金曜日, 8月 10, 2007
スタンドで給油中、すずしい店内でふと備え付けの新聞を見たら、昔の風船爆弾の製造に関する特集記事が一面にでていたが、風船爆弾でアメリカに死傷者がでていた事実は、制作にかかわった末端の人たちには届いていなかった、とある。また、当時は目的は秘密とされていて(一部は、噂として流布されたが、罰せられるので)、ほとんど知る由もなかった、などとあった。
今でも県北の小川町などでは、民芸として和紙の製造がさかん(観光目的もあるし)のようだが、戦前はもっと国策として、奨励されたわけか、と思った。
ただ、この新聞記事には、アメリカ側の人的被害しか書いていないが、風船爆弾が、原爆工場への送電線に絡まり、送電線を破損し、送電をストップ。原爆の完成が、丸3日ほど遅れたとの事は書いていないようだった。原爆の目的都市として、風船爆弾製造工場のあった都市も選ばれた、と読んだ記憶があるが、メモしていないので、確かな出典などは、わからない。
しかし、連載されるようなので、いずれそういう話題も掲載されるかもしれない。硫黄島に駐屯する自演隊幹部の、兵士の幽霊をいまだに見る隊員たちがいる、という話しもたしか、この新聞で見た記憶がある。
最新号の週刊新潮の「変見自在」(高山正之氏)を見たら、「本能」というタイトルで、日本人の直感力が他国に比べて優れた選択をしてきた、と指摘している。公務員制度として、明治政府がうっかり、中国の科挙の制度を取り入れたのは失敗としている。社保庁のていたらくなどはそのマイナス面の最たるものだろうが、特別会計だって似たりよったりだろう。
日本人はその直感で、共産主義にも本能的に危険な臭いを嗅ぎ取っていたとして、逸話を紹介している。
GHQで、マッカーサーの右腕を努めたというウィリアム・シーボルトは、戦後20年ほど後に、終戦直後の日本の指導的立場の人は、そろって「共産主義とそれに染まった者達を警戒するよう懇願した」と回想している。高山氏は、マッカーサーを始めとする一派は共産主義に何らの警戒心もなかった、としているが、これには少々どころか大いに疑問。
そして朝鮮戦争が起きる。シーボルトはその頃日本人が、GHQには共産主義者がいるとやいのやいのと言ってきて、調査の結果「数人が本国に送還された」と渋々認めている、と続く。
この中には、ソ連側スパイの全容を明らかにしたベノナ文書に名前のあがったE・ノーマンもいた。・・・
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%83%99%E3%83%8E%E3%83%8A%E6%96%87%E6%9B%B8&lr=
ベノナ文書は、上記サイトにたくさん関連事項が出ている。私の知る限り、アメリカは、ドイツと日本の暗号解読で精一杯、戦後になってようやくKGB暗号のごく一部を解読し、仰天しただろうとは、想像している。
http://blog.mag2.com/m/log/0000127583/107342886.html?c=dry
『豊かな熟年[まぐまぐ!]「ベノナ文書」とは、1996年からのソ連スパイ通信解読記録のことである。この文書の公開により、 ... ホワイトは、後に明らかになったのだが、 共産主義者であり、ソ連のスパイ活動をしていたことが先ほどの「ベノナ文書」にあったのである。 ...
