまつる社を訪問し、ほとんどすべての談話で
マリアの援助についての注意を喚起させる。彼は、彼自身が1981年にローマの聖ピー
ター広場で狙撃されたとき、マドンナの介助によって一命を免れ得たと固く信じてい
る。(狙撃日は、ファチマの記念日、5月13日が選ばれた。背後にKGBが糸を引い
たといわれている)
のみならず、ジョン・ポール(ヨハネ・パウロ二世)は、マリアはヨーロッパ中には
びこった共産主義に終焉にもたらしたことを確信している。彼の信仰は1917年にポル
トガルのファチマで行われたマリアの有名な予言(ファチマ大予言)に根ざしてい
る。修道女ルシア(マリアを見たと主調した牧童三名のうちの一人)によれば、聖母
マリアはソビエト全体主義の高まりを予測した。その後の御臨降の際、彼女はローマ
法王と司教たちに、共産主義を終わらせるためにロシアを彼女の汚れ無き心臓に捧げ
るよう指示を与えた。
ルシアによれば、その奉献をおこなう法王の試みは、1942年、1952年、と1982年はと
もに失敗に帰した。法王は1984年についにマリアの指令を実行した。そして、まさに
翌年、ミハエル・ゴルバチョフが登場し、ソビエト崩壊に着手した。アレキサンドリ
アのファチマ家族神社のロバート・フォックス神父は「世界は、共産主義の敗北は、
イエスの母の裁定によるものということを、そのうち認知することになる」と言って
いる。
マリアの影響を復活させる努力が、強力に組織的化されたおかげで、少なくとも有る
程度は、彼女の人気があがるだろうということは、予想されていた。よりはるかに予
測できなかったことは、信者向けのマリアのメッセージの新解釈の流出であった。法
王は、マリアの生涯の意味において、保守的な傾向を与えて描いた。バチカンIIでと
られた見解を引用して司教の1988年のローマ教皇の手紙(女性の尊厳と愛情)では、
「聖母マリアは、処女にして母である(今朝の新聞では、マウスの実験で東農大がそ
うした結果を発表)ことの優れた規範の最初の存在であった」と断言した。どちらの
状態も女性の尊厳の価値を見いだすことができるとして、それを褒め称えた。
ジョン・ポールの伝統主義的傾向は、ローマ法王が歴代拒否してきた女性の聖職者受
任を支持していることである。バチカンの議論は、キリストが女性聖職者または司教
を必要とした際には、マリアが真っ先にその筆頭となったはずだというのである。
いっぽう、ジョン・ポールはマリアが家庭本位の人であったから、その女性が聖職か
ら遠ざかる必要があるとは、言っていない。ローマ法王が彼女の従順さを褒め称える
けれども、それは神に仕える面での話であり、男性社会へのそれを意味しない。
しかし、マリアへのより積極的な視線は、フェミニストグループからなされたもの
で、彼女の自治性、独立性、人間くささである。処女マリアへの伝統的な古い視点に
ついてシスター、エリザベス・ジョンソン(フォーダム大神学教授)は「ノーセック
スで生意気でなく、人間から離れた受動的存在」と見なしてきたと不平を述べる。い
ろいろな地母神でもあり、社会正義の改革運動者であった活発なヒロインとしての見
方を要求している。
マドンナについての修整主義者の見解は、マリアについては
いろいろな地母紳と社会正義の改革者としての活発なヒロイン像としての見方を要求
することになる。修道女ラヴィニア・バーンは(イギリスのノン・カトリックグルー
プではたらく)「彼女の息子の磔の時、彼の男弟子全員が逃げ去ったのに対し、ただ
一人見届けたロイヤリティがマリアにはあるのです」という。
神の子を担うマリア、という合意は、「強い女性の行為であった」とポルトガルの女
性の地位に関する委員会のイヴォネ・リールは指摘する。「マリアは息子の冒険的な
生命(それは破滅へと運命づけられることを予知していた)につきそい、常に息子を
支えたのですから。」フランスの作家ニコル・エシヴァルは「神の母は、女性という
ものが、機械的な力の補助ではなくむしろ人民への習性と愛への習性のために創造さ
れえたという点が重要」と述べる。「マリアは、すべての母親たちから、最も束縛が
なく、最も運命づけられ、そして最も信頼される存在なのである。」
他は、政治的次元を強調している。ローマのドミニカ・アンゲリカン(天使の降臨)
大のマリア・ドリスコル修道女は「貧しき者、抑圧された者の代表なのです。」とい
