金曜日, 7月 20, 2007



先日の講演会で、地方新聞の記事が、来場者に配られた。竹島の日(2月22日)を前に、韓国が領有権を主張する竹島の、その領有権主張を覆す古地図が、韓国で見つかった、というもの。

じつは、産経新聞では、2005年の6月に、読者から寄せられた江戸時代の古地図に、竹島がはっきり記載されており、江戸時代から領有を日本側が認めていた証拠では?という問い合わせについて掲載していた。

それによると地図は安永八年(1779)に作成された長久保赤水の「日本輿地路程全図」をもとに書かれたものではないか、ということ。

拓殖大学の国際開発学部の下条正男教授の意見として、「竹島は島根県隠岐の島町に属する日本固有の領土で、歴史的にみても、韓国が同島を実効的に支配していたことを明確に証明するものはありません」という。

しかし、韓国は1952年に「李承晩ライン」を一方的に設定し、竹島をその内側に含め、不法占拠をつづけている、という。最初、人がいないから、気付いたら占拠されたと迂闊にも思っていたら、なんと抵抗した漁民が8名ほど殺害され、数十人の負傷者が出たのだという。私の子供の頃は、テレビがなく、ラジオで毎日のように李ラインのせいで、日本魚船だ捕なそのニュースがながれ、新聞には、子供心にも悪らつな感じがする李承晩の顔が出ていた。

「晋遊社」から出された「嫌韓流」にはかなり具体的に、竹島が日本固有の領土で、韓国の主張には正当性が認められない旨書かれ、世界中で、そろそろ韓国を含めた朝鮮人のおかしな激高性が認識されだし、各地で問題になっていると指摘。






今度の新聞記事は、山陰中央新報らしいが、韓国でもよりによってソウル大学所蔵地図から韓国主張を覆す資料が、ソウルの大学で、英語教師を務める民間研究者のビーバーズ氏が発見したというもの。

ビーバーズ氏は、日本の竹島の日の条例制定で韓国国内で反日感情が高まったことから、竹島問題を研究し出したと言う人で、インターネットで成果を発表されている。

http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=345809006

http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-699.html

http://www.occidentalism.org/?p445/(英文)

The document was probably written in 1877 or 1878, but it was included in the last volume of a 3-volume set of books entitled “A Study of Historical Evidence of Takeshima” (竹島考証), which was an 1881 compilation of documents related to Takeshima (Ulleungdo). Here is the translation of the document:

Google検索でも「竹島 ビーバーズ 古地図」だけで上記サイトがトップに出てくる。ビーバーズ氏は、米国人のゲーリー・ビーバーズ氏ということも出ている。


外務省のホームページなど覗く気にもなれないが、興味ある方はどうぞ。竹島へ関する真実を世界へ向けて発信するよう、ビーバーズ氏は呼びかけている。韓国国内在住でこれだけできるので、いつも西欧人にこういうことは先を越されることにいつもなぜなんだろうと疑問に思う。外務省は、そういう反省は一切ないらしい。私は、ノモンハン事件も最初、やはり米国人アルビン・クック氏が中学生の頃、日ソ両軍激突のニュースに興味を持ち、日本人を妻とし、来日して聞き取り調査をされて、「ノモンハン」を書かれたことに驚異を感じる。ソ連側資料がうそばかりだったので、日本軍の無謀さを責めるスタンスが濃厚だとしても、・・・。ま。しかし、日本人とちがい、対象へののめり込みみたいな姿勢はないようだ。

宣教師的伝統からは離れられないのかもしれない。しかし、

「(株)宇宙環境利用研究所の加納剛は、詩人大岡信の表現、「日本では古来から自然の事物のひとつひとつに対して相応しい名前を与え、極めて鋭敏な感性的認知の精密さを讃えねばならないが、個々の微妙なニュアンスの差を越えて色環的な認識を形創るための抽象の努力をすることが絶えてなかったことは日本人の認識能力にある種の本性的欠陥があることを示す。」(大岡信、日本の色、朝日新聞社、1976)を引用し、ユニークな日本人についての科学的認識論を展開している(加納剛、KAST Report
Vol.3, No.1, 1991)」