htt://blog.mag2.com/m/log/0000127583/107342886.html?c=dry - 31k - キャッシュ - 関連ページ 』
トップに出てくる熟年日記にも、ハルノートを書いたというホワイトのくだりがある。
日本人は直感で共産主義の危うさを知った。米国はやや遅れたは。それに気付き赤狩りに精をだした。ノーマンのあぶり出しには、彼の同志・都留重人の証言が大きい。ノーマンは都留が証言したのを知ってカイロで自殺した、とある。
・・・都留は一橋大学の学長に出世し、さらに朝日新聞の論説顧問におさまったが、どこからも文句はなかった。ノーマンが、都留をハーバードで知りあい、理想的な共産主義者と絶賛した人物がである。
鳥居氏がいうように、木戸・ノーマン史観が戦後日本を覆っているので、新時代が来るまで、朝日左派はしぶとく生き延びるだろう。
The greatest potential threat to Moscow Center's postwar operations in the West came from a breach of cipher security. In 1948 Meredith Gardner, a brilliant U.S. code breaker, succeeded in decrypting fragments of KGB messages to and from the Center during the last year of the war. The discovery, code-named Venona, not only led to the downfall of Fuchs; it also provided the first clues that led to the arrest of Julius Rosenberg and his wife Ethel.
A 1944 KGB message that was decrypted in February 1950 referred to an agent in a low-level job at Los Alamos. Other clues helped identify him as Ethel's brother David Greenglass, who admitted his own role and implicated his brother-in-law. Greenglass revealed in questioning (though it was never mentioned in public) that Julius had boasted to him of running a Soviet espionage network in New York that had provided not merely atomic secrets but also a wide range of other scientific intelligence, including preliminary studies for space satellites.
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0014.html
・・・
『 さて、ではハーバート・ノーマンの死の謎であるが、これに果敢にとりくんだのは中薗英助と工藤美代子だった。やはりこういう慧眼の持ち主はいるものなのだ。中薗は『オリンポスの柱の蔭に』を、工藤は『悲劇の外交官』を書いた。
ここではサスペンスに富んでいた中薗の著書のほうを紹介しておくが、この『オリンポスの柱の蔭に』という表題が何をあらわしているかというと、GHQの本部なのである。第一生命ビルに構えたマッカーサー司令部の玄関にはギリシア神殿さながらの列柱が聳え立っている。そのオリンポスの柱の蔭でレッドパージ(赤狩り)が虎視眈々とノーマンを狙っていた、そういう意味なのだ。
この小説仕立ての大作には、ノーマンが冷戦が始まった米ソ間のスパイ戦争のなかで被疑者としてしだいに追いつめられていった経緯が刻々描かれている。ノーマンがマルクス主義っぽいということは学界でも通り相場だったのだが、外交官として"赤"としての動きをしていたかどうかということは、赤狩りをした張本人たちの断定であって、いまなお判断できる者はない。しかしGHQの背後を操ったCIAの記録にはノーマンを犠牲者にするためのシナリオが残響しているはずである。中薗はそこに焦点をあてて、この緻密な推理を書きあげた。
事実だとすれば、ノーマンの身に迫る恐怖はただごとではなかったろう。カイロにいてノーマンは絶体絶命を感じていたのである。かくてノーマンは日本から届いた映画『修禅寺物語』をシネマ・オデオンで見ると、カイロの街路を歩き、ナイル川通りを突き抜けてしかるべきビルの突端部まで進むと、投身自殺した。』
http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/20070521/
『GHQの中の民政局に巣食っていた共産主義者・親中派やノーマンの思惑通りに進んでいたなら、今の日本は全く違っていたものになっていたことだろう。
確かにG2などの巻き返し(謀略も含む)によって、民政局は力を失い、戦後の日本は共産主義化することもなく、大混乱に巻き込まれることもなく、今日に至っている。しかし、ノーマンらの毒は、現在にも続いている。ノーマンの仲間だった都留重人、加藤周一らはしぶとく生き延び、加藤周一に至っては、『九条の会』の立役者のひとりとなって、今でも、『日本を劣化・幼稚化させる』(香山リカ・福田和也の言葉を転用)ことに心血を注いでいる。戦後の悪夢のゾンビは、まだ現代日本で活躍しているし、そのゾンビたちは、岩波書店や朝日新聞を根城に、今では外務省や数多くの官庁に食い込み、自分たちの「保身」のためなら、日本人が拉致されても、日本が滅んでも構わないという運動を続けている——つまり、木戸幸一と全く同じことを今でも続けているというわけなのである。』
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