日本国憲法の問題点 第三章
前回に引き続き、小室博士の憲法談義を、・・・。
この章では、ルソー、シーザー、ワシントン、トルーマンが冒頭に紹介されている。「戦後教育こそ民主主義の敵」である。でてきました、トルーマン。ポツダム会談、国連の創設、広島・長崎への原爆投下、日本の占領、東京裁判など、トルーマン政権下で行われたことは、いずれも戦後日本の運命に深くかかわることばかり・・・と解説が。
日本の憲法は死んでいる、ことを説いてきたが、もうひとつ、死んでいるものがある。それは日本の教育である、と結論を先に述べている。
学校の教師達や、日教組、文部省などは認めたがらないが、日本の教育制度はもはや破綻している。
戦後日本で行われてきた教育は民主主義教育でもなんでもない、途方もないまがいものであった。
戦後教育の大方針は昭和22年に起草された教育基本法によっている。年代からわかるとおり、この法律は占領国であるアメリカの方針でつくられた。(安倍内閣は、真っ先にこの改定に手をつけた!)したがって、教育基本法成立を知った国民はさぞやこの中にデモクラシーの精神がつまっているに違いないと信じて疑わなかった。
ことに教育基本法を金科玉条と仰いでいるのは他ならぬ日本の学校教師、ことに日教組である。
教育基本法ほどデモクラシーと無縁な法律はない。いやむしろ、日本のデモクラシーにとって、これほど有害な法律はない。そういっても、決して過言ではない、と。これでは、憲法が死に、デモクラシーが消滅するのはあまりにも当然のこと、と主張されている。強烈な、占領国アメリカによる、絶対強制マインドコントロールであったわけだ。
(高校の頃、回し読みした野末陳平氏の「変な本」という中に、6・3・3制のことを、アメリカのテキサスあたりの黒人を教育する最低の教育システム、というような注釈がついていた、と記憶する。日本の旧制高校を廃止し、日本を骨抜きにするための教育を押し付けているという声は、その頃まではよく聞かれた。スポーツ、セックス、スクリーンで、日本を骨抜きにするという声も、もうそのころ、三つのSは流行に流行って夏草のごとく、日本に生い茂ってしまっていた。)
ルソーは教育なきところにデモクラシーは生まれない、と当時のフランスをみて絶望したという。
ワシントンを国王に推戴したアメリカ人
独裁社は大衆の歓呼に包まれて登場する ーーーシーザー
教育こそ民主主義の防波堤である(独裁者をうまず、衆愚政治に堕しないために)
イギリス議会政治を支えたヨーマンたち
よき民主主義はよき教育によって支えられる。たとえば、イギリスで初期の民主主義が発展したと言うのも、ジェントリーとかヨーマンとよばれる独立自営の小さな生産者達が社会で大きな比重を占めていたからである。彼らの特徴は何かと言えば、「志があって、教養がある」これに尽きると言う。
入植6年でハーバード大学を作った植民者たち
ジェントリーやヨーマンという層は、イギリスで資本主義が発達すると誰にも頼らず暮らしていた中産的生産者層は急速にイギリスから消えて行った。そのうちの一部は新大陸へ移住したのである、とある。
新大陸で最初に大学が造られたのが、1636年のことである。これが如何にに驚くべきことであるかはマサチューセッツに最初の移民者約1000人が到着したのが1630年だったという事実一つを指摘すれば十分であろうと。それは彼らが、教養の価値を知っていたからである、と。1000人のピューリタンのなかで、ケンブリッジやオックスフォード卒業生が4,50人はいたと言われている。アメリカには建国のずっと前から大学があった。この事実を抜きにしてデモクラシーの歴史は語りえないのである、と。
教育大国アメリカの誕生
ハーバードに続いて1693年にはウイリアム・アンド・メアリー大学が、1701年にはイエール大学が、1746年にはプリンストン大学が作られている。さらに1751年にはペンシルバニア大学、1769年にはダートマス大学が作られている。このように植民地に大学が作られ、そこで高い教育が授けられていたことが、のちのちのアメリカ独立につながっていくのである、と。
(ギリシア・ラテン引用後辞典、田中秀央・落合太郎編、をみると、ハーバード大学の標語は、veritas Christo et ecclesiae、真理はキリストと教会のために、となっている。ペンシルバニア大学の標語は、
litterare sine moribus vanae、で性格のない文学は空虚なり、となっている。以下いくつか拾ってみる。
テキサス大学 disciplina praesidium civitatis 教育は国家の保護なり
デューク大学 Eruditio et Religio 学問と宗教
プリンストン大学 Dei sub numine viget それは神の御意志のもと栄える
シカゴ大学 crescat scientia, vita excolatur 知識は増すべく、人生は完成さるべし
ミシガン大学 artes, scientia,veritas 芸術、科学、真理 )
国民の育成こそアメリカ式教育のエッセンス
戦後日本の教育ほど、アメリカ式教育からほど遠いものはない。アメリカ式教育の根本は何か。その最大の目的は「国民の育成」にある、と。つまり、アメリカ人としてのほこりをもたせ、アメリカ合衆国への忠誠を誓わせ、アメリカ人としての生活の仕方を教えることである、と。
「アメリカの栄光」を強調する歴史教育
現在の体制は、先人の血と汗によって築かれたものであることを教え、アメリカ民主主義は命をかけても守るべきものだということを児童・生徒の脳髄に焼き付けるのである、と。
なぜ、アメリカは日本の教育を堕落させたか!?
「答え」 戦前の日本がアメリカ式の教育を行って、大成功をおさめたから。
資本主義の精神を教えた戦前日本の教育
二宮金次郎は、日本的資本主義の象徴だった。
教育勅語の目的はけっして反動的なものでもないし、封建的なものでもない。それとは正反対に「近代国家」の国民を作るためのものであった。
憲法よりも重視された教育勅語
かくのごとく戦前の教育においては、教育勅語のほうが、図抜けて重要であった。教育勅語こそ、日本的「アメリカ式教育」の根本経典であったというわけである、と。
アメリカも戦慄した日本兵の強さ
日本の教育から徹底して民族教育の要素を除去する。非アメリカ的な教育をすることによって日本がふたたび強国になる道を塞ごうというのである、と。
民主主義教育、民族教育が行われないから、政治家も官僚もますます堕落した。
憲法を活かすためには、まず現在の教育を考え直すところから始めなければ、今の日本は決して再生することはないのである、で三章はおわる。
月曜日, 7月 23, 2007
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