日曜日, 7月 22, 2007
小室博士の著作の魅力は私のような浅学非才のものがど〜の、こ〜のと申し上げることはできないが、先日お亡くなりになった河合隼雄先生とどうよう、京大数学科御出身ということだけで、まずひれ伏してしまう心地がする。いいなあ、と思う。田中角栄裁判時に、彼を有罪と決めつけた検事たちを逆さ吊りにせよ、と広言してはばからない勇気にはいい意味で脱帽。それで、テレビ業界から追われてしまったが、基本的に博士の主張は正しかったのではないか?あれは、アメリカに嫌われた田中首相を追い落とすための策動が発動された、と見るべきではないか!?渡部教授も、この裁判に疑問を呈していた。昔から、東大と京大はアカデミズムの双璧をなすが、通常の意味で、小室博士のような人材は、東大からは生まれづらい気がするのは、私だけではないだろう。
小室博士のソビエト帝国の崩壊は1980年にだされ、まっさきに買って読みました。こうなるはずだと真剣に思いました。マツダのスポーツカーRX7とかなんとかいう車が注目を集めていた頃でした。今では手許になく大変残念。もちろん、それ以前から注目はしていました。長谷川慶太郎氏とならんで。博士も、博学であられるから、当然ソビエト政権が1980年代末には崩壊するとポルトガルの羊飼いの子供たちに向かって聖母マリアがご託宣されたファチマの予言は御存知だったはず。そういう前提で話しを組み立てるのは朝飯まえだったはずと、今から考えると思えなくもないが。
社会学者宮台先生の教師でもあり、東大教授の家庭教師という噂があった。長らく独身で食うや食わずで研究に励み、ときどきゼミの院生達が食糧をもって訪ねていないと、餓死しかねない、などと言われていた。
著作も豊富なうえに内容も和漢洋の学識がちりばめられ、私などは主題よりも傍証の事実などに振り回されました。ノモンハン事件をジューコフがそうとうてこずったとか、ヒトラーの天才への評価とか、戦後精神の濁り水の中で生きていたものにとっては、痛快な指摘があちこちに。しかし、どうして東大に迎えられないのか不思議であったが、今では不思議でもなんでもない。フルブライト留学から帰ってくると、丸山真男などから煙たがれた、と御本人が語っておられた。
第1章は、失われた日本国憲法の精神、とあり、丸山真男、ジェファーソン、ジョン・ロック、ケインズが登場する。これだけでも、視点の広さが並々ではないことがおわかりいただけよう。海外はともかく、東大の有名教授をまな板に載せて、などという芸当が許される識者は、まずほとんどいない。
現代日本は民主主義と資本主義の二大看板を掲げている。この二つこそ日本国憲法の要である。
ところが、その実態はデタラメもいいところである、と。これだけで、ゾクゾクしてくる。
今の日本では、資本主義も民主主義も機能していない!
憲法の精神は踏みにじられ、泥にまみれている!
と。な、なんだって!?と思う出だしである。
日本の病根は憲法にある、憲法が機能していないことこそが日本病の元凶である、と規定された。
かって、丸山眞男教授(政治学者)は、日本の「民主主義」を一瞥して「そこでは民主主義は日々につくられるものではなく、既存の「状態」(丸山眞男『日本の思想』)とされていることに注目している、としている。
民主主義も憲法もそれを日々育てる努力をしなければ、たちまち息絶えてしまう。そこのところがわからないから、日本では憲法も死にかけ、民主主義も死にかけているのである、と。
憲法103条の条文で、一番大事な条文はどれか?という設問もある。かなり難しいから、ヒントを、としてある。(憲法9条ではありません)だって。憲法問題とくれば明けてももくれても9条の話しだけとは、奇妙なことであると、している。後輩にあたる瑞穂さん、どうしますか!?
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憲法本来の役割からすれば、第9条の規定など枝葉末節もいいところ。戦争を放棄すれば民主主義の世の中になるわけではないし。その逆もありえない。しかも、日本の「憲法屋」たちが誇る9条の条項は、日本独自でもなければ、世界にさきがけたものではない、と。
また、世界の現行憲法で、何らかの平和条項を持っている憲法は124カ国にもなるという。
では、第9条でないとしたら、(ベートーベンの第9というのも、日本人は大好きなようであるが)ほかに何か?となるのが、戦後の民主主義教育の実態だと言う。大多数はピンと来ない。国民にただしい民主主義教育を行ってこないツケがきて、憲法は瀕死の状態だと、博士はおっしゃる。
これが有効でなくなったなら、憲法の存在意義が胡散霧消してしまう条文は、憲法第13条だという。
ああ、あれか、と思える人は皆無だろう、と博士は予測している。
憲法のいうデモクラシーのエッセンスはアメリカ独立宣言にある、という。だから、冒頭のアメリカ人やロックの名前が出てきたのだ。
中略 そのロックであるが、「私有財産」の発見で民主主義も資本主義も確立した、とあり国家といえども私有財産に介入してはならないと太字で強調されている。ちなみに、副島氏は、アメリカの連邦準備銀行と言うのは、ロックフェラー家の金庫であって、日本の日銀とはことなるという。国家と言えども、私有財産には介入できないのであろう。
因に、アメリカでは「貧しい人は怠け者である」と考える思想が今日でも根強いという。
憲法の主たる目的は国家権力への命令にある、とも大書されている。17条憲法には、国家に対して命令するなんて思想は、かけらもないと。したがって、地価下落を放置するのは憲法違反だという。この10年、日本国首脳も役人も憲法違反をし続けている、と指摘。(発行は2002年4月)。
かって、ケインズは「ジョン・ブル(英国紳士)は大抵のことに我慢できるが、金利が2%では我慢できない」と書いて利子率にはそれ以上下げられない限界がある、と説いたのだと言う。
利子ゼロだったから、ソ連は破綻した。とも解説している。日本のエリート官僚達は、国民の財産権を侵害するような通達をだし、処罰されず、バブル崩壊の引き金をひいた官僚は、天下りした。しかるに今の日本では暴動も起きなければ、右翼も左翼もテロも暗殺もおこなったりしない。これでは官僚や政治家どもにとって怖いものなし、憲法違反のし放題ではないか、という。
拉致疑惑の放置はまぎれもない憲法違反、とも指摘している。瑞穂さんも9条にこだわらず、13条にこだわって拉致問題追及に、安倍首相と共闘されては!?
憲法問題を考えるとは、民主主義とは何か、資本主義とは何かを考えることにほかならないのである、という言葉で第1章は終わる。
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