う見解を述べる。彼女を始め他の多くの者は、マニフィカート(ルーク1:聖母マリ
アの頌歌)において妊娠したマリアは「神が万能の王座から降りられて、低い地位の
者たちを讃える」ことを宣言したと。彼は空腹の者を善行で満たし、金持ちはからに
なるまで奉仕する。
活動家たちの解釈は必ずしも、バチカンの教育に反するものではない。1974年のパウ
ロ六世にまでさかのぼれば、「貧困と苦しみ、飛行と亡命」を経験した強い女性」と
してのマリアを描写した。ヨハネ・パウロ二世はほぼ同じことを言っている。そして
マリアの「自身全体を提供する愛、最も大きい愚行を堪え忍ぶことができる強さ、無
制限の忠実さと仕事への疲れを知らない傾倒」などにも言及しているのである。
しかし、他のいくつかの見解は、基本的なカトリックの追求する真実に危険を及ぼしかねない。そのいくつかとは、処女の概念。マシューとルカの福音書(新約聖書の最初の4書、Matthew, Mark,
Luke and John)は、マリアが処女であり、イエスは人間の父(たとえばヨセフか他
の男)の接触なしに奇跡的に妊娠した、と記録されている。この信念は古代の信条に
含まれ、従来のキリスト教とたちもそれを主張する。カトリックの中でもリベラル派
の学者は、自由主義傾向のプロテスタントの思想家同様、文字通り真実であったとす
ることに疑問を抱く者が増えてきている。レイモンド・ブラウン神父(バイブルに関
する全米カトリック当局の権威)は「この問題は未解決」と宣言した。ジエーン・
シャーベリ(デトロイト大學宗教学部長)は、さらに離れた見解である。彼女は、伝
統主義軽蔑で未婚のマリアがフィアンセのジョセフ以外の男性によって妊娠したと主
張する。「彼女は関係した男によって従属させられたり、虜になったりしない解放状
態であったと。」
永遠の処女性というテーマ。
カトリックとオーソドックスな15世紀の教義では、マリアは永遠の処女でマリアと
ジョセフは決して、セックス関係はなかったとするものである。そして、聖書で名を
あげられるイエスの兄弟たちは実は従兄弟たちのことだとしている。
この考えは、聖職者と修道女のために独身の伝統を強化した。プロテスタントはこの
アンチセックス論には反対で、聖書の支持をも拒絶している。ドイツの自由主義のカ
トリック神学者ウタ ランケーハイネマンは禁欲している聖職者という考えが、マリ
アから性的特質と通常の母性の概念を奪い、女性性をいやしめたのだ、と主張してい
る。このことは、「神経症的な性的ファンタジーの巨品そのもの」と指摘した。バチ
カン当局の返答はこうである。「教会には、性の問題はない。この世界はそうなって
いる。」
無原罪懐胎という概念
この信条は、マリアが本来の罪なしに(原罪なしに)妊娠なさったと考える。この考えは、何世紀にもわたって一般的なものだったが、聖母マリアの幻視に
よってわきあがった圧力も手伝って、1954年になってようやくカトリックの教義とさ
れた。非公式ではあるが、マリアが完璧な生涯を送ったとの信念が付随している。プ
ロテスタントは、聖書では、罪無き人はイエスオンリーではないかと宣うのである。
マリア・ワーナー「マリアの性のすべて」は、処女マリアの神秘と礼賛について、
ローマの教義は他の残りすべての人間存在とはかけはなれた人工的に設置されたもの
だと宣う。
さらにマリア信仰について再考する余地がある。プロテスタントはマリア信仰につい
ては、聖書には何の記述もされていない、と。そして彼らは、マリアへの崇拝は、唯
一の神そのものへの帰依に帰されることができると信ずるのである。彼らは、またマ
リアも含む人類が人間性の救済において役割を果たすという概念も拒絶する。それに
もかわらず、一部のプロテスタントの間では、そうした敵意を和らげた解釈をしてい
るものもある。英国国教教会の神学者、ジョン マッケレイは天国へのマリアの聖母
被昇天のような教義の改訂を主張し、そうすればすべてのキリスト教徒から待ちこが
れるシンボルとなりえるから、と主張している。デビューク大學の神学者ドナルド
ブレッシュは保守的プロテスタントたちに、マリアを単なる聖人以上のものと見な
し、教会の母とする必要があるのでは、と述べている。似たような議論の方向性は、
この二月に開催される全米カトリックとルーテル派との交渉でマリアの役割について
多方面から検討される予定である。