というように、日本人は韓国をたぶん見下している面が多いかも知れないが、白人からみれば、かなり御しやすい民族と日本人が見られているような気がする。

 江崎玲於奈博士は、あるときこういうことを言われた。「日本の国民総生産の全世界に対する割合と、ノーベル賞受賞者の全世界に対する割合とのあいだには二ケタ程度の差があり、日本の研究に独創性が足りないのは、厳然たる事実である。」つまり、日本の基礎研究には、明らかに創造性が足りないということである。


研究はなにも大企業の研究所でなければできないものでもない。

結局、ほんとうに新しいものは、自分自身の地道な努力と、小さなことの積み重ねからしか生まれてこない。誰もやっていない分野だから、データもなければ、測定器もない。測定器すら、自分でつくらなければやれないとなると、イヤでも小さな研究から始めざるをえないのである。

 いずれにしても日本には、ほんとうはガラクタだと考えられて、そういうところから学問を建設していく姿勢が基礎研究をする者には必要だが、その種の学問形態が日本人研究者にはまったくない、という意見がある。
 そのような、なにもないところから学問を建設したり、なにもないところから新しいモノを作り出すということに関してはヨーロッパに伝統がある。その中でもイギリスの貢献度は、ズバ抜けて大きいと思っている。



養老孟司先生は、「現代日本文化論」の編者の時代であったと思われるが、

「 そもそも進化に関する、いちばん典型的な現代風の思考は、「進化なんて、そんな、済んでしまったことを調べて、何になりますか」というものである。これには、とりあえず反論のしようがない。
 こういう思考を、私は「次の一手」主義とよぶ。
・・・ここには、ある種の「進化思想」の欠如がある。歴史の欠如といってもいい。さらには、それを基礎づける、基本的な思想の不在がある。
・・・
 西洋人の紋切り型のひとつに「進化とは、西洋が生みだした最大の思想」だというのがある。こうした歴史的思考が、われわれには苦手であることは、確かである。なにしろ、この国は、丸山真男先生の言われるとおり、そもそものはじめから「永遠の現在」なのである。

 今となっては、歴史や思想が、理科系の学問と無縁であるはずがない。進化とは、結局は人間に至る歴史であり、それをどう見るかは、典型的な思想の問題である。ところがそれが「永遠の現在」にもどりそうなので、編者としては心配をしているところである。」と述べられた。



「わたしは日本のジャーナリズムの一番の欠点は、資料をもっていないことだと思っています。ヨーロッパの古本屋では18世紀や19世紀の本も自由に手に入るし、日本と違って大学の図書館も公開していて、何世紀前の資料も自由に見られる。国立図書館は夜は10時まで開いている。 中略 日本では、とぼしい材料で、平気で大きなジャッジをすることになれてしまった。これは恐ろしいことです。」板坂元

「個人文書館
くりかえしていうことだが、わたしたちの社会の制度化された教育体系では、達成された成果を次代につたえることには、なかなか熱心であったが、その達成までの技術を開発し、発展させようという気もちは、あまりなかったように思われる。技術の開発と発展のためには、成果よりもそれにいたるまでの経過の記録と、その分析がたいせつである。ところが、そのほうは、信じられないくらいおそまつなのである。
 日本人には、自分のしとげた仕事の記録を残すという習慣が、あまり身についていないようである。どんな仕事でも日本人のやったことを、すこししらべてみるとわかるが、たいてい、まことに貧弱な記録しかないものである。中略 そんなのにくらべると、日本人は、記録軽視、成果第一主義で、実質的で、たいへんけっこうなのだが、社会的蓄積がきかないという大欠点がある。やはり、どうしてこうなった、ということをかきのこしておいてくれないと、あとのもののためにならない。
 ヨーロッパには、どの国にも、むかしからアルキーフ(文書館)という施設が発達していて、さまざまな記録を、じつにこくめいに保存しているということである。中略 まえの経験を吟味して、そのうえにたってあたらしい経験をつぎたしていこう、というふうには、なっていないのだ。」梅棹忠夫「知的生産の技術」




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