金曜日, 8月 17, 2007
1947年、メキシコ国境に近いニューメキシコ州ロズウェルの近郊でUFOが墜落し、その破片や宇宙人の遺体が回収されたが、一報が新聞にでたにも拘わらず、その後、破片は気象観測用の気球のものだっとということで、それ以上の続報は封印された。
この本は、ロズウェル事件にスポットをあてているが、その年は、多くのUFOと思われる物体を軍関係者によって目撃、報告されており、それらの紹介も当然ながらかねている。
なお、マリア像が丸い物体にのって降臨されたといわれているファチマでも、UFOライクの物体が多くの群衆に目撃されているが、当時はそちらへの関心は記録に残されていてもあまり発展しなかっったようだ。コンノケンイチ氏は、旧約の神は、いわゆるロズウェルで落ちた宇宙人系列で、新約の神は、マリア像的な系列ではないかと推測している。詳しくは、またファチマの項目で、・・・。
かぐや姫伝説も、月に帰るというが、ファチマという言葉、月の女神だそうである。
米国のUFO研究家ジョン・A・キールは、「聖書のゴッドとUFOは本質的に相似形であり、UFO隠ぺいの核には、バチカンと超国家権力の黒い影が常にちらついている」と。
ロズウェル空軍基地に破片を運び込むのに何日もかかっている。軍人達は、みなその破片が、この地球上の物体ではないという印象を語っている。気象観測用気球なんかであるはずがない。
リケットは現場で顔見知りの憲兵の姿を目撃したので、声をかけてみた。リケットをみた憲兵は驚いたような表情をして彼に言った。「あんたがここで何をしているか知らないが、俺達は決してここでは会わなかった、いいな。」
そして帰り支度をしているとき、キャビット大尉が近づいてきて彼に言った。「君も私もここへは来なかった。そして何も見なかった。軍関係の車両も兵士たちもだ。私たちは今日オフィスを一歩もでなかったのだ。」
イーズリー憲兵隊長の話によると、墜落現場はありとあらゆる角度から写真に納められた。大量の写真撮影が行われてはじめて回収作業が始められた。ロズウェル基地には写真班が三つ有ったが、どの班も出動されておらず、ワシントンDCから派遣された政府関係者だったという。膨大なフィルムも一つとしてロズウェルでは現像されなかったという。
KGFLのリポーター、フランク・ジョイス氏は、気球説が軍による事実隠ぺいの手段であることを感じていた。ブラゼル氏との二回目のインタビューを終えたとき、(ここのインタビューはブラゼル氏がMPに付き添われて行われた)、ブラゼル氏は彼に向かってこう言った。
「フランク、宇宙人は緑色だってみんないうだろ、でもほんとうは違うんだよ・・・」彼はそれだけ言うとMPに両脇を固められてラジオ局の建物から出て行った。・・・
第二の現場で発見された遺体は、ロズウェル基地に一時的に保管されあまり時間をおかずにフォートワース基地に運ばれた、というのが時系列的に見てただしい、ということになる。
ロズウェル基地で回収された未知の飛行物体の破片およびその搭乗員と目される生物の遺体は、オハイオ州デイトンにあるライトフィールド基地に運ばれて保存されたらしい。
言外にお前の息子は監視されているぞ、というニュアンスが込められていたのはいうまでもない。実際、軍は事件にかかわった人々をかなり長期にわたってモニターしていた節がある。デニス氏は警告をたいして気にもとめなかったらしい。しかし、自分で知った情報には背筋が寒くなる思いをしたらしい。
基地内ではたらく看護婦の友人と会った翌日、彼は電話をかけた。別れ際に気分がすぐれないと言っていた彼女の容体が気にかかったのである。「彼女は欠勤していて、居場所がわからない、というのが最初の答えだった。」彼は翌日も電話をかけた。今度の答えは、彼女は別の基地に配属になった、というものだった。・・・手紙を出したが、ひと月ほどたった頃、「宛名人死亡のため、差出人に転送」と書かれて戻ってきた。・・・・彼が知りえた情報は、彼女が「演習」に参加していたとき、他の五人の看護婦とともに、事故死したということだけだった。彼女の乗った飛行機が墜落し、全員が死亡したらしい。
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