マリアに関する論争の変化は、マリアを彼女の息子よりも下位の存在と強調してきた
教会の教えのもととなった第二バチカン公会議の遅ればせながらの影響の結果でもあ
る。第二バチカン公会議前に、法王はマリアをイエスと同等の尊敬に値する存在と宣
言していた。会議の間、そうした忠実な信者たちから司教たちは同等とみなす教義を
批准するよう圧力を受けた。しかし、そうはならず、マリアについては何も発布され
なかった。むしろ、彼女は教会の憲法に取り込まれ、対等の立場とみなされてきた立
場からキリスト教信奉者の中の存在へと置き換えられた。
その結果、若干の聖域からマリア像が撤去され、教区にあるカトリックが従来九日間
祈る伝統的な方法が遵守されない傾向が及んだ。ジョン。ポールは明らかに再考が行
きすぎだと思い、マリアを尊敬する仲間たちもそれに賛同している。東ヨーロッパで
は、マリアに対する熱意は「西側の事務的な信心深さに対するリアクションでもある
のです」とワルシャワの聖職者ロマン インドレジュックは述べている。
第二バチカン公会議におけるマリアの再考とマリアへの大衆信仰の高まりに対する懸
念について、フェミニストたちは、かってキリスト教が多くの異教の神々に取って変
わってきた共通の伝統が、マリアの場合にも起こりうるとの懸念であると述べてい
る。注目すべき警句「一番の危惧は、マリアが息子キリストより上位のものとして崇
拝される可能性があることよ。」
そんなに遠くにまで行こうと思わないフェミニストでさえ、局地的にせよ、マリアが
復帰することがあるという考えは、超自然的な女性パワーということで、誘惑的であ
る。サンドラ・シュナイダー(バークレーでの連合神学大学院教授)は、「男性神に
先行して女神調査と女性の神性についての急増がみられる(たぶん、論文のテーマと
して)。それは、聖母マリアの人気が増加したことと無関係ではない。ユダヤキリス
ト教は男性紳であるだけで、そこに女性紳を容れる隙間を残していた。」
しかし、世界がマリアに対して多くのことを要求していることは明白である。そし
て、ある装いにおいては、彼らを迎えているのである。西洋文明中で、魅力的かつ常
に思い起こさせる諸類型の中で、マリアは独立した女性、あるいは悩める親、献身的
な母で闘士という点で永続性があるのである。
彼女の活力と関連した再開された彼女の出現は、何百万もの人々がさらに彼女のミス
テリーによって、動かされ彼女が心配する考え方によって慰められるということであ
る。マリアのどの側面についても、人々は聖母だけが与えることのできる何かに期待
し、それを強調し、それにすがる。
水曜日, 8月 08, 2007
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2 件のコメント:
こんばんは~♪
毎日ほんと暑い日が続きますね。
先般書き忘れましたが、もてぎにはインテグラにキャンプ道具一式を積み込んで行ってきました。
キャンプ道具は現地で借りて、CB1300タンデムとも考えていたのですが、カミサンの一声で断念しました(^^;
今日は、息子がまた西武ドームにナイター観戦に行き、帰りは迎えにきてほしいというオーダーがあったためCBで行きました。
距離がそれほどでもないということで、カミサンも大目に見てくれたようです。
午後9時に球場前で待ち合わせだったので、心地よい夜風を受けながら快適なナイトツーリングとなりました。距離は片道20㎞程度、約40分のタンデムツーリングを楽しめました。
ご指摘のように、この時期の日中にタンデムツーリングでは、息子も参ってしまうかもしれませんね。夜がちょうどいい感じでした♪
sho様、こんにちわ。
たぶん当初の予定とはちがい、車で移動されたな、と直感しました。
この時機、ナイトツーリングが絶好の醍醐味であることを改めて、ここ数日実感しているところです。
オイル交換をすると、通常すぐ調子があがることは経験済みですが、マイクロロンだと、数日たって調子が良くなってきます。直後は、かえって、ピストンがゴシゴシいう感じです。
なかなか翌日の勤務があると、いやでも出迎えたりとしなければ、いいとわかっていても出かけづらいですがね、・・・・。
無目的はよくないようです。
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